学位論文要旨



No 121785
著者(漢字) 土田,浩平
著者(英字)
著者(カナ) ツチダ,コウヘイ
標題(和) 短尾カニ類と寄生性蔓脚類との寄主-寄生者関係に関する生態学的・進化学的研究
標題(洋) ECOLOGICAL AND EVOLUTIONARY STUDY ON HOST-PARASITE ASSOCIATION BETWEEN BRACHYURAN CRABS AND RHIZOCEPHALAN BARNACLES
報告番号 121785
報告番号 甲21785
学位授与日 2006.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4920号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 千葉大学 教授 山口,寿之
 東京大学 助教授 小島,茂明
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 久保,健雄
内容要旨 要旨を表示する

1. 序説

 フクロムシ類は主に十脚甲殻類を宿主とする寄生性蔓脚類であり、その形態は宿主内部の根状のインテルナと宿主外部の嚢状のエキステルナの2部からなる(Fig.1)。フクロムシ類のなかでもフクロムシ科(Sacculinidae)に属するフクロムシ類は宿主カニ類の形態、行動、生理、繁殖面で極めて大きな影響を与える。宿主内部のインテルナがこれらの影響に関与していると思われるが、その影響がどのようにして引き起こされるのか、そのメカニズムを明らかにすることは、"寄生"という生物間相互作用の進化を理解する上で非常に興味深い。そのためには寄主-寄生者関係を理解することが必要不可欠だが、宿主カニ類とフクロムシ類の対応関係には明らかになっていない部分も多く残されている。

 本研究では、潮間帯棲カニ類に対するフクロムシ類の寄生調査(第二部)、フクロムシ類とカニ類の分子系統樹に基づく共進化プロセスの解明(第三部)、cDNA-AFLP法を用いたフクロムシ類インテルナの発現遺伝子探索(第四部)を行い、宿主カニ類とフクロムシ類の対応関係を生態学的見地、進化学的見地、分子生物学的見地から包括的に理解することを目的とした。

2. 潮間帯棲カニ類に対するフクロムシ類の寄生調査

 日本各地の潮間帯において10科34属39種(約4000個体)のカニ類に対するフクロムシ類の寄生調査を行った。その際に、フクロムシ類のDNAの塩基配列比較と形態観察を組み合わせることで、効率の良いフクロムシ類の種同定を行った。寄生調査の結果、5科14属15種のカニ類から99個体のフクロムシ類を採取し、18のカニ類-フクロムシ類の対応関係(新規発見の対応関係7つを含む)を確認した。この結果は、フクロムシ類が自然状態で、宿主として利用できるカニ類の範囲(Host Range)が極めて狭く、特に陸棲、および潮間帯干潟棲のカニ類がフクロムシ類の寄生を受けにくいことを示唆するものであった。これは、陸棲のカニ類にはフクロムシ類の感染期である、キプリス幼生が接触できないことが一因であると考えられた。さらに、同調査の結果、フクロムシ類の分布域はその宿主カニ類の分布域のごく一部であることが分かった。これは、海流によってフクロムシ類幼生の分散域が限定されることが一因であると思われた。

 以上のことから、現在見られるカニ類とフクロムシ類の対応関係には、宿主カニ類の生息地や海流などの物理的要因が大きく絡んでいると思われる。しかし、その対応関係がどのようにして確立され、現在のものに至ったのかを理解するためには、宿主カニ類とフクロムシ類との対応関係の変遷過程を推測する必要があると思われた。

3. フクロムシ類とカニ類間の共進化プロセスの推定

 21種のフクロムシ類(+アウトグループ1種)の系統関係を18S rRNA遺伝子(約1600塩基)を用いてベイズ法により推定した。21種のカニ類(+アウトグループ1種)の系統関係をND2遺伝子、COI遺伝子、18S rRNA遺伝子(約3800塩基)を用いてベイズ法により推定した。得られた系統樹に対し、第二部で得られたカニ類-フクロムシ類の対応関係を割り当てたTanglegramを作成し、それに基づき共進化プロセスを推定した。さらに、フクロムシ類とカニ類に対し、得られた分子系統樹を用いて、フクロムシ類内部およびカニ類内部の分岐年代推定を行った。

