学位論文要旨



No 121773
著者(漢字) 巴特尓
著者(英字) BATEER
著者(カナ) バートル
標題(和) 近現代内モンゴルの民族運動 : 覚醒・啓蒙・混迷・統合
標題(洋)
報告番号 121773
報告番号 甲21773
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第679号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山内,昌之
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 教授 村田,雄二郎
 東京大学 教授 石井,明
 東京外国語大学 教授 中見,立夫
内容要旨 要旨を表示する

1. 課題の設定

 20世紀前半のモンゴル人の歴史は、自民族の自立と独立のためのたたかいの歴史だった。とりわけ本論文が考察の対象とした近現代内モンゴルの民族運動も激動の時代に置かれていたがゆえに紆余曲折を経て最終的に「民族区域自治」制度の先行モデルとして中国の「自治区」の一つとなって今日に至る。

 近年、アジア研究全般が再検討されるなか、日中関係史研究の有効な切り口として、或いは中国の国家・国民統合のプロセスの一環として、さらにはモンゴル系諸民族の民族運動における一つの構成部分として、さまざまな視点・観点から内モンゴル地域が注目されている。

 ところが、モンゴル人の独立・自立志向が強調される研究にしても、「中華民族多元一体」論の視点に立つ議論にしても、或いは日中関係史の一環として内モンゴルの民族運動を論じたものにしても、いずれもモンゴル人の「民族」的アイデンティティなるものが、論議における所与の前提としてあり、モンゴル人側からみた「民族」・「地域」・「国家」観とその内実を十分に検討されてこなかった。

 本論文は、新しい知見を踏まえ1911年の「モンゴル独立宣言」から1947年の「内モンゴル自治政府」成立に至る過程において、内モンゴル地域で展開されたモンゴル人を主体とするさまざまな政治運動の歴史を代表的な人物と事象により描き出し、モンゴル民族全体の歴史になかに位置づけることを目的としている。

 その際、当時の内モンゴル人は「民族」・「地域」・「国家」というものをどのように考え、行動したのか、或いは自らを内包する「国家」に対して如何なる期待を持って対処したのか、といった問題を当該地域における国際関係の構図と中国国内の政治状況たる「外なる側面」とモンゴル人自身の「内なる側面」という二つの視点から考察を試みた。同時に近現代内モンゴルの民族運動をより体系的に具現化するために、その特質からして「民族的覚醒」の時代(19世紀末から1910年代)、「啓蒙」の時代(1920年代から満州事変勃発まで)、「混迷」の時代(1930年代〜1945年)、「統合」の時代(1945〜47年)という四つの時代区分に設定して、以下に述べる三つの課題に取り組んだ。

 まず、従来の研究において、あまり重視されなかった或いは無視されてきた初歩的な問題として、「モンゴル」ないし「モンゴル人」という言説自体の再考を行うべく、内モンゴルの民族運動の指導者ならびに一般のモンゴル人民衆が置かれた時代背景とその行動を追いながら、彼らの「民族」「国家」観とは、いかなるものであったのかを具体的に検証した。

 つぎに、内モンゴル問題を「中国」・「日中関係」といった枠組みのなかで片付けられてきた従来の見方から一定の距離を置きつつ、それを20世紀前半のモンゴル系諸民族の民族運動の一環として考察した。

 そして最後は、上記の二点を踏まえたうえで近代以降のモンゴル人の民族意識の変化ならびにその多様性・重層性にも注目し、1910年代の初頭から1940年代後半にかけて展開された民族運動自体にどのような影響を及ぼしたのかを解明しようとした。

2. 先行研究

 筆者は、本論文と関連する先行研究として、(1)20世紀前半のモンゴル系諸民族の民族運動史(2)中国の少数民族政策と国民統合のプロセス(3)日本支配期における対内モンゴル政策、という座標軸を設定し、これまでの研究動向とその内容をまとめた。

