学位論文要旨



No 121756
著者(漢字) 安田,結子
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,ユウコ
標題(和) 19世紀半ばパリの田園郊外に関する研究 : ヴェジネにおける住宅地開発を通して
標題(洋)
報告番号 121756
報告番号 甲21756
学位授与日 2006.09.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6329号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

 ヴェジネというコロニーは、19世紀半ばの新興の中流ブルジョワ層が、パリ郊外に社会上昇の証としてだけでなく、アイデンティティーの表出として自由に勝ち取った場所であった。とはいえ、他の住宅地と大きく異なるのは、450ヘクタールにも及ぶ広大な英国風景式の公園内に計画されたということである。公園には住民以外の人々がパリから訪れる場所であり、緑地は彼等のためにも開放されており、非常に開かれた住宅地であった。さらに住宅は「囲い」を目立たなくするように規制することで、風景に溶け込むような配慮がされ、人の目を気にするプライバシーよりも景観が優先された計画だったことがわかる。これは当時の別荘滞在の目的が社交生活のためであったことを鑑みれば、不自然なことではない。

 また研究の結果、住宅地の開発が緑地である「プルーズ」を中心とした第1期と、その後の「リゾート開発」の第2期に区分されることが明らかにされた。第1期においては、ヴェジネの住宅地が「プルーズ」を中心に区画していったことがわかる。「プルーズ」沿いの住宅地は値段の上でも高かった。これは外から見た家の景観だけでなく、住宅内部からの窓から見える景観も重視されていたことがわかる。

 このような公園計画を実際に考えたパリュ伯爵の功績は大きく、パリュのヴェジネにおける業績は、フランスにおけるペイザジスト(景観設計者)という職能が確立した重要な例であるといえる。

 他方、初期の開発者である産業資本家であるアルフォンス・パリュは、表向きには、あくまで健康的で良好な環境をアピールして、なるべく多くの住宅地を分譲しようとしたが、彼の思想の背景には、当時の産業資本家にみられる社会主義的理想があった。彼はヴェジネの住民を一部の特権階級に限定せず、ローン制度を導入して、住宅を購入しやすくし、また「学校都市のプロジェクト(未完)」を構想するなど、産業の繁栄のための人材育成という側面もヴェジネに託していたのである。

 当時の第二帝政を率いるナポレオン三世も、パリ市内では労働者住宅建設に熱心にとりくんだが、ヴェジネにおいてはリハビリ期の労働者のための施設である「施療院」を建設し、労働者の活力を高めるというサン=シモン主義の理想を実現する場所をこのブルジョワ住宅地に建設した。

 ヴェジネは同時期のファランステールなどの、産業資本家による労働者のためだけの協同型住宅地ではなく、ブルジョワと労働者双方を一緒に取り込んだ町づくりがなされていた。ヴェジネ実現の契機には第二帝政下の社会主義ユートピア(サン=シモン主義)思想の影響が大きかったという証であり、近代の郊外住宅地が鉄道沿線で発展したという過程は、イギリスと共通する側面があるが、この点では大きく異なる。

 別荘住宅の建設もヴェジネの施主のファンタジーをかきたて、様々な様式の住宅が建設されたが、住宅の内部空間の計画は近代化と当時の家族重視の姿勢を反映したものになっていた。豪華さをアピールするための意匠以外に、コテッジやシャレ建築など簡素なデザインを志向する傾向があったのもこの時期の特徴である。

 日本の郊外住宅地の多くはハワードの「田園都市論」を参考にしたといわれているが、開発手法においてはヴェジネと類似するところが多い。例えばロン・ポワンから放射線に延びる軸線道路の計画は田園調布等と類似し、またイメージづくりの戦略として、鉄道会社と協同で、「緑や美味しい空気や水」を強調し、ポスターやパンフレットをつくって宣伝したことも阪急電鉄の手法と類似する。ヴェジネでは住宅地に競馬場、ハイドロテラピー施設、カジノなどのリゾート施設を建設したが、日本でも多摩川園や宝塚では遊園地がつくられた。対してアングロサクソン型の郊外住宅地には、このようなリゾート施設の混在はあまりみられない。日本の郊外住宅地として今後、ヴェジネのような「田園郊外」も視野に入れていくことも大切であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はパリ西部郊外に19世紀半ばに誕生した「ヴェジネ」という郊外住宅地の開発の分析を通して、この時期のフランスにおける「田園郊外」の形成過程を実証的に明らかにしている。

 都市の近代化の過程においては郊外の形成が欠かせない要素であるが、フランスにおいても首都パリの近代化に伴う都市域の拡大と新しい郊外の創出という現象は例外ではない。フランスにおける郊外研究は80年代以降急速に進んだが、当初の郊外研究は主に社会学的観点から高所得者が住む市内に対して労働者が住む郊外の研究がされた。また建築学的にもこのような住み分けの図式に該当する、パリのオスマン型集合住宅の研究や労働者用の社会住宅の研究が多かった。フランスにおいても近時ようやく第二帝政の再評価が始まり、多分野にわたり客観的な検証を試みる研究がされるようになった。この中で本論文は新たにパリ郊外の保養地、別荘地開発の系譜を明らかにし、その中で具体的にパリ近郊の公園型の別荘地ヴェジネの開発過程、開発手法、開発理念を一次資料である地図、当時のパンフレット、宣伝資料等をもとに確認しながら実証的に示したものである。

 良質な住宅地として21世紀の現在まで存続している住宅地の系譜を考える上でその代表的な存在であるヴェジネは興味深い研究素材である。これまでヴェジネはフランスの田園都市の最も素晴らしい例として紹介され、またそれを誇る記述が既往の文献で少なからず見受けられるにもかかわらず、具体的な開発については地図資料を利用した実証的な研究が少なかった。現在でも良好な住宅地として残っているヴェジネを19世紀半ばのブルジョワのパリ近郊の別荘分譲地開発の系譜に遡り分析することにより、都心の住宅地へのアンチテーゼとして、新鮮な空気と、豊かな緑地空間(庭園や公園や植栽)を供給できる場として郊外が位置づけられると万国共通のテーマが浮かび上がってくる。本論文の序論においては、フランスでは19世紀の初頭に革新的な市街地整備の手法が採用されるようになり、「クール」、「シテ」、「ヴィラ」、「アモー」、「パルク」、「ヌーボー・ヴィラージュ」「コロニー」という名の類型の新しい住宅地としての形成過程が明らかにされている。パリの周縁に開発されたこれらの住宅地は、居住する富裕層にとっての住環境、土地価格維持のため、当初囲いが設けられ、外界とは分離した空間であった。しばしば「ヴィラ」、「アモー」、「パルク」、「ヌーボー・ヴィラージュ」と名づけられたこれらの住宅地内には、風景式庭園には樹木や広大な芝地、噴水などが設けられ、この中に戸建て住宅が点在した。このような住宅地をフィリップ・グレッセは「ロティスモン・パルク(公園分譲地)」という新しい住宅地の概念の1つとして捉えたが、「ロティスモン・パルク(公園分譲地)」は、《家屋を公園の中に点在させて都市を自然に溶け込ませる》という考え方を実現している点で、19世紀初頭のイギリスの「パーク・エステイト」と発想を同じくすると本論文では結論づけている。

 本論文の中で、「ロティスモン・パルク(公園分譲地)」では、緑地空間の維持管理と、個々の敷地の囲いについての規約が「カイエ・デ・シャルジュ」それぞれの分譲地で策定されていることが示されている。ヴェジネも含めこの言わば私的な契約であるカイエ・デ・シャルが開発理念を具現化するために極めて重要であったことが本論文から読みとれる。パリ近郊の「公(庭)園分譲地」は鉄道によってアクセスが可能になった遠くの郊外にも建設されるようになった。鉄道郊外での「公園分譲地」は、「コロニー」と命名され、その例としては前記の「メゾン・ラフィット」(1834年)、第二帝政時にはさらに、「ル・ランシー」(1855年)、「ヴェジネ」(1858年)、シャトゥーの「パルク・ドゥ・シャトゥー」(1862年)、「ル・ヌーボー・ヴィラージュ・ド・ラ・ガレンヌ」など数多くの「公園分譲地」が後に続く。

 「ヴェジネ」では王室の狩猟場であった森を開発し、「ブローニュの森」を参考にした450ヘクタール(日比谷公園の約28倍)におよぶ広大な英国風形式庭園を造り、その中に住宅地を開発した。公園緑地をどのように考えて住宅地開発に生かしていったか、またそこに建設された住宅はどのようなものであるかが紹介されている。またそれらが、第二帝政という時代背景との関りの中で捉えられ、他の公園分譲地と異なる開かれた公園住宅地という新しい概念で開発された経緯が明らかになっている。

 従来、19世紀半ばのフランスの別荘建築は研究対象として注目されていなかったこともあり、ヴェジネでの例が明らかになったことにより、今後イギリスのドメスティック・リバイバルとの関係も明らかになっていくことが期待される。特に注目に値するのは、当時の住宅雑誌の記事を多数検証し、ブルジョワの嗜好が貴族を模倣した豪華な外観からコテッジやシャレといった簡素な建築に移行し、また内部空間は別個の原理が働き、家族空間の象徴である「暖炉」や「サラマンジェ」が重視され、また近代的な設備の導入、特に水まわり設備の充実化が、次第に発展していったことが明らかにされたことである。

 本論文は、単独の開発事例の実証研究ではあるが、ヴェジネ誕生の経緯は他のフランスの公園分譲地との歴史的に参照し、深く分析されており、ヴェジネの優れた開発理念がフランスにとどまらずさまざまな点で郊外住宅開発に示唆を与えてる点で非常に興味深い。

 したがって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク