学位論文要旨



No 121753
著者(漢字) 西脇,淳子
著者(英字)
著者(カナ) ニシワキ,ジュンコ
標題(和) Partitioning Interwell Tracer Test を用いたNon Aqueous Phase Liquids 量推定に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 121753
報告番号 甲21753
学位授与日 2006.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3071号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 助教授 溝口,勝
 東京大学 助教授 西村,拓
内容要旨 要旨を表示する

 近年の産業発展に伴い世界中で,ガソリンや油,有機溶剤等の難水溶性物質(NAPL ; Non-Aqueous Phase Liquid)による地下水・土壌汚染問題が広範化し,早急な対策が必要となっている。汚染の浄化には,汚染領域,汚染量を正確に把握するための事前調査が必要となるが,調査手法の開発はほとんど行われていない。そのような背景を受け,米国でPartitioning Interwell Tracer Test(PITT)という地下に残留する NAPL量の推定手法が提案された(Jin et al., 1995)。PITTにおけるNAPL量の推定は,NAPLへ分配したトレーサーの遅延の解析というクロマトグラフィーの確立された原理を用いているため,その有効性に重点が置かれ現場へ適用されてきた。PITTではトレーサーのNAPLへの分配は平衡状態であると仮定されるが,流れのある場合,NAPLが不均質に存在する場合などで分配平衡が成立せずにPITTによるNAPL量の推定精度が著しく低下するという報告もある。

 そこで本研究では,NAPL汚染調査手法として有効とされるPITTについて,トレーサー物質の移動現象を解明し,その信頼性,適合性,および問題点を明らかにすることを目的とし,モデル実験,モデルによる解析を行った。モデル実験は2種類の要因に着目したカラム実験で,1)現場で不均質に存在するNAPL,2)トレーサー流速の違いが PITT におけるトレーサーの移動現象に与える影響を調べた。不均質に存在するNAPLとして土壌間隙中に連続して存在するNAPLの広がりに着目し,トリクロロエチレン(TCE)を吸収させた多孔質体(本研究ではNAPLナゲットと呼ぶ;写真1)を汚染物質として用い,その径を変化させた。また,実験結果を CXTFIT というプログラムで解析し,トレーサー移動に関し推察を深めた。さらに実験および解析結果を踏まえ,本研究で行ったPITTと既往の研究におけるNAPL量の推定精度を議論し,PITTの適用性を検討した。

 その結果,1)PITTにおいてはトレーサーの分配係数が大きいと破過曲線の分離が明瞭になるが,大きすぎると精度が低下することがあること,2)PITTが NAPLナゲット径の影響を大きく受けることを利用すれば,NAPLの地下での存在形態を推定できる可能性が大きいこと,3)PITT はトレーサー速度の遅い方が精度が高まる傾向があること,4)PITT中のトレーサー移動はMIM(Mobile-Immobile Water Model)の移動メカニズムで表現できること,さらに5)NAPLが連続して存在する場合には,不連続な小球体として存在する場合と比較して著しく精度が低下することが確認された。以降,モデル実験,解析,精度に関する議論について詳細を示す。

 まずNAPLナゲット径の影響に関する実験では2mm以下,2〜5mm,5〜15mmの3種類の径のNAPLナゲットを用いた。また,カラムは内径20mm,長さ130mmのPTFE製の円筒カラムで,内部は飽和帯を模擬し,豊浦砂とNAPLナゲットを充填した。その結果,NAPLナゲット径が5mm以下と5〜15mmの場合で破過曲線が異なる形状を示した。代表して非汚染実験であるControl,径が2〜5,および5〜15mmのNAPLナゲットを用いた実験結果をそれぞれ図1〜3に示す。縦軸は,トレーサーの観測濃度(C)を初期投入濃度(C0)で除した相対濃度(C/C0)の対数軸,横軸はポア・ボリュームである。◆がIPA,■が4M2P,▲が5M2Hのデータである。

 Controlではグラフの形状差はなく,NAPLナゲット径が5mm以下では非分配トレーサーに比べ分配トレーサーの濃度上昇時の傾きが緩やかでピーク時間差を生じ,5〜15mmではトレーサー間でピーク時間差はなかったが分配トレーサーの濃度減少時の傾きが非分配トレーサーに比べて非常に緩やかだった。とくに 5M2H の濃度減少が緩やかだった。各トレーサー間での濃度上昇時の傾きの違い,およびピーク時間差は,NAPLナゲットが小さな場合にはトレーサーとNAPL との接触面積が大きく,NAPLへのトレーサー分配が生じやすいために観測されたと考えられる。また分配トレーサーの濃度減少時の傾きが緩やかになる原因として,NAPLナゲット径が大きな場合には NAPL 内部での拡散移動距離が長くなり,内部での濃度勾配が一定になるまでの時間,および水相への再分配に必要な時間が増加したことが推察される。

