学位論文要旨



No 121761
著者(漢字) 常盤,智子
著者(英字)
著者(カナ) トキワ,トモコ
標題(和) 英学会話書による近代語研究
標題(洋)
報告番号 121761
報告番号 甲21761
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第550号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,泰
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 月本,雅幸
 東京大学 助教授 肥爪,周二
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、第1章 ローマ字資料であることを利用した研究、第2章 版の違いを利用した研究、第3章 同時期の国内資料との比較研究、第4章 資料研究、という四つの観点から、英学会話書の研究の可能性を探った。

 第1章ではローマ字表記の利点に注目し、表記・音韻の問題を扱った。

 1-1では、E.M.サトウ著『会話篇』の音節「エ」の表記に五種類(e、e、e、ye、ye)の書き分けがあることに注目し、その表記調査からシラブルを単位とした分析を行った。その分布から、補助記号は[e]と[je]の区別とは無関係なもので、日本語の「エ」を正しく再現させるための表記上の工夫であることが判明した。「y」の有無については、同時期の音声と表記との対応を調査するために、音声学者E.R.エドワーズによる音声資料(音声記号で表記された資料)を比較資料として用い、『会話篇』の「ye」が[je]を反映している可能性を指摘した。

 1-2では、1-1で得られた結果の妥当性を検討すべく、サトウ著『会話篇』の初刷本、再刷本、サトウの『会話篇』以外の著作にみられる表記を調査・検討した。そこから、サトウ個人としても、著作の刊行年に伴って表記方針が変化していくことが読み取れた。その変化は「e」中心から「ye」「we」へというもので、表記が音声と乖離していく過程がみられた。

 1-3では、この問題をさらに深く掘り下げて、ローマ字遣いの信憑性の問題をとりあげた。同時期の、他の日本語研究者のローマ字表記、それらを裏付ける当時の新聞や書簡・研究機関誌での論争を調査し、当時の研究者の「e」と「ye」の表記に、「e」→「ye」という変化と「ye」→「e」という変化の相反するパターンがみられる事実と、その背景をみた。この二つの相反する現象の解釈から、「エ」の音声が、すでに、表記と乖離していたことを推定した。また、同時期の様々な音声資料・記述の調査を加え、当時の音価の問題に言及した。

 本章では、これらのことから、「当時の「エ」が音韻としては、一つで、その音声は[e]を中心としたものであった。音環境などによっては[je]もあらわれる」という結論をまとめた。資料の内的な状況をふまえつつ、著作者の事情という資料の外的な要因もまた、一つの状況証拠となりうることを示した。著作者の背景となる資料の豊富さという、近代語研究における利点を活用した。

 第2章では、版の違いを利用して、書誌研究を前提とした用語や語法の比較を試みた。

 2-1では、英学会話書の嚆矢といわれるJ.リギンズ著『英和日用句集』の書誌研究を行い、資料の外的な関連性と資料の内的な関連性への検討を通じて、唐話資料『南山俗語考』が『英和日用句集』の底本となっていたことを推定した。検討の方法としては、例文の一致度を数値で把握することを試みた。これらの検討により、英学資料と唐話資料との接点が実証され、英学会話書の比較資料としての『南山俗語考』の価値が示された。また、やや混乱のあった『英和日用句集』諸版の再整理を行った。

 2-2では、2-1を根拠として、用語研究として、人称代名詞の問題を考え、比較資料に『南山俗語考』と『英和日用句集』初版、同三版を用い、一人称・二人称代名詞の幕末から明治におけるうつり変わりを比較検討した。同じ英文であるという保証の下、訳文の比較を行った。

 2-3では、『英和通弁手引草』という国内で出版された英学会話書が『英和日用句集』と関わりが深い資料であることを実証し、その用語・語法の特徴を比較した。まず、資料の内的な関連性を確認した上で、その例文の性格を考察した。近代語の先行研究の成果を参照しつつ、語彙の異同、命令表現、質問表現、人称代名詞の出現頻度という、四つの異なる観点から、『英和通弁手引草』の日本語が『英和日用句集』と比較して、なぜ整った印象をうけるのかということを検討した。その結果、整った印象は、待遇段階の高さと、文型の固定化という観点から説明できると考えた。『英和通弁手引草』の日本語はその両者が『英和日用句集』に比べて高い割合でみられた。しかし、その反面、口語としては、かえって不適切な面もみられた。今後外国語学習という側面から、再検討していきたい。

 本章での検討により、『英和日用句集』に、比較的長い期間において、様々な同系統の資料があり、唐話資料とも日本人による英学会話書とも関連があることが明らかになった。また、資料間の関連性と内容の一致を根拠に、異版や関連資料における言語現象を比較・検討していくことは、非常に有効な手段となることを確認した。多種多様な資料群の中から、資料の関連づけを行う試みと活用方法を示した。

 第3章では国内資料との比較を行い、英学資料と国内資料の異なりがどのような実態であるのかをみた。

 当時の国内口語資料のひとつである三遊亭円朝演述『恠談牡丹燈籠』と、B.H.チェンバレン著『日本口語便覧』「実践編」所収、ローマ字書きの『BOTAN DORO』(第一回と第二回)との異同を記述し、そこにみられる口語の具体相を記述した。チェンバレンの記述によると、後者は前者を「more genuinely Colloquial」に改編したものとされるものである。その結果、全体にわたって、多岐にわたる多数の異同がみられた。全体を通して、個別の事例を検討の後、難解→平易、重複→削除、漠然→限定、個別→汎用といったことで説明できるいくつかの共通の傾向を確認した。それらは、いずれも、最小限の語によって、誤解を最大限減らす、という背景をもった傾向なのではないかと考えた。

 本章の検討は、口語とはなにか、ということを考える上や、当時の言文一致という背景を考える上でも、様々な問題を示唆していると思われる。

 第4章ではイギリスの図書館において探索した資料を提示した。いずれも、E.M.サトウ著『会話篇』の書誌研究の成果を示した。

 4-1では、まず、ロンドン大学SOAS図書館蔵本における『会話篇』への書き込みが、著者本人のもので、『会話篇』の初刷本から再刷本への契機となる資料であることを、書き込みの内容や書き込みの方法、という観点から指摘した。このことによって、書き込みという一回的なものを書誌研究へ活用した事例を示した。

 4-2では、ケンブリッジ大学図書館アストンコレクションにおける、サトウ自筆資料「日本語会話練習帖」を紹介した。この資料が目録の裏紙になって綴じ込まれている資料であったことや、同様の資料が小さく切られて樟脳の包み紙になっていたものもあったことからもわかるように、これらは通常は捨てられてしまう資料である。そのような資料が保存されていたことは、大変貴重である。内容の面からみても、『会話篇』成立との関連を考える上や、当時の学習実態を知る上で、誠に興味深い資料であるといえる(同図書館に存在するノート類も今後の研究課題となる)。節末に常盤による翻字を掲載した。

 また、資料年代の推定に、例文の修正方法・修正内容や資料内の語彙の利用を試みた。

 諸問題に対して、できる限り、資料の書誌研究を重視し、内的な実証と外的な根拠を求めた。これは、序でみたように、まず、現状の問題点として、正しい資料批判が課題となっていると考えたからである。もちろん、先行研究の上に、現段階での研究が可能になっていることはいうまでもないが、十分な資料批判のないままに、研究を進めることは非常に危険であると考える。本論文では、これらの作業を通じ、通説にも混乱があることを確認し、それらを正しく位置づけた(2-1)。加えて、通説の根拠を補強した(1)(2-3)(4-1)(4-2)。

 また個々の問題に対して、徐々に視点を拡大する手順で検討を行った。出発点となった個々の問題は、微視的な問題であるが、同時にそれらが、英学会話書、近代語、日本語史へと繋がっているという巨視的な視点を念頭におくことを意識した(1-1→1-2→1-3)(2-1→2-2、2-1→2-3)。しかし、その反面、調査資料を限定せざるを得ず、検討には不十分な点を残した。

 今後の課題として、実見の及ばなかった資料を補い、英学会話書が近代語研究、日本語史の中でどのように位置づけられるのかについて、研究を進めていくことを述べた。特に国内における資料の空白期の前後、明治初年を中心とした英学会話書と明治17年以降の英学会話書との質的な異なりを明らかにし、それが明治後期へどのようにつながっていくのかを明らかにしていく必要を述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、幕末明治初期の英学会話書の成立とその日本語について、ローマ字表記(第1章)、原拠の確定と版の違い(第2章)、同時期の国内資料との比較(第3章)、新発掘資料(第4章)、という四つの観点から探ったものである。

 第1章では、E.M.サトウ著『会話篇』の「エ」のローマ字表記に五種類(e、e、e、ye、ye)の書き分けがあることに注目し、その分布から補助記号は、日本語の「エ」を正しく再現させるための表記上の工夫であることを明らかにする一方、「ye」は[je]を反映するものと推定している。さらに、『会話篇』の再刷本、およびサトウの他の著作に見られる「エ」の表記を調査・検討し、サトウ個人においても、著作の刊行年に伴って表記方針が変化していく様を跡づけることに成功している。また、英学会話書・辞書のローマ字表記や、ローマ字表記についての論争、音声資料などを参考に、当時におけるローマ字遣いにおいて、表記と音声の乖離する場合があったことを確認している。

 第2章は、書誌的研究と版の違いを利用して、英学会話書の成立の背景と、その発展の中での日本語の変化の姿を明らかにしたものである。具体的には、まず英学会話書の嚆矢といわれる『英和日用句集』が唐話資料『南山俗語考』をもとにしていたことを明らかにし、書誌的事実を確定している。そして、『英和日用句集』諸版の再整理を行い、混乱を整理し、研究の基盤を確固たるものにしている。その成果を用いて、一人称・二人称代名詞の幕末から明治における変化の一側面を同書の版の変遷のなかに見出すことに成功している。さらに、英学会話書『英和通弁手引草』が『英和日用句集』と関わりが深い資料であることを実証し、その日本語の『英和日用句集』からの変異を明らかにしている。

 第3章は、英学資料と国内資料の異なりを検証したもので、三遊亭円朝述『恠談牡丹燈籠』と、B.H.チェンバレン著『日本口語便覧』所収のローマ字書きの『BOTAN DORO』との異同を示し、そこにみられる口語の具体相を記述している。

 第4章では、ロンドン大学所蔵の『会話篇』への書き込みが、刷を改める際の契機となった資料であることをつきとめている。またケンブリッジ大学所蔵のサトウ自筆資料「日本語練習帖」を、目録の裏紙として綴じ込まれているという閲覧の困難をのりこえ翻字し、『会話篇』成立の過程に深く関わる資料であることを明らかにしている。

 『英和日用句集』が『南山俗語考』をもとにしていることを確定したことは、英学会話書を近代日本語資料として位置づける上で重要な発見である。また、英国の図書館において新資料を発掘したことも英学会話書の成立・変遷の研究、および今後の洋学資料研究に大きな影響を与えるものである。

 ただ、ときに形式上の不統一が見られる点、および第1章におけるサトウの「エ」の書き分けの問題を、英語の綴り字と発音の関係を重点に分析していればより説得力のある論になったと思われる点が惜しまれるところである。

 しかし、資料の書誌的研究を重視し、内的な実証と外的な根拠を博捜するなかで、英学会話書の日本語を見つめ直そうとする態度は評価でき、それによって、通説の混乱を正した功績はおおきい。以上より、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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