学位論文要旨



No 121783
著者(漢字) 清水,隆
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,タカシ
標題(和) タバコ懸濁培養細胞の培地中に同定された新奇細胞分裂誘導因子の解析 : それらとオーキシン独立栄養の関連性について
標題(洋) Analyses of novel cell division factors that were identified in cultured cell lines of tobacco : their implication in auxin-autotrophy
報告番号 121783
報告番号 甲21783
学位授与日 2006.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4918号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 助教授 杉山,宗隆
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
 東京大学 助教授 川口,正代司
内容要旨 要旨を表示する

序論

 オーキシンは植物細胞の細胞分裂に必須である。このため植物培養細胞の培地にはオーキシンを加えるが、細胞増殖にオーキシンを必要としなくなる現象がニンジン培養細胞で発見され、「馴化(habituation)」と名付けられた(R. Gautheret、1942)。同様の現象は、その後、様々な植物種で観察された。これら馴化細胞の多くはオーキシン生産量が高くなく、そのためオーキシン信号伝達機構に変異が起こったと考えられる。この機構の解明は、オーキシン作用に関する新知見をもたらすものと予想される。

 タバコ懸濁培養細胞2B-13は、BY-2細胞由来の馴化細胞で、オーキシンを含まない培地でも増殖する。この2B-13の細胞外濾液をオーキシン飢餓により増殖を停止したBY-2細胞に添加すると、細胞分裂を再開させる効果があることが分かった(図1)。ところが、2B-13細胞のオーキシン生産量はBY-2細胞と比較して特に多いわけではなかった(表1)。このことから、2B-13の細胞外濾液中にはオーキシンとは異なる細胞分裂誘導因子(Cell Division Factor : CDF)が存在すると考えられる。このCDFの同定と物質的性質の解明は、オーキシン信号伝達機構の、これまでに知られていない性質について明らかにすると期待される。

 本研究では、まずCDFの生化学的性質を解明したが、CDFは塩基性糖ポリペプチドと推定された。これに基づき精製をした。更に、BY-2の細胞外濾液にも類似のCDFが存在する事を明らかにしたが、その分子サイズは2B-13細胞のそれとは異なっていた。以上の結果を、オーキシン作用機構の見地から考察した。

結果と考察

(1) 細胞分裂誘導活性の生物検定

 2B-13細胞の培養は、培地中にオーキシンを添加しない以外は、BY-2細胞と同様の条件で行った。2B-13の細胞外濾液は、植継ぎ後3日目の細胞懸濁液を濾紙で濾過して得た。BY-2細胞をオーキシン除去培地で3日間培養すると細胞分裂は停止するが、この細胞にオーキシンを再添加すると半同調的に細胞分裂が誘導される。そこで、細胞外濾液および精製過程で得られた画分の細胞分裂活性は、すべて、この実験系での細胞分裂誘導活性で判断した。具体的には、試料を添加してから約12時間後に細胞分裂指数(Mitotic Index : MI)のピークが観察されたものを生物活性があるものとした(図1)。

(2) CDFが持つ生化学的性質の解析

 CDFは熱処理(100℃・10分間)、pH変化(pH4〜10)、凍結乾燥に対し安定であることが明らかになったので、以下の実験でこれらの操作を用いた。また、CDFはpH8.5以上の条件下で陰イオン交換担体(DEAE Sephadex)と結合能を持ち、1 M NaClを添加したバッファーで溶出したことから(図2)、CDFの等電点は塩基性側にあると推定した。また、CDFをトリプシン処理、N-glycopeptidase F (GPF)処理すると細胞分裂誘導活性が失われたことから(図3)、CDFは糖修飾されたペプチド鎖を持ち、その存在が細胞分裂活性の維持に必要であると判断された。

(3) CDFの精製

 上記の生化学的性質を基にCDFの精製戦略した(図4)。まず、塩基性ポリペプチドを抽出するためにヒドロキシアパタイトを用い、糖鎖があることを考慮してレクチン(Concanavarin A : Con A)カラムを用いた。さらに、分子サイズで分画するためにゲル濾過クロマトグラフィー(Gel Filtration Chromatography : GFC)を行った。精製の各段階において生物検定を行い、細胞分裂誘導活性を有する画分を次の段階の精製へと進めた。GFCを行った際、溶出時間を分子量既知のマーカータンパク質と比較したところ、CDFの分子サイズは、およそ30kDaであると推定された(図5)。精製中のそれぞれの段階で細胞分裂誘導活性のあった画分の精製度をSDS-PAGEで確認した(図6A、B)。GFC後の画分において、分子サイズ30 kDa付近にシングルバンドが検出されたので(図6B矢印)、精製できたと判断した。

(4) BY-2の細胞外濾液に含まれるCDFの単離精製

 2B-13細胞のCDFが、オーキシン飢餓BY-2の細胞分裂を誘導することから、BY-2細胞も2B-13細胞と同様のCDFを分泌しているかを検討するため、BY-2細胞の細胞外濾液が持つ細胞分裂活性を検定した。その際培地に加えた2,4-Dの影響を除くため、生物検定にはヒドロキシアパタイトによる粗精製画分を用いた(図7)。その結果、BY-2の細胞外濾液にもCDFが含まれることが明らかになった。そこで、BY-2細胞の場合も2B-13細胞と同様の手法で精製を試みた。GFCの際に分子量を推定したところ、BY-2の細胞外濾液中には約25kDaと約40kDaの2種類のCDFが含まれ、それぞれ独立に細胞分裂誘導活性を持っていた(図8)。GFC後の画分において、分子サイズ25kDaと40kDa付近にシングルバンドが検出されたので(図9矢印)、精製できたと判断したが、このいずれも2B-13細胞とは分子サイズが異なっていた。

(5) MALDI TOF MSによるアミノ酸部分配列の解析

 2B-13細胞のCDFのアミノ酸配列を推定するため、トリプシン処理したCDFをMALDI TOF MS法で解析した(図10)。その結果、8個のピークから決められたペプチド断片の配列がGossypium gossypioides (ワタ)のp-glycoprotein (PGP)に96%以上の確率で一致した。PGPは膜貫通領域とNucleotide Binding Fold (NBF)を持ち、約1200アミノ酸からなる膜タンパク質で、分子内に2回繰り返し構造を持つABCトランスポーターの一種である。理論上推定された7つのペプチド断片の配列は、このPGPの2回繰り返し構造の連結部分に位置していたため、CDFは、この連結部分と類似の構造を持つと考えられる。CDFをコードする遺伝子を探索は、CDFの生物学的意味をより明確にすると予想される。

 細胞増殖に関与するペプチド性分泌因子は、これまでにphytosulfokineやアラビノガラクタンタンパク質などが知られているが、オーキシン非依存的に細胞分裂誘導活性を持つ因子の報告は無い。そのため、本報告の糖ペプチドは新奇物質と判断され、細胞増殖に対するオーキシンの作用機構研究に新展開をもたらすと考えられる。今後は、CDFを介した細胞分裂とオーキシンとの関わりを明らかにすることで、オーキシン作用機作研究において新局面の展開が進むと予想される。

まとめ

(1) タバコ懸濁培養細胞2B-13が細胞外に分泌する細胞分裂誘導因子(CDF)は、分子サイズ約30kDaの塩基性糖ポリペプチドであった。

(2) タバコ懸濁培養細胞BY-2の細胞外濾液中にも2B-13のCDFと類似の性質を持つものの、分子サイズが異なる2種類のCDFが存在し、それぞれ独立に細胞分裂誘導活性を持っていた。

