学位論文要旨



No 121737
著者(漢字) 松岡,晋弥
著者(英字)
著者(カナ) マツオカ,シンヤ
標題(和) マイクロ流動現象と化学プロセスに関する研究
標題(洋)
報告番号 121737
報告番号 甲21737
学位授与日 2006.07.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6327号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 助教授 大越,慎一
 東京大学 助教授 金,幸夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文はマイクロ空間内の流体においてのみ発現する、あるいは顕在化する特異的な現象をマイクロ流動現象と名付けてその特性を明らかにするとともに、マイクロ流動現象を利用した新規マイクロ化学プロセスの開発についてまとめたものである。本論文ではマイクロ流動現象として、界面張力による流体挙動支配、および安定な過冷却状態という2つの現象に着目し、これらの現象を利用した新規マイクロ化学プロセスを開発した。それによりこれまでのマイクロ化学システムを大きく拡張し、またマイクロ化学システムでのみ実現可能なプロセスを実現したことで、これまで実現不可能であった新しい化学プロセスを実現する手段を提供したものであり、当該研究分野の発展に大きく貢献した。

 第1章では、はじめに本研究分野の歴史的背景と世界的な動向、および当研究室が独自に開発してきたマイクロ化学システムについて述べる。マイクロ化学システムを実現するための重要な概念である連続流化学プロセス(CFCP)とミクロ単位操作(MUO)について述べ、これまでに開発してきたマイクロ化学プロセスについて概説する。

 次にマイクロ空間内の流体に特異的な現象であるマイクロ流動現象と、それらを用いた新規マイクロ化学プロセスの着想について述べる。具体的には毛管力などの表面現象を利用した流体制御法と、マイクロ空間で安定化する過冷却状態を利用した反応などの化学プロセスについて開発する。これらによりこれまで不可能であった実験を可能にするなど、マイクロ化学システムのさらなる発展に貢献するという本研究の意義を明確にし、本研究の目的を明らかにした。

 第2章では、毛管力・表面エネルギーを利用した新規原理によるマイクロチャネル内流体制御法を開発した。通常の実験装置などの空間では重力が流体挙動に支配的な力となるのに対し、マイクロチャネル内では毛管力や表面エネルギーなど界面に起因する力が支配的となる。これはマイクロ空間特有の現象であり、この現象を利用した流体制御法が実現可能であると考えた。

 流体制御法の現状として、これまの連続流化学プロセスではシリンジポンプを用いた流量制御のみで動圧のバランスをとっていた。そのため流量許容範囲が小さく、また気体を取り扱うことができなかった。気液混在系は汎用的な化学プロセスを実現する上で必要不可欠なプロセスであり、これを新規流体制御法を開発することで実現する。さらにここで開発する流体制御法を溶融金属に応用したマイクロチャネル内へのバルク電極作製とその応用について述べる。

 はじめに毛管力・表面エネルギーを用いた新規流体制御の原理について述べる。溶液にはたらく毛管力の大きさはマイクロチャネルのサイズと溶液のチャネル表面に対する接触角で決まる。そこでマイクロチャネルの構造や表面の性質を適切に設計することで、毛管力・表面エネルギーを制御し、これによって流体制御が可能になると考えた。

 この原理を用いた部分的溶液導入・化学修飾法を実現した。部分的溶液導入用のマイクロチャネルとして、浅いチャネルと深いチャネルが接する構造のマイクロチップを設計・作製した。このマイクロチップの浅いチャネルに疎水就職剤であるオクタデシルトリクロロシラン(ODS)溶液を毛管導入すると、表面エネルギーのバランスにより浅いチャネルのみに溶液を保つことができ、部分的疎水処理に成功した。ここで作製した部分的疎水化チャネルを用いて、気泡の除去、気液二相流の形成、油水二相流からの有機相の分離に成功した。これにより、これまで不可能であった気液混在系をマイクロチャネル内で取り扱うことができるようになり、本研究の成果を基にホルムアルデヒド分析など大気分析システムへと展開された。

 また本研究で実現した新規流体制御原理を溶融金属に適用することで、マイクロチャネル内に対向型バルク電極の作製にはじめて成功した。これまでマイクロ化学システムで用いられてきた薄膜電極では高電圧に対する耐久性や対向型電極が作製できないという問題があり、本研究で開発した手法はこれを解決するものといえる。ここで作製した対向型バルク電極を持つマイクロチップをフリーフロー電気泳動に応用し、これまでの分子の自発的な挙動のみの利用から、電場を用いた積極的な分子輸送を実現した。今後、電場を利用した反応の制御などへの展開が期待される。

 以上のように第2章では、マイクロ空間で特異的な流体挙動の毛管力支配に着目し、この現象を利用した新規流体制御原理を確立した。これによりこれまで不可能であった気液プロセスを実現しマイクロ化学システムの適用範囲を拡張した。また対向型バルク電極の作製にはじめて成功し電場を用いたマイクロ化学システムの実現に貢献した。

 第3章では全く新しいマイクロ化学プロセスである「過冷却マイクロ流体」の実現とその基礎的検討、さらにそれを利用した高不斉収率な不斉反応について述べた。これまでのマイクロ化学システムでは主に比界面積に着目した、プロセスの高速化・高効率化がはかられてきた。これに対し、絶対微少量がもたらす本質的な特徴を用いた研究例はこれまでにあまりなされてこなかった。本研究ではマイクロ空間での過冷却状態の安定化という現象に着目した。この現象は寒冷地での動植物の生存に関する研究などから知られているが、微少量の液体を取り扱うことは困難であり、これまでにこの現象を応用した研究例はほとんどない。マイクロチャネルは微少量の溶液を自由に取り扱い可能であること、低熱容量であり温度不均一を抑制でき、また潜熱を速やかに除去できることなどの性質があり、過冷却・凝固現象を取り扱うのに極めて有効である。そのためマイクロチャネルを用いて、過冷却状態の溶液を安定に取り扱う「過冷却マイクロ流体」が実現可能であると考えた。過冷却マイクロ流体は低温ほど有利なプロセスや低温での測定が必要な化学実験に対して極めて有効な実験手段を与える。ここでは過冷却マイクロ流体の基礎的性質について検討し、これを用いた融点下の反応温度での不斉反応を実現した。

