学位論文要旨



No 121776
著者(漢字) 藤田,義信
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ヨシノブ
標題(和) 低分子量ストレスタンパク質αΒ-クリスタリンと微小管の相互作用
標題(洋) Interaction of stress protein αΒ-crystallin and microtubule
報告番号 121776
報告番号 甲21776
学位授与日 2006.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第682号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 助教授 八田,秀雄
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨 要旨を表示する

 生体は常に様々なストレスを受け,またそれに絶えず応答している.生物は進化の過程において,これらのストレスから自身を守るために様々な仕組みを発達させてきたと考えられる.ストレスの中で非常によく研究されているものとして,高温ストレス(熱ショック)があげられる.この応答機構は生体が熱に曝されたときに熱ショックタンパク質(Heat Shock Protein,HSP)と命名された一群のタンパク質を合成する応答として知られている.HSPは,熱ショック時に発現量が増加し変性したタンパク質の凝集を抑制したりリフォールディングを行うほか,新たに合成されたタンパク質の折りたたみを助けたり,タンパク質の分解時にも重要な役割を果たしている.HSPには分子量に従ってファミリーがあり,その中で15-30 kDaのものを低分子量ストレスタンパク質(small Heat Shock Protein, sHSP)と呼ぶ.

 αB-クリスタリンは目のレンズ以外の組織においても,構成的に発現していることが知られているsHSPの一つである.レンズ以外では,αB-クリスタリンは心筋,骨格筋などで比較的多く,腎臓,肺などで中程度,脳,脾臓でも少量発現していることが報告されている.筋組織中ではZ線に局在しており,筋線維タイプ依存的に発現している.αB-クリスタリンの分子量は約22 kDaであるが,生体内では平均800 kDaの巨大な複合体を形成している.複合体は球形で,変性したタンパク質は中央の空洞部,あるいは表面に結合することが報告されている.αB-クリスタリンは,レンズ内では他のレンズ構成タンパク質の変性凝集を抑制して,レンズの透明性を維持していることが報告されている.しかしながら,レンズ以外での機能についてはよくわかっていない.いくつかの組織においては熱ショック時の細胞よりもαB-クリスタリンの発現量が高いことが知られており,このような組織においては非ストレス存在下においてもαB-クリスタリンが何らかの重要な役割を果たしていることが推測される.そのような組織においての機能に示唆を与えるものとして細胞骨格との相互作用が報告されている.アクチンに関しては細胞やin vitroで,中間系フィラメントでは,ビメンチン,グリア細胞繊維性酸性タンパク質,さらにデスミンなどでαB-クリスタリンとこれらの細胞骨格の相互作用を示す報告がなされている.

 残る主要な細胞骨格である微小管に関しては,変性チューブリンダイマーとの相互作用に関する報告があるが,その重合体である微小管に対する相互作用を示す報告はない.微小管は,細胞形態の維持,細胞内器官やチューブリン自体も含む様々な分子の輸送のレールなどの生体にとって重要な機能を担っている.遊離チューブリンは比較的変性しやすいが,変性チューブリンは重合を抑制することが知られている. 興味深いことに,微小管の脱重合や安定化によってαB-クリスタリンのmRNAとタンパク質の発現量が増減することが報告されている.これらの結果から,遊離チューブリンがαB-クリスタリンの基質となっており,そのためαB-クリスタリンの発現量が変化するといった可能性が考えられ,αB-クリスタリンとチューブリン・微小管の密接な関係が考えられる.

 本学位論文では,αB-クリスタリンのレンズ以外の組織での機能を知るために,まず始めに,残る主要な細胞骨格である微小管にαB-クリスタリンが結合しうるかどうかについて検討した.もし,重合体である微小管にαB-クリスタリンが結合しているとすると,熱などにより変性したチューブリンを素早く捕捉し,凝集形成の抑制を容易に行える可能性があると考えたからである.細胞染色により微小管とαB-クリスタリンの共局在が観察されたこと,細胞抽出液を用いた再構成微小管とαB-クリスタリンが共沈してくることからこの結合が示唆された.また,電子顕微鏡による観察においてもこの結合が観察された.精製度の異なるチューブリンから形成した微小管と共沈するαB-クリスタリンを測定した結果,αB-クリスタリンは微小管結合タンパク質(MAPs)を含む微小管に結合することを示した.高純度チューブリンから再構成した微小管に熱耐性MAPsを加えると,結合するαB-クリスタリン量が量依存的に増加することから,熱耐性MAPsとして精製されるタンパク質群のうちのどれかを介してαB-クリスタリンが微小管に結合していると考えられた.また,部位欠損αB-クリスタリンを用いた実験により,この結合がαB-クリスタリンの11番目から56番目のアミノ酸で起こっていることを示した.

