学位論文要旨



No 121766
著者(漢字) 安,大玉
著者(英字) AHN,DAE OK
著者(カナ) アン,テオク
標題(和) 『天学初函』器編の研究
標題(洋)
報告番号 121766
報告番号 甲21766
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第555号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川原,秀城
 東京大学 名誉教授 岡本,サエ
 女子美術大学 元教授 古川,麒一郎
 横浜国立大学 助教授 長谷部,英一
 国文学研究資料 助教授 陳,捷
内容要旨 要旨を表示する

 西学、すなわち西洋の学術思想の中国への伝播は、1583年に来華し、1610年北京で没するまで27年もの間、中国で宣教活動を行っていたイエズス会士宣教師マテオ・リッチ(Matteo Ricci、漢名利瑪竇)によって本格的に始まった。マテオ・リッチは、北京居住の許可を得てからは、主に多くの中国人知識人と交流を深めることに集中し、西洋の科学および諸学術思想を翻訳することによって、知識人を獲得するという学術宣教方針を立てていた。その結果、徐光啓、李之藻、揚廷〓など西学に心酔した多くの知識人が彼の有力な協力者となった。リッチの宣教方針は、西洋の天文数学の知識を中心とした自然科学知識を積極的に紹介することで、中国の知識人に西洋の優位を印象づけ、結果的にカトリック信者として獲得することを目的とするものにほかならなかった。特にリッチがやってきた16世紀末から17世紀の初め頃は、明末の改暦の議論が盛んになっていた時期でもあり、改暦を国家の重大事とする中国人にとっては、その議論は、改暦の一つの選択肢として西学を受け入れるきっかけとなった。

 結局、こうした背景で行われたイエズス会士の宣教活動は、教会での信仰活動よりも、むしろ知的活動、出版活動に重点が置かれ、さまざまな分野の西洋の書物が中国人知識人の協力を得て漢訳されることになった。翻訳は、おおむね宣教師の口授、中国人の筆受といった形で行われ、この方式は、清末に到るまで、中国における西洋知識受容の典型的な方式として定着した。リッチの科学―主に天文数学著作の翻訳は、徐光啓と李之藻という有能な人材の協力で急速に成果を挙げていくが、1604、5年からは、ユークリッドの『原論』の翻訳である『幾何原本』をはじめ、天文学・数学において、『同文算指』、『測量法儀』『圜容較義』『乾坤体義』『渾蓋通憲図説』『簡平儀説』などが次々と訳出された。こうした科学宣教の評判が広がるにつれ、リッチは、1605年頃にはすでに、ローマのイエズス会総本部に天文学に精通する宣教師の中国派遣を求めるようになった。その結果、ウルシス(Sabatino de Ursis、漢名熊三抜)、テレンツ(John Schreck、漢名:〓玉函)、アダム・シャール(Adam Schall、漢名湯若望)らが次々と来華し、後に、徐光啓によって設置された新法暦局で改暦を推進することになった。こうして西学は、もはや中国の公式の学問として根を下ろしていくに至ったのである。

 リッチは、あるときウルシスに、中国宣教は右手では宗教を、左手では科学をやらなければならないと述べたが、西局の成立する時期である1629年に、彼らのこうした「両手」の活動の諸成果をまとめたものがすなわち『天学初函』である。『天学初函』は、「両手」の仕事を理編と器編に分け、器編には自然科学および技術書を、理編には主としてキリスト教に関する内容をおさめている。全体としては、世界地理、天文学、数学、測量法、農業技術書、西洋の教育、キリスト教倫理、交友論、キリスト教神学、霊魂論など、幅広い西洋の学術文化が紹介されることになり、中国のみならず、日本、朝鮮にも無視できぬ影響を及ぼしたことは、多くの研究がすでに示しているとおりである。

