学位論文要旨



No 121735
著者(漢字) �ケ,捷
著者(英字) DENG,JIE
著者(カナ) トウ,ショウ
標題(和) 一九二〇年代中国近代詩における文学と国家の二重奏 : 風と琴の葛藤
標題(洋)
報告番号 121735
報告番号 甲21735
学位授与日 2006.07.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第546号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,省三
 東洋文化研究所 教授 尾崎,文昭
 成蹊高等学校 教諭 河原,功
 駒沢大学 教授 佐藤,普美子
 東京大学 教授 戸倉,英美
内容要旨 要旨を表示する

 中国文学の長い歴史において「詩」は最も重要な文学形式として重んじられてきた。二十世紀の初頭に誕生して以来、言語様式から詩の精神まで、古典詩からの脱皮を目指してきた中国近代詩(新詩)は九十年近くの歴史を刻んできた。中国の近代とともに出発した新詩は、中国近代文学全体と同様、国民国家建設という課題を内包する国民文学であった。また、中国の近代のもう一つ大きな課題は「個」の確立である。「"個人"は、決して家族や国家等の何らかの"全体"に対して"部分"の関係に立つものではない」(伊藤虎丸『魯迅と日本人 アジアの近代と「個」の思想』)という、「個」としての人間の自覚の問題も、近代文学のもう一つの使命であった。中国の文学者たちは、常に「国家」と、「個」の表現としての「文学」の狭間で創作の営みを強いられる宿命にあった。言語に高度な洗練さを要求する「詩」において、その葛藤はいっそう際だったものとなる。「愛国」と「文芸」(聞一多語)の共存を求める「詩」の姿勢は、時には小説や他の文学形式よりも鮮明である。

 五四以後の様々な詩論を概観すると、国民国家建設という課題は、時には「国家」、「民族」、「大衆」、「生活」などの言葉で表されるが、それを表現することは常に詩の機能、詩人のあるべき存在を内在的ないし外在的に規範するコードとなっている。国民国家建設にあたって、「国家」と「個」の双方の確立は、相反しながらも一つに収斂せざるをえない問題であった。中国の詩人はある意味でジレンマを抱えたまま、理想の詩人像を追求し続けたのである。詩のあり方、詩人のあり方が語られる時、よく「琴」、「音盤」、「蘆管」、「蘆笛」などの比喩が用いられ、また音を発するこれらの「発声器」に影響を及ぼす存在として、外界や現実の象徴である「風」が常に意識されてきた。詩人が一つの発声器として如何なる内容を如何に歌うべきか、また個としての詩の表現と、現実、国家との関わりは如何にあるべきかという問題に関する様々な思考と実践の足跡を、私は「風と琴」の系譜と呼ぶことにする。小論は、このような個と国家の観念が葛藤し織り成す中国の近代を、主に一九二〇年代の新詩という文学の断面において描くことを目的としたものである。

 第一章「新詩詩論における『人格』言説」では、個の解放と詩体の解放を迎えた初期の新詩における「個」の表現の問題を考察する。詩は貴族的であるべきか、平民的であるべきかという論争と、「詩人の人格」の主張に注目して、個人・個性・人格といった言葉がどのように使用され、それらの概念が初期の詩論の中で如何に用いられたのかを検証する。近代西洋思潮由来の「人格」概念は、日本を経由して中国に伝えられたが、中国では誕生したばかりの新詩を論じる際の一つのキーワードとなっていた。宗白華は詩が「人の情緒の中の意境を表現する」と語り、新詩詩人に対して「芸術的訓練」と「人格の涵養」という二つの基準を設け、人格を養成するに当たって「社会活動」への参加を強調する。康白情も詩人の「人格の素養」を主張する。詩人の人格が詩の質を規定すると語り、「人格」に価値判断を下す一方、「人格は個性的である」とも述べる。郭沫若は、「人格」という言葉を完全に「個性」と同じ意味で用いて独自な詩論を展開している。それは日本の大正時代に形成された彼の「自我」意識に基づいたものと考えられる。聞一多は中国古典律詩の価値を再発見し、「一首一首の律詩の中に中国式人格がある」と述べる。「中国式」という曖昧な主体性を持つ修飾語は、いかにも「個」と「国家」のはざまで苦悩する聞一多らしい。「人格」いう言葉と観念の受容の様子と、初期の詩論における「人格」の言説は、文学(新詩)という斬新な制度を用いて、「個」の思想と「国民国家建設」の理念を同時に語ろうとする知識人の努力の軌跡である。

 第二章「『愛国』と『文芸』のはざまで」では、聞一多及び清華学校グループの詩人たちを中心とした新格律詩運動について考察する。唯美的な文学観を持ち、詩の美を内容に見合った形式にあると捉えていた聞一多は、一方ではナショナリズムを提唱する「大江会」のメンバーであり「国家主義者」でもあった。非ミッション学校でありながらも根強いキリスト教の影響があったアメリカ留学予備校清華学校では、徹底的な英語教育が実施され、それにともない「国学」への軽視が見られた。それは、聞一多ら学生の反撥を招き、彼らに中国への強い関心を生じさせた。清華文学社同人の間では「東方の魂」という気運が高まっていた。彼らは「中国芸術の原質」を失った当時の新詩の「欧化」を批判し、アメリカ物質主義から離れ東方文明に戻れと呼びかける。一方では、新詩の「民衆化」を批判し「芸術のための芸術」への傾倒を明らかにもしている。イギリス統治下、愛による世界平和を唱えたタゴールの文学に対する批判は、清華文学社、「大江会」同人の間に共通するものであった。聞一多の、タゴール批判に見られる「文学の現実性」の主張は彼の従来の文学観と矛盾しているが、聞の求めたのは「愛国」と「文芸」の共存する文学であった。聞一多ら清華グループ詩人たちが展開した新格律詩運動とは、近代国家としての中国を代表する、中国詩自体に即した白話新詩形の試行だったとも言えよう。

 第三章「一九二〇年代中国におけるタゴールの受容と聞一多の格律詩」では、二〇年代中国におけるタゴールの受容に注目する。一九二四年春のタゴールの訪中は、ナショナリズムが高揚し、急速な近代化を推進していた中国で、賛否両論のセンセーションを巻き起こした。タゴールの翻訳紹介を通じて、人間は対象ではなく自分自身を表現するという文学観を確立した鄭振鐸、人間タゴールに個としての「精神の自由」を見出し、彼の「不滅の人格」を讃える徐志摩、そして「国家」への強い関心からタゴール文学に異論を唱えた聞一多―タゴール訪中時のベストセラー『人格』(タゴール著、景梅九・張墨池訳、上海大同図書館一九二一年)の出版状況を検証し、タゴールが中国現代文学に与えた影響について、鄭振鐸、徐志摩、聞一多を例に重層的に考察する。タゴール訪中をめぐる賛否両論は、実は個と国家観念の衝突でもあった。しかし、聞一多を中心とした格律詩運動への徐志摩の参加により、「格律詩派」が「新月詩派」へと変容する様子は、成熟した「個」と「国家」との関係の一つの可能性を示していると考えられる。

 第四章「日本留学生における「国民文学」論―穆木天」では、東京帝国大学で象徴詩と出会った詩人穆木天について考える。自我を重んじ、「芸術のための芸術」を標榜する創造社のメンバーである穆木天は、東大で最先端のフランス文学を学び、震災後の東京の町並みや周辺の山村に自らの詩情を重ね、詩人の「内生活の真実の象徴」としての「純粋詩歌」を主張する。一方、彼は鄭伯奇とともに、「現実の血の海に深く立ち入り」、「国民」の生活と感情を表現する「国民文学」も提唱する。「純粋詩歌」は同時に「国民詩歌」でなければならない。この二つの主張を詩において実現させる方法として、彼は「国民の生命と個人の生命が交響する」ことを提示する。彼の詩は、個人生命を象徴する「恋愛」と、「国民生命」を象徴する「故国」の二つのテーマが交錯する「交響曲」であったといえよう。穆木天の「純粋詩歌・国民文学」の詩論は、象徴詩という最も前衛な文学様式を獲得し、それによって一個人の情念及び国民国家の理念を同時に表出しようとした試行である。

 第五章「二つの国家に翻弄された詩人―江文也」では、植民地台湾出身の「日本人」音楽家・詩人江文也を扱うことにする。江文也を中国近代詩人とすることは大いに議論を呼びうる問題である。しかし国家を失い、言語まで失った江文也の「詩」は「国家」と「文学」の関係を窮極の形で表している。文学を以って自ら国家の理念を語ろうとする中国近代詩とは異なるものの、国家という絶対権力に脅かされる時の詩の姿勢を考える視点から、江文也の詩を中国近代詩と同時に論じることは可能ではないかと思う。北京で執筆し戦時下の東京で出版された彼の二冊の詩集『北京銘』及び『大同石佛頌』を、同時代の日本人作家芥川龍之介の中国旅行記と比較することで、台湾・日本・中国という複雑な文化背景をもつ江文也の文化想像及びアイデンティティーの分析を行う。北京を訪れた当初の江文也は、芥川と同様なまなざしで王城北京を見つめ、中国の伝統文化に陶酔するが、彼の視線が景観から個体(人力車夫など)へと移るとともに、血統上の祖国中国の現実と民族の葛藤は重くのしかかってくるのであった。二冊の詩集は、「日本人」音楽家江文也が、二つの国家に翻弄される中、詩という、彼にとってのかりそめの表現形式に託した、個としての「心の声」=「志」ではなかろうか。

審査要旨 要旨を表示する

 旧中華帝国体制を20世紀初頭まで持続させた中国は、欧米・日本と比べて国民国家建設に遅れを取り、産業社会化と国語・文学の誕生も第一次世界大戦まで待たねばならなかった。こうして中国の文学者は国語と文学を創出することにより、"想像の共同体"である国民国家を創出しようと奮闘し続けてきた。1910年代末に誕生した近代詩もまた自己表出と共に国家建設を自らの主要な任務と認識している。�ケ捷氏の博士論文は、近代詩成熟期である1920年代から40年代の中国詩人における個の自意識と国家意識との葛藤を考察するものである。なお副題中の「風」とは国家形成の現実を、「琴」とはその現実に参与する詩および詩人を隠喩する詩語である。

 博論第一章「新詩詩論における『人格』言説」は、近代西洋思潮に由来する「人格」概念が20世紀初頭に日本経由で中国に伝えられたのち、1920年代には「個」と「国家」の理念を同時に追求する詩人たちによる新詩論のキーワードとなっていく軌跡を描く。

 第二章「『愛国』と『文芸』のはざまで」は、聞一多(ウェン・イートゥオ、ぶんいった、1899〜1946)、梁実秋(リアン・シーチウ、りょうじつしゅう、1902〜87)ら、清華大学「新格律派」が主張した「文学の現実性」論を、「愛国」と「文芸」の共存を追求する運動であったと考察する。

 第三章「一九二〇年代中国におけるタゴールの受容と聞一多の格律詩」は、インド詩人タゴールの影響下で自己表現重視の文学観に傾く鄭振鐸(チョン・チェントウ、ていしんたく、1898〜1958)、「精神の自由、不滅の人格」を讃える徐志摩(シュイ・チーモー、じょしま、1897〜1931)らを論じ、1923年タゴール訪中の際の論争が「個」と「国家」の理念的衝突でもあった点を論じる。さらにその後、聞らの格律詩運動に徐が参加して「新月詩派」が生まれる過程を、「個」と「国家」との関係の成熟とも指摘している。

 第四章「日本留学生における「国民文学」論―穆木天」は、東京帝大仏文科に留学した穆木天(ムー・ムーテイエン、ぼくぼくてん、1900〜71)が「恋愛」と「国民生命」という二つのテーマを追求し、象徴詩という当時最前衛の様式により個の情念と国民国家の理念とを同時に表出せんと試みた軌跡を描く。

 第五章「二つの国家に翻弄された詩人―江文也」は、植民地台湾出身の「日本人」音楽家・詩人江文也(チアン・ウェンイエ、こうぶんや、1910〜83)が、日本占領下の北京で中国伝統文化に陶酔するいっぽう、人力車夫ら貧民に同情しつつ、中国アイデンティティを形成していく過程を、江の二冊の詩集『北京銘』『大同石佛頌』の分析を通じて論じている。

 本論文の主な成果は次の通りである。

(1)1920年代中国の若き詩人たちが、自己表出とナショナリズムという二つの課題を詩論として統合していく過程を、詩人たちのアメリカ・日本留学体験、インド詩人の訪中など広い比較文学的視点から分析し解明した。

(2)さらに日本統治期台湾の詩人たちにも焦点を当て、台湾人作曲家・詩人の江文也が、日中戦争期の日本占領下の北京で中国アイデンティティを形成していく過程を、1921年に訪中して『支那游記』を書いた芥川龍之介の中国体験と比較しつつ分析し解明した。

 本論文は第1〜4章と第5章とのあいだに十分な統合性を構築するには至っていない。また伊藤虎丸著『魯迅と日本人 アジアの近代と「個」の思想』(1983)を批判的に乗り越えようと試みているが、「家族や国家等の何らかの"全体"に対して"部分"の関係に立つものではない」「"個"としての人間の自覚」がヨーロッパ"近代"精神であるとする伊藤氏近代論の歴史性に対する考察を欠いている。

 しかしこれまでの1920〜40年代中国詩研究が「愛国詩」論と個性論との二項対立となりがちであったのに対し、聞一多、徐志摩、江文也ら著名な詩人たちの「風と琴」とをめぐる真摯にして苦闘に満ちた詩論の展開を多面的に解明した点を中心に顕著な成果をあげており、本審査委員会はその内容が博士(文学)論文として十分な水準に達しているとの結論を得た。

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