学位論文要旨



No 121721
著者(漢字) 小笠原,桂一
著者(英字)
著者(カナ) オガサワラ,ケイイチ
標題(和) 中エネルギー電子計測法の開発及びオーロラ電子のロケット観測への応用
標題(洋) Development of a Measurement Technique for Medium-Energy Electrons and its Application to a Rocket-Borne Observation of Auroral Electrons
報告番号 121721
報告番号 甲21721
学位授与日 2006.06.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4898号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 齋藤,義文
 東京大学 教授 中村,正人
 東京大学 教授 早川,基
 東京大学 助教授 岩上,直幹
 東京工業大学 教授 寺澤,敏夫
内容要旨 要旨を表示する

 地球磁気圏プラズマにおいて,数keV-数十keVというエネルギー帯の電子(中エネルギー電子)は非常に重要な意味を持っている.電子の分布関数が熱的なマクスウェル分布関数から非熱的な分布関数に移るのがこのエネルギー帯であり,電子加速・加熱現象を象徴しているからである.磁気リコネクション領域やその近傍での加速現象,あるいは放射線帯や無衝突衝撃波面での加熱現象など,中エネルギー電子は磁気圏の様々な領域でしばしば観測されている.しかしこの領域は低エネルギーと高エネルギーの電子検出技術の境界領域となっており,正確で信頼性のあるエネルギースペクトルの観測が難しいとされてきた.

 低エネルギー電子計測器においては,静電分析器+二次電子増倍管という方法が従来用いられてきた.MCP,CEMといった二次電子増倍管は,低エネルギーのプラズマに対して高い検出効率を持っており,イメージングセンサーとしても用いることができる.そのため上部に設置する静電分析器の形状とMCPのアノードの工夫により高い角度分解能やエネルギー分解能が実現される.しかし同時にいくつかの問題点がある.第一に,数keVを超える電子に対しては検出効率が低下してしまうことが挙げられる.宇宙空間では数keVを超える電子のフラックスは非常に少なくなるため,電子観測の統計精度が上がらず,結果として時間分解能を上げられない.次に電子の較正実験において素子への入射電子数の絶対量を見積もるのが難しいため,正確な検出効率を実験的に求めることが難しい点がある.これらの要因から,二次電子増倍管を用いて分布関数を正確に決定するのは,数keV以上の電子に対しては非常に困難であった.また別の観点からすると,原理的に背景ノイズの弁別が不可能であることも問題である.他方,高エネルギー側の電子観測においては,これまで固体検出素子(SSD)が用いられてきた.SSDは数keV以上の電子に対しては,ほぼ100%の高検出効率で観測が行える.また素子単体でも出力信号の波高から電子のエネルギーを求めることができ,ノイズ対策や検出効率対策が原理的に可能である.しかし数十keVを下回るような低エネルギー電子に対しては,リーク電流や熱雑音といった雑音源に信号が埋り,高エネルギー分解の測定は非常に困難であった.

 こうした現状に際し,アバランシェ・フォトダイオード(APD)という半導体素子を応用することで観測のギャップを埋るのが本論文の目的である.APDは電子なだれ現象による内部利得により高S/N計測が期待される.

APDによる電子計測実験

 X線源を用いての特性試験,温度試験を行った後,基礎実験として2-40keV電子の計測試験を行った.実験に用いたAPD素子は,浜松ホトニクス社製Z7966素子,及びspl3989素子である.Z7966素子とspl3989素子はどちらもリーチスルー型と呼ばれるタイプのAPD素子であるが,内部の空乏層と呼ばれる信号電荷が生成される領域の厚みが,Z7966の場合は10μmなのに対し,spl3989の場合は30μmある.電子の出力波形は入射エネルギーに対して直線性をもって計測され,どちらの場合も分解能は12keVにおいて最もよい結果(<1keV)が得られた.図1に2つの素子で得られた電子の波高分布を示す.25keV以上では,spl3989素子の場合はリニアリティが維持され,40keVの電子に対して5keVの分解能で計測が行えることが分かったが,Z7966素子では入射電子がAPDの有感領域を貫通して,出力波高分布のピークを特殊な形に変形させるという効果も明らかになった(図2).また低エネルギー側の検出限界についても,Z7966素子は3keV程度で波高分布にピークは見られなかったのに対し,spl3989素子は2keVの電子に対して十分検出可能で,エネルギー分解能は1keVであった.これらの結果から,数keVという低エネルギーの電子に対して出力波形のピーク形成限界を決めているのは不感層の厚みであり,高エネルギー側の検出限界を決めているのは素子の空乏層の厚みであることが予想された.これを検証するためにモンテカルロ法による電子と物質の相互作用を模擬した数値計算コードを開発し,Z7966における不感層と空乏層の厚みの信号に及ぼす効果を再現した(図2).不感層とは,APD素子表面に存在するごく薄い(〜0.1μm)層で,生成されたキャリアの再結合確率が高いために信号電荷を取り出すことができない領域である.電子の飛程が短く不感層の影響が大きい場合,波高分布にピークは形成されず,図2では低波高側のチャンネルに尾を引くような構造が見て取れる.一方入射電子のエネルギーが8keVに至ると不感層より電子が十分深く入り込み,出力波高分布にピークが形成される.入射電子のエネルギーの変化が波高分布に変化を及ぼす過程が数値計算によりよく再現されている.また,空乏層を突き抜けた電子は,低波高側に新たな出力信号強度のピークをつくる(図2).このシミュレーションによれば,spl3989素子では60keVまでの電子が空乏層を貫通せずに計測可能であることが分かった.現在入手可能な素子の範囲では150keVまで計測可能であると予想され,本来の目的であった中エネルギー領域を幅広くカバーできる.

観測ロケットによる実証試験

 我々はAPD素子を検出部に用いた低エネルギー電子計測器を製作し,JAXAの観測ロケットS-310-35号機に搭載した.この電子計測器は4つのAPDを並べて用いており,計測器に入射した電子は光ノイズの影響を除去するため一様磁場によって曲げられて検出される.磁場の効果で電子の軌道はエネルギーに応じて半径の違う弧を描き,4つのAPDは位置によってそれぞれ異なるエネルギーの電子を計測し,それに応じた強度の信号を出す.電子のエネルギーは個々のAPDでさらに分解され,全部で7chのエネルギーレンジで計測できるようになっている(図3).S-310-35号機は2004年の12月13日に,オーロラ帯の直下にあるノルウェーのアンドーヤロケット試験場より打ち上げられた.電子計測器は正常に動作して3.5-65keVのオーロラ降込み電子の計測に成功した.この実験によって得られたエネルギースペクトル(E-tダイヤグラム)を以下の図4に示す.観測高度は90-140kmで,ロケットは観測開始から1分間にわたりオーロラアークの降込み電子を観測した.これは地上からのオーロラ撮像カメラの観測ともよく一致しており,APDが想定どおり動作したことを示している.またフライト全般にわたり,ピッチ角上向き電子と下向き電子それぞれのエネルギースペクトルにおいて,下向きのフラックスが卓越していた.この差は,電離層の大気との衝突を経た後にも降込み電子がその源の情報を保持している可能性を示している.そこで我々は下向きのスペクトルに電子輸送方程式を当てはめることで電離層大気の影響を取り除き,結果を評価した.オーロラ降込み電子のエネルギースペクトルは,数千km上空の電場での加速を経たマクスウェル分布になることが知られている.しかし同時に10keVを超えるような高エネルギー側に尾を引く構造も見つかっており,これはオーロラ電子の源と考えられている磁気圏尾部領域のプラズマシートに存在する電子の分布関数を反映しているのではないかと考えられてきたが,これまで詳細な議論はされてこなかった.その一つの原因には,前述したような10keV領域での2次電子増倍管の検出効率の不確定性があった.今回の観測でもやはり高エネルギー側にマクスウェル分布関数より卓越したフラックスが見つかった.これらは冪分布,あるいはκ分布関数でフィットされた.APDを検出器に用いたことにより検出効率の不確定性が減り,今回求まった10keV以上の電子の信頼性は高いといえる.特にオーロラアークの外で見つかったκ分布のκ(冪に相当)は5から8の範囲であり,プラズマシートにおける,加熱された電子の過去の観測例と一致していた.これは高エネルギーのオーロラ電子がプラズマシート起源であることの有力な証拠である.なお,このロケット実験は宇宙空間における電子計測へのAPD素子の応用例として世界で初めてのものであった.

結論

 本論文では,APDを用いることで中エネルギー電子の新規計測技術を切り拓いた.電子の計測試験による較正により,APDが中エネルギー電子の有効な検出素子となりうることを示し,実証試験としてロケットによるオーロラ電子の計測へ応用した.将来の応用の際,APDのピクセル化は非常に有用である.ピクセル化されたAPDをMCPの代替品として静電分析器等と組み合わせることができるからである.また,透過型のAPDを開発することで,従来のSSDと組み合わせて広エネルギー帯域のセンサーとして用いる方法もある.こうした場合,高エネルギーのバックグラウンドの除去にも有用である.また,応用に伴う問題点として,温度依存性の較正や放射線耐性の試験の必要性が挙げられる.

図1: Z7966による電子(5-20keV)の出力波高分布図(左),及びspl3989による電子(5-40keV)の出力波高分布図(右).

図2: モンテカルロシミュレーションによる,Z7966の波高分布の再現.素子表面に0.1μm程度の不感層を考慮した場合(左)と,素子の空乏層の厚み10μmを考慮した場合(右).

図3: APD搭載オーロラ電子計測器のブロック図.

図4: APDによる,電子のエネルギー-時間スペクトログラム.横軸は打ち上げからの秒時,縦軸は電子のエネルギー,カラーバーは電子の降込みフラックスを示す.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文には、これまで宇宙空間において適当な計測技術の存在しなかった中エネルギー(数keVから数10keV)レンジの電子について、アバランシェ・フォトダイオード(APD)を応用することで精度よく計測する事が可能である事を示す実験結果とその解釈、及び、世界で初めて観測ロケットによる極域オーロラ帯の中エネルギー電子観測を行った結果が述べられている。

 第一章はイントロダクションであり,地球磁気圏プラズマにおける,数keV-数十keVの電子(中エネルギー電子)の重要性と,その計測技術の問題点が述べられている.中エネルギー電子は,磁気圏において分布関数が熱的なマクスウェル型分布関数から非熱的関数に移行する特徴的な領域にあり,電子加速・加熱現象を理解する上で非常に重要である.しかし同時に電子検出技術上の境界領域となっており,正確な計測は困難であった.こうした現状に際し,内部利得により高S/Nが期待されるアバランシェ・フォトダイオード(APD)という半導体素子を中エネルギー電子に応用した.

 第二章には,APDによる電子の計測試験結果が述べられている.X線により,温度依存性等の基礎的な特性を議論した後,2-40keVの電子計測試験を行った.用いたAPDは,浜松ホトニクス社製Z7966素子,及びspl3989素子である.Z7966素子とspl3989素子は空乏層の厚みが異なっており,Z7966の場合は10μmなのに対し,spl3989の場合は30μmある.結果は出力波高にピークが計測され,どちらの場合も分解能は12keVで1keV以下であった.しかし25keV以上では,spl3989素子の場合は線形性と分解能が維持されるのに対して,Z7966素子では波高分布が大きく変形される効果も明らかになった.また低エネルギー側については,Z7966素子は3keV程度が限界で波高分布にピークは見られなかったのに対し,spl3989素子は2keVの電子に対して検出可能でエネルギー分解能も1keVであった.Z7966のこうした結果はモンテカルロ法を用いた数値シミュレーションによって検証されており,検出限界を決めているのは低エネルギー側で不感層,高エネルギー側で空乏層の厚みであることが示された.

 本論文の扱う、中エネルギー電子計測へのAPDの応用は、世界的にも新しい試みである。審査員一同、本論文には、中エネルギー電子の新しい計測技術を切り拓いたという意義があり本論文で得られた結果は独創的かつ斬新であると結論した。

 第三章には,APD素子を検出部に用いた低エネルギー電子計測器を製作し,JAXAの観測ロケットS-310-35号機に搭載した実証実験と,その結果が述べられている.この電子計測器では電子のエネルギーが光除去のための磁場と個々のAPDで二重に分解され,全部で7chのエネルギーレンジ(3.5-65keV)で計測できる.S-310-35号機はオーロラ帯の直下にあるノルウェーのアンドーヤロケット試験場より打ち上げられた.観測結果は地上のオーロラ撮像カメラとよく一致していた.また電子輸送方程式を使って降込みスペクトルから電離層大気の影響を取り除き,評価した結果,高エネルギー側にマクスウェル分布関数より卓越した非熱的フラックスが見つかった.これらは冪分布,あるいはκ分布でフィットされた.特にオーロラアークの外で見つかったκ分布のκ(冪に相当)はプラズマシートでの過去の観測例と一致していた.これは非熱的オーロラ電子がプラズマシート起源であることの有力な証拠である.

 このロケット実験は宇宙空間における電子計測へのAPD素子の応用例として世界で初めてのものであり、審査員一同、本論文の結果が博士論文としてふさわしい内容であると結論した。

 第四章は結論であり、論文の成果がまとめられている。APDを用いることで中エネルギー電子の新規計測技術が切り拓かれた。更に、電子の計測試験による較正によりAPDが中エネルギー電子の有効な検出素子となりうることが示され、実証試験としてロケットによるオーロラ電子の計測へ応用することでデータの取得に成功した。

 以上を総合して、審査員全員一致で本論文が博士論文として十分なレベルに達していると結論した。

 なお本論文第2章の一部及び3章の主要部分は浅村 和史・高島 健・齋藤 義文・向井 利典との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び結果の解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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