 ところが、『天学初函』に関する既存の研究は、『天主実義』をはじめ、主に理編の研究に集中しており、器編の研究は、主にヨーロッパや中国における『幾何原本』中心の数学史研究を除けば、断片的な研究は多くあるものの、全体的な研究は未だ行われていないように思われる。だが、実際に、明末清初の中国により大きいな影響をもたらしたのは、あえていうならば、理編ではなく、器編であるのである。何よりも、清朝の公式的な暦である時憲暦(1645年頒布)が西洋の天文学理論である「西洋新法暦書」に基づいていることからもある程度推測することができるが、「西学の長所は測算にあるが、天主を信じ人心を眩惑させるところに短所がある」という清朝の『四庫全書総目提要』の『天学初函』に対する評価を見れば、それは明らかである。

 『天学初函』の器編は、(1)『泰西水法』(1612年)(2)『渾盖通憲図説』(1607年)(3)『幾何原本』(1607年)(4)『表度説』(1614年)(5)『天問略』(1615年)(6)『簡平儀』(1611年)(7)『同文算指』(1614年)(8)『圜容較義』(1614年)(9)『測量法義』(1617年)(10)『測量異同』(11)『句股義』からなるが、(1)を除けば、残りの10種類著作すべてが天文数学に関する書物である。天文学と数学の書物が中心になっているのは、数学と天文学が、洋の東西を問わず、古代の代表的な精密科学であり、ヨーロッパの自由七科の四科が算学、天文学、幾何学、音楽であることを考えれば、ある意味では当然のことであろう。

 本稿は、このように成書された『天学初函』器編に含まれている科学書を中心にして、まず、中国で受容された科学的な内容を科学史的に分析し、またその結果を通じて、『天学初函』器編の受容が中国人にもたらした思想的刺激とその影響について考察したものである。本稿は、農業技術関係書である『泰西水法』を除き、上記の10種類の書物を主たる分析の対象とした。内容分析の主要な目的は、イエズス会士によって西洋の16世紀のどのような科学が中国に紹介されたかを明らかにするところにある。翻訳の底本であるクラビウス(Christoph Clavius, 1538-1612)の諸書物と、リッチらによって漢訳された天学初函本とを比較し、どの内容がどのように訳出されたかを確認し、その受容された科学の内容をなるべく正確に理解するように努めた。本稿の第一の目的はまさしくそこにある。また、西洋本来の文脈での科学的内容が、文化的な文脈から離れて、どのように理解されるのか確認し、できる限り、西洋の科学との内容的な異同をも明らかにするように努力した。

 本論文は、全体で2部からなる。第1部は、ある意味では序論の延長線上にあるものともいえる。なぜならば、本論文の分析の対象である器編の10種類の書物のほぼすべてが16世紀のイエズス会士天文学者・数学者であるクラビウス―リッチのコレジオ・ロマノ時代の先生でもあるが―のラテン語著作、すなわち『ユークリッド原論注解』『天球論注解』『実用算術概論』『実用幾何学』『アストロラビウム』『ノーモン』などに基づいて訳出されているからである。詳しくは、第2章では、16世紀のイエズス会の成立から彼らの科学教育のシステムを分析したうえで、主にクラビウスを中心に彼らの科学の特徴を明らかにするように務めた。そして、リッチが受けたとされる当時の数学教育についても簡潔に確認した。第3章では、明末の科学について簡潔に概観したうえで、イエズス会士の当時の中国の科学に対する評価を、主に天文学や改暦に関わるものを中心として、リッチやウルシス、アダム・シャールら3人の評価について論じた。特に改暦に関わるアダム・シャールの評価を通じて、明末の実学の衰退ぶりと、西洋天文学の優位がはっきりと示されたのではないかと考えられる。

 第2部は、本稿の中心部分であり、思想史的評価にも注意しつつ、本稿の中心課題である各書物の内容分析を行った。内容の分析とは、まず、翻訳の底本であるクラビウスの書物と漢訳書との内容的な対応関係にも注意を払いつつ、伝わった科学の内容に対する科学史的分析を中心とし、可能な限り正確に内容を理解するように努めた。第2に、受け入れる側の反応については、主に徐光啓と李之藻を中心に―リッチは、西洋科学を本当に理解する中国人は、この2人しかいないと述べたという―彼らの西学の受容についての思惑と西学に対する理解について分析を試みた。最後に、西学書が漢訳された後に中国知識人に与えた知的刺激や、彼らが示した反応などについても、確認できる範囲で論じた。