3. 論文の構成および各章の概要

 本論文は、全体として四部構成になっている。

 第一部では(五つの章から構成されている)、モンゴル人の「民族的覚醒」と「モンゴル独立」をキーワードに、清朝のモンゴル支配とモンゴル地域社会の変容によるモンゴル人の「民族」的覚醒が如何に始まったのかをその歴史的過程に沿って概観し、以下の分析への橋渡しをしようとした(第一章・第二章)。続いて、第三章〜第五章では、1911年の「モンゴル独立宣言」と辛亥革命に端を発した新たな地域秩序の再構築を受けて内モンゴルでは如何なる反応が示され、またどのように対応策が採られ、最終的に中華民国に組み込まれていったのかを具体的事例を挙げて検証している。この第一部では、モンゴル人の内在的な一面、すなわち課題で示したモンゴル人の民族意識のレベルでの多様化・重層化、および内外モンゴルの「民族的覚醒」の進展の相違と内モンゴル内部における東西両地域の民族意識の上での「格差」に着目して、その根源に迫るとともに、後の時代に展開していった民族運動にどのような影響をもたらしたのか、という問題をモンゴル人の「内なる側面」から検証した。

 第二部では(三章構成になっている)、「啓蒙」を一つのキーワードとして、ソ連・コミンテルンの指示と強い影響のもとで実現した第一次国共合作とそれまでの国共両党の民族政策、ならびに当該時期における国際政治の動向、とりわけモンゴル人民共和国の対外政策を背景に抑えつつ、内モンゴル人民革命党の成立過程とその活動状況を検討し、同党の内モンゴル民族運動史における位置づけとその性質を明らかにした。そのなかで特に強調したのは、内モンゴル人民革命党が果たした「啓蒙」の役割は、「自治」運動そのものを遥かに凌ぐうえ、その後の内モンゴルの政治に大きな影響を与えたということである。

 それと共にこの時期において、なお内モンゴル地域社会に支配基盤を据えていた王公支配層の動向も合わせて考察し、内モンゴル人民革命党との相違点を検討した。

 そして第三部では(三章構成になっている)、この時期の内モンゴル地域の現状と、それをめぐる国際環境と中国国内の政治情勢の特徴からして「混迷」というキーワードを用い、徳王を最高指導者とした内モンゴル自治運動の性質、すなわちモンゴル人の政治的権利を目指した自発的な運動だったことを明らかにした。その際、徳王の自治運動を通して国民政府は如何にして民族政策の面において決断を迫られたのかを背景に押さえつつ、満蒙政策の一環として日本の内モンゴル地域に対する政策的変遷過程と対応のプロセスを追いながら、その支配の原理と徳王の政治志向との相違点を分析し、徳王の「民族」・「国家」観を再検討した。

 最後の第四部では(二章構成になっている)、国共両党の戦後の国家構想とそれぞれ掲げていた少数民族政策を対比しつつ、日中戦争後に再び高揚したモンゴル・ナショナリズム運動に対する両党の対応策、とりわけ中国共産党の具体的な対応と政策の転換過程について分析した。そして、分析の結果を踏まえた上で中国共産党と内モンゴル人民革命党による内モンゴル地域統合の第一歩たる内モンゴル自治政府が成立されるに至る経緯を検証し、内モンゴル自治政府がもつ歴史的位置付けを明らかにした。

4. まとめ

 本論文では、副題で示した四つのキーワードを中心に近現代内モンゴルの民族運動史をダイナミックな歴史的過程として描いたが、最後に全体をもう一度概観しながら再検討を加え、モンゴル民族全体の歴史における近現代内モンゴルの民族運動の位置づけをつぎのようにまとめた。