(3) 2B-13およびBY-2の細胞外濾液から、CDFを精製した。アミノ酸配列解析の結果、2B-13のCDFはPGPの一部分と高い相同性を示した。

(4) 今後は、BY-2のCDFのアミノ酸解析や、3つの糖ペプチドの関係を解明すること、それぞれのCDFをコードする遺伝子の探索などを通じて、CDFを介した細胞分裂とオーキシンとの関係を明らかにしたい。

図1 2B-13の細胞外濾液によるオーキシン飢餓BY-2の細胞分裂再誘導

オーキシン欠損培地中で約60時間培養したBY-2細胞に対し、2,4-D (0.2mg/L : □)、植継後3日目の2B-13細胞外濾液(200mL/L : ○)を添加したもの、及び何も添加しなかったもの(×)の細胞分裂率(Mitotic Index)の経時変化を示す。2B-13の細胞外濾液により半同調的な細胞分裂が誘導された。

表1 BY-2と2B-13の細胞内及び培地中の植物ホルモン濃度

植物ホルモン濃度の定量にはGC MSを用いた。IAA : Indole-3-acetic acid、Z : Zeatin、ZR : Zeatin riboside、ZRM : Zeatin riboside monophosphate

図2 細胞分裂誘導因子の等電点の推定

各pHに平衡化したDEAE Sepharoseに対し脱塩、凍結乾燥した2B-13の細胞外濾液を添加し、攪拌した。遠心分離後、上清を生物検定した。pH9.0条件下でDEAE Sepharoseに吸着した因子は1.0M NaClを含むバッファーで溶出し、同様に生物検定した。グラフは細胞分裂率のピークを示す。上清に細胞分裂誘導活性の見られなかったpH9.0、9.5の条件下では、因子は負電荷を持ち、DEAE Sepharoseに吸着したと考えられるため、因子の等電点はおよそ8.5と推定された。バーは標準偏差を示す。

図3 細胞分裂誘導因子の分解酵素に対する感受性

2B-13の細胞外濾液を脱塩、凍結乾燥後Trypsin (A)或はN-Glycopeptidase F (B)で処理した(○)。対照は100℃、10分で不活化した酵素で処理したもの(◇)、バッファーで処理したもの(△)を用意した。各サンプルは100℃、10分で酵素を不活化した後、生物検定した。グラフは細胞分裂率の経時変化を示す。

図4 細胞分裂誘導因子の精製戦略

各精製段階で細胞分裂誘導活性のあった画分を赤字で示す。

図5 GFCにおける各画分の細胞分裂誘導活性

2B-13細胞外濾液中CDFの精製結果を示す。細胞分裂誘導活性の最も高かった画分(〓)は、分子量マーカーとの比較で、分子サイズ約30kDaと推定された。バーは標準偏差を示す。

図6 精製度の確認

2B-13細胞外濾液中CDFの精製各段階において細胞分裂誘導活性を持っていた画分の精製度を、SDS-PAGEで確認した。CBB染色像(A)、及び銀染色像(B)を示す。Bでは、図6の赤で示した画分を泳動した。各レーン上の番号は、図4の各精製段階と一致する。

図7 BY-2細胞外濾液の細胞分裂誘導活性

BY-2の細胞外濾液は、添加した2,4-Dの影響を除くため、凍結乾燥後、ヒドロキシアパタイトによる粗精製を行った後、脱塩し、生物検定した。Fraction(1) : 10mM Phosphate-KOH (pH7.2)、Fraction(2) : Buffer + 1M KCl、Fraction(3) : Buffer + 0.3M Phosphate-KOHによる溶出画分を示す。

図8 GFCにおける各画分の細胞分裂誘導活性

BY-2細胞外濾液中CDFの精製結果を示す。細胞分裂誘導活性の高かった画分(〓)は、分子量マーカーとの比較で、分子サイズ約40kDa(A)、約25kDa(B)と推定された。バーは標準偏差を示す。

図9 精製度の確認

BY-2細胞外濾液中CDFのうち、GFC精製画分の精製度を、SDS-PAGE及び銀染色で確認した。レーンA、Bは図9の画分A、Bと同じ。

図10 MALDI TOF MSによるアミノ酸部分配列解析

トリプシンで断片化したCDFを解析した。CDF(赤)、トリプシン(緑)に相当すると考えられるピークを矢印で示す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、5章からなる。第1章はイントロダクションであり、第2章はオーキシン独立栄養のタバコ培養細胞2B-13の分泌する新奇細胞分裂誘導因子の精製とその同定、更に糖タンパク質であると判定されたその因子のアミノ酸部分配列の決定について述べられている。第3章は、この因子の糖鎖種類の推定とアラビノガラクタンタンパク質の性質を持つことの解析、更にその生物学的意義を明らかにしている。第4章は、通常のオーキシンを要求するタバコ細胞株BY-2も同様な糖タンパク質を細胞外へ分泌するが、精製したところ2種類の糖タンパク質が同定され、その分子サイズは2B-13細胞のそれとは異なることを述べており、第5章は全体のまとめである。

 本研究では、植物細胞の細胞分裂においてオーキシンに替わる細胞分裂効果を持つ新奇高分子糖タンパク質をオーキシン独立栄養株2B-13の細胞培養濾液中に同定した。その精製の各段階において、オーキシン飢餓状態では分裂を停止する通常のタバコ培養細胞BY-2を用い、細胞分裂が停止したBY-2細胞に細胞分裂誘導活性の付与することを生物学的指標とする生物検定法を用いた。精製した糖タンパク質は、オーキシン飢餓で分裂停止したBY-2細胞の細胞分裂を誘導した。なお、2B-13細胞は、BY-2細胞よりオーキシンを加えない培地でも増殖する細胞株として選抜された細胞株である。細胞分裂誘導因子は、細胞外濾液を回収し、凍結乾燥法で固形成分を集め、それをヒドロキシアパタイトカラム、ConAセファロースカラム、セファデックスゲル濾過カラムクロマトグラフィーをこの順序で通過させて精製した。その結果精製された糖タンパク質のアミノ酸の部分配列は、MALDI TOF MS/MS法により決定した。そのアミノ酸配列はABCトランスポーターの範疇に入り、その中ではPGPタンパク質とよばれる一群のタンパク質の一つであることを同定したが、膜貫通ドメインは欠如していた。一方、糖鎖部分は、マンノース、ガラクトースタイプであり、糖タンパク質全体ではアラビノガラクタンタンパク質と判定される特性を持っていることを明らかにした。植物細胞がオーキシンに対して独立栄養になる、いわゆる馴化(habituation)は、1942年にR.Gautheretにより発見されたが、その分子的レベルの解析はこれまで全くなされておらず、未知のままであった。今回の研究の結果は馴化に関する初めての分子レベルでの説明であるといえ、この点に最も重要な意義がある。

 なお、BY-2細胞の細胞培養濾液中にも類似の糖タンパク質が複数存在することがわかったので、2B-13細胞の濾液に適用した方法と同様な手法で精製したが、精製された2種類の糖タンパク質は、それぞれが独立にオーキシン飢餓BY-2細胞の細胞分裂を誘導した。ところが、これらの糖タンパク質はいずれも2B-13細胞より精製された糖タンパク質とは分子サイズが異なっていた。更に、オーキシン飢餓になったBY-2細胞の細胞外濾液には最初この細胞分裂誘導因子は存在せず、オーキシンを加えて後に初めてこの因子が検出されることから、オーキシンと馴化とこの細胞分裂誘導因子との間にある関係があることを推定させることが出来たので、その生物学的意義を考察した。

 なお、本論文第2章は、江口健太郎、西田生郎、Kris Laukens、Erwin Witters、Harry Van Onckelen、長田敏行との共同研究であり、第3章、第4章は長田敏行との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク