学位論文要旨



No 121751
著者(漢字) 田中,求
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,モトム
標題(和) ローカル・コモンズを基盤とする地域発展の検討 : ソロモン諸島ビチェ村における資源利用の正当性を示すnoro概念の揺らぎから
標題(洋)
報告番号 121751
報告番号 甲21751
学位授与日 2006.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3069号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 助教授 石橋,整司
 東京大学 助教授 菅,豊
 筑波大学 助教授 関根,久雄
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の目的は、ソロモン諸島ビチェ村を事例に、ローカル・コモンズを基盤とする地域社会の動態を地域発展の試行錯誤過程として捉えなおし、ローカル・コモンズがどのように関わりながら地域発展を進めていくのかを明らかにすることである。

 ソロモン諸島では、地域の資源を生活基盤として共同利用するなかで、労働力や技術、知識を相互に提供し合える、という信頼を共有する成員のネットワーク(以下、相互利用ネットワーク)が形成されている。本研究では、ローカル・コモンズを「地域社会の基盤である自然資源と、それを共同利用する人々が形成する相互利用ネットワーク、およびこれらの利用制度」と定義する(図1)。

 序章では、既存の発展論を批判的に検討した。そして本研究では、指標や普遍的な目標を設定するのではなく、多様な地域発展を捉えるために、「地域発展」を「地域社会の人々が目標とするものに向かう過程」とし、また地域発展における「目標」を「地域の人々が求める『豊かさ』の具体的な姿」とした。

 第1章では、商業伐採管理を中心に展開してきた森林政策における慣習的資源所有の位置付けを探った。

 20世紀前半のココヤシ栽培とともに進んだ商業伐採から、戦後の慣習地の保留林指定と政府取得地での商業伐採、丸太輸出による独立政府の財源確保のための商業伐採増加、へと変容するなかで、慣習的資源所有は維持され続け、各地域の親族集団が商業伐採の導入主体の1つとなっていた。

 第2章では、ビチェ村を対象に1915年のキリスト教徒化から1950年代までのローカル・コモンズの動態を探った。

 キリスト教徒化にともない、ガトカエ島を四分化する境界(以下、四分化境界)が決められ、各地区にチーフが任命された。しかしながら、村人の資源利用において四分化境界が意識されることはなく、マテンゲレという親族集団(以下、M集団)全体でガトカエ島の資源が共同利用されていた。

 ガトカエ島の野生の動植物・魚貝類は、M集団全体に「成員利用権」が認められていた。成員利用権とは、何らかの集団の成員であれば生得的に認められる共同利用権のことである。

 さらに「優先利用権」が認められていた資源もある。優先利用権とは、森林の伐開や野生植物の移植など、資源に何らかの「働きかけ」を行うことで認められる優先的な利用権のことである。M集団であれば優先利用権を得ることができたのは、焼畑用地および栽培・半栽培植物であった。栽培植物の収穫については、栽培者が独占的に行っていたものの、収穫物は村人全体で共同調理され、他村者にも贈与されていた。

 相互扶助も盛んに行われ、ココヤシの収穫時には他村に暮らすM集団成員も来村し、共同労働に加わった。村人同士で雇用労働を行うことはなかった。ビチェ村の人々は、M集団という繋がりを基に資源を共同利用し、また無償での相互利用ネットワークを形成していたのである。

 第3章では、1960年代から1990年代前半までのローカル・コモンズの動態を明らかにした。

 1980年代半ばまで、ビチェ村の資源は他村者の利用が認められていた。しかし、主収入源であったコプラの買取り価格の低迷にともない、木彫り細工や魚貝類などが代替収入源となるにつれて、ビチェ村内でのこれらの資源の販売目的での利用は、基本的にビチェ村住民のみに認められることになった。魚の贈与・分配も衰退した。

 第4章では、商業伐採の導入要因をローカル・コモンズの視点から明らかにするとともに、商業伐採後のローカル・コモンズの混乱について説明した。

 ビチェ村の人々は、人口増加にともなう新たな焼畑用地の必要性、教育費の増加、コプラ販売の衰退による新たな収入源の必要性から、商業伐採の導入を決めた。商業伐採の雇用労働には多くの村人が参加した。しかしながら、出来高制の伐採労働は過伐の原因となり、村に建材不足をもたらした。また、村人は伐採権料の金額への不満と、複数の村人が行った利益の着服により、相互に不信感を抱くようになった。

 第5章では、商業伐採終了後に導入された製材販売において試行されたローカル・コモンズの再構築過程を明らかにした。

 2001年には、村人による小規模伐採と製材、都市部での製材品の販売(以下、製材販売)が始まった。製材品はM集団で共同利用され、また日常的な相互扶助に支障がないような作業班が形成された。しかしながら、製材販売は2002年末に中断することとなった。商業伐採時に雇用労働が行われて以降、村内での活動についても、対価としての現金の支払いが求められるようになり始めていた。村人は、利益の多くが製材機の修理費用に充てられ、労賃が支払われないことに嫌気が差し、参加を拒むようになったのである。