 次に,この結合が微小管にどのような影響を与えるかについて検討した.αB-クリスタリンが相互作用する細胞骨格に対する影響は,アクチン線維に関しては脱重合に対して安定化作用,中間径フィラメントに対してはバンドル化の抑制を及ぼすと報告されている.サブユニットの形状やその動的特性などに共通性のみられるアクチンに対するのと同様の効果が見られるのではないかと考え,αB-クリスタリンの微小管脱重合時における効果を検討した.ノコダゾールによる微小管脱重合をαB-クリスタリンが抑制することを,αB-クリスタリンの発現量を増減させた細胞を用いた実験と蛍光顕微鏡を用いた微小管長の測定から示した.また,ノコダゾールと同じ作用機序をもつポドフィロトキシンを用いて実験を行い,この抑制効果がαB-クリスタリン量に依存する結果を得た.さらに,細胞内で微小管の動態を制御していると考えられているカルシウムによる微小管脱重合に対してもαB-クリスタリンが抑制効果を与えることを示した.

 本学位論文は,非ストレス存在下に細胞内とin vitro においてαB-クリスタリンと微小管の相互作用を初めて明らかにしたものである.αB-クリスタリンが,筋芽細胞とグリオーマ細胞内で微小管ネットワークと局在を共にし,細胞抽出液から再構成した微小管と共沈したことから,この相互作用は筋特異的,あるいは脳特異的ではなく,より一般的なものであると考えられる.熱耐性MAPsを用いた実験から微小管への結合がこれらのいずれかのタンパク質を介していることが示唆された.熱耐性MAPsとして精製されるタンパク質にはMAP2,およびタウが含まれている.近年,分子シャペロンであるHSP70とHSP90の両方が,タウに結合し,リフォールディングを行うことが報告された. αB-クリスタリンがアルツハイマー患者の脳内でタウとアミロイド-βを含む神経原線維変異に局在していることがいくつか報告されている.これらの結果と本研究をあわせて考えるとαB-クリスタリンはタウと結合しているのかもしれないが,詳細については今後の課題であると考える.また,部位欠損αB-クリスタリンを用いた実験から,この結合はαB-クリスタリンの11番目のアミノ酸から56番目のアミノ酸で起こっていることが示唆された.この領域はsHSPに保存されているα-クリスタリン領域とは異なっており,この結合αB-クリスタリン特異的なものであることを推測させる.さらに,この領域にはαB-クリスタリンの3つのリン酸化部位のうち2つが含まれており,リン酸化による制御が行われている可能性も考えられる.

 複合体を形成しているsHSPは,その表面を基質となるタンパク質に結合部位として供して,変性タンパク質の凝集を抑制していると報告されている.本研究の結果とあわせて考えると,αB-クリスタリンは一方では熱耐性MAPsを介して微小管と結合しており,もう一方では変性したタンパク質を凝集から防ぐための結合部位として供している可能性がある.αB-クリスタリンの基質として変性チューブリンがあげられるので,αB-クリスタリンはその重合フォームである微小管に熱耐性MAPsと結合する一方で,変性した脱重合フォームであるチューブリンと相互作用して,動的に重合脱重合の2つの相が制御されている微小管・チューブリン系をストレス存在下においては変性チューブリンの保護,非存在下には微小管脱重合の抑制を行って保護しているのかもしれない.

 また,ほとんどのsHSPは筋でその発現量が高いことが知られており,αB-クリスタリンもレンズ以外では心筋,骨格筋で発現量が高く,筋内でのαB-クリスタリンの発現量は筋線維タイプ依存的であることが報告されている.また,αB-クリスタリンの発現量と酸化的代謝能はよく相関していることが報告されている.これらの組織において,3種の細胞骨格により構築されるテンセグリティモデルは不断の持続性収縮に曝されていると考えられる. 実際,培養細胞系において,ストレスファイバーのアクトミオシン系の収縮により,微小管の脱重合が増加することを示唆する報告がある.このような収縮による微小管脱重合が,持続的収縮をしている心筋や遅筋で起こっているとすると,αB-クリスタリンがこれらの組織においてその発現量を増やすことによって微小管脱重合を抑制する機能を果たしているのかもしれない.

