学位論文要旨



No 121752
著者(漢字) 澤野,真治
著者(英字)
著者(カナ) サワノ,シンジ
標題(和) GIS手法を用いた日本の森林における水資源賦存量の評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 121752
報告番号 甲21752
学位授与日 2006.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3070号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 酒井,秀夫
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本の森林が水資源供給に果たす役割を評価するために、国土数値情報に代表されるGISデータセットを用い、日本全域の森林を対象として、どのくらいの水資源が分布しており、その水資源量は水需要量に対してどのくらいの量に相当するかについて検討したものである。

 第1章では日本の水資源についての概況と森林に期待される働きについて整理し、本研究の目的について記述した。

 水資源の安定した供給のために、河川流量の変動を少なくすることが必要であり、河川からの安定した取水を目指してコンクリートダムの建設に代表されるような水資源開発が行われてきた。しかしながら、近年、環境問題や経済的な側面から、水資源の確保において大きな役割を担ってきたコンクリートダムに代わって、「緑のダム」と呼ばれる森林の水源涵養機能への期待が高まっている。

 これまでに、世界各地の森林水文試験地における観測により、森林を伐採すると流出量は増加するという一般的な性質が明らかになっている。「緑のダム」論とは、こうした森林と水資源の関係に基づいて、森林の状態を意図的に操ることにより水源涵養機能を強化し、コンクリートダムに代わる存在としようとするものである。このような水源涵養機能を強化することを目的とした森林管理方法の議論は、全国一律にどのような森林が望ましいかという問題の立て方がなされる。しかしながら、日本は亜熱帯から寒帯までの多様な気候下にあること、全国の森林について同水準の森林管理を維持することは難しいこと、また、水資源の多寡は時に水需要とのバランスによって決まることなどから、気候条件や水需要量の地域的な違いを考慮した森林管理計画を策定していく必要がある。そこで、本研究は、こうした気候条件や地域的な水需要の違いを考慮した上で、(1)森林域にどのくらいの降水量が降り、それは他の土地利用と比較するとどのくらいの量に相当するのか、(2)日本の森林における蒸発散量はどのような分布をしているのか、(3)日本の森林にはどのくらいの水資源量があるのか、また、その量は水需要量と比較するとどのくらいの量に相当するのか、の3点を柱として、森林域が水資源供給に果たす役割を調べることを目的とした。

 第2章では、「国土の約7割を占め、水資源の取水元である河川の上流部に主に分布する」という現状から「水源地帯」として認識されている森林に、どのくらいの降水量があるのかについて、農地や都市域といった他の代表的な土地利用との比較を行うことにより明らかにした。

 土地利用ごとに平均した年降水量を比較すると、森林は1900.7mm・y(-1)、農地は1565.7mm・y(-1)、そして都市域では1575.3mm・y(-1)であった。このように、森林の年降水量は農地・都市域よりも約330mm・y(-1)多かった。この土地利用毎の年降水量の差異について、その差異が生じた要因を検討するために、土地利用分布に違いが見られた標高を指標として、標高と年降水量の関係を調べた。その結果、森林における年降水量は、標高と共に増加する傾向を示したが、農地・都市域では標高によらずほぼ一定もしくは減少する傾向を示していた。このように森林において、標高に伴って降水量が増加することと、森林が農地・都市域と比べ高標高地に存在していることが森林と農地・都市域の年降水量に差がみられる原因であることがわかった。

 本章の検討により、土地利用ごとに年降水量が違うことが定量的に示され、農地・都市域と比較して年降水量が多い場所に位置する森林が水源地帯としての役割を担っていることが示された。

 第3章では、水収支を考える時に地表面からの損失を表す蒸発散量において、既存のGIS気象データを用いて、月単位の森林域蒸発散量が推定可能なモデルの構築を行った。

 第3章で構築したモデルは、Priestley-Taylor式をベースとした蒸散量推定モデルと樹冠遮断蒸発率を用いて推定する樹冠遮断蒸発量推定モデルとからなる。このモデルを構築するにあたり、日本全国の気象官署のうち、日射量観測を実施している66ヶ所に、典型的な森林の存在を仮定し熱収支式を用いて蒸発散量の推定を行った近藤ら(1992)のモデルを教師モデルとし、パラメータを決定した。本研究によって得られたPriestley-Taylor係数αは、気温の関数で表され、α=0.0129T+0.296であった。また、樹冠遮断蒸発率βはβ=0.157であった。構築されたモデルの推定精度を検討するために、流域水収支法を基準として、本研究で構築したモデルと近藤ら(1992)のモデルの推定結果を比較したところ、年蒸発散量及び季節変化について、本研究のモデルと近藤ら(1992)のモデルは同程度の蒸発散量推定結果であった。また、これまでに報告されている24の森林水文試験地での流域水収支法を用いて推定した蒸発散量と比較したところを、予想される流域平均降水量の観測誤差内での推定することができた。

