学位論文要旨



No 121774
著者(漢字) 宮脇,聡史
著者(英字)
著者(カナ) ミヤワキ,サトシ
標題(和) 現代フィリピン・カトリック教会の政治・社会参与と教会刷新
標題(洋)
報告番号 121774
報告番号 甲21774
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第680号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 恒川,惠市
 東京大学 教授 中西,徹
 東京大学 助教授 佐藤,俊樹
 上智大学 教授 寺田,勇文
内容要旨 要旨を表示する

 第1章は、宗教復興の文脈の中で新たに生じてきた「公共性」に関する議論と宗教との関わり、特に民主化などの政治変動の過程に積極的に参与する「公共宗教」の議論を取り上げ、そのような形でたち現れる宗教の歴史的アイデンティティの問題が軽視される傾向を問題として挙げている。フィリピンにおけるカトリック教会が「公共宗教」のカテゴリーに極めて典型的に当てはまりやすいにもかかわらず、この視点からの研究が乏しいこと、また学際的な方法があまり取り入れられていないため視点が一方的になりやすいこと、そして歴史問題に関しては、カトリック教会が「公共宗教」たり得る背後にポストコロニアルな問題がある点を看過していることを挙げている。そして特に、カトリック教会の政治参与の言説を包括的に分析する必要、また同時進行し背景をなす教会刷新の展開と論理を重ね合わせる必要を指摘している。

 第2章は、まず教会の植民地史的な成立経緯、特にスペイン期のカトリック国家確立過程と、アメリカ統治期の政教分離体制への適応の特徴、この二つの組み合わせが歴史的規定要因として看過できない点を確認している。その上で、1960年代から本格化した教会の政治・社会参与の模索が、1980年代前半の主流派形成と積極的政治参与形成に至り、1986年の民主化政変できわめて主導的な役割を担うに至った経緯をたどっている。そしてこの経緯が教会刷新のビジョンを模索していた教会指導者にとって決定的に魅力的であったがゆえに、教会刷新のビジョン形成を、政治への積極参加と調和する方向で推し進めるような行き方になっていったことを確認している。

 第3章は、まず、カトリック司教協議会(CBCP)の機構が国民政治への積極参加に向けて整備されている旨確認している。そうした制度を踏まえ、その重要な根拠となった言説、特に1986年政変をめぐる言説を分析し、教会指導者層の政治参与が「キリスト教国」であるフィリピンの人々の「司牧」という教会論と社会論の接合を根拠としていた点を明らかにしている。

 第4章は、政治参与の増大と並行して同時期に進行したCBCP主導の要理教育プログラム刷新とその実施状況について分析している。この要理教育プログラムが教会刷新の一貫であり要とみなされている点を踏まえ、そのプログラム形成の過程、実施の現場と実施形態、機構、実施状況について整理している。同時に要理教育プログラムと齟齬をきたすような積極的・消極的教会教育実践現場の事例をいくつか挙げ、そこから読み取れる問題を整理している。

 第5章は、まず政治・社会参与論及び要理教育プログラム実施の背後にある「教会論」の形成過程を取り上げ、第2バチカン公会議以降の「教会刷新」と「社会変革」という二大使命の優先順位と相関関係が、教会の新たなアイデンティティの模索と深く関わってきたこと、1980年代のCBCPにおける主流派形成は、その点で政治への参画が突出した形でなされ、これに対する教会刷新の要求から1991年のフィリピン教会会議に至ったが、そこで提起された「貧しい者たちの教会」と「弟子の共同体」という二つのビジョンの関係と意味をめぐってなお鮮明な教会論を描ききれないまま、積極的な政治参与が継続されていった点を指摘している。以上の経緯を踏まえ、教会の社会司牧としての政治参与が積極的に進められる背景として、教会のフィリピン社会・文化に対する理解に関する公文書の言説分析、及びその背景として存在する知識社会学的問題を取り上げ、「フィリピン社会」とその宗教性や文化についての停滞的・固定的な解釈と「変革の指導者」たる司教たちの指導性の必然性が対応関係にあることを指摘している。その上で、こうした解釈の一般論的な問題を指摘した上で、教会内、また社会における、こうした解釈を下から突き崩す論理と実践をいくつか紹介し、カトリック教会の教会論=社会論=政治参与の三者が、「EDSAの神話」による「保証」を支えにし、教会の一致を求める切実な要請と結びついている反面、極めて不確かで矛盾した基盤に立っていることを論じている。

