学位論文要旨



No 121763
著者(漢字) 大山,潔
著者(英字)
著者(カナ) オオヤマ,キヨ
標題(和) 元代詩法叢書の研究 : 『詩法源流』、『木天禁語』、『詩家一指』を中心に
標題(洋)
報告番号 121763
報告番号 甲21763
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第552号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 戸倉,英美
 東京大学 教授 銭,志熙
 東京大学 助教授 大西,克也
 東京大学 助教授 斎藤,希史
 お茶の水女子大学 助教授 和田,英信
内容要旨 要旨を表示する

 本論は元代詩法叢書の本来の姿を探り、中国詩論史における位置づけを再検討する試みである。「詩法」とは、句法・篇法など具体的な詩の作法と、詩の理論や歴史に関する議論とを合わせて呼ぶ用語で、元明には「詩法」「詩法源流」など詩法と名乗る書が数多く出版された。「叢書」は現在一般に種々の書物を一つにまとめたものの意で用いられ、四部叢刊、四庫全書などがその例とされる。しかし、唐の陸龜蒙は歌・詩・頌・賦・銘・記・傳・序など様々な文章が、分類や順序にこだわらず収録されている書物を叢書と呼んでいる。1詩法叢書とは、この意に倣い、同じく詩を論じつつも、作者、主題、體例の様々に異なる文章を一書に収録したものをいう。なお、中国ではこのような書に対し「詩法彙編」という語が用いられている。

1 文淵閣『四庫全書』(電子版、上海人民出版社・迪志文化出版有限公司、1999年?<東京大学OPACのママ>。以下『四庫全書』本と略称する)の唐の陸龜蒙撰『甫里集』巻十六、「叢書者、叢〓之書也。叢〓猶細碎也、細而不遺大、可知其所容矣。...歌・詩・頌・賦・銘・記・傳・序、往往雜發、不類不次、混而載之、得稱為『叢書』。」

 元代の詩法及び詩法叢書は中国詩論史上長く忘れられた領域であった。明代には多数の詩法書が刊行され、そのいずれにも范徳機『木天禁語』、楊仲弘『詩法家数』、傅與礪『詩法正論』、掲曼碩『詩法正宗』など、元代著名詩人の名を冠した文章が掲載されている。しかし晩明の許学夷はその内容が「穿鑿浅稚」であるとして、これらの文章を著名詩人に仮託した偽作であると主張し2、清代に入るとこの評価はますます不動のものとなった。『四庫全書総目』は、これら元人の作とされる文章を、浅俗で詩学的価値はなく、書肆が営利のために偽託したものと認定した。乾隆35年(1770)、何文煥編『歴代詩話』が三篇を収録したのを最後に、元人の詩法が刊行されることなく、近代の詩論研究においても、元は最も見るべきもののない時代とされ、とりわけ詩法書の類が論じられることは殆どないまま現在に至っている。

2 『詩源辯體』(人民文学出版社、1987年10月)巻三十五、339〜345頁参照。

 この状態に大きな変化を起こしたのが、『二十四詩品』偽書論争である。『二十四詩品』は晩唐の詩人司空図の作とされ、後世の詩論に大きな影響を及ぼした重要な著作とされてきた。しかし、1994年陳尚君と汪湧豪は、この書は明の懐悦の作であるとの説を発表し、大きな論争を巻き起こした。続いて95年張健が元の詩人虞集の作であるとの説を提起したが、彼らはいずれも『二十四詩品』が元代詩法書の一つ『詩家一指』に含まれていることをもとに論を展開していたため、元代詩法書とその刊本が注目を集めるところとなった。

 筆者は、中国の大学で哲学を専攻し、卒業後大学の講師になってからは、哲学及び美学の講義を担当した。その後機会を得て1987年日本に留学、東京大学大学院人文科学研究科美学芸術学専攻修士課程に入学し、「司空図の『二十四詩品』注解及びその方法論的特徴」という主題で論文を提出し、修士学位を与えられた。そして、引き続きこの主題について研究するために、同大学院人文社会系研究科 アジア文化研究専攻 中国語中国文学専門分野 修士課程に進学した。

 1996年、東京大学に客員教授として赴任していた北京大学中文系葛音暁教授の御教示を受け、筆者は初めて『二十四詩品』偽書論争について知った。この書が司空図のものでないならば、筆者の研究は根底から検討を迫られる。筆者は日本の図書館で、『二十四詩品』を含む書物の調査を開始した。筆者の元代詩法叢書の研究はこうして始まった。

 その後『二十四詩品』問題については論争が重ねられ、この書は崇禎年間に『詩家一指』の中から分離し、単独の書物として現れたという点では、ほぼ見解の一致を得たものの、その作者が誰かについては(司空図説も含め)未だ決着を見ていない。むろん『二十四詩品』偽書説が提起された意義は限りなく大きいが、それは単にこの書の真偽に止まらず、元代詩法書という忘れられた著作を発掘し、その研究を通して、中国詩論史の再検討を促すという点に、より大きな意義があるといえよう。中国詩論史の最重要著作の一つ『二十四詩品』は、その前歴にはまだ議論の余地があるとはいえ、最も価値のないものとされてきた元代詩法書の中から出現したものだった。元代詩法書の中には、まだ多くの興味深い問題が眠っており、それを掘り起こすことによって、中国詩論史の書き換えはさらに続いていくであろう。本論はその端初を開くものとなりたいというのが筆者の希望である。

