学位論文要旨



No 121693
著者(漢字) 萩原,章子
著者(英字)
著者(カナ) ハギワラ,アキコ
標題(和) 高齢者の身体活動を測定する質問紙の作成と高齢者の身体活動に関連する要因の探索
標題(洋)
報告番号 121693
報告番号 甲21693
学位授与日 2006.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2758号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真田,弘美
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 大嶋,巌
内容要旨 要旨を表示する

 [背景と目的]

 健康な高齢者を増加させる方策として、適度な身体活動の実施が推奨されている。しかし、わが国の高齢者が十分に身体活動を行っているとはいえない。この背景には、身体活動を高めるための支援や指導が十分でないことが挙げられ、その一因には高齢者の身体活動を簡便に測定する手法が確立されていないことがある。また、適切な支援や指導を行うためには、高齢者の身体活動の実施に関連する要因を明確にする必要がある。

 疫学調査で高齢者の身体活動を測定する方法としては、質問紙法が最も現実的とされる。高齢者の身体活動を測定する質問紙は、スポーツやレクリエーションといった余暇活動のみでなく、家事など低強度の活動を含める必要が指摘されており、海外には妥当性、再現性が確認された質問紙が存在する。しかし、わが国ではこのような質問紙は存在せず、海外で作成された質問紙の日本版を作成することは意義が大きいと考えられる。

 身体活動に関連する要因については、先行研究から様々な事項が指摘されているが、多変量モデルの寄与率が十分でないことや、余暇活動のみを対象とした研究が多いといった問題も指摘されている。また、わが国では高齢者を対象としたこれらの研究はほとんど行われていない。

 以上から、本研究は米国で作成された高齢者の身体活動を測定する質問紙The Physical Activity Scale for the Elderly(PASE)の日本版を作成し、地域に在住する高齢者を対象に、妥当性、再現性を検討しその特徴を細かく記述すること、および日本版PASEにより測定した高齢者の身体活動に関連する要因を探索することを目的とした。なお、PASEは余暇活動、家庭内の活動、仕事関連の活動の3領域、計12要素で構成され、高得点ほど身体活動が多いことを示す。

 [方法]

 PASEの翻訳は尺度の一般的な翻訳手順に従った。文化的な違いを考慮し、PASEの各要素に該当する活動の例示等を変更した。予備調査の結果、作成した日本版PASEにわかりにくい点等の指摘はなかった。しかし、自記による回答では活動の分類を誤ることがあったため、理解しやすいよう質問文の一部を変更した。これらの変更については原著者らの了承を得た。

 次に、作成した日本版PASEの妥当性、再現性を検討した。対象は、A県B市に在住する65歳以上の高齢者で、日常生活に支障をきたすような認知障害ならびにADLの支障がない方とした。調査は平成16年4月中旬に実施した。測定内容は、適格条件確認のための指標(認知機能:浜松2段階方式診断法、ADL:Barthel Index)、背景要因(年齢、教育歴など)、日本版PASE、日本版PASEの妥当性検討項目[加速度計による活動量、類似の質問紙(JALSPAQ)による活動量、握力、体重あたりの大腿筋断面積、バランス能力など]、日本版PASEの関連想定要因(年齢、現在の仕事の有無、最近の手術歴、高次ADL、体重あたりの大腿筋断面積、自覚的健康感、運動への支援者の有無、住居形態、居住地など)である。日本版PASEは自記による回答を基本とし、回答後に調査員が内容を確認した。調査に参加した対象のうち同意が得られた方について、調査から3-4週間後に日本版PASEの再調査を行った。

 分析では、対象全体と男女別に日本版PASEの妥当性、再現性、および自記での回答可能性について検討した。日本版PASEの関連要因は男女別に検討した。なお、認知機能の測定の結果、軽度の認知障害と考えられる「前痴呆」に該当する対象も分析対象としたが、回答傾向の影響を確認するため、日本版PASEの妥当性、再現性、および自記での回答可能性の検討では、これらの対象を除外した場合の結果も検討した。

[結果]

 調査に参加した対象は325名(男性134名、女性191名)、再調査は257名(男性112名、女性145名)であった。対象は全員が適格条件を満たしたが、23名が「前痴呆」に該当した。