 内容的には、前半の3章が数学部分であり、後半の3章が天文学の部分である。分析の結果、数学の分野では、演繹論理中心の西洋幾何学が受容されることによって、中国の数学に対する全面的な再評価が行われ、論理的証明や普遍的な解法を重視する新たな傾向を見てとることができた。だが、演繹論理に対しては、理解のずれがあることも確認された(第4、5、6章)。また、天文学の分野では、地円説やアリストテレスの宇宙論、プトレマイオスの天動説など、中世の西洋天文学のほぼすべての知識が導入され、また、天文観測機器としては、ヨーロッパのアストロラーブが2種類紹介されたことを確認した。天文学の知識の中でも、特に地円説は、常識に反するものでありながら、中国人に非常に大きな影響を及ぼした。地円説は、西学の科学としての正確さをよく示すメルクマールであって、清朝の梅文鼎らの強力な支持を得、清朝の公式的な理論にまで発展した。李之藻は、アストロラーブの投影法に着目し、地円説を受け入れただけではなく、中国の伝統的な宇宙論である蓋天説と渾天説を調和させる可能性までをそこに発見した。彼の考え方自体は、もちろん、西学の優位を認めたうえで、中国の天文学を正すことを望むものであったが、その議論は、後に西学中源説の発展に大きく影響したことが確認された(第7、8、9章)。

審査要旨 要旨を表示する

 17世紀の初め、イエズス会宣教師がヨーロッパの科学とカトリック神学を中国に伝え、中国人天主教徒を中心として新たに西学がおこったが、本論文は、李之藻編『天学初函』器編に収められた漢訳科学書についてその内容を思想史的に分析し、あわせて器編の受容が中国にもたらした思想的刺激について考察したものである。全体の構成は大きく二部からなっている。

 第1部においては、当時中国に伝来した西欧科学の性格を理解すべく、16世紀のイエズス会の科学観についてクラビウスを中心にその特徴を分析し、数学的推論や論理的証明を重視するクラビウスの精神が中国に伝わったことを論証した(第2章)。またイエズス会来華宣教師の中国科学に対する評価を、マテオ・リッチを含む三人の宣教師の言説を通じて考察した(第3章)。

 第2部は、『天学初函』器編所収の十部作の内容解明をその主要課題とする。第4・5・6章においては、『幾何原本』を中心とした演繹論理中心の西欧幾何学の受容を通して、中国に論理的証明・普遍的解法を重視する新たな傾向が生まれたことを論じ、中国の伝統数学が西学のフレームワークのもと、いかに再評価され、いかに再編されていったかを解明した。第7・8・9章においては、地円説やアリストテレスの宇宙論など、中世の西欧天文学のほぼすべての知識が導入されたことを考証し、中国伝統の天円地方の宇宙観が否定され、ついには清朝にいたって西法による改暦が行われるほど、大きなインパクトを与えたことを明らかにした。また清朝の公式的な西学の受容理論である「西学中源説(西欧科学のルーツは中国にあると主張)」の成立過程についても、思想史的分析を試みた。

 本論文において第一に評価すべきは、読解の見事さである。たとえば『渾蓋通憲図説』はクラビウスの『アストロラビウム』 Astrolabiumの漢訳本にすぎないが、従来、明清の天文学者を含めてその正確な理解に到達した者はいない。論者はラテン語の原本を探しだしそれを参照することによって、誰もなしえなかった第一歩を踏みだした。第二に評価すべきは、漢訳西学書の論理重視の特徴がクラビウスの精神に由来すると推定したことである。マテオ・リッチの漢訳書の底本が多くクラビウスにもとづくことを考えるとき、それ以外の可能性はあまりに少ない。明清期西学受容について論じるばあい、後の研究者は本論文を研究の基礎としなければならないであろう。

 本論文には『天学初函』理編の解明など、今後に残された課題もあるが、従来の明清期西学研究のレベルを大きく超えでている。論者には明清西学史の全面的な解明を期待したい。

 審査委員会は以上にもとづいて、本論文が博士(文学)の学位に値すると判断する。

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