No | 121745 | |
著者(漢字) | 韓,正美 | |
著者(英字) | Han,Chong mi | |
著者(カナ) | ハン,ジョンミ | |
標題(和) | 『源氏物語』における神祇信仰 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 121745 | |
報告番号 | 甲21745 | |
学位授与日 | 2006.07.27 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第677号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 超域文化科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本論文は、『源氏物語』に描かれている神祇信仰を究明するために、神々が、その本質的なところで『源氏物語』とどのように関わっているかを分析し、具体的には、主要な登場人物と結びつき、どのように物語を展開させていくかを明らかにしようとしたものである。従来、『源氏物語』における神祇信仰の重要性については、日向一雅氏が、「源氏物語は朝廷から氏族、個人のレベルに至るまで幅広く厚い敬神の心情や思想を作品の基底に据えているだけでなく、物語の方法として霊験譚を構成するなど積極的に活用したのである」[「物語文学にみる信仰の諸相―『源氏物語』」(『国文学 解釈と鑑賞』五七―一二、至文堂、一九九二年一二月、七七頁)]と述べているが、具体的論証は十分になされていない。本論文は、これまでの『源氏物語』研究においてあまり取り上げられてこなかった神祇信仰に着目して、神祇信仰が物語の構造や手法として、いかに取り入れられているかということを考察したものである。神祇信仰を考えるにあたり、まず必要なのは当時の神々の捉え方についての検証なので、神々の伝承と平安朝の信仰について概観した後、『源氏物語』の基底にある神祇信仰の意義を分析することにした。 第一編では、まず、「大神」「天神」・禊ぎ祓いの神、土地神、海路を守る神、王権の守護神、現人神としての住吉神の神格や、住吉神と八十嶋祭との関わり、平安貴族の住吉詣の様相などを考察することによって、『源氏物語』における住吉信仰の意味を究明した。第一節は、以前発表した拙論「須磨・明石巻に見られる住吉信仰」(『国文学 解釈と鑑賞』六〇―一二、至文堂、一九九五年一二月)を土台としつつ、さらに発展させたものである。須磨での暴風雨において住吉神は、源氏にとっては、土地神、そして、海路の安全を守る神としての神威しか認識されていなかったが、桐壺院の霊にとっては王権の守護神として定着されていたという指摘、また、源氏の住吉神への祈りの言葉である「迹を垂れたまふ」について、通説になっている本地垂迹説に対する批判を展開し、丸山キヨ子氏の説「明石の入道の造型について―仏教観の吟味として―」(『源氏物語の仏教』、創文社、一九八五年)を踏まえつつも、新編日本古典文学全集『源氏物語』の頭注と付録の誤りを指摘し、そこからむしろ「現人神」としての住吉神が現れて救ってくれることを期待した言葉と見るべきだと論じた。第二節では、『源氏物語』の物語展開において、王権の守護神としての住吉神の神威が、澪標・若菜上下巻の源氏の栄華獲得とどのように関わっているかを、明石物語を中心に考察した。特に、准太上天皇の位に即き、明石君との娘である明石姫君が帝の女御となって、その所出の第一皇子が東宮に立ち、その栄華が絶頂に達した時に源氏が住吉神の加護を感謝していることから、源氏は、栄華を築いていくにつれて、住吉神の王権の守護神としての神威に気づいていくという指摘、また、小林茂美氏の「紫式部論 序論」(『源氏物語論序説―王朝の文学と伝承構造I―』、桜楓社、一九七九年)という論稿を一歩進め、紫式部は、高藤物語の出会いにあたる部分に明石物語を読み取るだけでなく、源氏と明石一族の結びつきについては、住吉神の霊験譚を持ち込んで話を進め、明石一族の霊験譚として設定したと考えた。 第二編では、まず王城鎮護の神としての賀茂神の伝承と神格、賀茂祭と賀茂斎院、平安朝における賀茂信仰を考察することによって、『源氏物語』における賀茂信仰の役割を分析した。本編は修士論文を主体にして、さらに考察を深めた。紫上の人物造型と、賀茂斎院となった朝顔姫君と賀茂神との関わりについて、小山利彦氏の「紫上と朝顔斎院―賀茂神に関わる聖女として―」「藤裏葉の巻にみる賀茂神の信仰」(『源氏物語 宮廷行事の展開』、桜楓社、一九九一年)などの論を継承しつつもそれを発展させ、源氏を栄華へ導くという賀茂神の役割の側面から分析し、さらには賀茂祭を背景とするさまざまな事件、即ち第一部の六条御息所と葵上の車争い、第二部の柏木と女三の宮の密通、第三部の薫と浮舟の出会いから、物語の展開の方向を決定する分岐点のような場面を中心に、賀茂祭の果たした役割について考察した。さらに、女三の宮のもとを訪れて契った柏木、その一夜の契りで薫が誕生し、その結果、常に自らの出生に疑惑を抱き続ける青年として造型され、後に実父が光源氏ではなく柏木であることを知るようになるという流れが賀茂神話と似た構造をもっていることを見出し、薫の物語と賀茂神話との重なり合いを新たに指摘することもできた。 第三編では、皇祖神である天照大神の「御杖」たる未婚の内親王または女王であった斎宮という属性を軸にし、斎宮であった秋好中宮の人物造型を考察した。歴史上の前斎宮の結婚の事例や、物語で語られる斎宮にまつわる描写から、皇祖神天照大神に仕える女性である斎宮との関わりを欲する人が、総じて皇子であったことを分析することによって、源氏にとっても、朱雀帝にとっても恋慕の対象であった秋好中宮の意味を指摘した。特に、源氏の秋好中宮への関心の描写において、秋好の呼称が「宮」であるのに対し、朱雀帝のそれは「斎宮」として表出されていることから、秋好中宮が源氏にとっても、朱雀帝にとっても同じ恋慕の対象であったものの、その表出の仕方において、当時最高の権力関係である帝と斎宮で結ばれることによって、賢木巻における源氏と朱雀帝の勢力対比を際立たせる役割を果たしていると論じた。さらに、朱雀帝が「別れの御櫛」の儀の際の斎宮を思い出す場面については、栗山元子氏の「斎宮女御の「櫛」―朱雀院との関わりにおけるその機能について―」[田中隆昭(篇)『源氏物語の鑑賞と基礎知識』絵合・松風(至文堂、二〇〇二年)]という論を踏まえつつも、さらに検討を進め、朱雀帝の斎宮への執着の意味が、皇祖神に仕える斎宮の持つ信仰的威力を付与されることにあった点、また、その思いを喚起する「櫛」が、秋好が皇祖神に仕え、また、朱雀院が帝として絶対的な権力を持っていた時に連なるものであり、斎宮への執着はその在位の頃への執着であるという側面を新たに指摘することができた。なお、斎宮が天照大神に仕える皇女であるがゆえに皇子に宗教的力を付与する者として信じられていたことから、前斎宮であった秋好中宮が冷泉院の后になることが設定されていたとも論じた。 第四編では、石清水・筥崎八幡宮の縁起と平安朝の信仰、平安朝における春日・大原野信仰を概観することによって、『源氏物語』における八幡・春日信仰のもつ意義を、玉鬘の人物造型と関連して考察した。まず、玉鬘の筑紫下向の物語において、「鏡の神」の鎮座地である松浦を玉鬘流浪の到達地として設定したことについて、物語の基底に鏡明神=佐用姫伝承の話型を沈めつつ、三輪山式神婚譚に基づいた夕顔物語を継承させた構想であると論じた。また、玉鬘の筑紫下向と八幡との関わりについては、小林茂美氏の「玉鬘物語論」(『源氏物語論序説―王朝の文学と伝承構造I―』、桜楓社、一九七九年)という論稿を継承しつつも、玉鬘一行にとって初瀬観音はあくまでも八幡に次ぐものとして位置付けられて点、玉鬘の都への帰還については八幡の霊験として描かれている点を指摘した。特に、玉鬘と右近の出会いについては、玉鬘が八幡に参詣した後に椿市で再会するという点、右近が玉鬘との邂逅を「うれしき瀬にも」と、自分の祈り続けてきた長谷観音の利益によるものとして捉えている点などから、椿市は初瀬ではないが、その境界領域にあたるので、玉鬘にとっては八幡の加護で、右近にとっては長谷観音の利益で再会となったと指摘した。さらに、玉鬘と八幡伝承との関わりについて、玉鬘の実父との対面以降の物語が、実父・養父どちらにも責任ある処遇を受けられない展開へと描かれていることから、頼りにならない父親像という、父のいない八幡神の伝承にその源泉を求めねばならないとも指摘した。 玉鬘は藤原氏の血筋をひく姫君で、春日神との関わりを持つ人物でもあったが、当時藤原氏の神を大和の地から都に近い大原野に分祀したのが大原野社であった。特に、行幸巻では冷泉帝の大原野行幸が描かれているが、この大原野行幸の場は、玉鬘が父内大臣をはじめ、求婚者たちを眺め、「男定め」を行う絶好の機会を提供していたという三角洋一氏の「野分以後―野分・行幸・藤袴」(『国文学』三二―一三、学燈社、一九八七年一一月)という論を踏まえつつ、それが大原野行幸で行われるという意味について、玉鬘の出自が藤原氏であり、その氏神である春日神と関係の深い女性であることが、この設定の大きな要因となっていると指摘したのは、氏の論を一歩進めたものである。また、玉鬘の尚侍任官については、尚侍が天皇の御魂を守護し、御魂があかれて行かないよう斎い鎮めていたとする三苫浩輔氏の「朧月夜をめぐる光源氏と朱雀帝」(『国学院雑誌』八五―六、国学院大学、一九八四年六月)という論稿を踏まえた上で、それによって、玉鬘が光源氏の養女から冷泉帝の御魂を守護する尚侍へ、即ち八幡・春日神から天照大神につらなる巫女的女性へと変貌し、結局六条院から離れてしまう様相を呈していると論じた。 以上のような分析を通して、本論文では、『源氏物語』に描かれている神祇信仰を、住吉・賀茂・伊勢・石清水・春日を軸として、それぞれの神が物語の展開や登場人物とどのように結び付いているのかという観点から捉え直した。それにより、一度臣籍に下った者が准太上天皇になるという史実にも例のない虚構世界の主人公である光源氏の類稀な幸運を説得力のある形で描くために、住吉・賀茂・伊勢・石清水・春日などの神々を随所に配し、その神威をとりわけ女君たち(明石君・紫上・朝顔斎院・秋好中宮・玉鬘)に投影して働かせたということが分かった。こうした考察を行うことにより、背後に物語を動かす方法として神祇信仰が存していたという視点を新しく提示することができたと思う。 | |
審査要旨 | 本論文は、『源氏物語』における神祇信仰のさまざまな側面を取り上げ、神の性格と信仰の実態について明らかにするとともに、それが物語の展開や人物造型にどのようにかかわり、意義づけられているかを考察したものである。全体は序と結論で首尾を整え、本論は「第一編 『源氏物語』における住吉信仰」、「第二編 『源氏物語』における賀茂信仰」、「第三編 『源氏物語』における伊勢信仰」、「第四編 『源氏物語』における八幡・春日信仰」の四編からなる。 第一編の住吉信仰の考察では、上代以来の住吉神の伝承と住吉神の性格を展望して整理するほか、平安朝の住吉信仰の実態を明らかにしたうえで物語に立ち戻って、光源氏の須磨退去のいきさつと明石入道一族の宿願・信仰が語られる須磨・明石巻、また住吉詣での描かれる澪標・若菜下巻をていねいに読み解いていく。源氏にとって、明石入道にとってというように、登場人物それぞれにとっての神意の受けとめ方や信心をおさえる読み取りは、総体としての物語の論理をさぐる必須の手順であった。 第二編は賀茂信仰の考察で、ここでも賀茂神の伝承、賀茂祭と賀茂斎院の史的展開、平安朝の賀茂信仰の実態をふまえたうえで、紫上の造型、朝顔斎院の役割、六条御息所と葵上の車争いについて読み解くほか、物語第二部の柏木と女三の宮の密通にまで考察を及ぼし、自らの出生に疑惑を抱く薫の物語にも賀茂神話の投影を指摘する。 第三編では伊勢信仰を扱い、斎宮の属性、前斎宮の入内の事例などから、もっぱら秋好中宮の人物像と役割について、朱雀院の執心にもかかわらず幼い冷泉帝を支え、明石姫君の裳着の腰結役をはたし、源氏四十賀を主催した意味の重さを明らかにする。 第四編の「『源氏物語』における八幡・春日信仰」では、石清水・筥崎八幡宮や春日社・大原野社の縁起や祭りの起源をはじめ、皇族や摂関家の信仰の内実をおさえたうえで、北九州で少女時代を送り、上京して九条に仮住まいし、長谷寺で母夕顔の乳母子右近と再会したことから、実父ではない源氏の六条院に引き取られたことまで、玉鬘の特異な前半生の足取りにさぐりを入れる。そもそも北九州下向以来、玉鬘には八幡神の加護があって、長谷寺門前の椿市での右近との再会には右近の長谷信仰も力があったにしても、これも八幡神の導きと解釈され、六条院夏の町における生活もさすらいにほかならず、実父の内大臣も養父の源氏も親権を発揮できない状況は、父なくして生まれ空舟で流された『大隅正八幡宮本縁伝記』の八幡神そのままである、というのである。 結論として、臣下に下りながら准太上天皇に昇る光源氏の数奇にして類稀な人生は、住吉・賀茂・伊勢・八幡などの神威を担う女性たちを巧みに配することにより導かれたのである、とする。 本論文は各編とも、研究史をしっかりおさえ、神祇書や縁起類をはじめ、平安朝における信仰の実態を知る歴史史料、文学資料を精査し、『源氏物語』本文を丁寧に読み解いていく手順をふんだうえで、四編にも及ぶ考察を展開した二百五十頁に達しようとする労作である。神祇信仰の側面から物語を読み込むことにより幾多の新見を提示しえており、今までかならずしも見えていなかった物語の脈絡を掘り起こしている点も少なからずあると認められる。 審査委員からは若干の形式的な不備が指摘されたほか、物語の論理という側面からの考察がやや不足しているのではないかとか、住吉信仰では明石入道と、伊勢信仰では六条御息所とというように、主要人物の人物論とからめて論じる必要があったのではないかとか、先行論文の中でもとりわけ民俗学的な解釈についての再検証が弱く、神の性格として認められないものもありはしないかとか厳しい発言もあったが、逆に、追試した結果、最新のテキストにおける誤認を発見している箇所もあるし、『源氏物語』の研究においては最も手薄な分野なので議論の積み重ねが十分でなく、研究者によって積極的に認める者とまったく認めない者がいる状況では、一方の立場に立ったうえでの考察と見なせばよいとする意見もあった。 総じて、従来の研究を数歩先に進めており、不十分と指摘された点の多くは本論文を土台としてさらに追究すべき今後の課題であると判断された。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。 | |
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