学位論文要旨



No 121762
著者(漢字) 新井,重行
著者(英字)
著者(カナ) アライ,シゲユキ
標題(和) 日本古代の力役編成と地方社会の研究
標題(洋)
報告番号 121762
報告番号 甲21762
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第551号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 助教授 大津,透
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 岸本,美緒
 史料編纂所 教授 石上,英一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、古代日本の支配構造を、雑徭制と古代の地方社会における力役編成の検討を通じて明らかにすることを課題とする。

 律令国家は、調庸など物納による税と力役とによって支えられていた。力役のうち、国司によって徴発され、地方において使役されると説明される雑徭は、日本令においては全ての課丁が等しく負担するものとして運用された。それゆえに地方社会における力役編成の実態について考察することは、律令国家による支配の浸透度を如実に映し出すものであると考える。

 雑徭制については、すでに吉田孝氏による詳細な考察があり、ミユキの供給役を起源とすること、天平期を通じてその性格が大きく変化することなど、重要な指摘がなされているものの、母法となった唐制とはその性格が大きく異なることに加え、地方社会におけるその運用の実態については未だ不明な点が多く、検討すべき点は多く残っていると言える。

 また、近年の出土文字資料の増加によって、地方官衙における税の収取やその帳簿管理について、かなり具体的に復元することが可能になっている状況もあり、このような新たな知見をもとに従来の説を再検討することも、意味のある作業であると考える。

 本論文では、以上の問題関心から、特に地方社会における国務・郡務のあり方を復元し、雑徭制の展開課程の中に意義付けるとともに、そのような事務処理を可能にした文化的背景などについても検討することを課題とする。

 第一部「地方社会における力役編成」では、諸史料から窺われる地方社会における力役編成と、その前提となっている社会構造について描き出すことを課題とする。検討に当たり出土文字資料を積極的に用い、文書等の史料と比較することで、具体的に社会構造を復元することに留意した。

 第一章では、前提となる作業として雑徭制についての通説の整理を行い、本論文の関心に基づいて、いくつかの指摘を行った。その結果、雑徭の展開過程については、以下のように理解できると考える。

 中央政府に対する供給役として成立した雑徭は、大宝令成立前後では雑色人の雑多な上番役をすべて含む概念であったと考えられる。その後、国司による地方支配が浸透するにつれて、郡司ら在地首長を通じて徴発が可能になった役も雑徭に付加されてゆき、雑徭とは国司が地方社会において徴発する役であるという理解が浸透した。九世紀初頭になると、国司が把握する雑徭徴発の内訳を中央へ報告する徭帳の京進制が整備されたが、のちに課丁の把握が難しい状況になると、中央政府に直接関わる役と地方社会における役(国料)とが区別され、前者を優先的に確保することが求められるようになり、国料は完全に国司の裁量に任されるようになった。

 第二章では、第一章において大宝令成立ののち次第に雑徭に付加されると考えた地方社会における力役そのものに焦点をあて、出土文字資料を主たる素材として、郡以下のレベルでの徴税のあり方と、それを担った郡雑任について、起源と性格を明らかにすることを試みた。

 郡雑任の性格としては、おもに官衙に上番し帳簿による管理を行う「管理型雑任」と居住地において税のとりまとめを行う「集約型雑任」とに分類が可能であり、後者の活動基盤となる共同体は数戸から十数戸からなり、のちの郡や郷とは直接的な関係を持たないものであったと思われること、また「管理型」「集約型」の両者はもとはこれらの共同体の統括者であり、同じ階層の有勢者と見られるが、律令の施行により帳簿作成の必要が増加したことをきっかけに帳簿作成に専従する「管理型」が発生し、分化したと考えられることなどの点を指摘した。なお「管理型」はその職務から国司・郡司との関係が深く、そのために地位の上昇を果たし、郡領層を形成したと考えられる。

 また、郡雑任の基本史料である弘仁十三年官符の性格についての検討を行い、この史料は国司の立場から国務遂行のために必要とされた雑任が列挙されているものであること、その結果、この官符には「集約型雑任」が表れないことに注意を払うべきことなどについて述べた。

 第三章では、八世紀の東大寺領荘園、及び荘所遺跡とされる上荒屋遺跡出土木簡に注目し、郡内には複数の郡領層がおり、各々が活動の背景となる共同体を統轄していること、従って郡領による支配は一郡内に均質に及ぶものとは考えにくいことなどを指摘した。

 これら複数の共同体は、利害をめぐって対立することもあり、従って郡司を通じて行われる雑徭徴発についても、かなりの地域差が存在したことが予想される。国司は新たな墾田の開発などの事業ごとに、その遂行のために有利な有勢者を専当郡司に任用することなどがあったと思われ、これが八世紀における郡領の頻繁な交替の一因と考えられよう。

 補論においては、国司による浮浪人の把握法とその労働徴発の検討を行い、浮浪人は国司にとって把握しやすい存在であり、労働徴発に優先的に充てられることがあり得たであろうと述べ、前章における推定を補強することを試みた。

 第二部「文字文化と下級官人」では、第一部で検討したような国務・郡務を支えた下級官人と文書行政との関わりを考察した。

 第一章では、習書・落書についての研究史を整理し、文字の習得と書体の習得の違いについて十分に注意が払われてこなかったことを指摘した。また、古代の習書の資料は、そのほとんどが書体の習得を目指したものであり、その背景として、統一された書体で上申文書を作成することが強く求められた状況があったことを推定した。

 第二章では第一章を承け、また第一部での検討に関連して、下級官人の事務処理能力という視点から、東大寺写経所において、かなり高度な帳簿の操作が行われていたことを確認した。大帳や正税帳などを作成する地方の官人についても、このような事務処理能力を有することを前提としてよいと思われる。

 第三部「「東大寺開田図」の史料学的考察」では、正倉院に伝存する、奈良時代の東大寺領荘園を描いた「東大寺開田図」を検討の対象とし、その史料学的な考察を行った。開田図のなかには、越前・越中の東大寺領荘園の様相を絵画的に表現したものがあり、これまでにも荘園の比定地や荘園内の社会構成等を検討する史料として用いられてきたが、これを史料群として捉え、文書としての機能について一般化するという視角からの検討は不十分であったと考える。今後議論が一層深まることを期待したい。

 第一章では、その描画の特徴などが文書としての機能の違いを反映したものであることを推定した。また、同年作成の布図と紙図があるものについて両者の詳細な検討を行い、その関係が正文と原寸大の下書きと考えられることを述べた。

 第二章では、開田図の明治以降の整理過程について調査し、明治末年に御物整理掛によって図の修補が行われていることを明らかにした。また、開田図の模写が存在することはこれまでにも知られていたが、史料としての性格付けが十分でなく、開田図の解読に活用されることは少なかった。ところがこれらの模写は明治の修補以前の姿を描いたものであり、現状からは知ることのできない情報を多く含んでいることを指摘した。また模写の系統図を作成し、その史料的性格を明らかにした。

 第三章では、第二章を承けて「東大寺山堺四至図」の模写についての検討を行い、実大模写と縮図のそれぞれについての調査を行い、その結果をもとに系統図を作成した。「東大寺山堺四至図」の模写についても、従来から存在が知られていたにも関わらず、作成時期や系統などについて検討されたことはなかった。第二章・第三章における検討は、これらの模写の利用価値を定めるための基礎作業と意義付けることができよう。

 本論文では、上記の三部の構成をとり、各々異なる視点・素材を用いて、雑徭制と地方社会での徴税における力役編成の検討を軸にその社会構造の復元を行い、併せて地方社会を検討する史料となる「東大寺開田図」の基礎的な考察を行った。

審査要旨 要旨を表示する

 新井重行氏の論文『日本古代の力役編成と地方社会の研究』は、国司による地方的力役の編成と地方社会との関係、とくに郡務の実務を担った在地有勢者のあり方に注目しながら、8〜9世紀の日本古代における地方社会の多極的構造について、新しい出土文字資料などを用いて論点を加えた研究成果である。

 第一部「地方社会における力役編成」では、大宝令で雑色人の多様な上番役もふくんだ雑徭が、国司が地方社会で徴発する役とされていく展開を跡づけるとともに、郡司のもとで雑徭が充てられた郡雑任の実態を、出土文字資料などから検討する。数戸〜十数戸の共同体を統括する有勢者が、官衙で帳簿事務を行う「管理型」と在地で徴税にあたる「集約型」の郡雑任に分かれ、そのうち前者が地位上昇して郡司層を形成したとする。そして、地方豪族である郡司が郡内を一元的に把握したとする在地社会像を批判し、郡内に多数の「郡司層」が共存する多極的構造であったことを強調する。

 第二部「文字文化と下級官人」では、下級官人による習書・落書の目的を書体の習得にあったと指摘し、また東大寺写経所において、写経を行う経師が同時に案主として同じ空間で帳簿作成を行っていたという、下級官人の事務処理の様相を明らかにする。

 第三部「『東大寺開田図』の史料学的考察」では、正倉院などに残る東大寺の荘園絵図を調査・検討し、布本が正本で紙本が下書きであったと推定するほか、江戸〜明治の模写本が絵図補修以前の情報を留めていることを指摘するなど、地方社会に関する史料の基礎的研究を進める。

 「力役編成と地方社会」のテーマについては、さらに幅広い史料的検討や一貫した論及が望まれるものの、新しい出土文字資料の検討によって郡司のもとで郡務にあたる郡雑任の具体的な存在形態を明らかにし、郡司を一元的支配者ではなく「郡司層」としてとらえる地方社会像を提起した点で、本論文は、今後の研究に益する研究成果といえよう。

 よって、本論文は博士(文学)の学位を授与するのにふさわしい論文であると判断する。

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