学位論文要旨



No 121731
著者(漢字) 大和田,春樹
著者(英字)
著者(カナ) オオワダ,ハルキ
標題(和) 中国半乾燥地域黄土高原の降水特性とその要因に関する研究
標題(洋) A study on the characteristics and factors of precipitation in semi-arid area of the Loess Plateau, China.
報告番号 121731
報告番号 甲21731
学位授与日 2006.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第227号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 須貝,俊彦
 東京大学 助教授 福田,健二
内容要旨 要旨を表示する

 中国大陸内陸部に位置する黄土高原は,北緯34〜40度,東経100〜115度を中心とした標高約1000m以上の黄河の中流域に広がる高原地帯である.この地域は,ケッペンの気候区分によればステップ気候区に属しており,半乾燥地域に相当する.年降水量は北部で約300mm,南部で約600mmであるが,降水量は少ないだけでなく年による変動が激しい.また,降水のほとんどが7〜9月に集中し,かつ短時間の集中豪雨として発生することが多い.黄土高原は中国でも有数の小麦生産地域であるが,小麦の生育期間にあたる3〜6月の降水量が少ないため,前年の降水を土壌中に浸透・保持して翌年の発芽・生育に利用する工夫がなされている.したがって,黄土高原の夏季の降水は,農業的見地からも重要であるが,黄土高原の水蒸気輸送とこれに関わる気流との関係については明らかにされていない.

 そこで,本研究では黄土高原における降水量の季節的特徴,および降水量変動を,水蒸気輸送とそれを担う下層の気流系,およびアジア域循環場から考察した.さらに,黄土高原の降水が気圧場の違いによる水蒸気輸送場の変化のみならず,東側と西側の違いによる地形的影響も受けることが考えられることから,黄土高原の降水の地域的特徴に伴う水蒸気を輸送する気流系の違いを検討した.

 第2章では,黄土高原の降雨季(5〜9月)における水蒸気輸送場と,それに関わる大気下層(850hPa面)の気圧場,および水平風ベクトルの季節変化との関係を,月平均場から論じた.その結果を以下に示す.

1.黄土高原は,冬季の降水量が極端に少なく,夏季の7・8月に集中する夏雨地域である.また,黄土高原における降水量は,全域の平均値でみると冬季の降水量が10mm/月以下と最も少なく,春・秋季でも20mm/月以下の月がある,しかし,5月からは増加傾向を示し,夏季の7・8月に極大となり(約70〜80mm/月),9月には急激に減少する.

2.黄土高原における降水量は,低緯度側からの水蒸気輸送量の増減に対応した季節変化をしている.

3.黄土高原に向かう水蒸気輸送量は,5月から7月にかけて増加するが,これには太平洋高気圧の中国大陸方向への張り出し方が関与している.特に,太平洋高気圧が西方へ張り出し梅雨前線帯が華北に達する7月は,中国華南から華北において東西方向の気圧傾度が大きくなり,ベンガル湾からの南西気流に伴う水蒸気がより北方まで侵入する.しかし,8月には南西気流から連なる北向きの水蒸気輸送がチベット高原東縁〜黄土高原西部に限定され,黄土高原東部に太平洋高気圧からの南東気流によって水蒸気が輸送される.このように,黄土高原の降水量が最も多くなる7月と8月とでは,水蒸気輸送場に違いがみられた.また,9月になると,黄土高原東部に平均場の高気圧性循環が現れ,8月までの低緯度からの水蒸気輸送は認められなくなる.

 第3章では,降雨季(5〜9月)の降水量の経年変動の特徴を明らかにするとともに,その要因をアジア域循環場から比較検討した.その結果を以下に示す.

1.黄土高原における降雨季の降水量は,年による変動が激しく,降水ピーク時ほどその変動が著しい.しかし,長期的傾向では,顕著な増加,および減少傾向はみられなかった.