 この領域では、一つの刊本の発見が研究を大きく進展させるという状況が続いた。本論に収録する拙論の位置づけを明らかにするために、時の経過をおって、刊本の発見とそれによって明らかにされた問題を概観しよう。

(1)1994年11月陳尚君、汪涌豪「司空図『二十四詩品』辨偽」(唐代文学学会第七次年会と国際討論会口頭発表、『中国古籍研究』1996年第1期に掲載)

いくつかの書目に基づき、懐悦著者説を主張。元代詩法書そのものは未だ調査されていない。元代詩法書が中国文学の専家にとってもなじみのないものであったことが分かる。

(2)1995年9月張健「『詩家一指』的産生時代与作者問題――兼論『二十四詩品』作者問題」(『北京大学学報』社会科学版)

趙〓謙『学笵』と楊成『詩法』(1480年刊)に基づき、懐悦説を否定。史潜校刊『新編名賢詩法』を発見し、その中の『虞侍書詩法』に基づき、『二十四詩品』の著者は虞集であると主張する。

(3)1997年7月張健「従懐悦編集本看『詩家一指』的版本流傳及纂改」(『中国詩学』第五輯)

名古屋蓬左文庫蔵朝鮮本『詩家一指』の発見。『詩家一指』が元末にはすでに流伝していたことを明らかにし、虞集著者説を堅持。

(4)1998年3月筆者「『二十四品』の著者と成書年代に関する考察――朝鮮本『詩家一指』と『木天禁語』に基づいて」(『東京大学中国語中国文学研究室紀要』創刊号)

日本国会図書館蔵朝鮮本『木天禁語』、同『詩家一指』発見。両書に基づき懐悦説の否定を補強し、虞集説に対する疑問を提出。『二十四詩品』の著作年代は元代以前ではないかと推定した。(3)の張健論文を入手したのが、刊行の直前だったため、朝鮮本『詩家一指』及びそれに基づく発見は筆者のものとしたが、本論では主張を同じくする部分は張健の説と改めた。

(5)1998年12月筆者「對「『二十四品』懐悦説、虞集説的再考察――根据朝鮮本『詩家一指』『木天禁語』及日本江戸版『詩法源流』」(『唐研究』第4期、北京大学出版社)

国立公文書館蔵朝鮮本『詩法源流』、国会図書館蔵江戸本『詩法源流』発見。(4)の二書に新発見の二書を加え、史潜『新編名賢詩法』が全面的に改竄された劣本であると主張。虞集説に対する反論を補強した。

(6)1999年10月筆者「『詩法源流』偽書説新考 ――五山版『詩法源流』と朝鮮本『木天禁語』に基づく考察」(『日本中国学会報』第五十一集)

大阪杏雨書屋蔵五山版『詩法源流』(1359年刊)発見。現存する元代詩法叢書の中では最古のもので、刊行年代が元であることから、元刊本に基づくことが確認できる唯一の書である。『詩法源流』諸刊本のうち本書のみに収録される「武夷山人跋」を検討した結果、本書は元代の文人杜本が詩法の普及を目的として刊行したものであることが明らかになった。元代詩法書は書商が営利のために、著名詩人の名を詐称して刊行した偽書であるとする清代以来の定説に大きな疑問を提出した。

(7)2001年9月張健『元代詩法校考』(北京大学出版社)

筆者の論文に対する言及はないが、五山版『詩法源流』、朝鮮本『木天禁語』など筆者が発見した諸刊本に対する検討が行われた。筆者とは異なる見解が主張されている。

 本論は既発表の論考に、張氏の説に対する検討と新たに発見した事項を加え、次のように構成する。

第一編 刊本の紹介

『二十四詩品』論争をきっかけに再発見された元代詩法叢書の中から、主要なもの七種を選び、基本的な事項を整理する。

第二編 『詩法源流』偽書説新考――五山版『詩法源流』と朝鮮本『木天禁語』に基づく考察

五山版『詩法源流』は元代詩法書の真の姿を理解するために、最も重要な資料であり、以後の議論を助けるためにも先ず冒頭で検討を加える。

第三編 『二十四品』の著者と成書年代に関する考察――朝鮮本『詩家一指』、朝鮮本『木天禁語』、五山版『詩法源流』に基づいて

これまでに発見された元代詩法叢書の諸著によって、『二十四品』問題にはどのような結論が導けるかを示す。

第四編 『杜陵詩律五十一格』とその成書年代――杜詩研究の起源を探る試み

朝鮮本『木天禁語』にのみ収録される『杜陵詩律五十一格』に基づき、その特徴及び著作年代を検討し、杜詩注解の歴史に対する新たな説を提起する。この篇は元代詩法叢書の研究がもつ大きな可能性を示すものとなるであろう。

論文初出一覧

(1)、『二十四品』の著者と成書年代に関する考察――朝鮮本『詩家一指』と『木天禁語』に基づいて(『東京大学中国語中国文学研究室紀要』創刊号、1998年4月、1〜34頁)

(2)「『二十四詩』の著者と成書年代に関する考察――朝鮮本『詩家一指』『木天禁語』『詩法源流』に基づいて」(東京大学大学院中国語中国文学専修課程修士学位取得論文)

(3)、對『二十四品』懐悦説、虞集説的再考察――根据朝鮮本『詩家一指』『木天禁語』及日本江戸版『詩法源流』(『唐研究』第4期、北京大学出版社、1998年12月、99〜136頁)

(4)、『詩法源流』偽書説新考――五山版『詩法源流』と朝鮮本『木天禁語』に基づく考察(『日本中国学会報』第五十一集、1999年10月、107〜123頁)

(5)、『詩法源流』偽書説新考――根拠五山版『詩法源流』和朝鮮本『木天禁語』(『文史』2000年第二集、総第五十一集、中華書局、2000年12月、217〜235頁)

(6)、『杜陵詩律五十一格』とその成書年代――杜詩研究の起源を探る試み(『東京大学中国語中国文学研究室紀要』第5号、2002年4月、1〜45頁)

(7)、『杜陵詩律五十一格』及其成書年代――關於杜詩研究起源的考察(『人文中国』第十期、香港浸会大学人文中国学報編輯委員会、上海古籍出版社2004年5月,269〜300頁)

審査要旨 要旨を表示する

 元代詩法叢書は中国文学史上、長く忘れられた著作である。そこでは具体的な詩の作法や、詩の歴史に関する議論など、作者や主題の様々に異なる文章が一書に収められており、大山氏はこのような書物を、中国古典の用法にならい叢書と呼んでいる。明代には元代の書をもとに多くの詩法書が出版されたが、明末以降、内容は浅俗で詩学的価値がなく、その多くは偽作であるとする見方が主流となった。近代の詩論研究においても、元は最も見るべきもののない時代とされ、後述する『二十四詩品』著者論争が起こるまで、専門家の間でも元代詩法叢書に注目するものは殆ど皆無という状態であった。

 一方元明の詩法書は、我が国の五山の僧侶や李氏朝鮮の文人たちの間で尊重され、質の高い翻刻本が作られた。大山氏は日本国籍を取得しているが、本来は北京生まれの中国人留学生である。来日して研究を進める内に、日本には、中国では見ることの出来ない中国古典関係の書物が数多く残されていることを知り、各地の図書館で精力的に調査を行った。そして五山版と朝鮮版の元代詩法叢書数種を発見、さらに韓国でも調査を行い、資料を入手するとともに、李氏朝鮮に於ける中国文化の受容についても理解を深めた。本論でまず特記すべきは、著者自身が発見した日朝の書物をもとに考察を進めたことにあり、中国人学生が日本留学によって、日本と朝鮮をも視野に入れた新たな中国古典研究を行ったという点で、大きな意義を持つものである。

 具体的な成果は、次の三点にまとめられる。第一は、現存するものでは唯一刊行年代が元代である、五山版『詩法源流』(1359年刊)を発見し、元代詩法叢書本来の姿を明らかにしたことである。とりわけ注目されるのは、この書は元代の文人杜本によって、詩法の普及を目的に刊行されたものである可能性を初めて示し、元代詩法叢書は、書肆が営利のために著名詩人に仮託した偽作であるとする旧説に大きな疑義を提出したことである。

 第二は、朝鮮本『詩家一指』、朝鮮本『木天禁語』、五山版『詩法源流』に基づき、『二十四詩品』の著者と成書年代を考察したことである。『二十四詩品』は晩唐の詩人司空図の作とされ、中国詩論史上最重要著作の一つと見なされてきた。しかし、1994年、この書は明の懐悦の作であるとの説が提出され、大きな論争を巻き起こした。大山氏は、懐悦説のみならず、最有力とされる元の詩人虞集の作とする説にも疑問を提起し、作者は不明ながら、元代以前の作であるとの見解を示した。

 第三は、朝鮮本『木天禁語』にのみ含まれる杜甫の詩の注解『杜陵詩律五十一格』を詳細に検討し、この書の構成や注釈のスタイルが、従来知られてきたいずれの杜詩研究とも異なることを明らかにし、現存する最古の杜詩研究である可能性を示したことである。元代詩法叢書は、中国詩論史上の重要課題の解明に資するのみならず、中国文学史の再検討を促すに足る資料の宝庫であることが明らかに示された。

 以上のような成果を持つ一方、本論には残された課題も少なくない。大山氏は細部の考証に熱中するあまり、しばしば議論が錯綜しがちな欠点を持つが、それを克服するためには、中国の詩史・詩論史に対してより一層の研鑽を積むこと、各国・各時代の出版事情に対しても理解を深めることが必要であろう。しかし従来はその存在すら予想されていなかった日朝版の詩法叢書数種を発見し、多くの新知見を提出した点で、その意義は極めて大きい。よって本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するものと判断する。

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