学位論文要旨



No 121705
著者(漢字) 趙,力偉
著者(英字) ZHAO,LI WEI
著者(カナ) チョウ,リキイ
標題(和) 中世和歌の表現と理念 : 藤原俊成の和歌と歌論を中心に
標題(洋)
報告番号 121705
報告番号 甲21705
学位授与日 2006.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第542号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 肥爪,周二
内容要旨 要旨を表示する

 第七番目の勅撰集――『千載和歌集』が生まれた時期はちょうど古代社会から中世社会へと移り変わる激動な時代であり、また和歌史において古代和歌から中世和歌への転換期でもある。この『千載集』の撰者である藤原俊成は当時の歌壇において、名実ともに中心的な存在である。その長い生涯のうち、和歌創作や批評活動において質・量ともにすぐれた作品を数多く残し、新しい歌風を開拓しただけでなく、また歌論書『古来風躰抄』を著し、中世文芸論の発展にも大きく寄与した。俊成はまさに和歌が古代から中世へと変貌する歴史舞台において大きな役割を果たした主役であると言えよう。

 本博士論文は、主に俊成が残した和歌作品と歌合判詞を資料として利用し、和歌表現と歌論との二つの部分に分けて、俊成の創作手法と批評態度について分析、検討し、その作品と歌論の特徴と本質を考察したものである。

 第一編「俊成の和歌表現に関する研究」において、俊成の和歌創作における古典摂取、ことに漢詩文との関係について論じた。

 第一章では、現在知られる俊成の最初のまとまった作品群である『為忠家初度百首』に焦点を絞って、とりわけ「竹林鶯」と「窓前梅」との二題にある俊成の存疑歌を中心に、これらの歌の表現上の特徴から俊成作であると判断した上で、若き日の俊成の創作に見られる漢詩文摂取のありかたを探ってみた。例えば、「竹林鶯」題の「竹の葉に衣かけけむ夕暮れを思ひ出でてや鶯のなく」という歌は、『金光明最勝王経』に見える「捨身飼虎」の故事を下敷きに詠まれたものである。俊成は漢詩文に限らず仏教の経典まで摂取の範囲を拡げた。また「窓前梅」題の「冬のよは雪かきつめし明りよりかはらずにほふ花の色かな」という歌は、『蒙求』「孫康映雪」の故事を踏まえて題にある「窓」の字を暗に表現し、「題をまわして詠む」という方法を実験した好例である。本百首における俊成の漢詩文摂取のありかたは実に多様的である。「桑の葉の露」というような生硬な漢語の訓読語を直接用いた例が見られる一方、本説や本文を和歌に取り入れる際に、そのまま詠み込むのでなく、その状況を反転したりずらしたりして、手の込んだ摂取例も少なくない。俊成のこれらの試みは必ずしもすべて成功したとは言えないが、その後の俊成の創作方向をあらかじめ示した点において重要な意味を持っているのではないかと思う。

 続く第二章では、歌ことば「藤袴」と「蘭」との関わりを中心に、主に「藤袴嵐たちぬる色よりもくだけて物は我ぞ悲しき」(述懐百首・蘭)「なべて世の色とは見れど蘭わきて露けき宿にもあるかな」(『長秋詠藻』下)「藤袴草の枕にむすぶ夜は夢にもやがて匂ふなりけり」(五社百首・伊勢・蘭)と三首の俊成歌を取り上げて、「くだけて」「露」「夢」などの言葉と「藤袴」との組み合わせに注目し、これらの組み合わせによって喚起された「蘭」のさまざまのイメージと、それらのイメージを生かした新たな比喩表現について考えた。そして、漢詩文における「蘭」のイメージに注目した俊成は、「蘭」即ち「藤袴」という当時の共通認識をうまく利用し、「藤袴」に「蘭」のイメージをダブらせて、お互いに響き合わせることによって、歌ことばとしての「藤袴」のイメージをいっそう多様化させ、その意味や表象の広がりを図ったことを指摘した。

 第三章は和歌における「積薪」という故事の受容と「塵」のイメージに関する和漢比較を中心に、表現と発想の両面において述懐歌における漢詩文摂取の様相を考察してみた。漢文学と和歌における述懐の伝統は違うにもかかわらず、述懐の歌にはしばしば漢文学から摂取したと思われる表現や発想などが見られる。これらの表現や発想が和歌に詠み込まれる際に、原典と趣を異にし、独自な展開を遂げる場合も少なくない。「積薪」のような漢詩文に由来する故事を和歌に詠み込む際に、そのまま言いのべて詠むのではなく、或いは山家の冬景色に寄せたり、或いは「なげき」という掛詞に詠みかえたりして、さまざまな工夫や配慮を行って、和歌の表現伝統に則った詠み方を模索する努力が認められる。一方、もともと中国文学においては前向きで楽天的なイメージを持つ「塵も積もれば山となる」という発想が、述懐歌の世界に取り込まれる際に、プラス志向な部分は切り捨てられ、塵の卑小さやはかなさだけはピックアップされるようになり、「塵」をめぐる述懐歌独自な表現伝統を作りあげた。

 第四章では、『古来風躰抄』初撰本と再撰本における万葉歌の本文変更とその理由に対する分析を通じて、『古今集』を代表とする中古の歌集を尊重し、心情の表出を重んじる俊成と、あくまで『万葉集』や古語を尊重し、衒学的な解釈を好む顕昭との距離、すなわち万葉摂取や古典受容をめぐる両者の立場の違いを指摘した。『万葉集』一四一八番歌の「垂見」の解釈をめぐって、従来から二説がある。『和歌童蒙抄』などこれを「たるひ」と解釈する動きがある一方、顕昭を代表とする六条家は「垂見」を「垂水」の当て字と見て地名と解し、「たるひ」を誤訓とする。俊成が「この両語はひとつながりの現象の違う側面に着目した語である」と理解し、「たるひ」と「たるみ」のどちらの本文を取っても、志貴皇子歌の解釈にはほとんど変わりがないと考えたことから、再撰本において当該部分の本文を「たるみ」から「たるひ」に変更し、六条家の説を批判する姿勢を強めた。

 第二編「俊成歌論に関する研究」において、俊成の歌合判詞に見られる「心」と「詞」に関する指摘を中心に、歌論のもっとも根本的かつ基本的な問題―「心詞論」について考えた。

 第一章では、まず俊成に至るまでの「心詞論」について検討したうえ、主に「心あり」という批評用語をめぐって、俊成の「心」に関する考え方を考察した。「心あり」という批評用語の評価対象によって、一句や具体的表現に対する評価と一首全体に対する評価との二つの枠組みを設けて、それぞれの意味について分析を施した。『中宮亮重家朝臣家歌合』や『住吉社歌合』など比較的早期の歌合判詞において、一句や具体的表現に対する評価としての「心あり」は縁語や掛詞など、すなわち言葉の寄せを重視している傾向が見られる。ただ、俊成が「心あり」と評価された言葉の「よせ」は単なる技巧や機知を見せつけるためのものではなく、一首の意味や感情の伝達に大きく役立つ表現である。つまり、「心あり」の「心」は、表現の多義性、またこのような多義的表現によって生まれた、通常文脈におって読み取れない言外の意味を指しているのである。一方、『六百番歌合』を中心に、後期の歌合判詞に見られる「心あり」は表現伝統或いは特定の文脈との結びつきによって、言葉そのものの意味以外に、或いは文脈から直接読み取れない、一種の感情的、気分的な「意味」をもたらすことに対する評価であると見なされる。表現が担っている意味伝達と感情伝達の機能をバランスよく働かせることを前提として、効果的な感情伝達をいっそう重視する俊成の姿勢が「心あり」という評論用語からうかがえる。このような「心あり」は後に定家によって継承されて、最終的に「有心」へ発展して、中世文芸において最も重要な理念の一つとなった。

 第二章では、俊成の「詞」つまり表現に関する考え方、なかんずく「本歌取り」など中世和歌の基本的技法と関係の深い「古」と「新」の問題について考えてみた。俊成は、「本歌」とほとんど変わりばえがしない「本歌取り」を高く評価していない。俊成が庶幾する本歌取りの姿は、古歌の表現を読み込むことによって、古歌に詠まれた感情や情緒を一種の気分として新しい歌に移入することができ、また、もとの文脈との感情的つながりによって、新しい歌は時間的、空間的な広がりを持つようになり、奥行きの深い、立体的な歌境を開けるようなものであろう。

 最後に、終章において『古来風躰抄』序文における「もとの心」について分析を試みた。歌ことばとしての「もとの心」は、『古今集』に三例ほど見られるが、いずれも掛詞や縁語関係によって情と景の両方に対応する二重構造を構成している。そこで、『古来風躰抄』序文における「もとの心」はこのような和歌の伝統的な詠み方の流れを汲んだものであると考えられ、「もとの心」の「もと」は「元来」という意味の「元」だけではなく、「花紅葉」や「種」「葉」の縁語としての、根元という意味の「本」でもあると解せられる。すると、「もとの心」は「心を種として」という仮名序の記述と対応して、さらに俊成の縁語的表現をも考慮して「心根」と解することができる。つまり、表現を生み出す前の感動や感情、あるいは表現に託された思いや情緒のことを意味する。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、藤原俊成の中世歌人としての特質を、その和歌と歌論の両面から解明しようと試みた論文である。「はじめに」で俊成を中世和歌の始発であると位置づけた上で、本論は、主として俊成の和歌表現の方法を分析した第一編と、その歌論の本質を心詞論の立場から論じた第二編に大きく分かたれ、最後に「もとのこころ」について考察した終章を付している。

 第一編「俊成の和歌表現に関する研究」は、四章から成り、俊成の初期から晩年に至る和歌表現の固有の方法を、主として漢詩文の摂取という視点から考察している。第一章「初期作品における漢詩文摂取」は、俊成の最初期の百首歌である為忠家の二度の百首を取り上げ、作者名が付されていないことから、俊成作かどうか疑いを持たれていた二首につき、漢詩文を摂取する斬新な方法を丁寧に抽出し、それを根拠に二首を俊成作と認定した。蓋然性に富む新見と判断される。第二章「植物比喩表現とその方法」は、俊成の出世作「述懐百首」に収められた「藤袴」の歌について、「藤袴」が漢字で「蘭」と表記されることを手がかりに、日本の在来の「藤袴」のイメージと中国での「蘭」のイメージを、独自の詩的想像力によって重ね合わせ新たな比喩表現とする方法を解明している。漢語と和語の相違を積極的に生かしてゆく方法への着眼はこれまでになく、創見と認められる。第三章「沈淪の歌」は、藤原公衡と俊成の贈答歌を手がかりにして、述懐歌における「積薪」および「塵」のイメージを和漢双方の文学で広く比較し、その共通点と相違点を析出した。話題は俊成にとどまらず、和歌における述懐を広く見通す文学史的広がりをもつ論だが、中でも、公衡と俊成の贈答歌における「積薪」の典拠を確定し、両首の正しい解釈を確定したことの意義は大きい。第四章「晩年の古典摂取」は、古来風躰抄において、万葉集・一四一八番歌に見られる「たるみ」が「たるひ」へと、初撰本・再撰本で変更されている理由を考察し、俊成がこの両語を、一つながりの現象の違う側面に着目した語だと考えていたことを周到に明らかにし、さらにそのことが俊成および新古今歌人たちの創作意識にどのようにつながっていくかを論じている。新古今時代の万葉集摂取の実際と意義とに新しい論点を提示したものと判断される。

 第二編「俊成歌論に関する研究」は、二つの章からなる。第一章「心詞論の一側面(一)――「心あり」を中心に」は、俊成の用いた批評用語「心あり」を分析して、これが意味伝達と感情伝達とのバランスを重視しつつ、後者により比重をおいていた語であることを明らかにし、これの傾向が定家に継承され、さらに「有心」に展開していくことが展望されている。第二章「心詞論の一側面(二)――「詞」の「古」と「新」」は、藤原俊成の本歌取りの方法を、その歌合判詞を通じて具体的に考察したもの。古歌を気分として導入することで表現の新しさの獲得を目指した、と結論付けている。終章「「本の心」について」は、俊成歌論の核心として注目されてきた「もとのこころ」について分析する。漢語「本心」との関わりを指摘したこと、そのことと古今集歌の「柏」における漢語のイメージとの関連を見出したことは、新見である。

 本論文は、第二編に分析の不十分さが見られるなどの難点もあるが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)に十分値するとの結論に至った。

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