学位論文要旨



No 121740
著者(漢字) 黒木,聡三
著者(英字)
著者(カナ) クロキ,ソウゾウ
標題(和) 骨導による両耳聴に関する研究 : 方向感と音源定位の比較
標題(洋)
報告番号 121740
報告番号 甲21740
学位授与日 2006.07.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2765号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 助教授 坂井,克之
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 助教授 山岨,達也
内容要旨 要旨を表示する

I.はじめに

 これまでの方向感研究で、両耳聴による音の方向感形成には、強度差、位相差、時間差という因子が重要であることがわかっている。しかし、そうしたこれまでの研究における方向感検査は、前提として、気導音によるものであった。骨導音を用いた方向感の研究は最近の話題であり、当研究では、一般に方向感検査と呼ばれるところの音像定位法と、無響室という特殊な空間で可能となる音源定位法という2つの手法を用いて、骨伝導音による両耳聴の有用性について研究した。

II.音像定位法による方向感研究

【目的】

 超磁歪素子という新型の骨伝導システムによる方向感形成を検討する。

【方法と対象】

 健聴者18名に対し方向感検査装置AA-75を用いて防音室にて方向感検査を行う。500Hzバンドノイズを検査音として用い、従来型の電磁コイル式骨導ヘッドホンと新型の超磁歪素子による骨導ヘッドホンとの両耳間時間差音像移動弁別閾値(ITD)、両耳間強度差音像移動弁別閾値(IID)、及び、時間−強さ取引(Time-Intensity Trade)を比較した。従来型の電磁コイル式骨導ヘッドホンによる音像定位実験を実験M、新型の超磁歪素子による骨導ヘッドホンによる音像定位実験を実験Gと名づけた。

【結果】

 実験Mと実験Gの間でITD、IIDにおいては有意な差がなかったが、時間−強さ取引においては有意な差がみられた。(図1)

【考察】

 同種の感覚間では有意差がないが、時間と強さという異種の感覚間では有意差が見られるということは、感覚レベルでは差がないが、異種の感覚を統合する脳の高次機能である認知レベルでは差があると言え、超磁歪型骨導ヘッドホンの有用性を評価したといえる。

【小括】超磁歪素子を用いた骨伝導音による方向感形成の有意性を示した初めての研究として、今後の新型骨導補聴器の開発等に繋がる成果といえるだろう。

III.音源定位法による方向感研究

【目的】

 音源定位法を確立し、従来の方向感検査である音像定位では測定できなかった、主として両側小耳症・外耳道閉鎖者の両側骨導補聴器装用下の臨床例の方向感覚の評価を行う。

【方法と対象】

 健聴者12名に対し音源定位法を行ったものをコントロール群とし、様々な臨床例である6例との比較を行う。音像定位法と同じ500Hzバンドノイズを検査音とし、3ms、25ms、100msの三種類の刺激時間の比較も行う。20度間隔で円周上に置かれたスピーカー12台から出た音の音源を同定する。特に、両側骨導補聴器装用下での4例の方向感形成を検証する。また、内2例の両側気導補聴器も持つ例に関しては、それとの比較も行った。

【結果】

 コントロール群においては、2個ずれまでを正答とする(80度角内正答)と98〜99%の正答率であった。3msと100msの刺激提示時間の差では完全正答率に顕著な有意差を得た。一方、臨床群の4例である両側骨導補聴器装用者は、方向感を得ることができた。この4例の解析結果を図2に示す(図2)。この結果図表が当音源定位法の基準モデルである。図2の結果は、コントロール群と比べると、その正答率は低く、また左右のスピーカーに回答が偏りやすいという傾向が見られた。両側気導補聴器装用時との比較は当人が平常時にどちらを使用しているかで結果が違った。片側健聴だけでは方向感は形成されないが、難聴側に骨導補聴器を装用することで方向感が得られた例もあった。

【考察】

 コントロール群における音空間の広がり方が一様ではなく、中央部がほぼ完全な正答率に比べ、左右に偏ると若干正答率が下がるのは、ヒトの方向感聴取の特性を示しているといえる。臨床の現場においては、一般に両側伝音難聴であっても一側骨導補聴器でよしとされるが、方向感の形成まで考えると、両側している方がいいといえるだろう。両側骨導補聴器装用下と両側気導補聴器装用下の結果2例の違いは、環境に適応する「学習」という脳の可塑性にも繋がる結果といえる。

【小括】

 両側骨導補聴器の方向感形成における有用性、一側健聴者の反側骨導補聴器装用の有用性が示された。方向感形成が、聴覚伝導路だけでなく、最終的な脳の聴皮質とも関わっていることが「学習」という脳の可塑性が見られた例から考えられるが、その詳細のメカニズムについての研究がこれからの課題である。

IV.まとめ

 上記両研究によって、骨伝導音による方向感形成の有用性が示された。また、無響室という特別な空間が必要ではあるが、音像定位法に比べ、音源定位法はかなり汎用性が高いということがいえる。超磁歪素子という新しい素材による骨伝導システムにおいて、従来の圧電式と比べて認知レベルでの性能の高さが示されたが、時間−強さ取引という異種の感覚を統合する情報処理は、大脳高次レベルの関与によるものと考えられ、その詳細の解明は今後の課題である。今回は、もっとも方向感を弁別しやすいとされる500Hzバンドノイズに限った研究であったが、今後、音の種類、周波数を変えた研究との比較も検討される。音源定位法においては、語音を用いてカクテルパーティ効果の評価をする等、様々の研究応用が考えられるだろう。

図1: 実験Mと実験Gの時間-強さ取引の差

実線;実験Gの測定平均値

点線;実験Mの測定平均値

図2: 音源定位法の解析結果の例

両側骨導補聴器装用下の4例の結果

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、両耳聴による音の方向感形成には、強度差、位相差、時間差という因子が重要であることがわかっているこれまでの方向感研究が、前提として、気導音によるものであったことに着目し、骨伝導音による両耳聴の有用性について検討するため、一般に方向感検査と呼ばれるところの音像定位法と、無響室という特殊な空間で可能となる音源定位法という2つの手法を用いて研究を行い、下記の結果を得ている。

1.健聴者18名に対し、方向感検査装置AA-75を用いて防音室にて500Hzバンドノイズを検査骨導音とした音像定位法による方向感検査を行った結果、従来型の電磁コイル式骨導ヘッドホンと新型の超磁歪素子による骨導ヘッドホンとの両耳間時間差音像移動弁別閾値(ITD)、及び、両耳間強度差音像移動弁別閾値(IID)には有意差がなかった。これは、同質の感覚を比べた、感覚レベルでのことで、大脳皮質の一次聴覚野の、左右耳からの刺激に応答する両耳性ニューロンレベルのことであり、当研究のように、違う構造の素子からなる骨導ヘッドホンを用いても、同じ音圧で同じ500Hzのバンドノイズを音源にしていれば、その時間差、音圧差には有意差が見られないことが示された。

2.上述の音像定位法による方向感検査を行った結果、従来型の電磁コイル式骨導ヘッドホンと新型の超磁歪素子による骨導ヘッドホンとの時間−強さ取引(Time - Intensity Trade)において、反復測定三元配置分散分析による有意差を複数の要因において得た。更に、測定値の差を生み出している3要因(ヘッドホン)(左右の耳)(初期時間差)とそれぞれの交互作用における単純主効果検定、多重比較検定を行った結果、超磁歪型骨導ヘッドホンにおける時間分解能の増加を意味する相殺に必要な音圧の有意な減少、及び、時間差がある程度以上になるとそれを相殺するのに必要な音圧を大きくしなくても時間−強さ取引が行われるというヘッドホンの違いによる差が検証され、超磁歪型骨導ヘッドホンの優位性が示された。

3.従来型の電磁コイル式骨導ヘッドホンと新型の超磁歪素子による骨導ヘッドホンにおける差は、同感覚間の感覚レベルでは差がでないが、異質な感覚を統合する認知レベルでは差が出るということであり、圧電素子より変位量の小さい電磁コイルを使用している従来型の骨伝導ヘッドホンに比べ、物理量としては8〜10倍以上の変位量を持つ超磁歪型骨導ヘッドホンでは、認知レベルで有意な差が出ることが示された。

4.骨導音を用いた音像定位法による方向感検査のヘッドホンによる比較において、それぞれ同じ60dBの音圧レベルの音刺激を呈示することで入力情報を較正したが、骨伝導刺激音の場合、刺激が固体振動として伝わる為、力(N)を単位として較正しなければならないとの指摘があり、オシロスコープ(DSO3202A)による電圧測定の結果、実験Mの電磁コイル型では11.5mV、実験Gの超磁歪型では55.0mVであり、人工マストイドに加えられるフォースレベルを測定した値を用いて、電磁コイル型ヘッドホンで500Hzバンドノイズのピークで発生している力は5.06 (0.44×11.5) mN、超磁歪型ヘッドホンでは6.6(0.12×55.0)mNであることがわかった。これは、基準としてそろえていた音圧レベルの単位dBが、力の単位Nに変換した場合に差を生じることを意味しており、この差が先述の結果に影響したとも考えられたが、また、一方で、感覚レベルと認知レベルに差が生じたことは、単にこの影響だけなのかどうかも今後の検討課題であると考えられた。

5.健聴者12名に対し12個のスピーカーが配置された無響室における音源定位法を行った結果、反復測定一元配置分散分析、及び多重比較検定によって、刺激音である500Hzバンドノイズの刺激提示時間は100msが最適であること、スピーカー毎の平均回答数は基準値と比べてスピーカー1、2、10、12が有意に低い値であること、スピーカー毎の平均正答数は基準値と比べてスピーカー1、2、3、11、12が有意に低い値であること、健聴者12名中、誰も逆答をしなかったこと、更に、カイ自乗検定によって、聴空間が左右の偏りなくバランスが取れていることが示された。

6.両側骨導補聴器装用下の4例に対し同様の音源定位法を行った結果、聴空間は、視覚的印象と同じく統計的にも適合度検定p値が0.165で有意差はなく、正中でバランスが取れているものの、健聴者の結果では全くなかった逆答が各スピーカーにでてきており、音源定位の明らかな錯誤が生じたといえ、また、回答が左右に偏り、コントロール群ではほぼ完全な正答率であった正面部分の正答率が顕著に低く、80度角内の平均正答率は67%弱であり、健聴者12名の平均正答率99.2%と比べ、統計的に有意な低さであることが示された。また、隣同士のスピーカーの正答数の値を直線で結ぶことにより聴空間全体の面積を求めることができるが、その結果、健聴者12名の平均面積と両側骨導補聴器装用下の4名の平均面積は、それぞれ、5.84m2、1.02m2となり、2群の面積差におけるt検定(welch検定)により、明らかな有意差が示された。

7.両側骨導補聴器装用下の各例における音源定位法の測定結果を比較検討したが、両側骨導、気導補聴器装用下の測定値が揃っている2例の両側骨導補聴器装用下の値と両側気導補聴器装用の値を比較したところ、1例においては骨導補聴器の方が気導補聴器より方向感形成が良いのに対し、もう1例では気導補聴器の方が良く、結果が全く逆となった。両者の日常生活を比べると、前者は、1歳半から現在14歳に至るまでずっと左側の骨導補聴器を使用しており、気導補聴器を両耳のために作ったのは2年前であるが、ほとんど使用していない状況である一方、後者は、現在13歳であるが左の骨導補聴器を使用していたのは2歳から7歳の間で、7歳からは右の気導補聴器、9歳からは左気導補聴器も使用し、現在は日常的に両側気導補聴器を使っている状況であり、これは、「学習」という脳の可塑性とも関わる問題といえ、日常で形成される聴空間が違うことが原因であると考えられた。

8.同じく、音源定位法を用いて、片側気導補聴器装用者及び片側健聴者の反対側への骨導補聴器の有無による方向感形成を比較した結果、骨導補聴器装用の多大な有効性が示された。特に、片側健聴で一側難聴者の場合は、臨床的に補聴器を薦められることはないが、この結果より、その見識を見直さざる得ないのではないかと考えられた。

 以上、本論文は骨導音による両耳聴の有用性の検討において、音像定位法では、従来型の電磁コイル型に比べ新型アクチュエータである超磁歪素子を用いた骨導ヘッドホンの優位性を示し、音源定位法では、その方法論を確立し、健聴者の測定値と比較することで両側骨導補聴器装用下の聴空間の広がりの特徴を示し、更に、片側骨導補聴器装用による聴力補強で方向感形成が改善されることも示した。本研究は、骨導音よる方向感の特徴を示したことで今後の新型骨導補聴器の開発に、また、確立された方法論による更なる応用研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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