学位論文要旨



No 121696
著者(漢字) 李,漢正
著者(英字) Lee,Hang Jung
著者(カナ) イ,ハンジョン
標題(和) 表現における越境と混淆 : 谷崎潤一郎と日本語
標題(洋)
報告番号 121696
報告番号 甲21696
学位授与日 2006.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第668号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹内,信夫
 東京大学 助教授 野崎,歓
 専修大学 教授 山口,政幸
 東京大学 助教授 キャンベル,ロバート
 東京大学 教授 井上,健
内容要旨 要旨を表示する

 本稿では、近代日本の言語状況とそのなかで生産された文学表現との関わりを谷崎潤一郎(1886−1965)のテクストを取り上げて考察する。

 明治以降、日本語で書く作家たちは、あたかも西洋語に自在に対応するかのような日本語を作り出しながら、在来の日本語では表現できなかった世界を描いた。これによって近代日本の文学は、より広い表現世界を切り拓くことになった。しかし一方で、その過程には西洋文学の翻訳が大きく関わり、西洋語の価値が日本語で書く行為においても優先されるきらいがあった。1929 年に書いた文章のなかで谷崎は当時の西洋語の構造を基盤にして成立しつつある口語文に対して、「一種の型に囚はれてしまつてゐる」と断言した。これは西洋の言語体系に大きく依存し発達してきた口語文に対する批判である。このような認識は谷崎が西洋語の文章体系を否定し、日本語の伝統的表現のみを重視する立場から生まれたと受け止められた。それは、1923 年以降谷崎が関西に滞在しながら古典的作風を書き続けたことと関連した見方である。

 これに対して本稿は、谷崎の日本語意識を単に一時的な作家の身辺の変化にともなって生まれたものとする従来の見方と一線を画し、書き手としての谷崎と日本語で書くことの関連性を、谷崎の日本語に対する意識と創作における実践の両面から捉える。同時代の言語状況を視野に入れて、谷崎の作品は一人の実践的な主体が、社会的な日本語の変革状況のなかで自覚的に書くことによって生まれたことを明らかにする。本稿は作品に日本語で書く主体を意識的に介入させ、作品の文体や語りの構造などを含めて、作品の総体的な把握を試みようとする。谷崎は作家活動を始めた当初から同時代の言語状況を眺望していた。そして、日本語について積極的に意見を述べる一方で、様々な書き方を作品のなかで実践し、作品を日本語という言語で書くことによって顕在化される「統一体的全体」(アンリ・メショニック)として創出したのである。

 初期谷崎は、日本語に関する文章のなかで詩的な言語としての漢字の効用について述べている。彼は西洋語と照らし合わせて「日本の語彙の貧弱」を繰り返し語って、それを補う要素を漢字という文字に見出そうとした。日本語の制度的改革は表記の簡単な外国語を特に意識しながら、漢字を減らすこと、あるいは日本の文字をあえてローマ字に換えることなどを主張した。そこには実用的に書くことの要請があったが、谷崎は漢字を以って文学言語としての日本語の機能を認めている。

 このような思考は、「現代口語文の欠点について」でより多角的な観点で展開され、『文章読本』でさらに明確にされる。谷崎はそこで言文一致以来、日本の口語文が「翻訳文体の延長」におかれていると断じる。この言葉の背景には、「言文一致体」が西洋の翻訳作品の非常な影響で成立したという事情が絡んでおり、さらにその後、日本の口語文で書くスタイルが自然主義文学や新感覚派などの出現と相俟って一層西洋語一辺倒に傾いて行ったという事情がある。つまり、彼らは新しい文体を西洋語の文体を規範にして作ろうとしたのである。それに対して谷崎は、外国語と対照して日本語の欠点と言われる性質を言語表現の価値として生かす方法を試みようとする。

