No | 121784 | |
著者(漢字) | 原,祐子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ハラ,ユウコ | |
標題(和) | 棘皮動物有柄ウミユリ類トリノアシのHox遺伝子に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on Hox genes in the stalked crinoid Metacrinus rotundus | |
報告番号 | 121784 | |
報告番号 | 甲21784 | |
学位授与日 | 2006.09.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4919号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序論 棘皮動物は動物系統分類学上、脊索動物、半索動物と同様、新口動物の一門をなす。棘皮動物は少なくとも生涯の一時期に茎を持つ有柄亜門と茎を持たない遊在亜門に大別され、さらに有柄類は便宜上有柄ウミユリ類とウミシダ類に分類される。有柄ウミユリ類は古生代に繁栄した動物であり、現生種として報告されているものは非常に少なく、一般的に深海性であるために採集が困難である。従って豊富に存在する化石記録からの研究とは対照的に、現生種を用いた研究は非常に遅れていた。しかし、化石記録と分子系統解析から遊在類よりも有柄類が祖先的であり、さらには有柄ウミユリ類が現生棘皮動物の中で祖先的形質を最もよく保存したグループであることが支持されている。従って、新口動物の共通祖先から分岐した祖先的棘皮動物の形質を最もよく保存している現生棘皮動物は有柄ウミユリ類であり、有柄ウミユリ類を研究することは棘皮動物、ひいては新口動物の体制進化過程を解明する上で極めて重要であると考えられる。 Hox遺伝子群は真正後生動物に共通して前後軸形成に関与していることが知られている。一般的に遺伝子配列の保存性が高いことや複数のHox遺伝子が染色体上でクラスターを形成すること、発現する時期や領域がクラスター上の遺伝子の順序に従っていることなど興味深い特徴が種を超えて保存されていることが知られているため、動物の体制の発生過程と確立過程を理解する上で鍵となる遺伝子である。 本研究では現生棘皮動物で最も祖先的形質を保持していると考えられる有柄ウミユリ類の一種トリノアシMetacrinus rotundusのHox遺伝子に着目し、遺伝子のクローニングと初期発生過程での発現解析を行った。これらの結果に基づいて、有柄ウミユリ類の体制確立へのHox遺伝子の関与、棘皮動物の系統において有柄類から遊在類が分岐する過程で起きた進化的な変化について考察した。 方法 Hox遺伝子が共通に持つhomeoboxの一部をdegenerate PCRによってクローニングした後、RACE、inverse PCR、cDNA libraryをtemplateとしたPCRにより、トリノアシのHox遺伝子をクローニングした。各ortholog groupの推定のため、これらの遺伝子について分子系統解析を行った後、RT-PCRとWhole mount in situ hybridization(WMISH)により、初期発生過程での発現を調べた。 結果 トリノアシから8種類のHox遺伝子をクローニングした。クローニングされた8種類のHox遺伝子にはhomeoboxが存在し、lab、Antp groupの遺伝子についてはhomeoboxの5'側にhexapeptide配列が存在することなど、他の動物の既知Hox遺伝子と同様の特徴が保存されていた。これら8種類のHox遺伝子それぞれのorthologous groupはHox1、Hox2、Hox4、Hox5、Hox7、Hox8、Hox9/10、Hox11/13cであると推定した(Fig.1A,B)。 次にRT-PCRにより、初期発生過程の8発生時期(胞胚期、原腸胚期、孵化幼生期、pre-auricularia幼生期、初期auricularia幼生期、中期auricularia幼生期、後期auricularia幼生期、doliolaria幼生期)における8種類のトリノアシHox遺伝子(MrHox)の発現を調べた。