 科レベルではフクロムシ類の樹形は十脚類の樹形とよく一致した(Fig.2-A)。この対応関係に対するTreeMap1.0を用いて共進化プロセスを推定したところ、三科のフクロムシ類(Sacculindae,Peltogastridae(Peltogaster paguri),Lernaeodiscidae)は宿主十脚類とのcospeciationによって多様化したとする結果が得られた(Fig.3)。この結果はフクロムシ類とカニ類、それぞれに対して行った分岐年代推定の結果からも支持される。

 一方、フクロムシ科のフクロムシ類の樹形は宿主カニ類の樹形と一致しなかった(Fig.2-B)。これらフクロムシ類の樹形はむしろフクロムシ類の分布域と対応することが明らかになった。これは、ある1つのクレードを共有するフクロムシ類は同所的分布を示すが、それらフクロムシ類は必ずしも近縁な宿主カニ類を利用している訳ではないことを表している。宿主カニ類と同所的分布を示す他カニ類に対して、host switchingが起こり易いことを考えると、結果として、host switchingに関与したフクロムシ類の分布域も同所的になると予想される。従って、フクロムシ類系統樹のトポロジーとフクロムシ類の分布域の対応は、フクロムシ類の多様化が主にhost switchingによって生み出されていることを示唆するものである。これはフクロムシ類幼生のカニ類への感染実験や、同所的分布を示す複数カニ類宿主への寄生事例からも支持される。

 このようにフクロムシ類はCospeciationとHost switchingという2段階の共進化プロセスによって多様化したと考えられる。フクロムシ類の科レベルで見られる適応形質(強い宿主特異性やエキステルナの形態や宿主への様々な影響)は共種分化がきっかけとなり、個々の宿主に数億年という長い年月をかけて適応した結果であると思われた。一方、フクロムシ科フクロムシ類で起こったとされるhost switchingは、新たな生息地(新宿主カニ類)の獲得に対する選択の幅を広げ、新環境への進出が有利となる、優れた進化プロセスであると思われた。このようなhost switchingが達成される仕組みを理解するには、フクロムシ類がカニ類にどのように寄生し、宿主に様々な影響を与えるのか、そのメカニズムを分子レベルで解明することが必要となるだろう。

4. cDNA-AFLPを用いたインテルナ発現遺伝子の探索

 フクロムシ類は宿主カニ類に多大な影響を与える。これらの影響には宿主カニ類内部のインテルナが関与していると思われる。インテルナで発現する遺伝子の探索にはcDNA-AFLPを応用した。その手順は、フクロムシ類のインテルナを宿主カニ個体の中腸腺ごと採取し(以下サンプルHI)、同時に、同カニ個体の中腸腺のみを採取する。その両サンプルに対し合成されたcDNAをテンプレートとしてAFLPを行う。AFLP後の両サンプルのフラグメントパターンをPAGEにて比較し、サンプルHIに特異的なフラグメントを解析する。それら特異的なフラグメントはフクロムシ類由来の転写産物と見なすことができるというものである。この解析の際に、フクロムシ類のエキステルナに対するEST配列をフクロムシ類で発現する遺伝子のデータベースとして利用した。さらに、サンプルHIに特異的なフラグメントから設計されたSpecificプライマーを用いて、フクロムシ類とカニ類のTotalゲノムをテンプレートとしたPCRを行い、その特異的なフラグメントがフクロムシ類の転写産物であることを確認した。

 この一連の解析の結果、22のサンプルHIに特異的なフラグメントのうち、11がフクロムシ類由来の転写産物であった(Table.1)。その11の転写産物のうち、エキステルナに対するEST配列のデータベースから遺伝子同定できたものは5つであった。これらのことから、cDNA-AFLP法が複数生物由来の転写産物が含まれるサンプルから、特定の生物由来の転写産物のみを探索する際にも十分有効な方法であり、その際に、EST解析を併用することで更なる効率化が可能であることが示された。

