学位論文要旨



No 121708
著者(漢字) 金,敬黙
著者(英字) Kim,Kyung mook
著者(カナ) キム,ギョンムク
標題(和) 人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOネットワークの研究 : カンボジア紛争の分析を中心に
標題(洋)
報告番号 121708
報告番号 甲21708
学位授与日 2006.05.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第673号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 遠藤,貢
 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 柴,宜弘
 青山学院大学 教授 山本,吉宣
 中央大学 教授 目加田,説子
内容要旨 要旨を表示する

問題の所在と研究の目的

 本論文の目的は、緊急人道支援から紛争後の平和構築にいたるまでのネットワークを活用したNGO活動を実証的に分析することである。人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOの諸活動は、近年その重要性を増している。しかし、主権国家システムを前提とする今日の世界において、この分野で活動しているNGOは様々な制約や限界を抱えており、それらを克服するために、ネットワークを活用することが多い。本論文は、このネットワークという枠組みに着目したNGO研究の1つである。

 研究を進める上で、以下3つの問題意識の解明を主たる目的とする。

 第1に、人道支援や紛争後の平和構築活動において、NGOの関与(介入)や参加を決定する具体的な機会や制約は何なのかを明らかにすることである。

 第2に、NGOの関与や参加を後押しする機会や、妨げたりする障害が存在する際に、NGOはどのように対処するのかという点を明らかにすることである。ここでは、NGOのネットワークに焦点を当てながら考察する。

 第3に、ネットワークを活用したNGOによるそれぞれの対処法がもたらすインパクトを明らかにすることである。ここでいうインパクトとは、たとえば、目的を達成する上でのネットワークの効果やNGOネットワークがもたらした副次的な影響を意味する。紛争期における人道支援活動と、紛争後の平和構築プロセスにおける実証分析の事例としてカンボジア紛争を扱う。カンボジア紛争を人道支援と平和構築活動の事例として選んだ理由については、後述することにしたい。

 本論文では、難民支援や食糧・医療支援をはじめとする緊急援助や、その後、和平合意がなされるまでの復興支援に関する活動を人道支援活動として捉える。

 一方、紛争後の平和構築活動としては、和平合意以降に繰り広げられる信頼醸成や和解の努力、法制度の整備、経済協力をはじめとする、開発協力と民主化支援に関連した活動があげられる。平和構築活動では、多様なアクターが多様なレベルで活動を展開するが、本論文では、とりわけNGOが積極的にとりくむ、開発協力と民主化支援の分野を主に分析する。

 それでは、なぜ筆者が和平合意までの活動を人道支援活動、そして、和平合意以降の活動を紛争後の平和構築活動として捉えているのかについて補足したい。NGOによる人道上の危機への対応は、人道支援、人間の安全保障、紛争解決、平和活動などの概念を用いて、さまざまな分野、さまざまな研究で扱われてきた。しかし、それぞれの概念定義には重複する部分が多く、概念間の明確な線引きが曖昧なままである。実際に、それらの明確な区分は困難であるし、可能であるとしてもそれほどの意義も見当たらない。したがって、本論文では、十分ではないにせよ、一応の紛争終結とみなされる和平合意を境に、NGOの活動を区別したい。

 紛争と平和に関連する活動において、NGOは決して見逃すことのできない重要なアクター(行為主体)である。また、NGOが活用するネットワークがNGOの影響力を向上させる「装置」であることに異論を唱える人はもはやいない。最近のNGO研究が、個々の組織や運動体の分析よりも、ネットワーク型の集合行為に関心を払う理由もそのためであろう。

論文の構成

 次に、上で述べた問題意識を究明していくため、本稿の構成を示しておくことにする。

 序章では、問題の所在と研究の目的を述べた後、人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOの活動を紹介する。この部分で、NGOの定義と歴史、そして人道支援と平和構築活動に関するNGOの諸形態を整理する。そうした上で、なぜカンボジア紛争を事例研究として選んだのかについて説明する。

 第1章では、分析の理論的な枠組みを提示する。最初に先行研究の批判と新しい枠組みの必要性を取り上げる。次に、本稿の主な分析枠組みとなるNGOネットワークの概念定義と分類、メカニズムについて説明する。

 第2章以降においては、本稿の課題を究明するために、ネットワークの分析を行なう。第2章の事例は、その後の章の事例と比べて、やや異質なものである。すなわち、第2章の事例だけが、国家や企業、労働組合などが参加するマルチセクトラル・ネットワークであり、活動の現場もカンボジア国内ではなく、タイ・カンボジア国境地帯の難民キャンプを主たる対象としている。この事例を最初に持ってくることによって、第3章以降に扱う事例との違いを浮き彫りにしたい。

 第3章では、緊急援助を行なったNGOネットワークを事例とし、その性格と特徴の解明につとめる。ここでは、NGOの救援活動と、国家や国際機関の救援活動が競合関係におかれた点に着目する。

 第4章では、国際社会の制裁措置によって、カンボジアが孤立していた時期(1982年-1991年)を扱う。この時期には、NGOが復興支援活動において中心的な役割を果たしていた。復興支援を行なう上でNGOはネットワークを形成し、関係諸国に対して圧力を行使したり、専門的な活動を展開したりしていた。NGOとNGOが属する本国政府は対立関係におかれていたとも言える。したがって、NGOネットワークと政府との対立関係に焦点を当てることにしたい。

 第5章では、ODAを活用した国際協力にとりくむ日本政府に対して、日本のNGOがネットワークを活用しながら、どのようにODAへの監視活動に取り組んだのかを検証する。中でも、開発をめぐる議論において、政府が進めた経済発展型の規範とNGOが推進した環境保全型の規範の対立が見られた。したがって、規範をめぐるアクターの葛藤に焦点を当てる。

 第6章では、紛争後の平和構築活動の重要な指標である、民主化支援に関する現地(ローカル)NGOの活動を検証する。中でも、選挙監視NGOネットワークを具体的な対象事例とする。

 そして、終章では第2章から第6章で分析したNGOネットワーク活動の比較分析と整理を行なう。その作業を通じて、個別の事例ではなかなか見えなかったNGOネットワークのパターンや特徴を結論として導き出す。つまり、事例の実証分析を通じて、人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOネットワークの理論化と一般化を試みることにしたい。加えて本論文で十分扱えなかった、重要な課題を整理する。その作業を通じて、今後の研究の方向性を提示することにしたい。

人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOネットワーク分析の結論

 論文を通じて一貫して明らかにしようとした点は、主に以下3つの点である。第1に、人道支援や(紛争後の)平和構築活動において、NGOの関与(介入)や参加を決定する具体的な機会や制約は何なのだろうか。第2に、NGOの関与や参加を後押しする機会、または、妨げたりする制約要因が存在するときに、NGOはどのように対処するのだろうか。論文では、NGOネットワークに着目して分析を試みた。第3に、ネットワークを活用したNGOによるそれぞれの対処法は、どのようなインパクトをもたらすのだろうか。

 これらの問題意識を解くために、分析上の枠組みとして、一、政治的機会と制約、二、NGOネットワークの内部構造、三、NGOネットワークのインパクトを提示した。加えて、NGOネットワークを幾つかの基準によって比較し、NGOネットワークの分類を実証的に検証した。では、カンボジア紛争の事例を通じて明らかにされ得る、NGOネットワークのメカニズムとは何なのだろうか。事例検証を通じて、とりわけ、以下のようなことが言えよう。

 (1)NGOがネットワークを結成することによって、人道支援と平和構築活動への参加がいっそう容易になる。

 (2)NGOネットワークには多様な類型があり、それらの形態は、政治的機会と制約に柔軟に対応するためにネットワーク構成員によって選ばれる。

 (3)NGOネットワークを構成するアクターの関係は非対称的であるため、NGOネットワークにおいてリーダーシップを発揮するNGOの役割が重要になる。

 (4)NGOネットワークが他のネットワークと異なるのは、NGOネットワークの規模的な膨張やNGOの組織拡大を通じて、権力や財力など利益の追求を主たる目的としない点である。

 (5)代わりに、NGOの行動原理は道義的な価値や規範の伝播におかれ、その価値、規範の最大化のために、合理的な選択をも重視する。

 (6)しかしながら、NGOネットワークを通じた人道支援と平和構築活動には依然として限界が残さているだけでなく、良くも悪くも外部者としての関与が思わぬ事態を招いてしまう場合も多い。

審査要旨 要旨を表示する

 金敬黙氏の学位請求論文『人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOネットワークの研究:カンボジア紛争の分析を中心に』は、カンボジア紛争の歴史過程を緊急人道支援から紛争後の平和構築の時期に区分けし、この中で形成されてきたさまざまなNGOのネットワークの活動を実証的に分析した論文である。この論文では、NGOが実際に関与する動機や制約は何か、さまざまな促進要因、制約要因の中でのNGOの対処方法とはどのようなものか、NGOネットワークがもたらした影響(インパクト)はどのようなものか、という3つの問いを、これまでほとんど研究されてこなかった事例の検討を通じて、NGOのネットワークのダイナミズムを解明するとともに、その上で国際政治学でのNGO研究における一定の理論化と今後の研究展望を切り開くことを狙った研究である。

 全7章から構成される本論文は、A4用紙で脚注を含む本文約200ページと資料・参考文献約20ページからなっている。

 以下、論文の構成にしたがって内容を紹介したい。序章では、問題の所在と研究の目的が述べられた後、人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOの活動が紹介されている。ここで、NGOの定義と歴史、そして人道支援と平和構築活動に関するNGOの諸形態の整理がおこなわれているほか、カンボジア紛争を事例研究として選んだ理由が説明される。

 第1章では、分析の理論的な枠組みが提示されている。先行研究の批判を踏まえたうえで、新しい枠組みの必要性が提起され、その上で本稿の主な分析枠組みとなるNGOネットワークの概念が定義され、これが動くメカニズムが説明される。

 第2章以降は、先の3つの問いをそれぞれの事例において検証する形でNGOネットワークの実証分析が行なわれる。第2章の事例は本論文で扱われるほかの事例と比べて、やや異質なものである。この事例だけが、国家や企業、労働組合などが参加するという形で定義されるアメリカ国内のマルチセクトラル・ネットワークであり、活動の現場もカンボジア国内ではなく、タイ・カンボジア国境地帯の難民キャンプを主たる対象とするという特徴を有している。

 第3章では、緊急援助を行なったNGOネットワークを事例とし、その性格と特徴の解明が行われている。本章ではNGOの救援活動と、国家や国際機関の救援活動の競合関係が中心的に議論されている。

 第4章では、国際社会の制裁措置によって、カンボジアが孤立していた時期(1982年-1991年)が扱われている。この時期は、NGOが復興支援活動において中心的な役割を果たしており、復興支援を行う上でNGOはネットワークを形成し、関係諸国に対して圧力を行使したり、専門的な活動を展開したりしていた時期でもあった。その意味ではNGOとNGOが属する本国政府は対立関係におかれていた時期でもあり、この関係がここでの焦点になっている。

 第5章では、ODAを活用した国際協力にとりくむ日本政府に対して、日本のNGOがネットワークを活用しながら、どのようにODAへの監視活動に取り組んだのかが検証されている。中でも、開発をめぐる議論において、政府が進めた経済発展型の規範とNGOが推進した環境保全型の規範の対立が見られるという形の規範をめぐるアクター間の葛藤に焦点が当てられている。

 第6章では、紛争後の平和構築活動の重要な指標である、民主化支援に関する現地(ローカル)NGOの活動が検証されている。具体的な事例としてはカンボジアで勢力を拡大してきた選挙監視NGOネットワークが分析対象となっており、その活動と政府の干渉の関連が示されている。

 終章では第2章から第6章で分析したNGOネットワーク活動の比較分析と整理が行われる。ここで、個別の事例ではなかなか見えなかったNGOネットワークのパターンや特徴が、以下の6点としてまとめられる。

 (1)NGOがネットワークを結成することによって、人道支援と平和構築活動への参加がいっそう容易になる。

 (2)NGOネットワークには多様な類型があり、それらの形態は、政治的機会と制約に柔軟に対応するためにネットワーク構成員によって選ばれる。

 (3)NGOネットワークを構成するアクターの関係は非対称的であるため、NGOネットワークにおいてリーダーシップを発揮するNGOの役割が重要になる。

 (4)NGOネットワークが他のネットワークと異なるのは、NGOネットワークの規模的な膨張やNGOの組織拡大を通じて、権力や財力など利益の追求を主たる目的としない点である。

 (5)代わりに、NGOの行動原理は道義的な価値や規範の伝播におかれ、その価値、規範の最大化のために、合理的な選択をも重視する。

 (6)しかしながら、NGOネットワークを通じた人道支援と平和構築活動には依然として限界が残さているだけでなく、良くも悪くも外部者としての関与が意図せぬ事態を招いてしまう場合も多い。

こうしたファインディングを踏まえて、人道支援と平和構築プロセスにおけるNGOネットワークの理論化と一般化が試みられ、価値・規範対合理・効率という単純な二項対立的な議論の展開がそれほど有効ではないこと、ネットワークを活用するとNGOの活動範囲は広がると同時に、その能力も高まるのであるが、今度は、NGO自身がさまざまな弊害をもたらしてしまうというジレンマに陥ることが、結論として導出される。そのほか、本章では、本論文で十分扱えなかった重要な課題の整理が行われ、今後の研究の方向性が提示されている。

 本論文の学界に対する貢献は、主に以下の3点に集約できる。第一に、とりわけ、従来のトランスナショナルなNGO研究が、その成果がみえやすい一部の領域に特化してきたのとは一線を画し、先行研究が存在しない人道主義と平和構築活動に携わるNGOのネットワークをあえて事例として選び、その実証分析を試みた点であり、従来の研究では資料的な制約などのため行われることがほとんどなかった新しい学術的貢献になっている点である。

 第二に、上記の作業を行うために、それほど十分な整備が行われてこなかったNGOの資料にアクセスし、これまで用いられることがなかった資料を丹念に用いることでNGOのネットワークにかかわる現実の新たな側面を実証的に明らかにすることに成功している点である。

 第三に、この研究を通じて、従来の研究が着目してきた「規範」の普及や伝播に着目する形のアドボカシー・ネットワークの研究とは異なるかたちで、その活動の展開過程で合理的な選択といった行動様式も観察されることを明らかにし、NGOの活動の多様性をとらえる必要性を確認すると同時に、フィールドにおける実働的なNGOネットワークの諸活動を理論化しようと試みた点である。

 上記のように、きわめて高く評価することのできる論文ではあるが、問題点がないわけではない。それは第一に、NGOが活動している時代状況について十分な形では触れられていないという問題点である。本研究が対象としているNGOのネットワークの事例が主に冷戦下の事例であることに対し、国際政治学におけるNGO研究がこれまで対象にしてきたNGOの多くは冷戦後を対象にしているが、本論文で「冷戦」という時代状況を意識的に、しかも明示的な形で記述しきれているかについてはいささかの疑問が残るのである。第二に、本研究の最大のオリジナリティーがその実証の部分にあることを確認することはできるものの、それが、結論、あるいは今後の研究展望における記述で必ずしも十分にはまとめきれていない点である。これは、本研究の分析枠組みに更なる工夫の余地が残されていることを図らずも示す結果になっている。

 しかしながら,以上述べたような短所は,本論文の学術的な価値を損なうものではない。このような問題点は、論文に書かれている内容についての欠陥、あるいは論文内在的な欠陥ではなく、今後のさらなるNGOの研究に対する開かれた課題となる性格のものであるほか、広範な読者を想定した出版企画に際しての、執筆者に対する期待されるものとしての面が強い。本論文が学界に対して特に実証面で貢献する優れた業績であることは間違いなく、本審査委員会は一致して博士(学術)の学位を授与するのにふさわしい論文と認定した。

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