学位論文要旨



No 121749
著者(漢字) 小泉,宜子
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,ヨシコ
標題(和) フォイル・チャフを用いた中間圏界面領域の力学に関する研究
標題(洋) A study on the dynamics of the mesopause region using foil chaff technique
報告番号 121749
報告番号 甲21749
学位授与日 2006.07.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4905号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岩上,直幹
 情報通信研究機構 研究マネージャ 村山,泰啓
 宇宙航空研究開発機構 助教授 今村,剛
 東京大学 教授 中村,正人
 東京大学 助教授 吉川,一朗
内容要旨 要旨を表示する

 地球大気中に存在する大気波動の中でも特に大気重力波は、大気に擾乱を与えることで不安定現象を引き起こして乱流を生成し、中間圏界面付近のダイナミクスに大きな影響を及ぼすことが知られている。しかしながら、中間圏界面付近におけるKelvin-Helmholtz(KH)不安定などの不安定現象については、理論的に予想されているものの、実際に観測されたことはほとんどない。

 本研究では、不安定現象に伴う乱流の空間的な構造、特に鉛直構造を解明することを目的として、高精度の中性風観測が行えるフォイル・チャフ実験を実施した。複数の測定器と同時観測を行うために、観測ロケット搭載用チャフ放出機構を開発し、大気光波状構造の解明を目的としたWAVE2004キャンペーンでの観測結果を利用して、大気不安定と鉛直風の関係について検証を行った。

 フォイル・チャフ(以下、チャフ)による中性風測定は、観測手法が限られる中間圏界面付近で精度のよい測定を行うことができる。従来は小型ロケットによって単独で観測が行われていたが、複数の測定器と同時観測が行えるよう、観測ロケット搭載用チャフ放出機構としてバネ式(図1)と差圧式(図2)の2方式を開発した。観測ロケットでチャフ実験を行うにあたり、小型ロケットとは放出時のロケット速度が違うことから、放出から終端速度に達するまでのチャフの運動をあらかじめ予測した。その結果、観測ロケットの場合、下降時の高度100km付近でチャフを放出するのが最適であることが分かった。

 WAVE2004キャンペーンの一環として行われたS-310-33号機ロケット実験でのチャフの軌跡から、高度分解能500mで算出した東西・南北風速の高度プロファイルを図3に示す。高度約96-84kmの中性風の情報が得られ、高度89km以上では100m/sを超える北向きの風が、高度89km以下では東向きの風が卓越しており、さらに強い鉛直シアーが、高度95kmおよび89km付近で観測されている。

 大気の不安定性を検証する上で、温度構造は重要なパラメータであるが、観測手段が限られるため、今回のキャンペーンでも観測が行われていない。そこで、チャフの落下速度を利用して運動方程式から大気密度を導出し、さらに密度から静水圧平衡を仮定することで大気温度を導出した。その結果、高度88kmおよび91.5km付近で急激な密度変動および80K以上の温度変動をもつプロファイルが算出された。ところが、この温度勾配は断熱減率と比べて傾きが急であり、温度算出に用いた静水圧平衡の仮定と矛盾していることがわかった。このことから、チャフの落下速度の変動分には密度変動の他に、大気波動や乱流によって生じる鉛直風が含まれていると考えられる。そこで、観測されたチャフの落下速度に含まれる鉛直風について、5次多項式でのフィッティングから図4のように鉛直風を推定した。

 この鉛直風の成因を調べるために、まず同時に行われていたNaライダー観測から大気重力波による鉛直風の見積りを行った。チャフの観測時に卓越していた鉛直波長約6kmの大気重力波について、Na密度変動率から大気密度変動率を求め、さらに大気密度変動率から大気重力波による鉛直風を求めたところ、風速は10cm/s以下と推定された。したがって、チャフで観測された鉛直風は、大気重力波以外の要因によるものと考えられる。

 前述したように今回の観測では、水平風に強い鉛直シアーが観測されている。そこでKH不安定の可能性を調べるため、力学的な安定性を示すリチャードソン数Riを、チャフで観測された水平風とMSISE-90モデルの温度から算出した。図5より鉛直シアーの強い高度95km付近と89km付近ではRi<1/4であり、KH不安定の存在を示唆している。KH不安定のシミュレーション研究から、KHの渦構造の鉛直スケールは数kmで、その渦の中では数m/sの鉛直風が存在すると予測されており、チャフで観測された鉛直風は、KH不安定による可能性が高い。高度95km付近については、大気光イメージャーによるリップル構造の観測からもKH不安定が示唆されている。前回のWAVE2000キャンペーンでも、KH不安定が示唆される領域で局所的なチャフの東西・鉛直方向の変動が観測されており、大気光発光層高度や電子密度観測など各観測結果とも整合する。このように2回のみの観測ではあるが、KH不安定と示唆される領域で鉛直方向の運動が観測されており、鉛直風速は約1m/sと見積もられた。本研究は、理論的に予想されている不安定現象に伴う鉛直風を観測として明らかにしたものである。この結果は、不安定現象に伴って中間圏界面領域で鉛直方向の混合や輸送が頻繁に行われていることを示唆している。不安定現象の証拠として鉛直風の存在を用いれば、将来的には鉛直風の計測を可能とする高精度のライダーによって定常的な観測を行なうことで、不安定現象の季節変化とそれに対する大気重力波の砕波の寄与などが分かり、中間圏界面領域のダイナミクスの理解に大きく貢献すると期待される。

図1.放出機構(バネ式).

図2.放出機構(差圧式).

図3.高度分解能1kmで算出した東西風速(左)、南北風速(中)、落下速度(右)

図4.推定される鉛直風.

図5.観測された水平風と大気温度モデルより算出したリチャードソン数(左)、ブラント・バイサラ振動数(中)、水平風鉛直シアー(右).

審査要旨 要旨を表示する

 「フォイル・チャフを用いた中間圏界面領域の力学に関する研究」と題するこの論文は5章よりなり、これまで理論的には予測されていたものの、実測の裏づけのなかった大気不安定現象の実在を、新たな風測定装置を開発・応用することによって示した。第一章ではこの研究の背景となる中間圏界面付近の大気力学とその観測の現状がまとめられている。第二章では装置開発が、第三章ではロケット実験が記述されている。第四章では測定結果から導かれる大気乱流の検出について議論がなされ、第五章が結論となっている。

 フォイル・チャフ法は多数のアルミ薄片をロケットなどから高高度で放出し、その運動をレーダーで追うことにより風を測定するもので、この方法自体は以前より使われており新しいものではない。しかし、この研究ではまずその方法に改良を加える必要があった。つまり、これまでは単独の小型ロケットを用いて高度100km付近の最高高度点で放出されてきたが、他測器との同時測定を実現するため、同一ロケットに相乗りし下降時の高度100kmで放出を行う新たなシステムを試行錯誤の末開発した。

 2000年1月および2004年1月に行われたwave2000およびwave2004と呼ばれるロケット・地上同時観測キャンペーンにおいて測定が行われ、いずれもデータ取得に成功した。これらのキャンペーンは高度85-105kmに出現する大気光が大気波動によって変調をうける仕組みを解明することが主目的であり、この高度域での風測定が重要だった。Wave2000では89-95km、wave2004では85-95kmの高度域での測定に成功し、いずれの場合にも水平風の高度分布に顕著なシヤがあったことを見出した。つまり、wave2000では高度91kmに30m/s/km、wave2004では高度89kmおよび95kmにいずれも80m/s/kmのシヤが存在した。また、これらの強い水平風シヤの近傍で1m/sオーダーの強い鉛直風も存在したことも示され、かつそれが通常の重力波では説明できないことも解かった。これら水平風シヤの存在する高度で、大気の力学的安定性を表す指標であるリチャードソン数を算出したところ、いずれの場合においてもKH(Kelvin-Helmholtz)不安定が起こっていた可能性が高いことが判った。地上で得られていた大気光撮像データを調べたところ、当該高度で発光する大気光にKH不安定を示すとされる構造が複数個存在しているのが発見された。さらに、その構造の向きが水平風場と整合的であり、かつ予想される鉛直風速も観測値と矛盾しないことを示すことができた。また、ロケット搭載の電子密度測定にみられる鋭い電子密度極大(スポラディックE層)の存在および高度についても、チャフによる水平風場から予想されるものと一致することが判った。つまり、両キャンペーンにおいて、観測された水平風シヤと整合的にスポラディックE層および大気光KH構造が存在する、あるいは逆に存在すべきではない高度には存在しないことが示された。

 理論的には、大気光発光層中にKH不安定が発生して、大気光強度を変調しているとの予測はされてきたが、主に風場データの不十分さから実証されたことはこれまでになかった。したがって、本研究は大気光発光領域におけるKH不安定の存在を観測的に実証した点が新しく、これまでの大気光変調の描像がおおむね正しかったことを示したという点に意義がある。

 本論文の2-3章は小山孝一郎博士などとの共同研究であるが、いずれの場合でもその多くが論文提出者の創意・工夫と努力によるものと判断する。

 以上に示したように、本研究は地球惑星物理学の進展に輝ける責献を成しており、提出論文は博士(理学)の学位請求論文として合格と認める。

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