 近現代内モンゴルの民族運動は、モンゴル人の自発的な運動であり、かつモンゴル人が主体となって自らの民族の自立と統合を目指した政治運動として展開された。その遠因となるものは1911年の「モンゴル独立宣言」であり、それによりモンゴル人の「民族」的な覚醒が促進され、かつ民族としての一体感が強まるなかモンゴル民族全体の統合をその究極の目標に掲げていたのである。その意味で、近現代内モンゴルの民族運動の原点は、やはり1911年の「モンゴル独立宣言」であるべきで、その延長線上に位置づけることができると言える。

 しかしながら、一方ではモンゴル地域をめぐる国際新秩序の枠組みの形成と1921年のモンゴル社会主義革命による外モンゴルの独立を境に、モンゴル民族の政治的統合と行政上の統一は事実上内モンゴル内部の課題となり、内モンゴルの内部から着手しなければならない問題となった。ところが、周囲に大国に囲まれる弱小民族同様に、自らの政治的目標を達成するためには外部勢力との妥協とその支援に頼らざるをえないというジレンマを抱えていた。それがゆえに、外部勢力の強い影響を受けざるを得ず、結果的に民族運動自体の弱体化をもたらしたのである。他方では、辛亥革命に端を発した中華ナショナリズム、特に日中戦争期に形成された「中華民族」という中国ナショナリズムの高揚と大国間による新たな国際秩序の構築という強いファクターによって、モンゴル民族運動の基盤が崩され、モンゴル人の自治・自決による統合、特に領土的自治を実現不可能なものにした。

 近現代内モンゴルの民族運動の歴史的過程において、時代ごとに異なる思想的背景や政治理念、または異なる立場や出身地をもつ指導者たちは、内モンゴルの政治の舞台に立ち民族運動のリーダーとして活躍したが、民族の統合ないし解放という目標においては何れも一致するものの、各自が唱える主張や政治手法においては、時と場合によって相互の対立も見られ、かつ「地方主義」・「地域主義」・「民族主義」、さらには「機会主義」といった幾つかの「顔」を持つものも現れた。それゆえ、内外の政治動向に左右され揺れ動き、結果的にそうした重層的な「民族」・「地域」・「国家」観が民族運動自体の行方を運命付けたともいえよう。

 近現代内モンゴルの民族運動は、外部の影響力を常に強く受けていた反面、たえずその時代ごとの中国の為政者の民族政策、或いは支配者たる日本の対内モンゴル政策の転換と確立の段階において大きな要素として存在したのも事実である。とりわけ、今日の中国で採用されている「民族区域自治」政策は、民族の文化的自治を除けば、中国国民党が唱えていた地方の枠組みのなかでの特殊な地域に賦与された若干の「地方自治」とは本質的に変わりはないものの、確立に至るプロセスのなかで内モンゴルの民族運動に大きく左右されたのも事実であろう。

 以上の考察を踏まえて近現代内モンゴルの民族運動のダイナミックな歴史的過程を次のようにまとめることができるだろう。すなわち、近現代内モンゴルの民族運動の歴史は、19世紀末20世紀初頭が「民族的覚醒」期、1920年代から満州事変勃発までが「啓蒙」期、1930年代から1945年の日本敗戦に至る時期が「混迷」期、1945年から内モンゴル自治政府の成立に至る時期が「統合」期と位置づけられよう。

審査要旨 要旨を表示する

 「近現代内モンゴルの民族運動―覚醒・啓蒙・混迷・統合」と題する博士学位請求論文は、1911年の「モンゴル独立宣言」から1947年の「内モンゴル自治政府」の成立に至る過程において、内モンゴル地域で展開されたさまざまなモンゴル民族運動の歴史を描き、モンゴル人を主体とした民族運動をモンゴル民族の歴史において位置づけることを目的としている。近年、アジア研究全般が再検討されるなかで、日中関係史研究の有効な切り口として、或いは中国の国民統合のプロセスの一環として、さらにはモンゴル系諸民族の民族運動における一つの構成部分として、さまざまな観点から内モンゴル地域のあり方が注目されている。