 本学位論文によって,αB-クリスタリンが3種の細胞骨格全てと相互作用し,機能を果たしていることが明らかとなった.その詳細な結合の様態(結合部位と結合する標的タンパク質)と微小管脱重合抑制のメカニズムについては検討される必要があるが,この知見によって,これまでその機能について不明なところのあったsHSPの機能の一端が解明されたと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本博士論文は、細胞の形態構築・張力伝達に必須な細胞骨格と、"タンパク質の一生"を世話する分子シャペロン(ストレスタンパク質)という二大タンパク質基幹システムに焦点をあて、その相互作用について明らかにしたものである。低分子量ストレスタンパク質の研究分野はHSP70やHSP90などのメジャーな分子シャペロンに比べると遅れている。その理由としては、従来の研究においては致死あるいは疾患の原因遺伝子となるものが主要に解析されており、そのどちらでもない低分子量ストレスタンパク質は研究分野としてあまり重要視されていなかった点があげられる。しかしながら近年、低分子量ストレスタンパク質が神経原線維疾患と関連しているという報告や、ノックアウトマウス、線虫、ショウジョウバエという個体を用いた研究において寿命に関与しているという報告がされるようになり、ポストゲノム時代に突入し、活動的で質の高い長寿社会の構築を模索する生命科学分野において、低分子量ストレスタンパク質の研究分野は非常に注目される分野となってきている。また一方の細胞骨格系についても現在では、細胞の構造や形態を維持する基幹システムとして存在するだけではなく、遺伝子発現にいたるシグナル分子カスケードにおいても細胞骨格系が機能していることが分かりつつある。"Stretching is good for a cell"と題した論文において"The shape is the thing".「形そのものが意味がある」とレビューしたのは細胞外マトリクス研究の第一人者Ruoslahti (Science、1997)である。真核生物の3種の細胞骨格は、異なった張力特性や動的特徴により互いに影響を及ぼしあいながら、細胞システムの様々な側面を制御しており生命科学において重要な研究分野であると考えられる。

 本博士論文の科学的意義は以下の点である。1)細胞の基幹構造細胞骨格の一つである微小管に低分子量ストレスタンパク質のひとつであるαB-クリスタリンが結合することを生化学的、細胞生物学的な様々な手法を用いて世界で初めて示した。2)この結合によりビンカアルカロイドとカルシウムによる微小管脱重合が抑制されることを示した。順に注目すべき点をあげる。

 1)はきわめて重要なデータである。これまでにαB-クリスタリンが、他の細胞骨格であるアクチン線維や中間径フィラメントと相互作用することが報告されていたが、微小管に関してはその構成タンパク質であるチューブリンの変性・凝集を抑制することが知られているのみであった。本論文によりαB-クリスタリンが3種の細胞骨格全てと相互作用することが示された意義は大きなものである。また本論文で明らかとなった結合部位は低分子量ストレスタンパク質に保存されているアミノ酸配列部位ではなく、αB-クリスタリン特異的なアミノ酸配列部位であり、この結合が低分子量ストレスタンパク質ではなく、αB-クリスタリンにのみみられる特質であることを裏付けるものとなっている。さらに、この結合は微小管中のチューブリンではなく熱耐性MAPsとして得られたタンパク質を介していることが明らかとなったので、今後の研究の展開が期待されると考えられる。

 2)に関しては、動的にその重合・脱重合が制御されている微小管において、αB-クリスタリンがその脱重合を抑制することにより微小管動態を制御の一端を担っていることを示したものである。遺伝子工学的にαB-クリスタリン量を減らした細胞においては微小管の脱重合が抑制されておらず、αB-クリスタリンの細胞内での必要性が示唆されたと考えられる。In Vitroにおける実験から、カルシウムに対する微小管脱重合の抑制にもαB-クリスタリンが関与していることが明らかとなった。カルシウムは、セカンドメッセンジャーとして多様な役割を持ち、動的不安定性を増加させることにより生体内での微小管脱重合を担っていると考えられているので薬剤処理による結果のみよりも、より生体内での機能を模したものとして意義があると考えられる。3つの細胞骨格、アクチン線維、微小管、中間径フィラメントは基本的には独立してその動態の制御が行われているが、異なった張力特性や動的特徴により互いに影響を及ぼしあっている。また、中間径フィラメントの一つであるビメンチンはほとんどの細胞において微小管ネットワークとキネシンにより結合され、局在を共にしていることが報告されているので、αB-クリスタリンは微小管に結合して、微小管・チューブリンと中間径フィラメントの両方に対するシャペロンとして間接的に、もしくは中間径フィラメントに直接結合することによってこれら2つの細胞骨格に対するシャペロンとして機能している可能性を示唆するものとして今後の研究が期待されると考えられる。

 以上のように本研究は細胞の基幹システムである細胞骨格と低分子量ストレスタンパク質αB-クリスタリンの相互作用を明らかにし、今後さらに重要性を増していくと考えられる研究分野への研究結果を提示した。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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