 続くトレーサー流速に関する実験では,2種類の汚染物質を用いた。TCEと,実際には汚染物質ではないが模擬NAPLとしてペンタノールである。TCEに対する非分配トレーサーは IPA,分配トレーサーは4M2P,5M2H,ペンタノールに対する非分配トレーサーは臭化カリウム,分配トレーサーは酢酸である。供試土壌は豊浦砂である。ペンタノールを用いた実験は,著しく分配係数の小さなトレーサーの利用による影響を調べるために行った。カラムは TCE汚染実験では前述の PTFE製,ペンタノール汚染実験では内径30mm,長さ120mmのアクリル製である。TCE,またはペンタノールの原液をカラム上方から注入して土壌を汚染した。NAPL は土壌間隙中で連続した広がりは持たないと仮定する。実験はフラックスを変えて行った。その結果,TCE汚染実験ではフラックス0.020cm min(-1)以下と0.065cm min(-1) 以上の実験間で破過曲線の形状が異なった。代表して非汚染のControl,フラックス0.012,0.088cm min(-1)の結果をそれぞれ図4〜6に示す。縦軸はトレーサーの相対濃度(C/C0)の対数軸,横軸はポア・ボリューム,◆はIPA,■は4M2P,▲は5M2Hのデータである。Controlでは各トレーサー間で形状差はなく,汚染実験では分配トレーサーの濃度減少時に2段階の傾きが観測された。また,フラックスが 0.020cm min(-1)以下では非分配トレーサーに比べ分配トレーサーの濃度上昇時の傾きが緩やかでピーク時間差を生じ,0.065cm min(-1)以上では濃度減少時の途中までは各トレーサー間での形状差がなく,途中から分配トレーサーの傾きが変化して緩やかな濃度減少を示した。非分配トレーサーとの形状差は5M2Hで顕著だった。分配トレーサーの濃度減少時の2段階の傾きはトレーサーのNAPLへの分配により生じたこと,フラックスの違いによる破過曲線の形状差はトレーサーの水相での移流-分散とNAPLへの分配を反映したものと推測された。

 一方のペンタノール汚染実験ではControl,汚染実験ともに破過曲線の明白な形状差は観測されず,フラックスとの関係もなかった。これは,酢酸のペンタノールへの分配係数が著しく小さく分配による破過曲線の分離が pH やトレーサー濃度の違いで打ち消されたためと考えられる。

 またCXTFITによる解析では,Mobile-Immobile water Model(MIM)を用いて,NAPLナゲット径,トレーサー流速に関する実験結果を解析した。その結果,NAPLナゲット径の大きな場合の5M2HのデータはCXTFITによる予測値との適合が不良であった。この原因として,5M2HのTCEへの分配係数が大きく水相へのトレーサーの再分配に長時間を要したため,NAPL内に滞留した時間をMIMでは表せなかったことが考えられる。一方のトレーサー流速の影響に関する実験では,4M2P では無次元物質輸送係数,ω,を,5M2H ではωに加えて遅延係数,R,を適当な値にすることで,実測データと予測値との適合が良好になった。フラックス0.088cm min(-1)で行った実験の4M2P,5M2HのMIMによる解析結果をそれぞれ図7,8に示す。図7はωを,図8はRを適当な値にした結果である。ωの変化で分配トレーサーの濃度減少時の2段階の傾きを表現できたため,トレーサー移動は水相での移流-分散とNAPLへの分配により生じたと推測される。また,5M2HではRも関係することから,分配係数の大きなトレーサーはNAPL内へ分配した後の遅延が大きいことが考えられる。

 さらに本研究で行ったPITTのモデル実験に関して,NAPL量の推定精度を議論した。その結果,NAPLが連続して存在する場合には不連続な小球体として存在する場合と比較して著しく精度が低下すること,トレーサー流速が小さい場合に精度が良好なことが確認された。またPITTの適用性に関して,実際の現場でPITTを行う際には NAPL 量を過小評価する恐れがあることを考慮し,適切なトレーサーの選択と流速の設定が重要であると考えられる。

 本研究は現場で生じうるPITTの問題点に関して,モデル実験で分配現象を解明し,根本的な原因の把握から対策へ結びつけた点で,社会的に貢献できる有益な研究と考えられる。しかし,トレーサーの選択や流速の設定は検討できるが,現場で不均質に存在するNAPLの影響はPITTの実行者側が支配できる要因ではない。今後はNAPL量の推定が適切に行えない状況もありうることに注意し,NAPLの不均質な存在様式を決定する要因にも着目してNAPL量の推定における限界を提示していくことが,安全で安心な生活につながると考えられる。また,日本では土壌への物質の投与が厳しく制限されるためにPITTの実行可能性は未定である。しかし,非破壊で広範囲のNAPL調査が行えるPITTの有効性は高く,今後は食品や食品添加物,天然に存在する微生物などをトレーサーとして利用するための研究も必要と考えられる。

