学位論文要旨



No 121750
著者(漢字) 提箸,祥幸
著者(英字)
著者(カナ) サゲハシ,ヨシユキ
標題(和) 酵母Candida maltosaにおけるn-アルカンの取り込みと長鎖ジカルボン酸の排出に関する研究
標題(洋)
報告番号 121750
報告番号 甲21750
学位授与日 2006.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3068号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 依田,幸司
 理化学研究所 副主任研究員 大熊,盛也
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 微生物を用いた物質生産は、化学合成による物質生産に比べ化石燃料の消費が少なく、反応時の副生物が少ないため、環境への配慮という点で優れているとされる。アルカン資化性酵母Candida maltosaはn-アルカンを唯一の炭素源として生育することができ、代謝の過程に生ずる中間代謝産物の中には工業的に利用価値の高い、有用な物質が含まれている。C.maltosaの石油系の炭化水素を炭素源として資化できる能力を利用することによって、Saccharomyces cerevisiaeのような糖質を原料とする発酵生産では得られないような物質を生産することが期待される。また、長鎖ジカルボン酸(DCA)生産株は、低レベルのDCA生産能を持つC.maltosaの野生型株より、株式会社ジャパンエナジーによって多段階の変異誘発処理-選抜を経るスクリーニングにより得られた。この株は長鎖(nC10〜nC18)のn-アルカンを資化し、長鎖のDCAを高生産するように改良されている。炭素数10以上のDCAは合成繊維、機能性樹脂、耐寒性可塑剤や合成潤滑油などの原料をはじめとして医薬、農薬、香料などのファインケミカル分野に至るまで幅広い用途の可能性を持つ重要な化学品である。長鎖DCAのうち経済的な化学合成法がすでに確立されているものは少なく、微生物を利用した発酵法が期待されている。そこで本研究では、C.maltosaのDCA高生産株を用い、アルカン代謝物の動態、特に細胞内へのアルカンの取り込み、及び生産物であるDCAの細胞外への排出機構に注目し解析を行った。

1.n-アルカンの細胞内への取り込みについて

 n-アルカンは疎水性の極めて高い、水に難溶の物質である。Candida属酵母をはじめ、Yarrowia lipolyticaではアルカンの水系への分散を容易にする生物系界面活性剤が分泌されることが示されている。しかし、界面活性剤による分散後にアルカンがどのように細胞内に取り込まれるのかについては明らかとなっていない。

 そこで、アルカンがエネルギー依存的に細胞内へ輸送されていることが推定されているY.lipolyticaのアルカン取り込みについてさらに解析を進めると共に、同じくn-アルカン資化性酵母であるC.maltosaにおける取り込みについて解析を行った。C.maltosaは経時的にアルカンn-[(14)C]ヘキサデカンを蓄積し、KCNによって取り込みが阻害され、さらにグルコース添加による取り込みの抑制が観察された。これらのことから、C.maltosaはエネルギー依存的にアルカンを細胞内へ取り込むことが強く示唆され、また、その取り込みはグルコースによるカタボライト抑制を受けることが示された。さらにこのアルカンの取り込みは、アルカンの存在により誘導されることも観察された。

2.ABCトランスポーターをコードする遺伝子CmCDR1の取得

 DCA実用高生産株はアルカンを代謝し、およそ130g/mlものDCAを菌体内ではなく培地中に蓄積する。それ故、DCA高生産株は何らかのDCAの細胞外への排出機構を獲得しているものと考えられた。DCA生産株では、シクロヘキシミドなどのある種のABCトランスポーターの輸送基質となることが報告されている抗生物質に対して、野生型株よりも耐性を示すことを明らかにした。また、DCA生産条件の培養をしている菌体はさらに強い薬剤耐性能を示した。このことから、DCA高生産株は薬剤耐性を付与するようなABCトランスポーターによって、DCAを菌体外へ積極的に排出していることが予想された。

 C.maltosaのDCA生産へのABCトランスポーターの関与について解析するため、C.maltosaのABCトランスポーター遺伝子の取得を試みた。まず、酵母におけるABCトランスポーターに高度に保存されている領域からPCRプライマーを設計し、C.maltosaのゲノムに対しPCR増幅を試み、C.maltosaにおけるABCトランスポーター遺伝子断片を複数得た。その中でDCA高生産株においてDCA生産条件での培養時に強く発現が誘導される遺伝子断片をプローブとして、C.maltosaの遺伝子ライブラリーを用いてコロニーハイブリダイゼーションを行い、6種のABCトランスポーターと予想される遺伝子断片を得ることに成功した。その中でも最も強くDCA生産株のDCA生産培養条件においてmRNAレベルが上昇するABCトランスポーター遺伝子は、Candida albicans CDR1と高い相同性を示したことから、CmCDR1と命名した。

 CmCDR1はDCA高生産株においてDCA生産培養時に顕著にmRNAレベルが上昇する他、DCA高生産株ではDCAの培地中への添加に強く応答し、mRNA量が上昇することが認められた。これらのことから、CmCDR1はDCA高生産株におけるDCAの排出に関与している可能性が示唆された。さらに、CmCDR1はシクロヘキシミドによって強く発現が誘導され、miconazoleに対しても弱い発現誘導が観察された。このことはDCA高生産株と野生型株との表現型の違いと矛盾しない。

3.CmCDR1とDCA生産について

 CmCDR1の発現解析から、DCA高生産株におけるDCAの菌体外排出にABCトランスポーターCmCDR1が関与していることが強く示唆された。そこでCmCDR1の高発現株ならびに破壊株の作製を試み、DCA生産に与える影響について解析した。CmCDR1高発現株は多コピーベクターにプロモーター領域を含むCmCDR1全長をクローン化することで作製した。ノーザン解析による発現解析により、CmCDR1高発現株はシクロヘキシミドの培地中への添加に対しベクターのみのコントロール株に比べて、平均して18.5倍もの転写量を示した。また、CmCDR1高発現株は対照株に比べ、シクロヘキシミドに対してより耐性を示すことも明らかとなった。試験管培養の条件において、CmCDR1高生産株は対照株に比べておよそ20〜40%のDCA生産量の上昇が観察された。さらに、DCA生産培養中に出現が報告されているDCA生産能を失った復帰変異株の出現率を、CmCDR1高発現株は対照株に比べて1/2以下に低く抑えることが観察された。加えて、CmCDR1高生産株では対照株に比べて、アルカンの初発酸化酵素であるALK1、ω-酸化を触媒するALK5のDCA生産に重要な両酵素がDCA生産期に強く誘導され続けていることが示された。これらのことから、CmCDR1の高発現により、生産されたDCA及び他のアルカン代謝物の菌体外への排出が促され、DCA生産量が上昇するとともに、細胞内ではn-アルカンの円滑な代謝が細胞内で維持されているものと考えられた。さらには、細胞内にDCA等アルカン代謝物が蓄積するという、菌体にとって負荷のかかる状態を脱することで、復帰変異株の出現もCmCDR1高発現株においては抑えられていると考えられる。

まとめ

 本研究において、C.maltosaにおけるアルカンの細胞内への取り込みと、アルカン代謝産物であるDCAの生産におけるABCトランスポーターの役割に関して新たな知見を得た。また、今後のジャー培養によるDCA生産試験による確認が必要であるが、生産物の排出機構を増進・改良することで生産量を増大させる戦略において、本研究によって示された、ABCトランスポーターでの知見は今後の発酵生産分野で新たなツールとなると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 序章では、研究の背景と目的を述べている。

 微生物を用いた物質生産は、化学合成による物質生産に比べると、反応時の副産物が少なく、有機溶媒や化石燃料の使用を抑えることができ、環境への配慮の点からも優れている。従って、微生物生産における新たな技術の開発は化学物質の生産において重要である。

 アルカン資化性酵母Candida maltosaはn-アルカンや脂肪を唯一の炭素源として生育することができ、これらの代謝産物の中には工業的に利用しうる、有用な物質が含まれている。本論文で研究材料とした長鎖ジカルボン酸(DCA)生産株は、低レベルのDCA生産能を持つC. maltosaの野生型株より、変異誘発処理と選別を繰り返し行って得られたもので(ジャパンエナジー(株))、n-アルカンを原料として、香料の原料などの用途を持つ炭素数10以上のDCAを高生産する菌株である。なお、長鎖DCAのうち経済的な化学合成法が確立されているものは少なく、微生物のn-アルカン酸化能を利用した発酵法が主要な生産方法である。