 それは、「現代口語文の欠点について」を書いた同年に、室町時代の御伽草子「三人法師」を現代語に翻訳することで実践される。古典作品の現代語への翻訳は、同時期の西洋の文学作品の翻訳の直後に行われている。谷崎の現代語訳は、古典的表現を現代の作品に取り入れるための文体練習のような性格を持つ。それは当時、新しい表現技法を西洋の文学作品の翻訳文体を残して導入した新感覚派のグループとは著しく異なる方向であったが、口語文の清新さを翻訳を媒介に実現しようとした点で、両者の問題意識は通底していたと言える。谷崎の翻訳の方法は口語文のなかに和文の調子を汲み上げることで行われた。しかしながら、和文の調子を生かしても西洋語の洗練を受けた口語文の基本的な骨格は維持されている。

 このような書き方を谷崎は、「蘆刈」「春琴抄」『細雪』といった創作において応用する。「蘆刈」は夢幻能の構造を踏襲して書かれ、先行研究ではその古典作品との影響関係が注目された。本稿では先行研究を踏まえて谷崎が改稿を通して、古典的要素を表現する物語を作るために思い切って句読点を削除していく過程を、自筆原稿と初版本の対比分析によって捉えた。読点を多く省略したこの小説は、語と語の関係において視覚的に連続性を印象づける。同時に統辞上自立した空間を消すことで、一つの語がその連続性のなかでゆるやかに形成されるように書かれている。同時代の標準的な文章と違う読点の削除は、連続する言葉の空間に読者を誘うものであった。また、引用の方法に関しても、自筆原稿から初版本にいたる過程で、谷崎は引用文のカギ括弧の一部を削除している。こうして谷崎は、口語文で書かれる地の文に古典文の調子を織り込む。

 「蘆刈」のなかで駆使された引用技法が、「春琴抄」では、作者によって造られた『鵙屋春琴伝』という架空の書物を引用する物語として展開される。このような表現方法は、谷崎が「春琴抄」を発表するより五年前に翻訳したスタンダールの「カストロの尼」の手法を踏襲して行われた。なお、「春琴抄」のストーリーはその「カストロの尼」より一ヶ月前に谷崎が翻訳したハーディの短篇「グリーブ家のバアバラの話」から題材を取ったものとされる。テクストの文章体裁は明らかに日本の古典の形式でありながら、「春琴抄」の構造や内容は日本の古典作品ではなく、西洋の文学作品から得たものである。また「蘆刈」の如く純然たる和文脈ばかりではなく、欧文脈と漢文脈を混在した、複合的な文体で「春琴抄」は書かれている。さらに、登場人物と語り手の声が重なり合い、融合することが「春琴抄」の最大の特徴である。近代小説が登場人物の発話を地の文から改行して引用符に括っておいたのは、まず地の文が口語になっていて、その地の文と登場人物の発話の口語とを弁別しておく必要があったからである。谷崎は「春琴抄」において引用符をほとんど用いず、登場人物の発話に敬体を採用する。また大阪言葉や古風なセリフの言葉を採用して、会話に引用符を設けなくても地の文とそれが自然に区別される小説を書いた。西洋の小説から物語の内容と構造についてヒントを得た「春琴抄」は、日本語で書く場合に可能なあらゆる書き方を総動員して作られた小説である。

 『細雪』は、「蘆刈」や「春琴抄」と全く異なる書き方で書かれ、内容においても同時代を舞台にした長篇小説である。しかし、地の文に会話を挿入する語りなど、「蘆刈」「春琴抄」で開拓された手法は随所に使われている。地の文は登場人物の伝達文をその人物の自称や敬語などの口語的な表現を生かして伝える。だが、それは直接話法と異なる。その発話文の文末を語り手の言葉に変えていく方法で、谷崎は登場人物の中に自分の意識を投影していく語り手を登場させる。なお、地の文の中にカギ括弧を設けずに直接話法のような会話文を使うことは、時にはローカルな言葉を交えて地の文に口語的なリズムを織り込むことにもなる。さらに『細雪』の中の手紙文は、言語変革の時代にあって個性を持つ書き言葉(エクリチュール)として立ち現れる。当時は東京の言葉を中心に日本語の標準語が立ち上がったばかりの時代であった。『細雪』はその標準語が日本の国民的な共通語となり、さらに海外に進出しようとする時期に、多様な言葉が日本語の内部において交錯する状況を描き出している。