その結果、4遺伝子(MrHox5、MrHox7、MrHox8、MrHox9/10)について発現が認められ、他の4遺伝子については発現が認められなかった(Fig.2)。MrHox5はpre-auricularia幼生から発現が確認され、doliolaria幼生に至るまで発生の進行に伴って発現量が増加した。MrHox7は4遺伝子の中では最も早い原腸胚期から強い発現が確認されたが、発生の進行に伴って発現量は減少した。MrHox8は孵化幼生以降で発現が確認され、特にpre-auricularia幼生期とdoliolaria幼生期で強い発現が観察された。MrHox9/10はpre-auricularia幼生期に強い発現が見られ、中期auricularia幼生期まで発現が確認された。 次に孵化幼生期、pre-auricularia幼生期、中期auricularia幼生期の3発生時期におけるMrHox遺伝子の発現をWMISHにより調べた。これらの幼生期における胞胚腔内の構造は、孵化幼生期には原腸由来の原腸嚢(ar)が胞胚腔の大部分を占め、pre-auricularia幼生期には原腸嚢が前後軸に沿って3つの部分に分かれ、幼生の前方から後方に向かって軸水腔嚢(ah)、腸嚢(es)、予定後部体腔嚢(psc)となる。中期auricularia幼生期には、予定後部体腔嚢が左右に分離して、一対の後部体腔嚢(左後部体腔嚢=lsc、右後部体腔嚢=rsc)となる(Fig.3)。WMISHの結果、MrHox5、MrHox7、MrHox8、MrHox9/10の4遺伝子についてのみ発現が認められた。この結果はRT-PCRによる発現解析の結果を支持している。これらの4遺伝子は主に中胚葉性の後部体腔嚢で発現していた。MrHox5はpre-auricularia幼生期に予定後部体腔嚢、中期auricularia幼生期に左右後部体腔嚢、それぞれの最前部に限定した発現が確認された(Fig.3A,B,C)。MrHox7は孵化幼生期に原腸嚢の後部半球で、pre-auricularia幼生期に予定後部体腔嚢の前方2/3程度の領域で、また、中期auricularia幼生期に左右後部体腔嚢の前方2/3程度の領域で発現していた(Fig.3D,E,F)。MrHox7は他の3遺伝子と異なり、中胚葉性の体腔以外に前部口側外胚葉での発現も認められた。MrHox8は孵化幼生期にはMrHox7と同様に原腸嚢の後部半球で発現し、pre-auricularia幼生期には予定後部体腔嚢の後方2/3程度の領域、中期auricularia幼生期には左右後部体腔嚢の後方2/3程度の領域で発現していた(Fig.3G,H,I)。MrHox9/10はpre-auricularia幼生期の予定後部体腔嚢、中期auricularia幼生期に左右後部体腔嚢、それぞれの最後部での発現が確認された(Fig.3J,K,L)。これら4種類のHox遺伝子の予定後部体腔嚢、左右後部体腔嚢での発現はMrHox5,MrHox7,MrHox8,MrHox9/10の順に幼生の前方から後方へ発現領域が並ぶパターンを示した。 考察 トリノアシで今回全長またはほぼ全長がクローニングされたHox遺伝子は8種類であった。他の棘皮動物や姉妹群である半索動物のHox遺伝子との比較から、祖先的棘皮動物にはHox1、Hox2、Hox3、Hox4、Hox5、Hox6、Hox7、Hox8、Hox9/10、Hox11/3a、Hox11/13b、Hox11/13cの12種類のHox遺伝子が存在していた可能性が示唆される(Fig.1B)。 WMISHで観察されたトリノアシ幼生後部体腔嚢でのMrHox5、MrHox7、MrHox8、MrHox9/10の発現には、幼生前後軸に沿ったspatial colinearityが観察された。このことは、有柄ウミユリ類の初期発生過程においても他の動物と同様、Hox遺伝子が前後軸に沿った幼生の体制確立に重要な役割を果たしている可能性を示唆する。また、トリノアシHox遺伝子MrHoxとウニHox遺伝子SpHoxの初期発生過程の後部体腔嚢での発現パターンの相違点は主に2点にまとめられる。第一に、トリノアシではMrHox5の発現は確認されるが、ウニではSpHox5の発現は確認されていない。棘皮動物の系統においてトリノアシが属する有柄類はより祖先的であり、遊在類のウニは由来型であること、MrHox5が発現している領域は後に茎が形成される箇所に重なっていることを考え合わせると、Hox5の発現の削除が遊在類分岐過程で茎が削除されたことに関連している可能性が考えられる。第二に、トリノアシ幼生のMrHox7,Hox8,Hox9/10の一連の発現領域はウニ幼生のSpHox7,Hox8,Hox9/10の各発現領域と比較して、全て後方へshiftしていた。このことは棘皮動物の遊在類の進化過程で体制の後方化が起こっていることを示している(Fig.4)。 結論 1. 棘皮動物の中で祖先的な形質をより多く保存していると考えられる有柄ウミユリ類の一種トリノアシは少なくとも8種類のHox遺伝子MrHoxを持つ。 2. 8種類のMrHox遺伝子のうち、MrHox5,MrHox7,MrHox8,MrHox9/10の4遺伝子は幼生期において主に後部体腔嚢での発現が確認された。また、その発現はMrHox5、MrHox7、MrHox8、MrHox9/10が順番に幼生前後軸に沿って並ぶパターンを示した。このことから、Hox遺伝子がトリノアシ幼生前後軸確立に機能していることが支持される。 3. トリノアシMrHox遺伝子の発現パターンとウニSpHox遺伝子の発現パターンの比較により、遊在類進化過程で体制の後方化(posteriorization)が起こったこととHox5が茎形成に関与する遺伝子であることが示唆される。 Fig. 1 Hox遺伝子のorthologous groupの推定 A) ホメオドメイン60アミノ酸を用いた分子系統解析 B) 新口動物のHox遺伝子の構成 Fig. 2 初期発生過程におけるMrHox遺伝子の発現解析(RT-PCR) MrHox5,MrHox7,MrHox8,MrHox9/10の4つのHox遺伝子の発現が確綛された。 lane1:胞胚(B)、lane2:原腸胚(G)、lane3:孵化幼生(HE)、 lane4:pre-auricularia幼生(PA)、lane5:初期auricularia幼生(EA)、 lane6:中期auricularia幼生(MA)、lane7:後期auricularia幼生(LA)、 lane8:doliolaria幼生(D) Fig. 3 初期発生過程におけるMrHox遺伝子の発現解析(WMISH) 初期発生過程で発現が確認された4遺伝子の発現パターンをイラストとともに示す。 A,B,C)MrHox5、D,E,F)MrHox7、G,H,I)MrHox8、J,K,L)MrHox9/10 (A,D,G,Jは孵化幼生、B,E,H,Kはpre-auricularia幼生、C,F.I,Lは中期auricularia幼生)MrHox5は左右後部体腔嚢最前部、MrHox7は左右後部体腔嚢前部、MrHox8は左右後部体腔嚢後部、MrHox9/10は左右後部体腔嚢最後部、という後部体腔嚢前後軸に一致する一連の発現を示した。ar:原腸嚢,ah:軸水腔嚢,psc:予定後部体腔嚢,es:腸嚢,lsc:左後部体腔嚢,rsc:右後部体腔嚢 Fig. 4 トリノアシ幼生とウニ幼生の後部体腔嚢におけるHox遺伝子の発現 トリノアシ幼生の4つのHox遺伝子(MrHox5, MrHox7, MrHox8, MrHox9/10)とウニ幼生の6つのHox遺伝子(SpHox5, SpHox7, SpHox8, SpHox9/10, SpHox11/13a, SpHox11/13b)について示す。 ウニ幼生の後部体腔嚢はU字形だが、口側を前方として示した。 | |
