学位論文要旨



No 121700
著者(漢字) 島田,紘行
著者(英字)
著者(カナ) シマダ,ヒロユキ
標題(和) 高強度レーザー場による原子の多重イオン化 : 運動量分光によるアプローチ
標題(洋)
報告番号 121700
報告番号 甲21700
学位授与日 2006.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第672号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 小牧,研一郎
 東京大学 教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 助教授 染田,清彦
内容要旨 要旨を表示する

要旨

 強レーザー場による原子のイオン化機構は、Keldysh パラメータγの大小により大きく2 つに分類される事が知られている。γが1 より大きい条件下では、多光子イオン化の描像が良く成り立つ。

一方、γが1 より小さい条件下では、光の振動電場を準静的に取り扱う、いわゆるトンネリングイオン化の描像が良く成り立つ。従来、このパラメータ領域のイオン化を記述する理論として、Ammosov らによるトンネリング近似を用いた理論が広く用いられてきた。この理論から導かれるADK レートは実験的に求められたイオン収量を良く再現することが知られている。

 ADK レートの導出に用いられたトンネリング近似は、電場の弱い極限で妥当であると考えられる。一方、電場が強くなってトンネリング近似が適用できない領域 (Barrier-suppression ionization(BSI) 領域と呼ばれる) では、イオン化レートはADK レートよりも小さいことが近年の理論的研究によって指摘されている。しかし、イオン化レートのBSI 領域でのこのような振る舞いを調べるような実験的研究は我々の知る限り行なわれていない。そこで本研究では、BSI 領域で生成された希ガス多価イオンの運動量測定を行い、イオン化レートと運動量分布との関係からBSI 領域でのイオン化レートの様子を調べた。

 本研究では、波長775 nm、パルス幅200 fs、ピーク強度〜(2-10)×10(16) W/cm2 の光により生成された希ガス多価イオンの運動量分布の測定を行なった。その結果、測定した全てのイオンに対し運動量分布は零運動量を中心とした単峰構造をもつことがわかった。また、運動量分布の幅が原子種、価数によらずイオン化ポテンシャルのみの関数としてユニバーサルにプロットできることが判明した。

 これらの実験結果と比較するため、ADK レートおよびTong らにより提唱されたBSI 領域でも適用可能なTBI レートを用いて荷電状態の時間発展を記述し、運動量分布の計算を行なった。ADK レートを用いた計算から得られた運動量分布は、実験から得られた分布を大まかに再現するが、分布の幅は実験値の約半分程度であった。一方TBI レートを用いた計算を行うことで実験値により近い値となることが判明した。Ne、Ar の多価イオンでは一致は特に良く、実験値との差異は10%程度である。これはBSI 領域において、ADK レートに比べTBI レートがより現実に近いことを示していると考えられる。このように、イオンの運動量測定はBSI 領域でのイオン化現象を調べる上で有効な手段と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、第1章序論、第2章実験装置、第3章実験結果、第4章モデル計算、第5章結論、第6章付録、第7章参考文献の全7章からなっている。

 光子エネルギーが原子のイオン化エネルギーに満たないようなレーザー光による原子のイオン化は、レーザー光に伴う電場強度が強くなると共に、多光子イオン化過程からトネリングイオン化過程を経て、古典的にもイオン化が起こるBSI(Barrier Suppression Ionization)過程へと推移する。このようなBSI領域におけるイオン化過程、特に、多価イオン生成過程はレーザー強度の制限もあり、これまで系統的な研究はなされてこなかった。

 本論文申請者は、このBSI領域における多重イオン化過程を定量的に理解するため、生成される多価イオンの運動量分布に注目して初めてこれを測定し、運動量分布がレーザーのピークパルスのゆらぎに大きな影響を受けず、従って、信頼性の高い物理量であることを示し、さらに、それが原子種にほとんどよらず、対応する価数を生成する際の電離エネルギーの関数として記述できることを初めて見いだした。これは従来のモデル的取り扱いからは予想されなかった結果である。

 第1章序論は研究の背景、歴史、及び、本論文の構成が、第2章実験装置は、TWレーザーの動作原理、実際の構成、標的用超高真空実験槽の構成、希薄ガスジェット標的の機器構成、及び、飛行時間差分析器の動作原理と実際の構成が、第3章実験結果は本論文の主要部であって、得られた実験結果とその解析法、実験条件に関わる各種の考察が、記されている。第4章モデル計算は得られた実験結果を解析する際用いた多重イオン化過程の理論モデルの説明と、これにモンテカルロ法を適用して得られた結果を記している。本文部分の最終章である第5章結論では、本研究の主要な成果についてまとめている。これに続き、本論文申請者が考察を試みた各種の理論モデルの紹介、及び、文献が付録として追記されている。

 本研究においては、(1)TWレーザーの動作原理に戻ってパルス幅を調整する手法を開発し、専門業者より一桁近く高いピーク強度を実現し、(2)真空中に設置した軸外し凹面鏡を最適化することにより~(2-10)x10(16)W/cm2 に達する高密度レーザー光を得、(3)高い分解能を持った飛行時間(TOF: Time Of Flight)分析器を設計製作し、(4)超高真空標的真空槽(~3x10(-10)Torr)を稼働状態にし、(5)真空槽残留ガス圧より一桁近く低い密度の希薄ガスジェット標的の発生法を開発している。以上を組み合わせることによって、(6)Ne,Kr,Ar,Xeの4種の希ガスについて、それぞれ8価にまで達する広い価数範囲にわたって多価イオンの運動量分布を測定することに成功している。BSI領域におけるこのような系統的研究は他に類がない。その結果、観測された全てのイオンは、零運動量を中心としたガウス分布となり、その幅は原子種、価数によらずイオン化ポテンシャルのみの関数としてユニバーサルに決定されることを明らかにしている。これは、いわゆるトネリング領域で適用可能なADK理論の予言するところとは大きく異なり、定量的のみならず定性的にも新しい知見を得たもので、本研究の最も重要な成果となっている。

さらに、BSI領域におけるイオン化レートがトネリング近似から得られるADKレートの半分程度であること、低価数イオンについて半ば経験的に与えられていたTBIレートが8価までの広い価数領域にわたって有用であること、を明らかにした。特に、Ne、Ar の場合は10%程度の精度で実験を再現できることを示した。

以上、本申請者は、これまで研究例のない10(17)W/cm2に達する高いエネルギー密度領域で生成される多価イオンの運動量分布を系統的に観測し、それが原子種によらずイオン化ポテンシャルのみの関数で表現できることを明らかにした。

本研究は数名の共同研究者と共に進められたものであるが、実験装置の立ち上げ、実験の遂行、その後のデータ解析等、すべて本申請者が主体的に進めたものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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