 調査の結果、日本版PASEにおける活動の要素分類に関して新たな検討点がみられたため、取り扱い方法について原著者らの了承を得て微細な変更を行った。

 対象全体の日本版PASE得点は平均114.9±44.9点であり、男女別の統計的な有意差はみられなかった(ρ=0.12)。日本版PASE得点の分布は男女とも著しく偏る傾向はみられなかった。

 日本版PASE得点と妥当性検討項目との間に有意な関連がみられたのは、対象全体では1日の歩数(ρ=0.17)、体重あたりの運動によるエネルギー消費量(ρ=0.16)、JALSPAQによる活動量(ρ=0.48)、体重あたりの大腿筋断面積(ρ=0.15)、バランス能力(ρ=0.19)であった。男女別では、男女ともに有意な関連がみられたのは、JALSPAQによる活動量(男性ρ=0.48、女性ρ=0.47)、バランス能力(男性ρ=0.20、女性ρ=0.17)で、他に男性では1日の歩数(ρ=0.38)、体重あたりの運動によるエネルギー消費量(ρ=0.35)、女性では握力(ρ=0.16)、体重あたりの大腿筋断面積(ρ=0.23)と有意な関連がみられた。「前痴呆」に該当する対象を除外した分析でも、関連のみられた項目はすべて除外前と同様であり、相関係数はやや上昇したがその差は0.04以下であった。

 日本版PASEの各要素の重み付きκ(あるいはκ)統計量については、値が0.4以下であった要素がいくつかみられたが、一致度が著しく低いものはなかった。日本版PASE得点の級内相関係数(95%信頼区間)は、対象全体では0.65(0.58-0.72)、男性では0.68(0.57-0.77)、女性では0.62(0.51-0.71)であった。「前痴呆」に該当する対象を除外した分析では、除外前との重み付きκ(あるいはκ)統計量の差は0.04以下であり、級内相関係数は0.01-0.02程度上昇した。

 日本版PASEを自記で回答できず聞き取りを行った対象は22名で、うち17名は「理解が難しいと判断されたため」がその理由であった。自記で回答した303名を対象に、各要素における回答の誤りを検討したところ、余暇活動に関する要素の実施頻度、家事に関する要素以外の家庭内の活動に関する要素では、2割程度の対象が回答を誤った。「前痴呆」に該当する対象を除外して分析した場合、いずれの要素も回答の誤りの割合が減少した。

 日本版PASE得点を目的変数とした重回帰分析の結果、男性では、現在仕事を有しており、運動への支援者(家族、家族以外)がいるほうが得点が高く、20-40歳代の運動歴があること、同居していること、結婚していないこと、一戸建てに住んでいることは、関連ありという傾向が示された。女性では、年齢が低く、最近の手術歴がなく、高次ADLが高く、体重あたりの大腿筋断面積が多く、自覚的健康感が高く、一戸建てに住んでおり、居住地が郊外であるほうが得点が高く、現在仕事を有していること、抑うつ傾向があること、身体活動の必要性の認識が高いこと、運動への支援者(家族以外)がいることは、関連ありという傾向が示された。重回帰モデルの寄与率(調整済みR2)は、男性が0.15、女性が0.18であった。

 [考察]

 日本版PASEの妥当性については、日本版PASE得点といくつかの妥当性検討項目との間に有意な関連がみられ、相関係数は高いとはいえないが先行研究と同等程度は確保されていた。再現性については、重み付きκ(あるいはκ)統計量が0.4以下となる要素もみられたが、一致度はいずれも高く、日本版PASE得点の級内相関係数についても原著者らによる報告と同等程度は確保されていた。以上から、日本版PASEは一定の妥当性、再現性を有すると考えられる。

 日本版PASEの回答状況を検討した結果、認知機能がやや劣る対象では自記が困難であること、また自記で回答した場合も、2割程度の対象が回答を誤った要素もあり、調査員が回答内容を確認することが適当と考えられる。

 「前痴呆」に該当する対象を除いて分析した場合、妥当性、再現性ともにやや上昇する傾向がみられたが、いずれも大きな差は確認されなかった。しかし、今回、「前痴呆」に該当する対象数が少なかったため、今後は例数を増やし、日本版PASEの妥当性、再現性について、正常高齢者の結果と比較し、これらの対象における適用可能性を検討する必要があると考えられる。

 日本版PASE得点に関連する要因を検討した結果、いくつかの要因が日本版PASE得点と関連していた。これらのうち、家族以外による運動への支援、体重あたりの大腿筋断面積、住居形態や居住地などの環境的要因などは、第三者からの支援により向上が可能と考えられ、高齢者の身体活動を向上させるための方策が示唆されたと考えられる。

 本研究にはいくつかの限界が挙げられる。まず、対象が地方都市の一施設での調査への参加意思のある高齢者であったことである。また、日本版PASEの妥当性について高い相関係数が得られたとはいえず、日本版PASE得点の関連要因を探索した重回帰モデルの寄与率、偏回帰係数の値についても高いとはいえなかったことが挙げられる。

 このような限界はあるが、本研究はわが国の高齢者の身体活動を測定する質問紙を作成し、妥当性、再現性を確認したという点で、またわが国の高齢者の身体活動に関連する要因を示唆したという点で意義が大きいと考える。今後は、様々な背景を有する高齢者を対象に日本版PASEの適用可能性について検討すること、また日本版PASEにより測定された身体活動に関連する要因について縦断的に検討することが課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、わが国の高齢者の身体活動を簡便に測定するために、米国で作成された高齢者の身体活動を測定する質問紙The Physical Activity Scale for the Elderly(PASE)の日本版を作成し、その適用可能性を検討するとともに、日本版PASEにより測定した高齢者の身体活動に関連する要因を明らかにしたものである。本研究では、地域に在住する健康な高齢者325名を対象に、作成した日本版PASEの妥当性、再現性を検討しその特徴を細かく記述すること、および重回帰モデルの手法を用いた関連要因探索を行い、以下の結果を得ている。

1.日本版PASEの作成とその適用可能性

 日本版PASEの作成にあたっては、日米の文化的背景や習慣の違いを考慮し、原著者らの研究グループの了承を得た上で、原版における各要素に該当する活動や、質問紙中の例示などを若干変更した。作成した日本版PASEの妥当性については、対象全体において、いくつかの妥当性検討項目との有意な関連が認められ(スピアマンの順位相関係数=0.15-0.48)、また再現性についても、日本版PASE得点の級内相関係数が0.65となり、原著と同等程度の妥当性、再現性を有することが示された。しかし、浜松二段階方式診断法による認知機能の測定の結果、「前痴呆」に該当する対象への適用可能性については、対象数が少なかったため本研究で結論付けることはできず、今後さらに検討することが必要と考えられた。また、日本版PASEを自記式で用いる場合は、対象の認知機能を十分に確認することや、自記での回答後、調査員が内容を確認することが適当であると考えられた。

2.日本版PASEにより測定した高齢者の身体活動に関連する要因の探索

 日本版PASE得点を目的変数とした重回帰分析の結果、男女ともに、現在の仕事の有無や、家族以外による運動への支援、住居形態が日本版PASE得点と関連することが示された。以上のほかに、男性では、運動歴や婚姻状態、同居の有無、家族による運動への支援が、女性では、年齢や手術歴、体重あたりの大腿筋断面積などの健康や身体状態に関する要因、身体活動の重要性の認識、居住地といった要因が日本版PASE得点と関連することが示された。関連のみられた要因のうち、家族以外による運動への支援や、体重あたりの大腿筋断面積、住居形態や居住地の環境的要因などについては、第三者からの支援により向上することが可能と考えられ、これらから、高齢者の身体活動を高めるための方策が示唆された。

 以上、本論文では、わが国において、高齢者に限定した身体活動を測定する質問紙が存在しなかった点に着目し、米国で作成された質問紙の日本版を作成し、その妥当性、再現性について確認した。作成した日本版PASEは、わが国の高齢者の身体活動を簡便に測定する上での一助となると考えられる。また、本論文では、作成した日本版PASEを用いて、これまで十分に検討されていなかった、わが国の高齢者の身体活動に関連する要因を明らかにした。この結果は、高齢者の身体活動を高めるための支援や指導を策定する上での基礎資料となると考えられる。

 よって、本論文は、わが国の高齢者の身体活動に関する研究の発展、さらには高齢者の身体活動の向上に重要な貢献をなすと考えられ、独創性、臨床的有用性ともに高く、この点で、学位の授与に値するものと考えられる。

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