 ところが、モンゴル人の独立・自立志向が強調された研究にしても、「中華民族多元一体」論の視点に立つ議論にしても、或いは日中関係史の一環として内モンゴルの民族運動を論じたものにしても、いずれもモンゴル人の「民族」的アイデンティティなるものを、論議における所与の前提としており、モンゴル人側からみた「民族」・「地域」・「国家」観とその内実を十分に検討されてこなかった。そこで本論文は、当時の内モンゴル人が「民族」・「地域」・「国家」というものをどのように考え、行動したのか、或いは自らを内包する「国家」に対してどのように望み、またはどうして欲しかったのか、という問題を国際関係と中国国内の政治情勢の「外なる側面」とモンゴル人自身の「内なる側面」という二つの視点からの考察を試みたものである。そのために著者は、近現代内モンゴルの民族運動の特質からして「民族的覚醒」の時代(19世紀末から20世紀初頭)、「啓蒙」の時代(1920年代から満州事変の勃発まで)、「混迷」の時代(1930年代〜45年)、「統合」の時代(1945〜47年)という四つの時代区分に設定して、三つの課題に取り組んだ。

 第一に、従来の研究において、あまり重視されないか無視されてきた初歩的問題として、「モンゴル」ないし「モンゴル人」という言説自体の再検討を行い、内モンゴルの民族運動の指導者ならびに一般モンゴル人民衆のおかれた時代背景とその行動を追いながら、その「民族」「国家」観について具体的に検証する。

 第二に、内モンゴル問題を「中国」という枠組みのなかで片付けてきた従来の見方から一定の距離を置きつつ、それを20世紀前半のモンゴル系諸民族の民族運動の一環として位置づけて考察を試みる。

 第三に、以上の二点を踏まえたうえで近代以降のモンゴル人の民族意識の変化ならびにその多様性・重層性にも注目し、それが時代ごとに展開された民族運動にどのような影響を及ぼしたのかを明らかにする。本論文は、全体として四部構成になっている。

 第一部は、五章構成であるが、「民族的覚醒」と「モンゴル独立」をキーワードに、清朝のモンゴル支配とモンゴル地域社会の変容によるモンゴル人の「民族」的覚醒が如何に始まったのかをその歴史的過程に沿って概観し、1911年の「モンゴル独立宣言」と辛亥革命に端を発した新たな地域秩序の再構築を受けた内モンゴルがどのような反応を示し、対応したのか、そして最終的にどのような過程を経て中華民国に組み込まれていったのかを具体的な事例を挙げて検証した。モンゴル人の民族意識のレベルでの多様化・重層化、および内外モンゴルの「民族的覚醒」の進展の相違と内モンゴル内部における東西両地域の民族意識での「格差」に着目して、その根源にせまるとともに、その後に展開された民族運動にどのような影響をもたらしたのか、という問題をモンゴル人の「内なる側面」から検証している。

 第二部は、三章構成であるが、「啓蒙」を一つのキーワードとして、ソ連・コミンテルンの指示と指導のもとで実現された第一次国共合作とそれまでの国共両党の民族政策、ならびに当該時期の国際政治の動向、とりわけモンゴル人民共和国の対外政策を念頭におきながら、内モンゴル人民革命党の成立過程と活動状況を検討し、同党の内モンゴル民族運動史における位置づけとその性質を明らかにした。特に強調したのは、内モンゴル人民革命党が果たした「啓蒙」の役割は、「自治」運動そのものを遥かに凌ぐうえ、その後の内モンゴルの政治に大きな影響を与えたということである。

 第三部は、三章構成であるが、徳王を最高指導者とした内モンゴル自治運動を、この時期の内モンゴルをめぐる国際と中国国内の政治情勢の特徴からして「混迷」というキーワードをもとに、モンゴル人の政治的権利を目指した自発的な運動だった点を強調した。その際、国民政府は如何にして民族政策面において決断を迫られたのかを考察しつつ、日本の満蒙政策の一環としての内モンゴル地域に対する政策的変遷の状況とモンゴル民族運動への対応のプロセスを追いながら、その支配の原理と徳王の政治指向との相違点を考察し、徳王の「民族」・「国家」観を再検討している。

