学位論文要旨



No 121707
著者(漢字) 後藤,純一
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,ジュンイチ
標題(和) 発達期の小脳プルキンエ細胞におけるカルシウム放出とシナプス可塑性の解析
標題(洋)
報告番号 121707
報告番号 甲21707
学位授与日 2006.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2762号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 細胞内カルシウム上昇をカルシウムの供給源の観点から分類すると、細胞外から形質膜上のカルシウムチャネルを介して供給されるカルシウム流入と、細胞内に存在する小胞体などのカルシウムストアから小胞体膜上のチャネルなどを介するカルシウム放出の2種類がある。

 小脳プルキンエ細胞は小胞体上に非常に多くのイノシトール1,4,5-三リン酸受容体(IP3受容体)を発現し、シナプス刺激によって明瞭な細胞内カルシウム放出が見られる。プルキンエ細胞におけるカルシウム放出は、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスの長期抑圧(long-term depression; LTD)に必要である。小脳LTDは運動学習の基盤であると考えられており、このことからもプルキンエ細胞におけるカルシウム放出は運動学習機能において重要な役割を担っていると言える。本研究ではプルキンエ細胞樹状突起におけるカルシウムシグナル、特にカルシウム放出に注目し、生後発達過程における変化を調べた。

 刺激は平行線維のバースト刺激(50 Hzの頻度で5回)を用いた。この刺激を用いることで、細胞外からのカルシウム流入と細胞内カルシウムストアからのカルシウム放出を時間的に分離して観測できることが知られている(Finch and Augustine, 1998; Takechi et al., 1998)。

 また、後シナプスでのカルシウム上昇はシナプス可塑性の成立に極めて重要な役割を果たしているが、可塑性の誘導刺激時におけるカルシウム上昇を測定し、同一の細胞においてシナプス効率の変化と直接比較した研究はこれまでほとんどなかった。ラット小脳スライスを用いた実験では、本研究で用いたのと同じバースト刺激を反復することでLTDが誘導されることが知られていたので(Eilers et al., 1997)、この刺激条件を用いてLTD誘導時のカルシウム上昇と誘導されるLTDの確実性・大きさを同一の細胞において初めて直接比較した。

【材料と方法】

 マウス小脳急性スライスを用い、プルキンエ細胞の細胞体からパッチクランプを行った。ACSF溶液(124 mM NaCl, 2.5 mM KCl, 2 mM CaCl2, 2 mM MgCl2, 1.25 mM NaH2PO4, 20 mM D-glucose, 26 mM NaHCO3, 10 μM bicuculline methochloride, 95% O2 / 5% CO2混合ガスで飽和)で記録チャンバー内を灌流しながら、全細胞記録モードで細胞内にカルシウム感受性色素(bis-fura-2)を含んだ電極内液(140 mM KCl, 10 mM Hepes, 4 mM NaCl, 4 mM MgATP, 4 mM NaGTP, 0.2 mM bis-fura-2; pH 7.3)を導入し、電気記録と同時にカルシウムイメージングを行った。

 シナプス刺激にはスライス表面に置いたガラス電極を使用し、平行線維を刺激した。

 カルシウムイメージングは対物レンズからの落射照明で励起光を照射し、樹状突起における蛍光強度変化をCCDカメラで記録することで行った。

カルシウムイメージング実験では電位固定モードで実験を行った。

 LTD及びSTP(short-term potentiation)の実験では電流固定モードで平行線維を単発刺激することで興奮性シナプス後電位(excitatory postsynaptic potential; EPSP)を記録し、可塑性誘導刺激時のみカルシウムイメージングの実験と同様に電位固定モードで刺激を行った。シナプス効率の変化はEPSP強度の変化で表した。

【結果】

(1)カルシウム放出の生後発達に伴う変化

(1-1)平行線維のバースト刺激(50 Hzの頻度で5回)によって誘導されるカルシウム上昇は、カルシウム流入によって構成される早いピークとそれに続くカルシウム放出によって主に構成される遅いピークからなる(Finch and Augustine, 1998; Takechi et al., 1998)。マウスの週齢を様々に変えて実験を行うと、2週齢前後の幼若な時期では遅いピークが早いピークに対して相対的に大きく、4週齢以降の小脳皮質が比較的成熟した時期では遅いピークは小さいことが分かった。

(1-2)薬理学実験によって細胞外からのカルシウム流入と細胞内カルシウムストアからのカルシウム放出を区別することを試みた。代謝型グルタミン酸受容体(mGluR)のアンタゴニストであるMCPG(1 mM)を投与することでカルシウム放出による遅いピークは消失した。MCPG投与前後のカルシウムパターンを比較することでカルシウム流入とカルシウム放出を分離して調べた結果、カルシウム放出は幼若期のプルキンエ細胞では高く、より成長した細胞では低いことが示された。

(2)平行線維のバースト刺激で誘導されるLTD

(2-1)幼若期である2週齢では、平行線維バースト刺激の反復(50 Hz 5回を1秒毎に10回反復)によって平行線維-プルキンエ細胞間シナプスにLTDが見られたが、より成長した4週齢ではLTDが誘導されなかった。

 さらに2週齢においてはLTDの大きさには細胞ごとに差異があり、LTDの大きさはカルシウム放出の相対的な活性(カルシウム放出の大きさをカルシウム流入の大きさで正規化した値)と有意な相関を示した。

(2-2)マウス1型IP3受容体の機能を阻害するモノクローナル抗体18A10をパッチ電極から細胞内に注入した所、カルシウム放出は減弱した。また、18A10導入によってLTD誘導が阻害された。すなわち、バースト刺激によるLTDは古典的な平行線維と登上線維の組み合わせ刺激によるLTDと同様、その誘導はカルシウム放出に依存していることが示唆された。

(3)平行線維のバースト刺激で誘導されるSTP

(3-1)バースト刺激の反復回数を増やすと(50 Hz 5回を90回反復)、2週齢小脳スライス中の平行線維-プルキンエ細胞間シナプスにおいて、著明な短期増強(short-term potentiation; STP)が観測された。

(3-2)STP誘導によってPaired-pulse facilitation ratio(PPF比)は刺激直後に上昇し、およそ20分間かけてゆっくりと刺激前の値に戻った。これはシナプス効率(EPSPの大きさ)の変化と同様の経過であり、STPの発現が前シナプス性に起こっていることを示唆している。

(3-3)このSTPはプルキンエ細胞へのBAPTA導入によっても阻害されないこと、及びP/Q型カルシウムチャネルノックアウトマウスにおいても野生型と同様に観測されることから、後シナプスのカルシウム上昇に依存しないことが分かった。

 この結果と上記のPPF実験から、バースト刺激によるSTPが前シナプス性に発現されることが強く示唆された。

【考察】

 本研究から以下のことが明らかにされた。

(1)プルキンエ細胞樹状突起において平行線維のバースト刺激で誘導されるカルシウム放出は、幼若期(2週齢前後)では大きく、成長とともに低下する。

(2-1)カルシウム放出が大きい2週齢前後では、バースト刺激の反復によって平行線維-プルキンエ細胞間シナプスにLTDが誘導された。一方、カルシウム放出が小さい4週齢ではLTDは見られなかった。

(2-2)LTDの計測と誘導刺激時のカルシウム上昇の計測を初めて同一の細胞において行い、直接比較した。その結果、2週齢におけるLTDの大きさはカルシウム放出の活性と有意な相関を示した。

(3)平行線維バースト刺激の反復回数を増やすと、前シナプス性のSTPが誘導された。このシナプスにおいて、LTDのような長期の可塑性とPPFのような非常に短期の可塑性の間に位置する長さを持つ可塑性を初めて明らかにした。

 本研究で用いた刺激条件の範囲内では、生後2週齢以降はカルシウム流入に見かけ上、大きな変化は見られなかった。すなわち、樹状突起内のカルシウムシグナルに占めるカルシウム放出の寄与は幼若期に大きく、成長に伴って低下する。バースト刺激を反復することで、幼若期ではLTDが誘導され、より成熟した時期では誘導されないことから、幼若期の大きなカルシウム放出活性は小脳皮質の発達、回路網やシナプスの形成・制御などに重要な役割を果たしていることが示唆された。

 成熟した平行線維-プルキンエ細胞間シナプスのLTD誘導によく用いられる平行線維と登上線維の同時刺激とは異なり、平行線維バースト刺激を60-120回反復することでもLTDが誘導され得ることが示されていた(Eilers et al., 1997)。本研究では、幼若期においては10回の反復でもLTDが起こることから、このもう一つのLTD誘導経路が幼若期においては活発に機能していることを示した。また、カルシウム放出活性とLTDの大きさが相関することから、幼若期の高いカルシウム放出活性がこの時期のシナプス可塑性により大きな役割を果たしている可能性が示唆された。このバースト刺激によるLTD誘導の経路は、2週齢前後の小脳皮質における活発な神経回路の成長を支える重要な機構の一つである可能性が考えられる。

 このバースト刺激のタイミングは、感覚刺激によって誘起される生体内での平行線維の発火パターンと類似しており、実際にこのような可塑性が生体内で起こりうる可能性がある。また、このバースト刺激の反復回数を増やすとSTPが前シナプス性に誘導されることは、平行線維-プルキンエ細胞間シナプスはバースト刺激によって重層的に制御されていることを示している。

 本研究で明らかにしたカルシウム放出活性の生後変化に関する知見は、今後の研究において、小脳皮質における回路網の形成や調節、樹状突起や棘突起の形態変化などへのカルシウムシグナルの関わりを知るための重要な基礎となり得る。また、誘導刺激時のカルシウム上昇とLTDの大きさの関係を示したこと、及びバースト刺激の反復回数の違いによって持続時間の異なる複数の可塑性が誘導されることを示したことは、今後のシナプス可塑性の研究にとって重要な知見である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は小脳プルキンエ細胞の樹状突起におけるカルシウム放出の機能を明らかにするため、マウス小脳急性スライス中のプルキンエ細胞に対してパッチクランプを行うと共に、カルシウム感受性色素を細胞内に導入することでカルシウムイメージングを行う系にて、生後発達段階におけるシナプス刺激で誘導されるカルシウムシグナルとシナプス可塑性の変化、及び両者の関係について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

(1)平行線維のバースト刺激(50 Hzの頻度で5回)によって誘導されるカルシウム上昇をマウスの週齢を様々に変えて測定した結果、2週齢前後の幼若な時期ではカルシウム放出によるピークがカルシウム流入によるピークに対して相対的に大きく、4週齢以降の小脳皮質が比較的成熟した時期ではカルシウム放出のピークは小さいことが示された。すなわち、平行線維バースト刺激で誘導されるカルシウム上昇に占めるカルシウム放出のピークの寄与は2週齢前後で大きく、成長に伴って低下することが示された。

(2)MCPGを用いて細胞外からのカルシウム流入と細胞内カルシウムストアからのカルシウム放出を薬理学的に分離する実験を行ったところ、見かけ上のピーク値だけでなく実際のカルシウム放出のみを分離した場合にも、幼若期のプルキンエ細胞ではカルシウム放出活性が高く、より成長した細胞では低いことが示された。

(3)平行線維バースト刺激を10回反復することでLTDを誘導する条件を用いたところ、2週齢小脳スライスではLTDが誘導されるが、4週齢小脳スライスではLTDが誘導されないことを示した。また、2週齢においてはLTDの大きさには細胞ごとに差異があり、LTDの大きさはカルシウム放出の相対的な活性と有意に相関することが示された。

(4)マウス1型IP3受容体の機能阻害抗体18A10を細胞内に導入することでカルシウム放出を阻害したところ、LTD誘導が阻害されることが示された。すなわち、平行線維バースト刺激によるLTDの誘導もカルシウム放出に依存していることが示された。

(5)LTD実験と同様のバースト刺激の反復回数を90回に増やしたところ、2週齢小脳スライス中の平行線維-プルキンエ細胞間シナプスにおいて、10〜20分程度持続する著明な短期増強(short-term potentiation; STP)が誘導されることが示された。

(6)STP誘導によってPaired-pulse facilitation ratio(PPF比)は刺激直後に上昇し、およそ20分間かけてゆっくりと刺激前の値に戻ることが示された。すなわち、PPF比の変化とシナプス効率の変化は同様の時間経過を辿ることから、STPの発現に前シナプス性機構の関与が認められた。また、このSTPはプルキンエ細胞へのBAPTA導入によっても阻害されず、P/Q型カルシウムチャネルノックアウトマウスにおいても野生型と同様に観測されることから、後シナプスのカルシウム上昇に依存しないことが示された。したがって、バースト刺激によるSTPは主に前シナプス性の機構によって発現されることが示された。

 以上、本論文は生後発達期のマウス小脳プルキンエ細胞において、シナプス刺激によって誘導されるカルシウム放出とシナプス可塑性の解析から、幼若期のプルキンエ細胞が大きなカルシウム放出活性を持ち、バースト刺激によるLTDも誘導されやすいこと、また、カルシウム放出活性とLTD誘導の間に密接な関係があることを明らかにした。それとともに、同じバースト刺激の反復回数の違いによって、本シナプスで異なる可塑性が誘導され得ることを明らかにした。本研究ではこれまで未知に等しかった、小脳プルキンエ細胞におけるカルシウム放出、及びシナプス可塑性の生後発達段階における機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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