 第6章では、ローカル・コモンズの動態から見えてきた村人が形成した正当性概念とその変容の方向性を明らかにし、正当性概念に則った魚販売の試行過程について考察した。

 村人が正当(noro)とする共通認識(以下、noro概念)は、1)資源の共同利用を認め、収穫物を贈与・分配する「気前の良さ」、2)相手を強く非難することを禁忌とし、誤りに罰則を加えない「寛容さ」、3)自己利益のみを追求しない「相互扶助」意識、4)資源の「豊かさ」を享受し、また優先利用権の主張にも結びつきうる「働きかけ」の重視、であった。

 noro概念を共通認識とする「核」はビチェ村住民であり、他集団に対しては、雇用労働や利用規制という壁が形成された。しかしながら「核」内部にも問題が生じていた。旅行者の減少により木彫り細工の販売が難しくなり、村人の主収入源は、余剰農作物販売のみになっていた。そこに伐採企業が商業伐採契約を持ちかけた。多くの村人が商業伐採の再導入に反対したものの、密かにサイン料を受け取った村人4人によって伐採契約が結ばれ、村内部に不和が広がることとなった。さらに1980年代以降、船外機を利用して魚を獲るようになった村人らは、ガソリン代がかかっていることを理由に、他の村人に魚を販売するようになった。

 村人は、1980年代半ばまで行われていた気前の良い魚の贈与・分配を懐かしみ、村内部での魚の売買に批判的であった。つまり、2003年時の村人たちは、住民間の不和を解消し、気前の良い漁獲物などの贈与・分配を活発化しつつ、現金収入を獲得していく「豊かさ」を求めていたのである。

 そこで試みられたのが魚販売であった。魚販売は、保冷箱に村で買取った魚を入れて運び、都市部で販売するプロジェクトであった。魚販売では、村全体での共同漁労、利益の分配、余剰漁獲物の気前の良い贈与・分配により、住民間の不和を解消しながら、現金収入を獲得することが目的とされた。

 魚販売の開始は商業伐採契約の破棄を後押しし、住民間の不和を解消に向かわせることになった。しかし、当初計画していた共同漁労、余剰漁獲物の分配という気前の良い振舞いは行われず、一部の村人による利益の着服は、新たな住民間の不和を生み出した。さらに天候不順による不漁が続いたほか、都市部では同郷者から気前の良い振舞いとしての魚の提供が求められ、減益に結びつくこととなった。

 終章では、noro概念を基盤とするローカル・コモンズが内包する地域発展の阻害要因と困難さについて考察した。

 ビチェ村におけるローカル・コモンズを基盤にした地域発展とは、外部社会と関わって現金収入などを獲得しつつ、noro概念に則ってローカル・コモンズを再構築していく過程であった。

 「地域の自然資源に関わろうとする外部者、および外部者らが対象とする資源とその管理制度」を「外部者の資源管理」と呼ぶこととしよう。外部者とは、ローカル・コモンズにおける相互利用ネットワークの外部にいる者であり、地域のいずれの資源に関しても成員利用権が認められていない者を指す。「外部者の資源管理」が対象とする自然資源やその管理制度は、ローカル・コモンズのそれと完全に重なり合うわけではない。ローカル・コモンズと「外部者の資源管理」が部分的にすり寄り、また離れつつ資源管理のあり方を探る一方で、ローカル・コモンズとそこに関わろうとする外部者が基盤となり、地域発展を模索していくのである。

 仮に資源利用規制の厳しさをX軸に、利用成員の広さをY軸とする(図2)。ローカル・コモンズと「外部者の資源管理」は、地域発展を志向する上向きの力に引っ張られながら、また下向きの力に引っ張られながら、X軸とY軸の間を動き続けることになる。この動態の過程こそが、地域発展(衰退)なのである。

 この下向きの力になるのが、ローカル・コモンズが内包する負の要素である。商業伐採の密契、伐採権料や魚販売利益の着服を厳しく非難しない寛容さは、「負の寛容」とも言い換えられる。寛容さを求められるがゆえに不満が表出することは稀であるものの、相互利用ネットワークの基盤となる信頼関係が崩れていくことに繋がっていく。また気前の良さが求められることによる、都市部での魚の提供は、減益の原因となっていた。さらに「働きかけ」の重視は、魚販売において漁に出た者のみが利益を得られるという主張に結びつき、気前の良い魚や利益の贈与・分配を妨げることになった。

 noro概念の4要素は、その活発化もしくは強調が村人の求める「豊かさ」に結びつくこともあれば、また地域発展を妨げる負の要素にもなっていた。ローカル・コモンズを基盤にした地域発展は、ローカル・コモンズ自体が内包する要素が正と負の両側面を持ち、地域を混乱や衰退にも向かわせるという困難さを持っているのである。

図1 ローカル・コモンズの概念図

出所)筆者作成。

注)特定地域とは、自然資源を基盤として形成された集落や村レベルの地理的な広がりを指す。

図2 ローカル・コモンズと外部社会の資源管理を基盤にした地域発展モデル

出所)筆者作成。

注)外部者がローカル・コモンズにおける相互利用ネットワークに加わっていくことで、外部者の資源管理が地域発展の基盤となっていくこともイメージしている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ソロモン諸島ビチェ村を事例に、ローカル・コモンズを基盤とする地域社会の動態を地域発展に向けた試行錯誤過程として捉えなおし、地域発展の進展過程を明らかにすることことを目的としている。

 序章では、既存の発展論を批判的に検討し、地域発展を地域社会の人々が求める「豊かさ」に向かう過程とし、指標や普遍的な目標に縛られない、多様な地域発展を描くための視点が設定された。そして地理的な枠に限定されないローカル・コモンズと、外部社会との関わりの中でのその動態を把握するために、相互利用ネットワークによって形成されたローカル・コモンズの概念図が提示された。

 第1章では、広範な既存文献のサーベイから、ソロモン諸島が法的にも実質的にも慣習的資源所有が維持され続けてきた数少ない地域の1つであることが明らかにされた。

 第2章、3章では、何らかの集団の成員であれば生得的に認められる「成員利用権」と、資源に何らかの「働きかけ」を行うことで認められる「優先利用権」という2つの共同利用権がビチェ村社会において形成されてきた事実が明らかにされ、1960年代以降これらの対象となる範囲が次第に限定される動態が描かれた。

 第4章では、1990年代後半以降の商業伐採の導入を、ローカル・コモンズの動態のなかに位置付けるとともに、商業伐採後のローカル・コモンズの混乱状況が説明された。さらに第5章では、2001年に村人が開始した製材販売によって、ローカル・コモンズが再構築される過程が明らかにされた。

 第6章では、ローカル・コモンズの動態から見えてきた在地の正当性概念とその揺らぎが明らかにされ、正当性概念に則った魚販売の試行過程が論じられた。

 村人が正当(noro)と認める共通認識(以下、noro概念)は、(1)資源の共同利用を認め、収穫物を贈与・分配する「気前の良さ」、(2)相手を強く非難することを禁忌とし、誤りに罰則を加えない「寛容さ」、(3)自己利益のみを追求しない「相互扶助」意識、(4)資源の「豊かさ」を享受し、また優先利用権の主張にも結びつきうる「働きかけ」の重視、であった。

 魚販売は、保冷箱に村で買取った魚を入れて運び、都市部で販売するプロジェクトである。魚販売では、村全体での共同漁労、利益の分配、余剰漁獲物の「気前の良い」贈与・分配により、住民間の不和を解消しながら、現金収入を獲得することが目的とされた。しかし、当初計画していた共同漁労、余剰漁獲物の分配という「気前の良い」振舞いどころか,一部の村人により利益が着服され,新たな住民間の不和を生み出した。さらに天候不順による不漁が続いたほか、都市部では同郷者から「気前の良い」振舞いとしての魚の提供が求められ、減益に結びつくこととなった。

 終章では、noro概念を基盤とするローカル・コモンズが内包する地域発展の阻害要因と困難さが考察された。

 商業伐採の密契、伐採権料や魚販売利益の着服を厳しく非難しない「寛容さ」は、「負の寛容」とも言い換えられる。寛容さを求められるがゆえに不満が表出することは稀であるものの、相互利用ネットワークの基盤となる信頼関係の崩壊をもたらしやすい。また「気前の良さ」が求められることによる都市部での魚の提供は、減益の原因となっていた。さらに「働きかけ」の重視は、魚販売において漁に出た者のみが利益を得られるという主張に結びつき、「気前の良い」魚や利益の贈与・分配を妨げることになった。

 noro概念の4要素は、その活発化もしくは強調が村人の求める「豊かさ」に結びつくこともあれば、また地域発展を妨げる負の要素にもなりうる。ローカル・コモンズを基盤にした地域発展は、ローカル・コモンズ自体が内包する要素が正と負の両側面を持ち、地域を混乱や衰退にも向かわせるという困難さを持っているのである。また、ビチェ村の事例は、外部者が相互利用ネットワークに加わり、地域発展の基盤となりうることを示す一方で、それぞれの描く「豊かさ」が共通性を持ち続けることの難しさも示していた。

 以上のように,本論文は十分なフィールドワークに基づき,地域発展の多様性および地域社会内外の関わりによるその長期間の動態を、新たなローカル・コモンズの定義を提示したうえで描き出すことに成功している。さらに、ローカル・コモンズの動態から、在地の価値観、正当性概念とその揺らぎを明らかにして、地域住民の求める「豊かさ」の実現に向けた開発の試行に結びつけた実践性と、その失敗から在地の正当性概念の負の側面を明らかにした。本論文が示した新たな視点および独創的な知見は、近年、活発に議論されているコモンズ論,地域発展論、環境正義論に関する学術上および実践上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51151