 第6章は、エストラーダ政権期の教会の政治参与の過程をたどることで、この「EDSAの神話」を支えに政治参与の言説体系を構築し、活発に政治的働きかけを積み重ねてきたCBCPのクライマックスと共に生じた破綻を描き出している。すなわち教会を積極的参加者とした「民衆力・EDSAの再演」たる「EDSA2」の成功と、その「民衆力」のフィクションをあからさまに衝く、貧困層を中心にし、教会の政治的公共空間の要であったEDSA大聖堂を占拠して「民衆の祝祭」として行われた親エストラーダ派のデモである「EDSA3」、これに対する教会の混乱とエリート主義的な本音の暴露、といった経緯である。

 第7章は以上を踏まえた結論として、以下の点を挙げている。

 「公共宗教」論に関しては、宗教の側の主体性、ダイナミックスと要請次第で、「公共宗教」の側が政治参与の論理と方法を整備し、機を見て過去の成功例の「再演」に向けて舵を取る可能性がある。その際、そのダイナミックスは、単に政治的アクターとしてのいわゆる合理的選択の結果という以上に、その宗教自体が社会に対して「公共性」の自己利益に資する形での援用/盗用(appropriation)を行うことで自らの超越的正統性を確認させ、市民社会の代弁者かつ「国民共同体」の司祭的・預言者的な超越的指導者として振舞うことで、その宗教のソトとウチの「公共」の垣根をあいまいにし、半ば同化することで「宣教」の使命を推進しようとする、そうした宗教的動因による面が少なからず働く、ということが重要である。

 教会研究に関しては、特に現代カトリックの「現代化(アジョルナメント)」における教会刷新論と社会変革ビジョンの間の相克の大きさをまず指摘することが出来る。教会の政治参与は、後者のみならず、前者とも関わり、また両者の構造的関係やバランスによっても左右される。また、現代教会倫理の実践的考察の背後には、必ず教会史的な考察が必要となる点について、いっそうの自覚的研究が必要となるであろう。

 現代フィリピン・カトリック教会は、歴史的に形成された「多数派」の原理と既得権益に強く依存しつつ、そのような依存の歪みを直視しないまま、この「過去の遺産」を公共領域に積極的に参与する正統性原理の根拠としてきた。それは確かにフィリピンの「公共領域」の屋台骨として貢献してきたことと結びつくが、同時にこれらを政治的資源として利用する誘惑に無自覚となり、結果として教会の司牧の脆弱さを改めて印象付けると共に、民主主義政治の制度と実践の不安定化に加担してしまった。

 フィリピン政治研究に関しては、単に教会を政治的アクターとして分析することの限界をまずは指摘できるが、それにとどまらない。フィリピンをめぐる学問が、今かつての欧米、特にアメリカ一辺倒の学であったことをやめて、強い民族主義的発露から研究される志向が強まっている現在のフィリピン研究の状況に一定の共感を示しつつも、なおこうした傾向に対する一定の懸念を示す必要があると考える。

 民族主義は必然的に、ある種の画一性と国民の定性的理解に結びつく志向を持っており、この困難な時代に、国全体が一致団結する、という夢が極めて魅惑的な政治的ビジョンであろうことは痛感させられるところであり、これを回避することはできないであろう。しかし、現実というものはこうした志向の持つ魅惑的な支配力に対し、同時に違和感を覚え、適宜利用し、再解釈し、換骨奪胎しつつ展開するものではないか。こうした視点こそ、近年のグラムシ的な「覇権論」の再興とそのポストコロニアルな研究における適用から、フィリピン政治研究への貢献となるのではないかと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 宮脇聡史君の論文「現代フィリピン・カトリック教会の政治・社会参与と教会刷新」は、フィリピン地域研究の立場から、現代フィリピン・カトリック教会の政治及び社会との関わりを解明しようとするものである。論文の主眼は、1986年民主化以降の時期に、司教層を中心にカトリック教会が政治参与と動員努力を深めていった過程とその特徴を、教会の公文書に対する言説分析を軸として検討することに置かれている。

 第1章では、本論文の課題設定と研究史の整理が行われている。ここでは、フィリピンのカトリック教会が、民主化などの政治変動の過程に積極的に参与する「公共宗教」というカテゴリーに当てはまりやすい面をもっているが、「公共宗教」たりうる背後にはポストコロニアルな問題があるという、歴史的問題を軽視しない視点の必要と、教会の言説を包括的に分析する必要、教会の政治・社会関与と教会刷新の展開と論理を重ね合わせる必要が提示されている。

 第2章では、カトリック教会の政治・社会参与の模索の歴史的経緯が分析されている。ここではまず、教会の植民地史的な成立経緯が、歴史的規定要因として重要であることが指摘されている。その上で、1960年代から本格化した教会の政治・社会参与の模索が、1980年代前半の政治参与に積極的な主流派形成に至り、1986年の民主化政変で主導的な役割を担うことになった経緯が分析されている。

 第3章では、教会の政治参与の論理である「社会司牧」の制度と言説の確立過程が分析されている。まず、カトリック司教協議会(CBCP)の機構が、国民政治への積極参加に向けて整備されていったことが指摘されている。この政治参与の根拠づけとして、1986年政変をめぐる言説分析から、教会指導者層の政治参与が、「キリスト教国」であるフィリピンの人々の「司牧」という、教会論と社会論の接合を根拠としていることが示されている。

 第4章では、CBCP主導の要理教育プログラムの刷新とその実施状況が分析されている。さらに、要理教育プログラムとは齟齬をきたすような教会教育の実践現場の事例も検討されている。

 第5章では、政治・社会参与と要理教育プログラムの背景にある教会論の形成過程と、その問題が分析されている。ここではまず、第2バチカン公会議以降の「教会刷新」と「社会変革」という二大使命の優先順位と相関関係が、教会の新しいアイデンティティの模索と深く関わってきたこと、1980年代のCBCPにおける主流派形成は、政治への参与が突出した形でなされ、これに対する教会刷新の要求から1991年のフィリピン教会会議に至るが、そこで提起された「貧しい者たちの教会」と「弟子の共同体」という二つのビジョンの意味と関係をめぐって、なお鮮明な教会論を描ききれないまま、積極的な政治参与が継続されていることが指摘されている。この積極的政治参与を正当化する言説として、フィリピン社会の宗教性、文化についての停滞的・固定的な解釈と、「変革の指導者」たる司教たちの指導性の必然性が対応関係にあるような、社会論・文化論が検討されている。その上で、こうした解釈を下から突き崩す動きを紹介し、教会の教会論、社会論、政治参与の三者が、教会の一致を求める切実な要請と結びついている反面、きわめて不確かで矛盾した基盤に立っていることが指摘されている。政治・社会参与への積極的姿勢に比べると、多数者の支持を得る見通しが弱い教会自体の「弟子の共同体」としての刷新には、十分な力はそそがれなかった、他方「貧しい者たちの教会」というビジョンは、社会活動に積極的な進歩派や急進派、カリスマ運動、これらを積極的に取り込もうとする教会指導者層の妥協の産物であったが、教会が、多数派庶民を取り込む具体的な方策、資源、実践を十分には持たないまま、政治参与の度合いを高めていく際の根拠となっていったことが指摘されている。

 第6章では、この「貧しい者の教会」という動員原理と実態の乖離が、大きな政治変動と結びついた時に、動員する教会と動員されるはずの庶民との乖離が、剥き出しになって現れた例として、エストラーダ大統領退陣をめぐる動きが分析されている。教会の政治的公共空間の要であるEDSA大聖堂を、「民衆の祝祭」と称する親エストラーダ派のデモ(EDSA3)に占拠された時の、大聖堂は「教会の私有財産」で「政治的な集会は一切行わない」といった、教会側の混乱とエリート主義的な本音の暴露は、「EDSAの神話」を支えに政治参与の言説体系を構築し、活発に政治に参与してきたCBCPのクライマックスと共に生じた破綻であったとしている。

 第7章は、結論と今後の課題の提示にあてられている。ここでは、現代フィリピン・カトリック教会は、歴史的に形成された「多数派」の原理と既得権益に強く依存しながら、この依存の歪みを直視しないで、「過去の遺産」を公共領域に積極的に参与する際の正統性原理の根拠としてきた、これは確かに教会がフィリピンの公共領域の屋台骨として貢献してきたことに結びつきはするものの、「過去の遺産」を政治資源として利用する誘惑に無自覚になり、結果として教会の司牧の脆弱さを改めて印象づけるとともに、民主主義政治の制度と実践の不安定化に加担してしまっている、ということが指摘されている。

 本論文の最大の意義は、フィリピン・カトリック教会の公文書、特に司教協議会やマニラ大司教区の文書を系統的に分析し、フィリピン・カトリック教会が、政治・社会参与をどのように位置づけているのかを、教会の要理教育、教会論にまで踏み込んで、実証的、体系的に解明した点にある。このような形の先行業績はなく、本論文は現代フィリピン・カトリック教会研究の基礎となりうる成果である。また、民主化後の1990年代という、一般には教会の政治的、社会的重要度が低下したといわれる時期に注目した点も、本論文の特徴として評価できる。また、カトリック教会に関わる用語の使い方も、おおむね正確であることも指摘された。

 他方、審査では、「ポストコロニアル」という視点を強調しているにもかかわらず、十分に掘り下げられていない、「貧しい人々」の存在が強調されているが、その具体的な姿が不鮮明である、重要な論点の根拠が不明確であったり、二次文献の引用にとどまっている、といった問題点も指摘された。

 こうした問題点や今後に残された課題はあるが、それは本論文の基本的な意義を否定するものではないと審査委員会は判断した。したがって、本委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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