 本論文は、n-アルカンからの長鎖DCAの生産に重要な過程で、その解明がDCAの高生産に寄与すると考えられる、細胞内へのn-アルカンの取り込みと、DCA高生産株におけるDCAの細胞外への排出に注目して解析を行ったものである。

 第一章では、C. maltosaにおけるアルカンの細胞内への取り込みについて検討している。酵母菌液にn-[(14)C]ヘキサデカンを一定時間投与し、ガラス線維濾紙上に捕集した菌体の、冷エタノールによる洗浄後残存する放射能によって取り込みを測定した。C. maltosaによる経時的なn-[(14)C]ヘキサデカンの蓄積は、KCNによって阻害され、低温条件で抑制された。さらに、グルコースの添加によっても抑制が観察された。このことから、C. maltosaによるn-アルカンの取り込みは、エネルギー依存的で、グルコースによるカタボライト抑制を受けるものであることを結論している。また、この取り込みは、n-アルカンの存在によって誘導されることも示している。

 第二章では、C. maltosaのABCトランスポーターをコードするCmCDR1遺伝子の取得とその発現について述べている。C. maltosaのDCA高生産株はn-アルカンを代謝し、大量のDCAを培地中に蓄積する。そこで、DCA高生産株が、細胞内で生産されたDCAを疎水性薬剤の排出に関わるABCトランスポーターなどによって排出していることを想定し、C. maltosaのABCトランスポーターをコードする遺伝子を取得した。まず、複数の酵母ABCトランスポーターに保存されている領域のアミノ酸配列に基づいて、PCRプライマーを設計し、C. maltosa野生型株のDNAを鋳型として、ABCトランスポーター遺伝子断片を複数得た。それらの中で、n-アルカン上で培養したDCA高生産株において強い遺伝子発現を検出できる断片をプローブとして、C. maltosaの野生型株の遺伝子ライブラリーを検索し、ABCトランスポーターをコードすると予想される6種の遺伝子の断片を得た。これらの遺伝子のうち、n-アルカン上の培養で最も強くDCA 生産株において発現が誘導される遺伝子は、Candida albicansにシクロヘキシミド耐性を与える CDR1と高い相同性を示したので、これをCmCDR1と命名した。CmCDR1は、DCA高生産株においてDCA添加によって顕著に発現が誘導されたので、DCA高生産株においてDCAの排出に関与している可能性が考えられるとしている。

 第三章では、CmCDR1の高発現のDCA高生産株に対する影響について述べている。CmCDR1を高発現するDCA高生産株を作製し、与える影響について検討した。CmCDR1高発現用のプラスミドをYRp型多コピーベクターにプロモーター領域を含むCmCDR1全長を組み込むことによって作製した。これを導入したDCA高生産株では、n-アルカン培養時にCmCDR1のmRNAレベルは5から7倍に上昇し、また、シクロヘキシミドによる誘導の場合では、約18倍であった。CmCDR1高発現株は対照株に比べ、シクロヘキシミドに対してより耐性であった。このようにCmCDR1を高発現するDCA高生産株は、試験管培養の条件において、対照株に比べて平均20%のDCA生産量の上昇を観察している。また、n-アルカン培地では強く生育が抑制されるDCA高生産株に頻出する、DCAを生産しない見かけの復帰変異株を含む培養の出現が抑制された。加えて、CmCDR1を高発現するDCA高生産株では、対照株に比べて、アルカンの初発酸化酵素であるチトクロームP450ALKをコードするALK1及びALK5など、DCA生産に重要な遺伝子の発現が、n-アルカン培養後期に強く誘導されていることを示した。

 以上要するに、本研究はC. maltosaにおけるアルカンの細胞内への取り込みと、アルカンの代謝物であるDCAの生産におけるABCトランスポーターの役割とその可能性に関して新たな知見を与えており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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