 第4章では、本研究の結果とその意義についてまとめ、本研究の成果を基にした今後のマイクロ化学システムへの展望について述べた。

 以上のように本論文は、これまでにない観点からマイクロ化学システムを発展させたものであり、本研究分野に対して多大な貢献をしたものといえる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「マイクロ流動現象と化学プロセスに関する研究」と題し、マイクロ空間内の流体に特異的な現象をマイクロ流動現象と名付けてその特性を明らかにするとともに、マイクロ流動現象を利用した新規マイクロ化学プロセスの開発について研究した結果をまとめたものである。

 第1章では、はじめに本研究分野の歴史的背景と世界的な動向、および当研究室が独自に開発してきたマイクロ化学システムについて述べる。マイクロ化学システムを実現するための重要な概念である連続流化学プロセス(CFCP)とミクロ単位操作(MUO)について述べ、これまでの成果や課題について概説する。次に本研究の主題である「マイクロ流動現象」について、「マイクロ空間内の流体に特異的な現象」と定義し、それらを用いた新規マイクロ化学プロセスの着想について述べる。具体的には界面張力を利用した流体制御法と、マイクロ空間で安定化する過冷却状態を利用した化学プロセスについて研究した。これにより気液混在系など新たな相に対する操作や過冷却液相の利用などこれまで不可能であった実験を可能にし、マイクロ化学システムのさらなる発展に貢献するという本研究の意義を明確にし、本研究の目的を明らかにした。

 第2章では、界面張力を利用した新規流体制御法を開発した。これまでのマイクロ多相流制御法では気液混在系などを取り扱うことができず、新しい流体制御法が必要であった。これを流体挙動の界面張力支配というマイクロ流動現象を利用して実現する。本章でははじめに構造・接触角・界面での圧力の3要素による流体制御の原理を示した。この原理に基づき非対称構造と部分的疎水修飾による気液マイクロ流制御構造を設計・作製した。ここで作製した非対称・部分的疎水修飾構造により気泡除去、気液二相流形成、液相分離に成功した。また本研究で実現した新規流体制御原理を溶融金属に適用することで、マイクロチャネル内に対向型バルク電極の作製にはじめて成功し、マイクロチャネル内での電場利用プロセスを実現可能とした。

 以上のように第2章では、これまで実現されていなかったミクロ単位操作のうち気液混在系に関する操作を実現した。さらに液相分離、溶融金属選択的導入による電極作製を実現した。本研究の成果は気液二相流を利用したホルムアルデヒド測定システムや大気中アンモニアガス検出システム(NEDOプロジェクトにより開発中)など実用化に向けた研究開発の基盤技術として用いられている。

 第3章では全く新しいマイクロ化学プロセスである「過冷却マイクロ流」の実現とその基礎的検討、さらにそれを利用した高不斉収率な不斉反応について述べた。本研究ではマイクロチャネルの絶対微少体積がもたらす特異的現象として過冷却状態の安定化という現象に着目した。この現象は寒冷地での動植物の生存に関する研究などから知られてきたが、微少量の液体を取り扱うことは困難であり、これまでにこの現象を応用した研究例はほとんどない。マイクロチャネルは微少量の溶液を自由に取り扱い可能であること、低熱容量であり温度不均一を抑制でき、また潜熱を速やかに除去できることなどの性質があり、過冷却・凝固現象を取り扱うのに極めて有効である。そのためマイクロチャネルを用いて、過冷却状態の溶液を安定に取り扱う「過冷却マイクロ流」が実現し、低温ほど有利な化学プロセスに応用する。

 はじめに過冷却マイクロ流の基礎検討として、凝固の体積効果・CFCPへの組み込み可能性・凝固と表面との関係について検討した。その検討をもとに次に過冷却マイクロ流を不斉反応に応用した。ここではDMSO溶媒均一系反応と水溶液の過冷却マイクロ流を用いる油水二相系反応を取り上げた。どちらの結果も溶液のバルクでの凝固温度と比べて10℃以上低い過冷却域での反応が実現でき、温度低下に従ったエナンチオ選択性向上が得られた。この結果から過冷却マイクロ流を用いることによるエナンチオ選択性向上の原理を示すことができ、本手法を用いることで光学分割不要な低コスト不斉合成反応実現の可能性を示した。過冷却マイクロ流は有機化学のほか、生化学や物理化学など多くの化学の分野に対し新しい研究方法を与える物として極めて重要な成果であると評価される。

 第4章では、本研究の結果とその意義についてまとめ、本研究の成果を基にした今後のマイクロ化学システムへの展望について述べた。

 以上のように、本研究では新しい観点からマイクロ化学システムの基盤技術を拡張し、その実用化に向けた研究に大きく貢献した。さらに過冷却マイクロ流は溶媒の融点下の温度での実験という新たな実験方法をもたらすものとして、これまでのマイクロ化学研究の枠にとどまらない幅広い興味を得て、さまざまな分野の発展に貢献することが期待される。本論文の成果は当該研究分野にとって革新的な成果であり、極めて重要であると評価される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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