学位論文要旨



No 121691
著者(漢字) 大堀,靖夫
著者(英字)
著者(カナ) オオホリ,ヤスオ
標題(和) 成体神経前駆細胞を用いた損傷脊髄再生に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 121691
報告番号 甲21691
学位授与日 2006.04.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2756号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 助教授 星,和人
内容要旨 要旨を表示する

[研究の背景] 我が国には現在10万人以上の脊髄損傷患者がおり、毎年約5000人が新たに罹患している。さらに近年、高齢化社会に伴って比較的軽微な外傷で発症する高齢者の脊髄損傷患者が増加している。脊髄損傷の治療は、除圧固定手術とリハビリテーションが中心であり、ダメージを受けた脊髄自体の修復再生療法は今のところ皆無である。一方で、脊髄を含む成体中枢神経系の多くの領域に神経幹細胞や様々な前駆細胞群(ここではこれらを総称して神経前駆細胞と呼ぶ)が存在することが知られており、近年これら神経前駆細胞を利用した再生医療の可能性が動物実験において研究されている。本研究では、green fluorescence protein (GFP)発現レトロウイルスと培養系の手法を用いて成体ラット損傷脊髄内の神経前駆細胞の表現型を同定し、これらの細胞を標的とした人為的操作による細胞補充再生療法の可能性を検討した。

[方法] 雄性Sprague-Dawley(SD)ラット(生後7-9週齢、体重250-350g)を使用し、第10胸髄高位の脊髄切断モデルを作成した。損傷時にGFP発現レトロウイルスを切断端から注入し、損傷後3、7日のGFP陽性細胞の表現型を免疫組織染色、または組織片を単一細胞に分散後(acute dissociation)の免疫細胞染色により同定した。さらに、fibroblast growth factor2 (FGF2)及びepidermal growth factor(EGF)をウイルスと混合して注入し、増殖因子の実質内投与が損傷脊髄内のGFP陽性細胞の数や表現型に及ぼす効果を検討した。次に、GFP陽性細胞の性質を培養系で検討するために、損傷後3日脊髄片からneurosphere法で初代培養を行い、GFP陽性細胞の増殖・分化能を調べた。これらのGFP陽性細胞に神経発生期に特異的な転写因子を強制発現させる目的で、neurogenin2 (Ngn2)発現レトロウイルス、またはmammalian achaete-scute1 (Mash1)発現レトロウイルスを損傷脊髄内で感染させ、それらの効果をin vitroおよびin vivoにおいて検討した。

[結果] 損傷後7日にGFP発現レトロウイルスで標識された細胞は、注入部から実質部に散在し、その数は増殖因子の投与によって約2.7倍に増加した。GFP陽性細胞の分布を矢状断面で観察すると、損傷近傍を中心に実質部広範に存在し、頭尾方向に約8 mmの広がりがみられた。GFP陽性細胞の表現型は、損傷後3日で、多くがOlig2, Nkx2.2, NG2といったグリア前駆細胞のマーカーを発現していた。このような表現型を示す損傷脊髄内のGFP陽性細胞の性質を培養系で検討すると、neurosphere法により増殖し、これらのマーカーを発現した状態で、neurosphereを形成した。さらに、増殖因子非存在下に分化させると、全てのneurosphere内でニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトが混在してみられた。このことはGFPレトロウイルスで標識された細胞が、培養系で神経前駆細胞の性質を保持していることを示す。

 次に、増殖因子投与の効果を調べるために、損傷後7日脊髄内のGFP陽性細胞の表現型を検討した。増殖因子非投与群では、損傷脊髄内にニューロンのマーカーを発現するGFP陽性細胞は全く観察されなかったが、増殖因子投与群では、TuJ1やHuC/D陽性の幼若ニューロンが観察された。これらのGFP陽性ニューロンは幼若なニューロンの新生を示すものであり、さらに成熟したニューロンのマーカーのNeuNが陽性なGFP陽性細胞は観察されなかった。

 次に、Ngn2とMash1を発現するレトロウイルスをそれぞれ用いて、損傷脊髄内の神経前駆細胞に遺伝子導入し、その効果を検討した。Ngn2遺伝子導入によって、GFP陽性細胞中にNeuN陽性の成熟ニューロンが出現した。しかし、これらの新生ニューロンは経時的に減少し、損傷後28日でみられなくなった。brain-derived neurotrophic factor (BDNF)の同時投与によって、これらの新生ニューロンの生存維持効果がみられた。一方、Mash1遺伝子の導入によって、GFP陽性のオリゴデンドロサイトの割合が増加した。さらに、損傷後28日目に残存するGFP陽性細胞の中で、Mash1導入群にのみmyelin proteolipid protein (PLP)陽性のミエリン形成オリゴデンドロサイトが少数ながら観察された。これらのことから、Mash1は神経前駆細胞からオリゴデンドロサイトの産生を促進することが示された。しかし、PLP陽性細胞は少数であり、分化したオリゴデンドロサイトがミエリン形成する際には、なんらかのミエリン形成抑制因子が存在していることが推察された。

[考察] 損傷脊髄内の増殖性細胞をGFPレトロウイルスで標識し、標識細胞の性質を培養系で解析すると、損傷脊髄内の神経前駆細胞はOlig2, Nkx2.2, NG2三重陽性の表現型で存在することが示された。損傷脊髄内でこれらの前駆細胞からニューロン、成熟オリゴデンドロサイトの再生が妨げられる機構としては、抑制的環境因子と細胞の内在的な性質の二つがある。これまで、増殖因子が未分化前駆細胞からニューロン分化に作用することは知られていない。一方、損傷脊髄内には種々のニューロン分化抑制因子が存在するとされ、増殖因子投与によって抑制的環境が部分的に克服されたことが、幼若ニューロン新生の一因として考えられる。損傷脊髄内前駆細胞へのNgn2の強制発現によって、ニューロン分化・成熟が促進し、さらにBDNF投与は、これらの新生ニューロンの生存維持に効果があった。一方で、Mash1の強制発現は成熟したオリゴデンドロサイトの増加に効果があった。これらの結果から、損傷脊髄内の神経前駆細胞は薬剤投与や遺伝子導入などの人為的操作によって、細胞補充療法の源として利用できることが示された。さらに、本研究で用いたGFP発現レトロウイルスによる標識とその解析法は、損傷脊髄の再生医療を目指した成体神経前駆細胞の応用に対する重要な手掛かりを与えるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は成体ラット脊髄において、損傷に応答して増殖する、内在性神経前駆細胞の性質を明らかにするため、GFP発現レトロウイルスを用いた標識法を用いてin vivoおよびin vitroでの解析を試みた。さらに、これらの未分化前駆細胞に増殖因子投与や発生期脊髄に特異的な転写因子を強制発現させることによる増殖・分化誘導を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.第10胸髄高位での脊髄完全切断モデルにおいて、損傷脊髄内にGFPレトロウイルスを直接注入することにより標識される細胞の多くが、Olig2, Nkx2.2, NG2のグリア前駆細胞のマーカー陽性と示された。これらの細胞はin vivoにおいてはニューロンに分化し得ないものの、in vitroにおいてneurosphere法で浮遊培養すると、未分化の状態を保ったままneurosphereを形成して増殖することが示された。さらに、分化を誘導すると、ニューロン、オリゴデンドロサイト、アストロサイトの全てに分化し、すなわち生体内ではグリア前駆細胞の性質を示すものの、培養系においては多能性前駆細胞の性質を保持することが示された。

2.損傷脊髄内に、GFPレトロウイルスを増殖因子(EGF, FGF2)とともに注入すると、損傷脊髄内で標識され、分化したGFP陽性細胞の一部に幼若なニューロンのマーカーを発現する細胞が見られた。このような幼若ニューロンは増殖因子の投与なしには見られず、また増殖因子投与によっても、より分化したニューロンのマーカーNeuNを発現するGFP陽性細胞はみられなかった。一方で、アストロサイトやオリゴデンドロサイトに分化したGFP陽性細胞の割合は増殖因子の投与で影響はなく、増殖因子がニューロンに分化しうる前駆細胞群の増殖・分化・生存などに直接作用した可能性が示唆された。

3.in vitroにおいて、成体脊髄由来のneurosphere培養中にBMP4, CNTFなどを加えて損傷脊髄内の環境を模倣すると、前駆細胞からのニューロン分化が抑制された。さらに、BMP4に拮抗作用をもつnogginや神経栄養因子BDNFの投与は、BMP4やCNTFによる抑制を部分的に解除した。さらに、これらの分泌因子存在下に、発生期の神経系でneurogenicな作用をもつngn2を前駆細胞に強制発現させると、BMP4やCNTFの存在下でもニューロンに分化した細胞の割合が増加し、Ngn2の強制発現が損傷脊髄内のニューロン新生に抑制的な環境を克服できる可能性をin vitroで示した。

4.実際に損傷脊髄内に、増殖因子の投与と同時にNgn2やMash1の遺伝子を強制発現させると、Ngn2によって前駆細胞から分化したニューロン、Mash1によってオリゴデンドロサイトの割合がそれぞれ増加した。さらにNgn2の強制発現は、損傷脊髄内でこれまでみられなかった、成熟ニューロンの新生につながるものであり、損傷28日には一部に、前シナプスのマーカーのshynaptophysinを周囲に発現する新生ニューロンがみられ、新生ニューロンによるシナプス形成が示唆された。

これまで、損傷脊髄内で失われるニューロンやオリゴデンドロサイトの細胞補充は移植による研究が進められてきた。しかし、移植した細胞の多くはアストロサイトに分化したり、死んでいくことが報告されてきている。そこで本研究の結果は、このような移植による方法に代わって、成体脊髄に内在する神経前駆細胞の活用による、損傷脊髄の再生医療の開発に重要な手がかりをあたえるものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク