学位論文要旨



No 121697
著者(漢字) 曹,良鉉
著者(英字) Jo,Yang hyeon
著者(カナ) ジョ,ヤンヒョン
標題(和) アジア地域主義とアメリカ外交 : 1960年代地域機構設立の相互作用における多様性の分析
標題(洋)
報告番号 121697
報告番号 甲21697
学位授与日 2006.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第669号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 石田,淳
 東京大学 教授 恒川,惠市
 東京大学 助教授 木宮,正史
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、1960年代におけるアジア地域主義の多様性をアメリカ側とアジア側との相互作用の視点から歴史的に解明しようとするものである。

 1960年代半ば、アジアでは地域主義的な動きが盛んであった。アジア開発銀行(ADB)、東南アジア文部大臣会議、東南アジア中央銀行総裁会議、東南アジア開発閣僚会議、アジア太平洋協議会(ASPAC)、ベトナム参戦国会議及び東南アジア諸国連合(ASEAN)など、多くの政府間組織が設立され、「地域主義の新時代」と称されるほどであった。

 このようなアジアの動きに対しては、従来、対立する見解が提示されてきた。当時、ベトナムへの軍事介入を拡大しつつあったアメリカは、東南アジアを対象にした開発構想(「ジョンソン構想」)を提唱し、アジア諸国同士の地域協力を呼びかけた。上記の一連の機構がジョンソン構想の提唱から2年4ヵ月の内に相次いで設立されていたため、それらの設立の背後にはジョンソン政権による誘導ないし関与が働いていたとみなすのが、これまでの大方の見方であった。その一方で、こうした通説を問い直そうとする試みも見られた。諸機構設立における日本や韓国など域内国の主導的役割を強調するか、域内国際関係を重視する視角がそれであった。

 ところが、域外要因ないし域内要因のどちらかに偏った従来の視角は、分析レベルや分析対象が相異なっており、一方が冷戦体制という国際システム・レベルでのアメリカ外交分析であるなら、他方はアジア地域と域内国といったリージョナルまたはナショナル・レベルでの実証研究といえる。それゆえ、既存研究は地域機構設立をアメリカの対アジア政策か、アジアのイニシアティブかどちらか一方の単線的な帰結として捉えるという一面的な見方をする傾向が強い。

 実際のところ、1960年代半ばにアジアが「地域主義の新時代」を迎えたのは、国連開発の10年と関連した「地域レベルでの開発」志向、欧州統合の成功に触発された「地域協力への期待」など幾つかの共通要因は存在していたものの、具体的・個別的には様々な要因が重なったためであった。アジアに生まれた地域機構は、様々な目的と性格を持っており、地域主義の現れとして一括りにできるものではなかった。それゆえ、1960年代半ばのアジア地域協力機構の設立をめぐっては、既存研究に基づく理論的枠組みでは説明しきれない重要な課題が山積している。それらは、設立された機構はなぜ多様であったのか、という問題に集約することができよう。そして、その多様性の理由は、米政府の強い影響力だけでもなくアジア諸国のイニシアティブだけでもなく、両者の相互作用、即ち両者の認識と行動が影響し合う中で諸機構の性格が規定されていくダイナミズムを分析することによって、初めて明らかにできるものであろう。

 このような認識に基づき、本研究は、従来の研究では捉えきれていない1960年代半ばに登場したアジア地域協力機構の多様性を、ベトナム戦争への関与を深めつつも中長期的な視点からアジアの将来像を描こうとした米政府の意図・政策と、アメリカと意思疎通をしながらも様々な思惑から自分たちの地域機構を作ろうとしたアジア諸国の意図・政策とを絡み合わせて描く。つまり、構想別・機構別に、その提唱から関係国間での摺り合わせ、そしてその結果に至るまでの相互作用を実証的に明らかにする作業である。

 本研究では、まず、なぜ地域機構の性格が多様になったのかを説明するための一般的な仮説として以下を提示する:

 1960年代半ばにおけるアジア地域協力機構の設立をめぐる国際関係は多様であり、実際に設立された機構はもちろん設立に至らなかった機構についても、米政府の意図・政策とアジア諸国の意図・政策(並びに地域的国際関係)との相互作用として捉える必要がある。

具体的には:

1.アメリカは、当時の地域主義全般の傾向を踏まえて、もっぱら経済・社会開発分野を対象にする地域主義に注目したのであり、軍事・安全保障に関しては、従来からのアジア戦略であるハブ・アンド・スポーク体制を変える意図は持っていなかった。経済・社会開発分野の機構設立構想についても、従来の米政府の関与の形態から大きく外れるものではなく、必ずしもアジア側の実情を踏まえたものではなかった。

2.アジア諸国は、各々の意図と思惑から様々なタイプの地域機構を提案しており、米政府の方針(ジョンソン構想)に触発されたものもあれば、無関係なものもあった。また、分野についても、経済・社会分野に限定したものもあれば、軍事同盟に近いものまであった。

3.以上のように必ずしも利害関心が収斂していないアメリカとアジア諸国との間では、地域機構設立をめぐる外交交渉は複雑なものにならざるを得なかった。それは、アメリカの戦略かアジア諸国のイニシアティブかという単一の要因に基づいて説明できるものではなく、構想の性格がどのようなもので提唱国・主導国がどこであったのかを踏まえて、個別的に分析する必要のある国際関係であった。

 このような仮説に基づいて、第一に、ジョンソン構想がいかなるものであったのかを含め、米政府が提唱した協力枠組みの具体的性格を明らかにするとともに、アジア側の反応がどのようなものであり、アメリカ側とアジア側との相互作用がいかなるものであったのかに注目して、アメリカ側のアジア地域主義支援政策の成果と限界を探る。第二に、アジア側からのイニシアティブで提唱されたといわれる協力枠組みについても、米政府の関与の度合いを構想の背景にまで遡って検討するとともに、アメリカ側とアジア側との相互作用がいかなるものであったのかに注目して、アジア側の自主性の程度を探る。これら二つの実証的な作業を通じて、1960年代半ばに集中的に浮上した地域主義の多様性を解き明かす。

 本稿は序論(第1章)と結論(第8章)を含む全8章で構成される。本論は、ジョンソン政権が打ち出したアジア地域主義支援政策の背景と中身を扱う一つの章と、各地域機構の設立過程に関する五つの章からなり、その主な内容は次の通りである。第2章では、ジョンソン政権のアジア政策における地域主義的アプローチの位置及びそのアジア地域主義への影響力の範囲を明らかにすべく、アメリカ外交の視点からジョンソン構想の登場を扱う。ここでは、ジョンソン構想の狙いが、ポスト・ベトナムをまで視野に入れた多国間協力枠組みの構築にあり、またその適用分野が経済・社会開発に限られていたことを明らかにする。

 第3章以降では、1960年代半ばに関係諸国によって設立が試みられた主な地域機構(構想)を取り上げ、それぞれの登場背景・政策意図、設立に向けた交渉過程及びその帰結をアメリカとアジア諸国との相互作用の視点から分析する。第3章では、第2章で取り上げたジョンソン構想の展開を追うことで、アメリカの進めた地域主義支援政策の成果と限界を明らかにする。ここでは、ジョンソン構想の実現に当たり米政府が描いた初期構想と戦略、アメリカの提案に対する国連やアジア諸国の対応、そしてアメリカ側の戦略修正とその帰結について順を追って分析する。この作業を通じて、東南アジア開発の中心的枠組みとしてアメリカが設立を目指した機構は、国連やアジア諸国からの呼応が得られず出現しなかったこと、それゆえ米政府は分野毎の開発組織の並列的な育成へと戦略を修正せざるを得なかったこと、その結果、教育、運輸・通信、金融・通貨などの分野で開発関連の地域枠組みが出現したことが明らかにされる。

 第4章では、ECAFE及びアジア諸国に提唱されながら米政府がその設立に深く関与したADBについて、構想の起源から設立までの過程を、地域銀行のあり方に関する主な争点を中心に追う。ここでは特に、当初はADB構想に消極的であったアメリカが積極的支持へ方針転換した背景、ADB設立に対するアメリカの基本的立場、ADB内への特別基金設置という試みに込められた米政府の政策意図とその推進に分析の焦点を当て、ジョンソン構想と密接に関連しながら展開したアジア地域主義の一面を明らかにする。

 第5章では、戦後日本の対アジア積極外交の代表例とされる東南アジア開発閣僚会議を取り上げ、その設立過程を、米政府の働きかけと日本政府の対応という側面に注目しながら、外務省を中心とする日本政府内の動向と、日本とアメリカ及びアジア諸国との外交交渉を中心に分析する。具体的には、ジョンソン構想提案に伴うアメリカの対日要求、その対応としての日本側の具体案とその狙い、それに対するアメリカの反応、会議の性格付けをめぐる日本とアジア諸国との外交交渉を検討することで、日本外交における同会議の位置と日本側の自主性の程度を明らかにする。

 第6章では、韓国政府が主導したASPACの設立過程を、韓国政府の政策意図及びアジア諸国やアメリカの対応に焦点を当てて分析する。ここでは、韓国政府によるASPAC提唱には、アジア自由主義諸国同士の反共体制の構築という安全保障上の目標のほか、対日国交正常化交渉やベトナム派兵などの利害が合わせて考慮されていたこと、他の参加国が機構の性格についてそれぞれ異なる利害関心を持っていたため、設立交渉は難航し、実際に出現した機構では提唱当時の強い反共同盟的性格が薄められていたことを示す。また、韓国政府のイニシアティブに対して当初は慎重な態度をとった米政府がその支持に回ったのは、新たな反共ないし軍事同盟的組織の設立を意図したからではなく、韓国や台湾などが抱いていた国際的孤立感の緩和という心理的要因を考慮した結果であったことを明らかにする。

 第7章では、ASEANの設立を、地域国際関係とアメリカの対応に焦点を当てて分析する。ここでは、まずASEANの性格について、ASEANが政治・安全保障面での協力機構であって、その設立をもたらしたのが基本的に地域国際関係であったことを明らかにする。それから、ASEAN設立に対するアメリカの認識と行動について、当時米政府が、インドネシアを含む新たな軍事同盟的組織の出現には懐疑的であり、また軍事的要素が含まれない地域機構の設立をも楽観視していなかったこと、そしてASEANの設立に際してアメリカの干渉を警戒する地域諸国の意向に配慮し、自らの関与を控えたことを実証的に示す。

 結論(第8章)では、本論の分析を踏まえて1960年代におけるアジア地域主義の多様性をまとめるとともに、今後のアジア地域主義へのインプリケ−ションを考察する。

審査要旨 要旨を表示する

 1990年代以降、なかんずく21世紀に入ってから、アジアにおいて地域主義の動きが活発化し、国際関係論の重要な研究課題のひとつと捉えられるようになった。他方で、それ以前の時期については、アジアは、歴史的経験の多様性、文化的背景の多様性、政治制度の多様性など各種の多様性により、ひとつの地域としてまとまる契機の少ない場所と見られてきた。しかし実際には、今から40年前の1960年代半ばのアジアにおいて、アジア開発銀行(ADB)、東南アジア文部大臣会議、東南アジア開発閣僚会議、アジア太平洋協議会(ASPAC)、ベトナム参戦国会議、東南アジア諸国連合(ASEAN)など政府間組織がいくつも設立され、世界の中でアジアこそが最も活発な地域主義の動きを見せていた場所であった。

 この時代のアジア地域主義をめぐっては、当時ベトナム戦争を遂行していたアメリカが反共政策の一環としてアジアの同盟諸国や友好国を糾合しようとした結果と見なす米国主導説と、独立を果たしたアジア諸国の主体的なイニシアティブの成果と見なす域内協力説、とが対立してきた。本論文は、このような学説対立の構造を批判的に踏まえつつ、1960年代中葉に噴出した様々なタイプのアジア地域主義を、アメリカとアジア諸国との相互作用の視点から実証的に解明したものである。

 全8章から構成される本論文は、A4用紙で脚注を含む本文約300ページと資料・参考文献約50ページからなる大著(400字詰め原稿用紙に換算して約1400枚)である。序論(第1章)では、問題の所在を明らかにした上で、先行研究批判を展開する。すなわち、1960年代のアジア地域主義に関する研究では実態の多様性が軽視されていること、そしてアメリカの対アジア政策におけるアジア諸国との相互作用がほとんど看過されていることを指摘する。そして、当時のアジア地域主義の表出を理解するためには、アジア諸国の動向とアメリカの動向との相互作用の分析が必要であるとの主張をする。第2章から第7章までは、この主張を踏まえた実証分析に費やされる。

 第2章では、1965年4月に打ち出されたジョンソン政権のアジア政策における地域主義的アプローチ(いわゆるジョンソン構想)の位置づけを明らかにする。すなわち、ベトナム戦争遂行の一環ではなく、ベトナム戦争後を念頭に置いた、経済・社会開発の推進がアメリカ政府の意図であったことが主張される。

 第3章では、ジョンソン構想実現のためにアメリカが進めた地域協力支援政策の成果と限界を明らかにする。ここでは、アメリカが設立を目指した機構は、国連やアジア諸国からの呼応が十分に得られずに設立されなかったこと、それゆえ米政府は分野毎の開発組織の並列的な育成へと戦略を修正せざるを得なかったこと、その結果、教育、運輸・通信、金融・通貨などの分野で開発関連の地域枠組みが出現したことが明らかにされる。

 第4章では、国連機関やアジア諸国によって提唱されながら、アメリカがその設立に深く関与することになったADBについて、構想の起源から設立までの過程を明らかにし、ジョンソン構想と密接に関連しながら展開したアジア地域主義の一面を明らかにする。特に、出資問題、本部設置問題、総裁選出問題などで、アメリカの役割に注目する。

 第5章では、戦後日本の対アジア積極外交の代表例とされる東南アジア開発閣僚会議を取り上げる。ここでは、米政府の働きかけが最初にあったことを明らかにし、それへの対応をめぐる日本政府内部の紆余曲折に注目しながら、日本とアメリカ及びアジア諸国との外交交渉を中心に分析し、通説に反して、日本政府内部の利害対立が大きかったこと、日米間に複雑な相互作用があったことを示す。

 第6章では、韓国政府が主導したASPACの設立過程を、韓国政府の意図及びアジア諸国やアメリカの対応に焦点を当てて分析する。ここでは、韓国政府によるASPAC提唱には、アジア反共同盟の構築という安全保障上の目標のほか、対日国交正常化交渉やベトナム派兵などの利害も考慮されていたことを明らかにする。他方、アメリカが当初この構想に消極的だったことに加え、他の関係国も機構の性格についてそれぞれ異なる利害関心を持っていたため、設立交渉は難航し、実際に出現した機構では反共同盟的性格が薄められていたことを示す。

 第7章では、ASEANの設立を、地域国際関係とアメリカの対応に焦点を当てて分析する。ここでは、まずASEANの設立をもたらしたのが基本的に地域国際関係であったことを明らかにする一方、アメリカ政府は、インドネシアを含む新たな地域機構の設立を楽観視していなかったこと、そしてASEAN設立に際してアメリカの干渉を警戒する地域諸国の意向に配慮し、自らの関与を控えたことを示す。

 最後に、結論(第8章)では、本論の分析を踏まえて1960年代におけるアジア地域主義の多様性をまとめる。すなわち、アメリカ政府には、軍事・安全保障に関しては、従来からのアジア戦略であるハブ・アンド・スポーク体制を変える意図はなく、経済・社会開発分野の地域協力機構設立構想に熱心だったものの、従来の関与の基本形から大きく外れるものではなく、必ずしもアジア側の実情を踏まえたものではなかった。他方、アジア諸国は、各々の意図と思惑から様々なタイプの地域機構を提案しており、アメリカ政府の方針(ジョンソン構想)に触発されたものもあれば、無関係なものもあった。協力分野についても、経済・社会分野に限定したものもあれば、軍事同盟に近いものまであった。このように必ずしも利害関心が収斂していないアメリカとアジア諸国との間の地域機構設立をめぐる外交交渉は複雑なものにならざるを得ず、アメリカの戦略とかアジア諸国のイニシアティブという単一の要因に基づいて説明できるものではなく、構想の性格と提唱国・主導国との組み合わせに従って多様な形態をとる性が出てくる国際関係であった、と結論づける。

 本論文の学界に対する貢献は大別して3つある。何よりも第一に、1960年代半ばのアジア地域主義をめぐる国際関係全般に関するきわめて詳細な実証分析をおこなったことである。従来からジョンソン構想や個別のアジア地域協力機構設立に関する研究はあったが、本論文ほど包括的に行った例は今までになかった。アメリカ政府の政策決定過程を扱った第2章、さらにアメリカとアジア諸国との複雑な交渉を分析した第3章から第6章にかけては、各章とも200以上の注が付されており、本論文の実証性がきわめて高いことを示している。この作業の結果、本論文の分析がいくつかの通説の見直しに繋がったことも評価できる。

 第二に、この綿密な実証分析を踏まえて、1960年代半ばのわずか1,2年の間にアジアの地域協力機構がいくつも突然登場したことの要因をめぐる論争に、いわば最終的評価をもたらしたことである。すなわち、当時のアジア地域主義を整理する上で、アメリカ政府の思惑とアジア諸国の思惑とが交錯する複雑な国際関係を、協力分野の違い(経済中心か政治安保中心か)に注目しながら、アメリカ提案・アジア呼応、アメリカ提案・アジア敬遠、アジア主導・アメリカ支援、アジア主導・アメリカ不関与という類型論的な整理をすることにより、アメリカ主導説とアジア主体説との論争に実証面から決着をつけた。

 最後に、本論文はきわめて詳細にして実証的であるが、いわゆるマルチアーカイバル・アプローチによって行われている。すなわち、従来のようなアメリカ側資料偏重の分析ではなく、韓国と日本で最近公開された資料を広範に利用している。さらに、アメリカ側資料についても従来になく網羅的に渉猟し、日本や韓国の資料と有機的に関連づけたことも高く評価できる。東南アジア諸国では外交史料がまだ公開されていない現状では、本論文は、今日入手可能な資料を用いて、1960年代半ばのアジア地域主義をめぐる国際関係を初めて立体的に描いた業績である。

 このようにきわめて高く評価できる本論文であるが、問題点がないわけではない。まず、多様な相互作用が生じたことは明らかにされたが、その多様性が多様な機構の設立・不設立に繋がることを説明する理論枠組みに曖昧さが残っている。言い換えると、一方の当事者がアメリカであるという、パワー的に非対称的な国際関係において、なぜ本論文で明らかになった多様性が現出したのか、あるいは、相互作用とその結果としての制度化の成否とがどのように結びついているのかを説明する政治理論が必ずしも明確ではない。また、アメリカとアジア諸国との相互作用はきわめて詳細に分析されているが、ほぼ同時期に登場した構想をめぐってそれらを提唱したアジア諸国の政府どうしの間でどのような相互作用があったのかについては、実証面でも理論面でも分析が十分ではない。さらに、論文自体はきわめて詳細ではあるが、アメリカやアジア諸国が置かれた全体的な国際環境の大きな構図が序論で描かれていないので、個別具体的記述の意味づけが理解しにくい部分が残る。

 もっとも、このような問題点は、論文に書かれている内容についての欠陥ではなく、今後の研究課題として、あるいは広範な読者を想定した出版企画に際しての、執筆者に対する期待としての面が強い。本論文が学界に対して特に実証面で貢献する優れた業績であることは間違いなく、したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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