 最後の第四部は、二章構成であるが、共産党と国民党の戦後国家構想とそれぞれ掲げた少数民族政策を対比しつつ、戦後再び高揚したモンゴル・ナショナリズム運動に着目するとともに、それに対する中国共産党の対応過程と政策的転換について分析を加え、中国共産党と内モンゴル人民革命党による内モンゴル地域統合への第一歩たる内モンゴル自治政府の成立に至る経緯を検証し、内モンゴル自治政府の意味を考えた。

 以上四つのキーワードを中心に、近現代内モンゴルの民族運動の歴史を描いた本論文は、モンゴル民族史における近現代内モンゴルの民族運動を次のように位置づけた。

 近現代内モンゴルの民族運動は、モンゴル人の自発的な運動であり、かつモンゴル人が主体となって自らの民族の自立と統合を目指した政治運動として展開された。その遠因となるものは1911年の「モンゴル独立宣言」であり、それによりモンゴル人の「民族」的な覚醒が促進され、かつ民族としての一体性が強まりモンゴル民族全体の統合をその究極の目標に掲げていたのである。その意味で、近現代内モンゴルの民族運動の原点は、やはり1911年の「モンゴル独立宣言」であり、その延長線上に運動の発展を位置づけることができる。しかし、一方ではモンゴル地域をめぐる国際新秩序の枠組みの形成と1921年のモンゴル社会主義革命による外モンゴルの独立を境に、モンゴル民族の政治的統合と行政上の統一は事実上内モンゴル内部の課題となった。ところが、周囲に大国に囲まれる弱小民族同様に、自らの政治的目標を達成するためには外部勢力との妥協とその支援に頼らざるをえないというジレンマを抱えていたゆえに、同時にその影響を受けざるを得ず、結果的に民族運動自体の弱体化をもたらした。他方、辛亥革命に端を発する中華ナショナリズム、特に日中戦争によって形成された中華民族という中国ナショナリズムの高揚と大国間による新たな国際秩序の構築という強いファクターによって、モンゴル民族運動の基盤が崩され、モンゴル人の自治・自決による統合、特に領土的自治を難しくしたのである。

 近現代内モンゴル民族運動の歴史的過程において、時代ごとに異なる思想的背景や政治的理念、さらには異なる立場や出身地をもつ指導者たちが内モンゴルの政治の舞台に立ち、民族運動のリーダーとして指導にあたったが、民族の統合ないし解放という目標においては一致していたが、それぞれの主張や方法において、「地方主義」・「地域主義」・「民族主義」、或いは「機会主義」の顔を持ち、常に内外の政治動向に左右され揺れ動いていたのも事実であった。結果的にそうした重層的な民族・地域・国家観が民族運動自体の行方を運命付けたともいえよう。

 近現代内モンゴルの民族運動は、外部の影響力を強く受けた反面、一方では、たえずその時代ごとの中国の為政者の民族政策、或いは支配者たる日本の対内モンゴル政策の転換と確立の段階に一つの大きな要素として存在したのも事実である。とりわけ、今日の中国で採用されている「民族区域自治」政策は、民族の文化的自治を除けば、中国国民党が唱えていた地方の枠組みのなかでの特殊な地域に賦与された若干の「地方自治」とは本質的に変わりはないものの、その確立にいたるプロセスのなかで内モンゴルの民族運動が大きく関わっていたのである。

 日本人の名前や官職など固有名詞の理解にやや正確さを欠く箇所もあったが、もとより瑕瑾にすぎない。未公刊のモンゴル語・中国語・日本語の史料に依拠しながら、内モンゴルの民族運動史のダイナミズムを具体的にとらえ、モンゴル人のアイデンティティを内部からの視点で明らかにした意味と功績は大きい。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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