写真1 NAPLナゲット

図1 Controlの結果

図2 2〜5mm径での結果

図3 5〜15mm径での結果

図4 Controlの結果

図5 0.012cm min(-1)の結果

図6 0.088cm min(-1)の結果

図7 4M2Pのωの変化例

図8 5M2HのRの変化例

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ガソリンや油,有機溶剤等の難水溶性溶液(NAPL;Non-Aqueous Phase Liquids)による地下水・土壌汚染問題に関して、汚染領域と汚染量の正確な把握に有効とされるPartitioning Interwell Tracer Test (PITT)手法の推定精度、有効性、および問題点を、実験的に検討したものである。PITT手法におけるNAPL量推定には、クロマトグラフィーの原理、すなわち、NAPLへの分配トレーサーのブレークスルーカーブが、非分配トレーサーのブレークスルーカーブから遅延を起こす現象の解析原理を用いている。

 第1章では、研究の背景を述べ、既往の研究のレビューを行い、研究の目的を設定した。すなわち、PITT ではトレーサーのNAPLへの分配は平衡状態であると仮定されるが、この仮定が現場では必ずしも成立しない恐れがあるので、(1)NAPLが不均一に分布することの影響評価、および、(2)トレーサーの移動速度による影響評価、が重要であるとの課題を設定した。

 第2章では、本研究で用いる各種トレーサーの選択、それらトレーサーのNAPLおよび土壌への分配係数を、文献値に頼らず、直接バッチ試験で求めたことを記述した。まず、汚染物質であるNAPLとしてトリクロロエチレン(TCE)を用い、非分配トレーサーはイソプロピルアルコール(IPA)、分配トレーサーは4メチル2ペンタノール(4M2P)および5メチル2ヘキサノール(5M2H)を選び、土壌としては豊浦砂および立川ロームを選択した。バッチ試験の結果、IPAのTCEへの分配はほとんど0、4M2Pと5M2HのTCE-水分配係数はそれぞれ6.51、27.51であることを確認した。

 第3章では、NAPLが不均一に分布することの影響評価のため、NAPLがいろいろな塊サイズで不均一分布している状況を作成し、PITT手法の適用性を検討した。そのために、2mm以下、2〜5mm、5〜15mmという3種類のサイズのカオリナイト多孔質体の塊を準備し、これをナゲットと呼ぶことにした。すなわち、これらカオリナイト多孔質ナゲットにNAPLであるTCEを飽和させ、これを豊浦砂を充填したカラム内に適宜埋め込んで、NAPLの不均一分布状態をモデル的に再現した。その結果、ナゲットサイズが小さいとき(5mm以下)、分配トレーサーと非分配トレーサーのブレークスルーカーブの分離(遅延)が明瞭となり、PITT法が有効に適用できること、ナゲットサイズが大きくなると、その分離(遅延)は不明瞭となることが示された。なお、ピークの分離(遅延)だけでなく、そのカーブの減衰勾配が、トレーサーの分配と非分配を区別する重要な指標であることを示唆した。

 第4章では、トレーサーの移動速度による影響評価のため、分配トレーサーと非分配トレーサーの流量を変え、PITT法の有効性との関連を調べた。NAPLとしては、TCEとペンタノールを用い、TCEに対する非分配トレーサーはIPA、分配トレーサーは4M2Pと5M2H、ペンタノールに対する非分配トレーサーは臭化カリウム(KBr)、分配トレーサーは酢酸とした。供試土壌は豊浦砂であり、NAPLはカラム内に均一に存在するように設定した。実験の結果、トレーサー速度が小さいほうがブレークスルーカーブの分離(遅延)が明瞭となり、したがって、PITT法の適用性が高いこと、トレーサー速度が大きいと、ブレークスルーカーブの分離(遅延)は明瞭でなくなることが示され、現地へのPITTの適用に当ってもトレーサー移動速度を小さくとる必要があることが示唆された。なお、この実験で、分配係数の小さいトレーサーを用いることは適切ではないことも指摘された。

 第5章では、移流分散方程式(CDE)とtwo-regionのMobile-Immobile water Model (MIM)を用いて、トレーサーの移動および分配現象を解析した。解析ソフトには公開されているCXTFITを用いた。第3章、第4章のモデル実験結果では、トレーサー物質のブレークスルーカーブの遅延(分離)と共に、カーブの上昇勾配、下降勾配において様々な特性が現れたので、その原因を解明するために、上記モデルのパラメータを逆解析した。その結果、無次元物質輸送係数と遅延係数を適切に選ぶことで、実験的に得られたブレークスルーカーブを精度良く再現できることを確かめた。以上より、分配トレーサーがNAPL内へ分配される際の移流分散移動現象を正しく捉えることの重要性を指摘した。

 第6章では、実験結果と理論解析を総合し、NAPLが不均一に存在する場合に精度が低下すること、流速が小さい場合に精度が良好なこと、5M2Hより4M2Pを分配トレーサーとした方が精度は良いことを確認した。続く第7章では、結論を述べた。

 以上要するに、本研究は、PITTという新しい手法の信頼性と問題点を、精密な室内実験と最新の解析手法を用いて明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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