2.降水量変動の要因となる降水の季節的特徴はそれぞれの年において異なっているが,多雨年では降水のピーク時以外の降水量が平年を大きく上回る場合と,降水のピーク時の降水量が平年を大きく上回る場合の大きく2つのパターンが存在することが明らかとなった.一方,少雨年では,7月以降の降水量が平年を大きく下回る傾向が現れた.

3.水蒸気を輸送する気流系は,多雨年と少雨年でその特徴に大きな差がみられた.多雨年では,降雨季を通じて黄土高原周辺域に海洋性の気流が多量に流入していたが,少雨年では気流の流入が弱まっていた.

4.2章で示した7月から8月にかけての気流系の季節変化に伴って,降雨季前半と後半では多雨年と少雨年ともに特徴が大きく異なっていた.前半の5〜7月の多雨年では,インドシナ半島から南シナ海にかけての領域における気圧傾度の増加によって南西気流が強化し,チベット山塊を迂回して北方まで気流が入り込んでいた.しかし,少雨年では,日本の北側に形成される低気圧性循環の影響による太平洋高気圧の西側への張り出し位置の変化が南シナ海付近の気圧傾度を小さくして,北方に流入する気流を弱めていた.後半の8〜9月では南西気流がみられなくなるが,多雨年では黄土高原の南側で東西方向に気圧傾度が大きい領域が形成され,8月は南から,そして9月は東から流入する気流が北方まで侵入した.一方,少雨年では,黄土高原付近に高気圧性循環が形成され,海洋性の気流の流入はみられなかった.

 第4章では,7・8月の黄土高原における降水の地域的特徴をクラスター分析によって明らかにし,それぞれのクラスターに関わる水蒸気輸送場と大気下層(850hPa面)の水平風ベクトル,および気圧場の違いを論じた.その結果を以下に示す.

1.黄土高原における多雨季の降水の特徴は,クラスター分析から4つの地域に分類することができる.7月は主にチベット山塊から続く山岳地域の北側にあたる北西部,山岳地域を中心とした南西部,標高1000m前後の黄土高原中央部から北東部にかけての高原地域,および黄土高原では海抜高度が低い南東部に分類される.また,8月では北西部と南東部の領域が東側に広がるため,7月に分類された中央部から北東部にかけての高原地域は黄土高原の中心部から北東部のみとなった.

2.降水日数および1回の雨でもたらされる降水の特徴は,7月と8月に大きな差はみられず,降水日数は山岳地域の北側にあたる北西部で少なく,海抜高度の低い南東部で多かった.さらに,1回の雨でもたらされる降水量も山岳地域にあたる西部で少なく,高原地域である東部で多い傾向が現れた.これらの特徴は,7月から8月にかけて黄土高原に流入する水蒸気輸送の季節推移,およびそれに伴う大気下層の大気場の変化と関係がみられた.

3.7月の水蒸気輸送場の平均偏差では,黄土高原周辺域において南西から輸送される水蒸気が平年よりも強まり,降水地域と水蒸気が輸送される方向に対応がみられた.これは,大気下層の風系の偏差図における黄土高原周辺域に出現する低気圧性の渦と朝鮮半島周辺域に形成される高気圧性の渦の間を流れる平年よりも強い南風によってもたらされているからである.しかし,山岳地域にあたる南西部の降水時は黄土高原付近における顕著な水蒸気輸送がみられないことから,地形性降雨の影響が大きいと考えられる.

4.8月になると,北東部の降水時を除いて東からの水蒸気が黄土高原に輸送される.それに伴い,大気下層では西太平洋のマリアナ海嶺周辺域に形成される低気圧性の渦と朝鮮半島周辺域に形成される高気圧性の渦との間で東風が強まり,黄土高原周辺域に形成される低気圧性の渦に沿う東風が黄土高原に水蒸気を輸送する.したがって,これらの渦の緯度的・経度的位置の変化が,水蒸気を輸送する方向と降水地域を決定していることが明らかとなった.

審査要旨 要旨を表示する

 本論分は6章からなる。第1章では、中国黄土高原の自然環境学上の位置・特徴を記述し、研究目的を明示している。すなわち、中国大陸内陸部に位置する黄土高原は、北緯34〜40度、東経100〜115度を中心とした標高約1000m以上の黄河の中流域に広がる高原地帯である。この地域は、ケッペンの気候区分によればステップ気候区に属しており、半乾燥地域に相当する。年降水量は北部で約300mm、南部で約600mmであるが、降水量は少ないだけでなく年による変動が激しい。また、降水のほとんどが7〜9月に集中し、かつ短時間の集中豪雨として発生することが多い。一方、黄土高原は中国でも有数の小麦生産地域であるが、小麦の生育期間にあたる3〜6月の降水量が少ないため、前年の降水を土壌中に浸透・保持して翌年の発芽・生育に利用する工夫がなされている。したがって、黄土高原の夏季の降水は、農業的見地からも重要である。しかし、黄土高原の水蒸気輸送とこれに関わる気流との関係については明らかにされていない。本研究では黄土高原における降水量の季節的特徴、および降水量変動を水蒸気輸送とそれを担う下層の気流系、およびアジア域循環場から考察し、さらに、黄土高原の降水が気圧場の違いによる水蒸気輸送場の変化のみならず、東側と西側との地形的な影響もその要因に挙げられることから、黄土高原の降水の地域的特徴による水蒸気を輸送する気流系の違いを検討した。

 第2章では、黄土高原の降雨季(5〜9月)における水蒸気輸送場と、それに関わる大気下層(850hPa面)の気圧場、および水平風ベクトルの季節変化との関係を月平均場から論じた。その結果を以下のようにまとめられる。すなわち、

1.黄土高原は、冬季の降水量が極端に少なく、夏季の7・8月に集中する夏雨地域である。また、黄土高原における降水量は、全域の平均値でみると冬季の降水量が10mm/月以下と最も少なく、春・秋季でも20mm/月以下の月がある。しかし、5月からは特に増加傾向を示し、夏季の7・8月に極大となり(約70〜80mm/月)、9月には急激に減少する。

2.黄土高原における降水量は、低緯度側からの水蒸気輸送量および水蒸気の収束量の増減に対応した季節変化をしている。

3.黄土高原に向かう水蒸気輸送量および収束量は、5月から7月にかけて増加するが、これには太平洋高気圧の中国大陸方向への張り出し方が関与している。特に、太平洋高気圧が西方へ張り出し梅雨前線帯が華北に達する7月は、中国華南から華北において東西方向の気圧傾度が大きくなり、ベンガル湾からの南西気流に伴う水蒸気がより北方まで侵入する。しかし、8月には南西気流から連なる北向きの水蒸気輸送がチベット高原東縁〜黄土高原西部に限定され、黄土高原東部に太平洋高気圧からの南東気流によって水蒸気が輸送される。以上のように、黄土高原の降水量が最も多くなる7月と8月とでは、水蒸気輸送場に違いがみられた。また、9月になると、黄土高原東部に平均場の高気圧性循環が現れ、8月までの低緯度からの水蒸気輸送は認められなくなる。

 第3章では、降雨季(5〜9月)の降水量の変動の特徴を明らかにするとともに、その要因をアジア域循環場から比較検討した。その結果は以下のようにまとめられる。

1.黄土高原における降雨季の降水量は年による変動が激しく、降水ピーク時ほどその変動が著しい。しかし、長期的傾向では顕著な増加および減少傾向はみられなかった。

2.降水量変動の要因となる降水の季節的特徴はそれぞれの年において異なった現れ方をしている。多雨年では降水のピーク時以外の降水量が平年を大きく上回る場合と降水のピーク時の降水量が平年を大きく上回る場合の2パターンが存在する。一方、少雨年では7月以降の降水量が平年を大きく下回る傾向が現れた。

3.降水量変動におよぼす大気場に関しては、多雨年と少雨年でその特徴に大きな差がみられた。多雨年では降雨季を通じて黄土高原周辺域に海洋性の気流が多量に流入し、収束量も増加していたが、少雨年では気流の流入が弱まっていた。

4.第2章で示した7月から8月にかけての気流系の変化に伴って、降雨季前半と後半では多雨年と少雨年ともに特徴が大きく異なっていた。前半の5〜7月の多雨年では、インドシナ半島から南シナ海にかけての領域における気圧傾度の高まりによって南西気流が強化し、チベット山塊を迂回して北方まで気流が入り込んでいた。しかし、少雨年では、日本の北側に形成される低気圧性循環の影響による太平洋高気圧の西側への張り出し位置の変化が気圧傾度を小さくして、北方に流入する気流を弱めていた。後半の8〜9月では南西気流がみられなくなるが、多雨年では黄土高原の南側で東西方向に気圧傾度が大きい領域が形成され、8月は南から、そして9月は東から流入する気流が北方まで侵入した。一方、少雨年では、黄土高原付近に高気圧性循環が形成され、海洋性の気流の流入はみられなかった。

 第4章では、クラスター分析によって、7・8月の黄土高原における降水の地域的特徴を明らかにし、それぞれのクラスターに関わる水蒸気輸送場・収束量と大気下層(850hPa面)の水平風ベクトル、および気圧場の違いを論じた。その結果、以下のことがわかった。

1.黄土高原における多雨季の降水は、クラスター分析から4つの地域に分類することができる。すなわち、7月は主にチベット山塊から続く山岳地域の北側にあたる「北西部」、山岳地域を中心とした「南西部」、標高1000m前後の黄土高原中央部から北東部にかけての「高原地域」、および海抜高度が低い「南東部」に分類される。また、8月では「北西部」と「南東部」の領域が東側に広がるため、中央部から北東部にかけての「高原地域」は黄土高原の中心部から北東部のみの範囲となった。

2.降水日数、および1回の雨でもたらされる降水量の特徴は、7月と8月に大きな差はみられず、降水日数は山岳地域の北側にあたる「北西部」で少なく、海抜高度の低い「南東部」で多かった。さらに、1回の雨でもたらされる降水量も山岳地域にあたる「北西部」で少なく、「高原地域」である東部で多い傾向が現れた。これらの特徴は、7月から8月にかけて黄土高原に流入する水蒸気輸送量・収束量の季節推移、およびそれに伴う大気下層の大気場の変化と関係している。

4.7月の水蒸気輸送場の平均偏差を検討すると、偏差の大きい年には、黄土高原周辺域において南西から輸送される水蒸気が平年よりも強まり、降水地域と水蒸気が輸送される方向とは対応している。すなわち、大気下層の風系の偏差図における黄土高原周辺域に出現する低気圧性の渦と朝鮮半島周辺域に形成される高気圧性の渦の間を流れる平年よりも強い南風によってもたらされている。しかし、山岳地域にあたる「南西部」の降水時には黄土高原付近に顕著な水蒸気輸送がみられないことから、「南西部」の降雨は地形性降雨の影響が大きいと考えられる。

4.8月になると、北東部の降水時を除いて東からの水蒸気が黄土高原に輸送される。それに伴い、大気下層では西太平洋のマリアナ海嶺周辺域に形成される低気圧性の渦と朝鮮半島周辺域に形成される高気圧性の渦との間で東風が強まり、黄土高原周辺域に形成される低気圧性の渦に沿う東風が黄土高原に水蒸気を輸送する。したがって、これらの渦の緯度的・経度的位置の変化が、水蒸気を輸送する方向と降水地域を決定していると考えられる。

 第5章では、以上の結果を総合的に考察し、第6章では、以上を要約し、黄土高原の降水はアジア地域の大気循環場と密接な関係を持って年々変動、地域変動をしていることを指摘し、今後、世界の小麦地帯でもある半乾燥地域の降水特性を大気大循環場との関係から明らかにしすることの必要性を指摘している。

 以上のように、本論文は、世界の半乾燥地域の代表的地域の一つである中国黄土高原を対象に、その降水の変動特性と地域特性とを大気循環場との関係から明らかにしたもので、環境学、特に自然環境学の発展に寄与するところが大きい。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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