 本章の検討により、GISデータセット用いて、日本全域を対象とした森林域蒸発散量の分布の推定が可能になった。

 第4章では、森林域における水資源量の分布を把握するために、アメダスメッシュ化データの降水量及び第3章で構築されたモデルより推定した森林域蒸発散量を月単位で水収支式に適用し、理論上利用可能な水資源量を表す水資源賦存量の分布を推定した。日本には冬季に積雪が多い地域があるが、GISデータセットの降水量及び第3章で構築したモデルでは、こうした雪の影響が考慮されていない。一般に、降水量観測に用いる雨量計は、積雪時に捕捉率が低下するため、降雪量を過小評価する可能性がある。また、春季の融雪が流出に影響を及ぼすことが予想される。そこで、本章では積雪・融雪過程を考慮しない条件で計算し、どのくらいの誤差が生じるのかを把握した後、積雪・融雪過程を考慮した条件での計算を行った。なお、水資源賦存量の推定精度については、流域のほとんどが森林で覆われており森林流域と見なせる最上流部の51ヶ所のダム流入量データを用いて検討した。

 まず、積雪・融雪過程を考慮しない条件で計算した場合、非積雪地域に位置するダムの流入量データについて、年流出量及び月流出量を良好に再現することができた。しかし、積雪地域のダムでは推定値が観測地よりも過小であり、その誤差は、年流出量2000mm・y(-1)を超えるダムで大きく、800〜3000mm・y(-1)であった。積雪の影響が無いと見なせる6月から11月までの期間の合計流量を比較したところ、一部の降水量が多い地域に位置する流域を除いて、非積雪地域の流域と同程度の推定結果が得られた。月流出量の比較では、融雪により流出量増加する春季に、観測値と比較して過小であった。このことにより積雪の影響が流出量の推定に影響を及ぼしていることが示された。

 そこで、積雪過程については、雨量計による積雪時の捕捉率の補正を、融雪過程については、ディグリーデイ法を導入して計算を行ったところ、年流出量の比較では、一部の豪雪地帯にあるダム流域を除き、観測値との差が約500mm・y(-1)以内の推定であった。月流出量の比較では、12月から2月までの厳冬期の流出量で過小であったものの、融雪による流出の時期やピークを再現することができた。

 本章の検討により、日本全域を対象とした森林からの水資源賦存量の分布が推定され、水資源における年量及び季節変化の分布が示された。

 第5章では、森林が水資源供給に果たす役割を調べることを目的として、第4章で算出された水資源賦存量と原単位法で算出した水需要量(農業用水及び生活用水)について、国土数値情報の集水域・非集水域データで示される流域単位で集計し、それらの量的なバランスを年単位及び月単位の2つの視点から調べた。解析対象とした流域は、国土数値情報の集水域・非集水域データの一級河川及び二級河川の単一水系233流域であり、水の需給バランスについては水需要量を供給量で除す渇水指標を用いた。

 その結果、年単位で比較した場合、9割強の流域で森林の水資源が豊富にあることが示された。また、月単位の渇水指標の分布を見ると、9月から4月までの期間はほぼ全ての流域で渇水指標1.0を大きく下回り、水が豊富にあることが示された。水需要が増大する5月から8月にかけての稲作期間においても、渇水指標1.0を下回る流域は全体の7割強であった。

 渇水指標1.0を上回る流域は、森林からの水資源の供給に比べ、水需要量が過大であることが原因であった。なお、年単位及び月単位のいずれについても、日本全域を一括して渇水指標を計算した場合、渇水指標は1.0を下回る。

 森林管理と水資源の関係について、森林伐採に伴う蒸発散量の減少により増加する水資源量と水需要量のバランスの比較について、森林の皆伐を想定して検討した。森林の皆伐による水資源量の増加の効果は、現状において渇水指標が1.0を下回っている流域ほど大きく、渇水指標が1.0を上回る流域では限定的であった。

 本章の検討により、ほとんどの流域で、森林の水資源が水需要と比較して豊富にあること、月単位から年単位へと時定数を大きくした場合に渇水指標1.0を下回る流域が増加すること、日本全域を一括して渇水指標を計算した場合に渇水指標が1.0を下回ること、森林を皆伐した場合の水資源量増加の効果が限定的であることが示された。これらのことから、水の需給バランスが効率よく維持していくために、水源地帯として森林を維持していくこと、既存の水資源計画により建設されてきたダム施設や送水網を使い、森林から供給される水資源を時間的・空間的に調節していくことが必要であると考えられる。

 以上の章を要約して第6章とした。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本の森林が水資源供給に果たす役割を評価するために、国土数値情報に代表されるGIS(地理情報システム)データセットを用い、全国の森林を対象として、どれだけの水資源が分布し、水需要量に対してどのような過不足であるかを検討したものである。

第1章では日本の水資源についての概況と森林に期待される働きについて整理し、(1)森林域の降水量は他の土地利用と比較してどれほど差があるのか、(2)日本の森林における蒸発散量はどのような地域分布をしているのか、(3)日本の森林の水資源量と水需要量とを比較して、森林域が水資源供給に果たす役割の検討、という本研究の課題を記述している。

 第2章では、森林に降る降水量が農地・都市域の降水量とどのように異なるかを検討した。1km格子で推定されている資料を用いて土地利用毎に年降水量を平均し比較すると、森林は1900.7mm・y(-1)、農地は1565.7mm・y(-1)、都市域では1575.3mm・y(-1)で、森林の年降水量は農地・都市域よりも約330mm・y(-1)多い。降水量は一般に標高と共に増加する傾向をもち、森林が農地・都市域と比べ高標高地に存在していることが、土地利用毎に降水量に差が生じる一つの理由である。一方、農地・都市域の年降水量は標高によらずほぼ一定もしくは減少する傾向を示した。標高500m以上にある農地・都市域は盆地状の平坦地に存在し、同標高であっても森林域の降水量が多くなる。一般に「森林は水源地帯に存在する」といわれるが、森林が水源地帯を形成していることを農地・都市域の年降水量との比較を通して定量的に示すことに成功している。

 第3章では、日本全国の森林からの月蒸発散量を1km格子単位で求めるモデルの構築を行った。多くの気象要素を入力に与える蒸発散量推定モデルは各種あるが、既存のGIS気象データは気温、降水量などに限られる。限定した気象要素のみから月蒸発散量推定値を得るために構築されたモデルは、Priestley-Taylor式を基礎とする蒸散量推定モデルと樹冠遮断蒸発率を用いる樹冠遮断蒸発量推定モデルとからなり、2つのパラメータを持つ。日本全国の気象官署のうち、日射量観測を実施している66ヶ所に、典型的な森林の存在を仮定し熱収支式を用いて蒸発散量の推定を行った近藤ら(1992)のモデルを教師モデルとし、パラメータを決定した。得られたPriestley-Taylor係数αは、気温の関数で表され、α=0.0129T+0.296であった。また、樹冠遮断蒸発率βはβ=0.157であった。このモデルは近藤ら(1992)の推定結果をよく再現し、また24流域の森林水文試験地での流域水収支法による蒸発散量とも、想定される流域平均降水量の観測誤差内で一致した。この結果よりGISデータセット用いて、日本全域を対象とした森林域蒸発散量の分布の推定が可能になった。

 第4章では、アメダスメッシュ化データの降水量及び第3章で構築されたモデルより推定した森林域蒸発散量を月単位で水収支式に適用し、理論上利用可能な水資源量を表す水資源賦存量の分布を推定した。積雪・融雪過程を考慮しない条件で計算し、森林流域と見なせる最上流部の51ヶ所のダム流入量データと対比し、積雪の影響の少ない地域について良好な結果を得た。積雪地域の不適合は、アメダスメッシュ化データにおける降雪による降水量の過小評価による。降雪期の雨量計捕捉率の補正などをモデルに加え、日本全域を対象に年単位と各月の森林とその他の土地利用における水資源賦存量の分布を示した。

 第5章では、第4章で算出された水資源賦存量と原単位法で算出した水需要量(農業用水及び生活用水)について、233流域で集計し、それらの量的な過不足を論じた。年単位の集計では、9割強の流域で森林から供給される水量が需要量を上回る。月単位では、5月から8月にかけて水需要の方が大きい流域が3割弱あり、全国に分布した。森林を伐採すると蒸発散量が減少し、流出量が増加することが知られているので、森林の皆伐を想定して水需要が水資源賦存量を上回る流域における水不足解消の可能性を検討した。森林の皆伐による水資源量の増加の効果は水資源賦存量の大きいところに顕著で、水需要が大きい流域では限定的である結果示された。水資源が季節的に逼迫する場合の対処として、森林の皆伐による流出量の増加という方策ではなく、水源地帯として森林を維持すること、既存の水資源計画により建設されてきた貯水施設と送水網により森林から供給される水資源を時間的・空間的に調節していくことが有効であることを示した。第6章は、以上の要約である。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク