学位論文要旨



No 121714
著者(漢字) 飯島,祐介
著者(英字)
著者(カナ) イイジマ,ユウスケ
標題(和) ハーバーマス〈市民社会〉論の構造
標題(洋)
報告番号 121714
報告番号 甲21714
学位授与日 2006.06.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第544号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 名誉教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 松本,三和夫
 東京大学 教授 武川,正吾
 東京学芸大学 教授 森田,数実
内容要旨 要旨を表示する

 本論はユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)の社会理論を取り上げその解明を目指す。ハーバーマスは、『公共性の構造転換』を1962年に刊行したのを皮切りに、体系的な社会理論の構築に注力している。本論は、半世紀近くの長期にわたって展開されている、このハーバーマス社会理論を一貫して〈市民社会〉――近代的市民社会論が対象としたような政治的支配から解放された非国家的な社会――をテーマにしたものとして読み解くことを試みる。

 ハーバーマスの社会理論が〈市民社会〉をテーマにしていることは、既存のハーバーマス研究においても、すでに少なからず指摘されている。しかし、これまでのところ、それらの指摘は、ハーバーマス社会理論の展開全体を視野に収めていなかったり、あるいは理論構造のレベルにまで掘り下げて分析していなかったりしており、不十分なままにとどまっている。本論はまさに、半世紀近くの長期にわたる、ハーバーマス社会理論の展開全体を視野に収めながら、理論構造のレベルに掘り下げた分析を試みる点に、その意義を主張することができるであろう。

 本論は、とくにつぎの3点を明らかにすることを目指す。第一に、ハーバーマスは、ヘーゲルを頂点とする近代的市民社会論をラディカルに再編する諸主張を展開していること。第二に、このような諸主張を展開するハーバーマスの〈市民社会〉論は、カント的と形容しうる二元論的構成をとる、社会進化論および法理論を基礎に据えることで構造化されていること。第三に、この基礎に据えられた社会進化論および法理論には、とくにその二元論的構成に起因する困難が内包されていること、である。順にその内容の大筋を再構成することにしよう。

 自他ともに主著と認める『コミュニケイション的行為の理論』を中心として、ハーバーマス社会理論を〈市民社会〉論として読み解くと、そこにはつぎの連続する5つの主張を見いだすことができる。(1)〈市民社会〉は非経済社会である。〈市民社会〉は近代化にともなって国家のみならず経済システムを分化した社会として、政治的支配のみならず経済的活動からも解放された社会である。(2)この〈市民社会〉には重要性が認められる。〈市民社会〉は、合理化された生活世界の構造成分として、コミュニケイション的行為の合理性の潜在力を解放することに貢献するのである。(3)この〈市民社会〉はしかし、危機に陥っている。〈市民社会〉が構造成分となる合理化された生活世界では、合理化の副作用として文化的貧困化が進行している。その結果、生活世界もろとも経済そして国家システムによって植民地化されてしまっているのである。(4)この危機が克服される可能性の条件として、経済および国家システムを間接的に制御することが挙げられる。〈市民社会〉が構造成分となる合理化された生活世界では、合理化の帰結として政治的公共圏が形成されている。この政治的公共圏を通じて経済および国家システムを間接的に制御することが期待されるのである。(5)この条件は現実的である。ここで焦点となる政治的公共圏は、近代的法秩序の現実を構成する要素であり、現実的である。

 このような(1)から(5)の主張を展開するハーバーマスの〈市民社会〉論には、どのような意味があるのだろうか。この点は、それを近代的市民社会論のなかに埋め込むことで明確にすることができよう。よく知られているように、近代的市民社会論では通常、〈市民社会〉は経済社会とされる。そして、〈市民社会〉には、せいぜい相対的な重要性しか認められないとされる。例えば、ヘーゲルは、〈市民社会〉は「自由」の実現へと向かう世界史的過程の途上にあるとするのである。また、ここから、近代的市民社会論では通常、〈市民社会〉の危機を克服するのではなく、〈市民社会〉それ自体を解体してしまうことで、それを解消することが志向される。例えば、ヘーゲルは、貧困によって分裂した〈市民社会〉は、国家にとって替わられなければならないとするのである。こうした近代的市民社会論を背景に、再び上記のハーバーマスの主張を見直すと、それらがいかにラディカルか、明確になろう。ハーバーマスは、〈市民社会〉を非経済社会として、それに重要性を認め、その危機の克服を目指しているのであるから。ハーバーマスの〈市民社会〉論は、(1)から(5)の主張を展開することで、近代的市民社会論をラディカルに再編することを試みている、と言うことができよう。

 このような諸主張を展開する〈市民社会〉の基礎には、独特の二元論的構成をとる社会進化論、そして法理論が据えられている。すなわち、社会進化を一方で、(s1)システムとしての複合性水準の高次化とし、他方で、(s2)生活世界の合理化に制約されているとし、さらにこの2つの見地を統合して、(s)社会はシステムとしての複合性水準を高次化する方向へ進化するが、この進化は生活世界の合理化によって制約されている、とする社会進化論である。この社会進化論を基礎に、(1)から(4)の主張が打ちたてられるのである。また、近代的法秩序を一方で、(R1)私的自律の権利を具体化することで秩序形成をはかるものとし、他方で、(R2)合理的な法制定過程を経ることで名宛人の尊重を確保するものとし、さらにこの2つの見地を統合して、(R)近代的法秩序は秩序形成をはかるために、名宛人の尊重を確保する必要がある、とする法理論である。この法理論を基礎に、(5)の主張は打ち立てられるのである。

 こうして、ハーバーマスの〈市民社会〉論は独特の二元論的構成をとる社会進化論と法理論を基礎に構造化されているわけだが、この基礎は、カント的と適切に形容することができる。これらの二元論的構成は、カントに由来するのである。カントは、「世界史」を「経験的立場に立って編まれる本来の修史」としてだけでなく、「世界市民的見地からの一般史」としても可能であるとし、「世界史」を二元論的に構想している。ハーバーマスの〈市民社会〉論の基礎に据えられた社会進化論は、このカントの「世界史」の構想にならっていると言えるのである。また、カントは、公法を一方で、各人の幸福追求の自由の両立をはかるものであるとし、他方で、国民全体の同意が可能でなければならないとし、法論を二元論的に構想している。ハーバーマスの〈市民社会〉論の基礎に据えられた法理論は、このカントの法論の構想にならっていると言えるのである。かくして、ハーバーマスの〈市民社会〉論は、カント的なアイディアの援用なくしては可能ではなかった、と言うことができよう。

 しかし、ハーバーマスは、カントのたんなる焼き直しではない。ハーバーマスは、カントと違って、二元論を構成する2つの見地を並置するのではなく、むしろそれを統合しようとしていた。(s)や(R)の見地は、まさにこのカントを踏まえながらもカントを超えていく契機であり、ハーバーマスの〈市民社会〉論にとって、きわめて重要な意味をもっているのである。

 しかし、ハーバーマスの〈市民社会〉論の困難もまた、このようなたんなるカントの焼直しではない、独特の二元論的構成に見いだすことができるのである。社会進化論を構成する(s1)と(s2)という2つの見地は、相互に独立したものではなく、むしろひとつの統合的な見地を作り上げるのであれば、相互に整合的でなくてはならないだろう。ところが、少し掘り下げて検討すると、この2つの見地は齟齬をきたしているのではないかと疑念が生じるのである。同様のことが、法理論にも妥当する。法理論を構成する(R1)と(R2)は、ひとつの法理論を構成する2つの契機であるかぎりで、整合的でなくてはならないだろう。しかし、少し掘り下げて検討すると、この2つの見地は齟齬をきたしているのではないかと疑念が生じるのである。

 以上のように、本論は、ハーバーマス社会理論を〈市民社会〉論として読み解き、その主張と構造、そして困難を明らかにするのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ハーバーマス社会理論の全体構造を、ヘーゲルに淵源する近代的市民社会論のドイツ的伝統に根ざしつつ独自の展開を試みたものとして、解明したものである。ハーバーマス社会理論は、これまで主としてフランクフルト学派の「批判理論」を継承するものとする位置づけが有力であったが、1990年代以降の「新しい市民社会論」の興隆に伴い、市民社会論の文脈で論及や論評を行う研究が現れてきている。しかしながら、それらはなお断片的なものにとどまり、初期から現在に至るハーバーマス理論の展開過程を体系的に解読したものにはなっていない。本論文は、市民社会論の構築こそがハーバーマスにとっての一貫した課題であったと理解することによって、彼の思想の発展プロセスがよりよく解明できると論じたものである。

 本文は全9章からなり、第1章で上記のテーマを説明し、第2章で、中期の主要著作である『コミュニケーション的行為の理論』について、「批判理論の再生の試み」あるいは「近代のプロジェクトの回復の試み」という従来の位置づけを批判して、「市民社会」(burgerliche Gesellschaft / Zivillgesellschaft )の用語を明示的に使用していないにもかかわらず、「コミュニケーション的合理性」の概念によって、国家とは区別された自立的な社会としての「市民社会」の成立基盤を定立しようと試みたものであると論じている。第3章から第5章では、初期の『公共性の構造転換』から『理論』までを、市場社会としての市民社会論の試みと挫折、フランクフルト学派に近接しつつも実践に媒介された解放の理論への志向、そのためのメタ理論の試みとしての『理論と実践』『認識と関心』とその限界、「普遍語用論」への注目を契機とする「理想的発話状況」という現実的な理念、そして、市場社会とは異なるものとしての「生活世界」の概念展開、という流れとして解明している。第6章と第7章では、その後の諸著作において、非認知主義的倫理学やポスト・モダニズムの批判を通じて、『理論』では十分ではなかった、市民社会を基盤とした政治的公共圏の構想を展開して『事実性と妥当性』に結実したとし、このように形成されてきたハーバーマス市民社会論が、市民社会の文明性を基底にした民主主義論である点において、他の市民社会論や熟慮民主主義論とは際立った特徴を有すると第8章と第9章で意義づけている。

 このように本論文は、ハーバーマス理論の思想展開を市民社会論構築のプロジェクトとして体系的に解明し、これまでのハーバーマス研究にはない斬新で独創的な解釈を骨太に提示したものといえる。議論の運びがやや前後したり重複している部分も見かけられるけれども、ハーバーマス解釈に新たな観点を定立したものとして高く評価できる。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(社会学)を授与するに値するものとの結論をえた。

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