 本稿で論じた谷崎のテクストは、言語の構造的な優劣が唱えられる時期に生産された。またそれは日本語という国民言語が制度化された時期に重なっている。谷崎は、そこで西洋語の構造を土台とする口語文の定型的な書き方や東京語を日本語の共通言語とする言語改革に安易に追随することを拒み、作品それ自体のなかに複数の言語が共存するテクストを作り出したのである。本稿では作品を創造する現場で谷崎が、日本語で書く主体として日本語の性格をどのように運用しているのかを見た。たとえば、「三人法師」や『源氏物語』の現代語の翻訳作品、また「蘆刈」「春琴抄」『細雪』などの創作作品の分析によって、谷崎の作品生産に深く関わっていることが言語的差異の問題であることが明らかになった。西洋語とは異なる言語形式で書く日本語の書き方、現代語とは異なる古典語の表現方法、さらに当時国民言語となりつつある東京語と異なる大阪語の口語性が、谷崎の作品を生み出す大きな動因となっている。谷崎は1923 年以後の、いわゆる「古典回帰」の時代においても、異なる諸言語の個性を重視し、それらが境界を越え異質なもの同士が共存する状況を肯定している。西洋語と日本語の差異に着目するとともに、日本語の内部の差異にも目を向け、それらの表現が交錯する場を作り出した。その結果、日本語で書くことに内包されるあらゆる表現の可能性が発掘され、援用されたのである。

 今日、異なる言葉の接触と混淆は日常的な風景となっている。谷崎は漢字と仮名混じりで書くという日本人作家にとってはあまりにも自明な事柄を改めて捉え直し、そこから自らの〈書くこと〉を実践した。そして、ある場合は古典的表現やローカルな言葉から新しさを引き出そうとした。こうした谷崎の言語的実践は、日本語の特性を自覚することで文学表現の新しい可能性を開くことであった。そこに、彼の〈書くこと〉の実践の今日的意義を見出すことができる。

審査要旨 要旨を表示する

 李漢正氏の博士学位請求論文、「表現における越境と混淆 - 谷崎潤一郎と日本語-」は、小説家谷崎潤一郎において日本語がどのように認識され、その認識が谷崎の書くという行為とどのように結びついていたかという問題意識に基づいて、従来の研究では、主として谷崎の関西移住及び所謂「日本回帰」と結び付けられて論じられることの多かった『文章読本』の再解釈を試み、この著作が作家の創作と深く結びついていたことを、同時代に発表された作品「三人法師」、「蘆刈」、「春琴抄」、『細雪』などにおいて考察しようとするものである。そして、谷崎において日本語の問題が、彼の作家活動の早い時期から一貫して日本語で書くという課題と不可分のものとして自覚されていたこと、従ってまた『文章読本』が単なる文章作法を述べただけの著作ではなく、日本語で書くことに対する尖鋭な意識によって支えられ、谷崎の創作活動の展開に重要な意味を持っていたことを論証している。

 李漢正氏の論文は5章より成り、それに「序論」と「結論」が付けられている。全編を通じて『文章読本』は、各章の主題に応じてさまざまな側面で参照される主軸となっている。また、氏の作品分析は、文学的エクリチュールの主体としての<書き手>に視点を置く新しい方法を提示することにもなっている。以下、論文の構成に即して、各章の議論を紹介し、随時審査委員の指摘を記しておく。

 「序論」において、李漢正氏はまず本報告書冒頭に述べたような問題意識を提示する。ついで、『文章読本』に関する先行研究の批判的検討を行ない、特に「言文一致」の運動との関連に注目しながら、谷崎において日本語で書くことの問題性が自覚される状況と経過を論述する。そこから、「一人の書く主体としての谷崎」を浮かび上がらせ、「同時代の日本語の変革に反応した」作家として谷崎を捉え直す。

 第一章は、「谷崎と同時代の日本語」と題され、1929年に発表された「現代口語文の欠点について」に焦点を絞った分析が行なわれる。まず谷崎の置かれた状況を「日本語変革期の作家たち」の中に位置づけ、西洋近代文学との対比のなかで日本語が新しい文学言語となるための苦闘とさまざまな試みを通じて、やがて日本語で書くという課題が作家谷崎のうちに立ち上がって来たことが示される。

 「序論」と第一章で呈示された問題設定、提示された資料体、分析の方法などが、第二章以下の論述の基礎となっており、この箇所に関して審査委員との間に、用語法、資料体の切り出し、時代背景との関係、分析方法などについて活発な質疑応答が行なわれ、李漢正氏の見解が確認されると同時に、概ね妥当なものとして了承された。

 第二章、「言文一致体を越えて」では、同じく1929年に発表された作品「三人法師」が分析の対象とされる。形式的には「三人法師」は室町時代の一篇の御伽草子を現代日本語に翻訳したものであるが、その中世日本語の翻訳によって、谷崎が「言文一致」という規制的枠を越えて、西洋語文脈のうえに日本古典語の要素を加えて、文学言語としての日本語の新しい可能性を発見したことが論証される。

 第三章は、「引用と書くこと」と題され、具体的分析の対象となる作品は1932年に発表された「蘆刈」である。ひらがな表記を多く用い、句読方式も常用とは異なるこの作品の特異な表記に注目し、それらが明確な意図をもって遂行された、書く主体の意識的な制作意図に基づくことが、改稿のプロセスの精密な分析によってみごとに論証されている。日本語表記と作品の語り構造との関係性をもう少し前景化できなかったかとの指摘もなされたが、「蘆刈」という作品においては、書く主体の言語的操作が日本語表記を現出させ、作品の重要な成立要因になっていることは、審査委員全員の等しく首肯するところであった。

 第四章は「仮想の古典」と題されて、1933年に発表された「春琴抄」が取り上げられる。スタンダールの「カストロの尼」やトマス・ハーディの「グリーブ家のバアバラの話」など、谷崎がこの時期に試みた創作的な翻訳の試みを手がかりとして分析が進行する。「カストロの尼」と類同の偽装された古典作品という装置(「春季抄」では『鵙屋春琴伝』と仮想の古書)が、「春琴抄」の作品構想の着想においてだけではなく、日本語の新しい表現の開拓にまで及んでいることが、具体的なテクスト分析を通じて論証される。但し、本章は他の章に比べれば論証に用いられた紙数も少なく、やや物足りなさが感じられるが、論証の趣旨は十分に展開されており、重要な問題提起を内包している点は評価されるとのコメントが審査委員からなされた。

 第五章は「日本語内の越境」と題され、作品としては『細雪』が取り上げられる。標準語に対する関西方言、地の文と会話文、随所に引用される手紙文など、この作品が示す日本語の多様な様相に着目し、同時代の言語・文化統制とは逆向きに、この作品が日本語の中での自由と個性の実現される場となっていることが描き出される。語りの内容ではなく、語りの言語的様相に着目する分析は斬新であり、この作品及び書き手としての谷崎に新しい光を当てるものであると評価できる。しかし、それはなお『細雪』という巨大な作品の一部であり、本章で得られた成果を踏まえつつ、谷崎の戦後作品をも含めた分析によって、さらに高い次元での包括的な研究を促すものであるとの指摘が審査委員からなされた。

 そのことは、「結論」において本論文の総括及び成果の点検を行なうなかで、李漢正氏自身によっても今後の課題として明確に認識され、また審査冒頭の補足説明でも明言されていた。

 総合的にみて、谷崎の作品と『文章読本』とを「日本語で書くこと」という新しい問題意識で関連づけ、具体的な作品において谷崎の「日本語で書くこと」の実相に迫ろうとした本研究は、谷崎研究のみならず日本近代文学研究に新知見を提供するものであり、本論文のもっとも評価すべき点であること、またそれを明快な論述と具体的な分析で示しえたことは、李漢正氏の研究者としての高い見識と研究能力を証明するものであること、それが審査委員全員の一致した見解であった。

 以上の審査の後、審査員全員による協議の結果、全員一致で本審査委員会は、本論文が李漢正氏に博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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