審査要旨 | 本論文は現生棘皮動物で最も祖先的形質を保持していると考えられる有柄ウミユリ類の一種トリノアシMetacrinus rotundusのHox遺伝子の配列と初期発生過程での発現パターンを明らかにしたものであり、有柄ウミユリ類を用いた分子生物学的研究をまとめた論文としては世界で初めてのものである。 棘皮動物は我々を含む脊索動物や半索動物と同様、新口動物の一門を占め、脊索動物への進化を考える上で重要なグループである。進化過程を検討するにおいては、それぞれの動物群で祖先的な形質を保持している種が重要となるが、現生棘皮動物では有柄ウミユリ類がそれに相当すると考えられている。有柄ウミユリ類は化石記録からの研究は比較的多く行われてきたが、現生種は少なく、一般的に深海性であることから、現生種を用いた研究はほとんど行われてこなかった。有柄ウミユリ類の重要性に着目した本研究では、日本近海で比較的浅海に生息する有柄ウミユリ類の一種であるトリノアシMetacrinus rotundusを用いた分子生物学的解析の結果として、体制の発生過程と確立過程を理解する上で鍵となる遺伝子であるHox遺伝子の、トリノアシ前後軸形成過程への寄与と、棘皮動物の進化過程における発現パターンの変化が述べられている。 本論文は4章からなる。1章にはINTRODUCTIONとして研究の背景と目的、2章にはMATERIALS AND METHODSとして本研究において行った遺伝子クローニングと発現解析の方法の詳細、3章には本研究で得られたトリノアシHox遺伝子の遺伝子配列や遺伝子の分子系統解析、発現解析等を含む主要な結果について、4章には研究結果に基づいたDISCUSSIONが記されている。 第3章では、本研究において有柄ウミユリ類トリノアシから8種類のHox遺伝子MrHox1、MrHox2、MrHox4、MrHox5、MrHox7、MrHox8、MrHox9/10、MrHox11/13cがクローニングされたことが述べられている。既に知られている他の動物種のHox遺伝子との比較により、トリノアシのHox遺伝子のオルソロガスグループが同定された。さらに、これら8種類のうち、4種類のトリノアシHox遺伝子MrHox5、MrHox7、MrHox8、MrHox9/10が初期発生過程において発現していること、その発現パターンは幼生後部体腔嚢において幼生前後軸に沿って発現領域が並ぶspatial colinearityのパターンを示していることが述べられている。 第4章では、本研究の有柄ウミユリ類での結果と他の棘皮動物、姉妹群である半索動物のHox遺伝子と比較することにより、祖先的棘皮動物にはHox1、Hox2、Hox3、Hox4、Hox5、Hox6、Hox7、Hox8、Hox9/10、Hox11/13a、Hox11/13b、Hox11/13cの12種類のHox遺伝子が存在していた可能性が示唆されている。有柄ウミユリ類の幼生でHox遺伝子が体腔嚢においてspatial colinearityに沿った一連の発現を示すことは、他の動物で示されるHox遺伝子の特徴的な発現パターンと一致している。このことは、有柄ウミユリ類の初期発生過程においても他の動物と同様、Hox遺伝子が体制形成前後軸に沿った幼生の体制確立に重要な役割を果たしている可能性を示唆する。また、トリノアシのHox遺伝子MrHoxとウニHox遺伝子SpHoxの初期発生過程の後部体腔嚢での発現パターンを比較することにより、Hox5の発現の削除が棘皮動物の進化における遊在類の分岐過程で茎が失われたことに関連している可能性、また棘皮動物の有柄類から遊在類への進化過程で、体制の後方化が生じたことを示唆している。 以上、本論文では祖先的棘皮動物である有柄ウミユリ類のHox遺伝子の同定とそれらの初期発生過程における発現解析を行い、棘皮動物の進化過程におけるHox遺伝子の発現パターンの変化を明らかにした。この結果は脊椎動物へとつながる新口動物共通祖先の体制形成におけるHox遺伝子の役割を理解する上で重要である。本論文の第2章以降は山口正晃、赤坂甲治、中野裕昭、野中勝、雨宮昭南との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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