学位論文要旨



No 121704
著者(漢字) 徐,国興
著者(英字) XU,GUO XING
著者(カナ) ジョ,コクコウ
標題(和) 中国における大学進学選択 : 進学の予想費用・期待収益を中心に
標題(洋)
報告番号 121704
報告番号 甲21704
学位授与日 2006.05.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 矢野,眞和
 東京大学 教授 山本,清
 東京大学 教授 廣田,照幸
 東京大学 助教授 勝野,正章
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の目的と分析枠組み

 本研究の目的は、中国における大学進学費用のうち、特に、大学授業料の上昇が、高校生の大学進学選択意思決定にどのような影響を及ぼすのかという問題を分析することである。これについて、研究者の意見が二つに分かれる。大部分の研究者は、授業料などの大学学費が急激に上昇してきているにもかかわらず、人々の進学意欲が下がらないことを、大学学費に対して、国民の負担能力にはまだ余裕があると受け止めている。政府側もこのような観点を持っており、授業料の継続上昇政策をとってきている。一部の学者は、高授業料政策に疑問を示しているが、それを支持する実証的なデータを提示していない。

 諸外国の先行研究をみると、一般的に、授業料の変動と大学進学選択の関連を実証的にみる場合、時系列的なマクロ集計データを用いて分析することが多い。すなわち授業料の時系列的変化につれて大学進学率がどのように変化していくかを分析することである。しかし、このような研究手順は、現在の中国においてあまり現実的ではないため、本研究では、高校3年生を対象としたアンケート調査を通じて得られた横断的なミクロデータを用いることにする。それと同時に、人的資本論アプローチに立ち、高校生の進学選択は進学の費用と収益の秤量関数であり、またその費用と収益は、客観的なものではなく、進学者の認識したものであると考える。分析に際して、事前収益率という概念を用いる。高校生の大学進学選択には、主に事前収益率、家庭収入と学習成績という三つの影響要因があると考えられる。従って、三つの仮説を立てることができる。一つは、事前収益率が上昇すれば、高校生が進学する可能性は高くなるという仮説である。もう一つは、資金調達能力の指標として家庭収入が増えれば、高校生の進学する可能性も高くなるという仮説である。

第三の仮説は、高校生の成績がよければ大学へ進学する確率も高くなるということである。以上の枠組みにおいて、授業料の変動が次のように、二つの側面から大学進学選択に影響を及ぼす。第一に、事前収益率というルートである。事前収益率と進学選択の間に、正の相関があれば、予想授業料ひいては実際の授業料との間に負の相関がある。第二に、家庭収入というルートである。家庭収入は様々な方面から進学選択に影響を与えるが、家庭収入の直接影響は、授業料の直接影響と読み替えることができると考えられる。

2.分析結果

 分析の結果は様々あるが、ここで授業料と進学選択の関連を念頭において以上の提示した二つの角度から分析結果をまとめる。

 まず事前収益率と進学選択について、性別と進学先を問わず、事前収益率は、進学選択に対して、プラスに有意な影響を与えているという傾向がみられた。予想授業料は事前収益率とマイナスの関係も持っている。事前収益率は、進学選択に対してプラスに有意な影響を与えているため、大学進学選択に対して予想授業料はマイナスの影響を持つことになる。予想授業料は実際授業料をベースとして形成しており、いいかえれば、予想授業料を実際授業料と読み替えることができる。従って、大学進学選択に対して実際授業料はマイナスの影響を持つことになる。すなわち、ほかの条件が同じであれば、実際授業料が高くなると、高校生の進学の確率は低くなると考えられる。

 次に家庭収入と進学選択について、いずれの進学先においても、家庭収入の直接影響を見出したわけではないが、女子の専科大学以上と本科大学以上の進学選択において、家庭収入の直接影響がみられた。すなわち女子の専科大学以上と本科大学以上の選択において、家庭収入が進学の直接的な制約となっており、家庭収入が高いほど進学の可能性が高くなる。それは、実際授業料が女子高校生の進学選択に直接的にマイナスの影響を加えているといえる。

 しかし、大学進学選択に対して、授業料の制限が、事前収益率・家庭収入という二つルートだけではなく、ほかのプロセスを通じても発生する。というのは、予想授業料には過小予想、正常予想と過大予想という三つの状態があり、実際授業料に比べて、授業料の過小と過大の状態では、期待収益と比較せずに、予想授業料だけで、進学選択を決めてしまうからである。また授業料の過小予想は進学意欲を不当に高め、授業料の過大予想が進学意欲を不当に低めると考えられる。

 図1では、事前収益率・家庭収入というルートだけではなく、ほかの二つのルートも存在することを示している。また授業料を過大予想しても、過小予想しても、家計によって負担できればいいわけである。家庭収入の高い高校生は、予想授業料の額にかかわらず負担できるため、ここで低収入層に絞る。

 授業料を過大予想している高校生は少なくない。そのうち、低収入の高校生が相当いる。高予想授業料が彼らの大学進学選択に厳しい制約を加えている。また中国では、既に教育システムから締め出された大学進学人口が大勢ある。そのうち、7.8%の低所得層の大学進学人口が大学の授業料を高く予想して、進学をあきらめざるを得なくされた。

 さらに、授業料を過小予想した高校生の割合も相当ある。これは、低収入層に多い。授業料を過小予想すると、進学選択に際して、授業料のマイナスの影響がみられなくなるどころか、逆に進学意欲は高くなる。中国の高進学率の背後には、このような要因が潜んでいることを否定できない。しかし、進学してから、授業料を払わなければならない。そのため、多くの低収入層出身の大学生は進学できたが、在学中、高授業料に苦しめられており、大学生活を円満に過ごしたとは決していえないのである。最近、中国の多くの大学において、授業料不払いの大学生の割合が増えつつあるということによって、この結果が裏付けられている。

3.政策的な含意

 以上が本論文によって明らかにされた主な知見であるが、それは、中国における大学進学をめぐる諸問題の一部にすぎないことはいうまでもない。また、分析の対象も特定のサンプルに限られているが、ここで得られた知見の限りで、授業料上昇と高等教育機会均等とその政策に関して、示唆する点を汲み取るとすれば、それは次のようなことであろう。

 大学授業料が大学進学の制限になるかどうかについて、本研究は、政府側の考え方、先行研究の結論と異なっている。本研究では、中国において大学授業料が進学の制限となっている事実を明らかにした。それに対して、政府がどのような政策を講じればいいのかが、今後の政策的課題になると思われる。

 まず、事前収益率というルートにおいて、大学授業料のマイナス影響が検証されたが、高度経済成長による大学進学の収益と家計の増加という二つの要因を背景として、中国における高校生の見た大学進学の収益は、非常に高い。進学費用すなわち授業料が高すぎるにもかかわらず、高校生の進学意欲が下がっていないことは、大学進学による期待収益が、はるかに費用を上回っており、費用という価格は、需給のバランスが高いところでとられてしまっているからだと考えられる。そのため、大学進学の費用が高くても、進学できれば、費用は何とかなると考えている高校生はかなり多い。それによって、授業料のマイナスの影響が見えにくくなってしまっている。現在のところ、進学費用をはるかに上回る高い収益が期待されているが、大卒者の増加によって、収益が低下するような事態が発生すれば、授業料問題が顕在化すると考えられる。これについては長期的な視点に立った政策的な立案が必要である。

 次に、家庭収入と進学選択の問題である。家庭収入が女子高校生の進学にプラスの影響を与えている。家計所得による進学の社会格差は、現在既に女性において顕著にあらわれているといえる。進学の男女差に関して、政策的努力を積極的に重ねる必要がある。例えば、女性を対象とする奨学金制度を設けることが考えられる。

 第三に、授業料を過小予想した低所得層の高校生が多いということである。授業料を納めなくても、進学できるという政府政策の下で、そのような高校生にとっては、大学進学選択をする際、予想授業料が進学選択の制限にならないことはあり得るが、しかし、進学後、それらの大学生の学費調達を助けてあげなくてはいけない。中国において、奨学金制度は整備されつつあるが、低所得層を対象とする制度はいまだにできていない。

 第四に、授業料が高いため、多くの大学進学人口の進学を断念させてしまったことである。そのうち、低所得層の割合は高い。これに対して、まずこのような授業料のマイナスの影響を最小限にとどめるべきであり、また学力と進学意欲があっても、授業料が負担できないために、進学を断念した大学進学人口に対して、何らかの補償的な教育政策を考えていかなくてはいけない。

図1 授業料影響のプロセス

審査要旨 要旨を表示する

 高等教育への進学選択がどのような要因に規定されるのか、とくに大学進学に要する費用と、大学に進学することによって得られる利益とがどのような影響を与えているのか、はこれまで各国の高等教育研究において重要な研究対象であり続けてきた。とくに経済発展が著しい中国においては授業料の高騰にもかかわらず、大学への進学率が急速に拡大し続けており、それがどのような動機に支えられているのかを解明することは、大衆化の背景を明らかにするうえでも、また高等教育の機会均等性を考えるうえでもきわめて重要な分析課題である。本論文はそうした観点から、中国の高校3年生の進学希望についてのアンケート調査をもとに、彼らが予想する進学のコストと卒業後の賃金、そしてその進学選択に対する影響を、実証的に分析しようとするものである。

 序章においては以上のような背景からの分析の意図をのべ、それに答えるための分析の枠組みを設定している。第1章では先行研究を概観しつつ、進学選択のプロセスを概念的に図式化し、とくに高等教育についての「内部収益率」の概念が進学動機を解明するうえでどのような意味をもつかを論じている。また第2章においては、中国における進学選択の背景となるマクロ的な高等教育構造、進学率、授業料の趨勢などを整理している。

 続く第3章ではアンケート調査をもとに、進学志望とその実現可能性の自己認識の分布、またその家庭背景・個人属性との関係を分析している。第4章では進学に要する費用とその負担の可能性を高校生がどのように認識しているのか、またそれが進学選択にどのような影響を与えているのかを分析し、とくに負担能力を過大に評価する高校生が少なくないことを見出している。さらに第5章では進学することによって得られる利益を高校生がどのように認識しているのか、またそれが家庭背景・個人属性とどのような関係をもつのか、またさらに予想される費用と利益との間にどのような関係があるのかを分析している。

 さらに第6章においては、予想収益と予想収益から予想収益率を算出し、中国の高校生は一般に、高等教育に進学することによってきわめて高い収益率をあげうると考えていることを明らかにしている。また第7章では、収益率が高校生の進学選択にどのような影響を与えているのかを統計的に分析し、またそれを高校生に対するインタビュー調査を参照しつつ検討している。

 以上の分析をつうじて本研究は現代中国においては、大学進学によって期待される経済的利益がきわめて高く、それが高い進学意欲の少なくとも一つの要因となっていることを示し、また低所得層においては進学費用が過少に評価され、それが経済的要因による機会の不均等への社会的な不満を大きくさせない要因となっていることを示唆している。予想費用、予想利益の規定要因の分析にさらに課題が残っていることが指摘されたが、全体としては以上の点を実証的に明らかにしたことは高く評価された。このような観点から博士(教育学)の論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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