 インテルナで発現する11遺伝子のなかでも、α-アミラーゼとScenescense-accociated proteinは消化器官特異的な発現を示す遺伝子として知られている。この2遺伝子の発現組織特異性がフクロムシ類でも保存されているとすると、フクロムシ類のインテルナは消化器官由来である可能性が考えられた。これは、インテルナでグリコプロテインが合成されているとするPayen et al.(1983)やインテルナが栄養の吸収、貯蔵を行うとするBlesciani and Hoeg(2001)とも整合性がある。

 本研究で行われたcDNA-AFLPを用いた解析では、宿主カニ類へ与える影響に関与するフクロムシ類の遺伝子を探索することはできなかった。しかし、cDNA-AFLP法がそのような遺伝子の探索法としては十分なパフォーマンスを持つことは、本研究によって示されたと思われる。インテルナにおけるさらなる発現遺伝子探索により、フクロムシ類がどのようにして宿主カニ類に寄生し、多大な影響を与えるのか、そのメカニズムの解明につながると思われる。

5. 総合考察

 宿主十脚類とのcospeciationを伴う適応の過程で、フクロムシ類は科レベルで、個々の宿主に対し強い特異性を持つに至った。その後、カニ類に寄生するフクロムシ類は頻発したhost switchingによって、その多様性を増加させていった。このhost switchingは宿主選択に関し系統的制約を緩める効果がある。しかし、フクロムシ類はごく限られたカニ類にしか寄生していない。その理由として、host-parasite関係の確立は宿主カニ類の生息地、海流の制約を受けていることがあげられるが、それだけでは不十分と思われる。フクロムシ類が宿主カニ類にどのように寄生し、影響を与えるのか、その仕組みを理解することが必要である。本研究では、そのような影響に関与するフクロムシ類の遺伝子を見つけるには至らなかったが、本研究で用いたcDNA-AFLP法が、そのような遺伝子の探索に十分効果的であることは示された。同方法を用いた、さらなる発現遺伝子探索は、フクロムシ類が宿主カニ類に多大な影響を与えるそのメカニズムの解明につながり、"寄生"の進化の理解に貢献するものと思われる。

図.1 フクロムシ類の形態

図2. 宿主十脚類とフクロムシ類のtanglegram。A:十脚類(カニ類、ヤドカリ類、コシオリエビ類)とフクロムシ類のtanglegram.B:宿主カニ類とフクロムシ科フクロムシ類のtanglegram.

図3. 再構築された十脚類-フクロムシ類の対応関係の変遷過程。実線は宿主の破線は寄生者の進化経路を表す。A及びCはcospeciationイベント、Bはhost switchingイベントを表す。各長方形は各ノードにおける分岐年代推定値の95%信頼区間を示す

Table 1. Expressed genes in the interna detected by cDNA-AFLP method.

*denotes genes identified from EST library for the externa of Polyascus polygenea.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなる。第1章は序論であり、寄生生物、とくに寄生性蔓脚類(フクロムシ類)の生態に関する現在までの知見が要約され、その上で研究課題の提示がなされている。主に十脚甲殻類に寄生するフクロムシ類は、様々な影響を宿主に及ぼすことが知られている。そのような影響はどのようにして引き起こされるのか、またそのような影響を引き起こすメカニズムはどのように獲得されたのかは非常に興味深い問題であるが、その解明のためにはまず、寄主-寄生者関係の実態を明らかにすることが必要である。そこで、寄主として沿岸性のカニ類に焦点を絞り、それらとフクロムシ類との間にどのような寄主-寄生者関係の組み合わせがあるのかを明らかにし、その上でそれらの寄主-寄生者関係の成立について、生態学、進化学、分子生物学の側面から理解を深めようとして本研究を実施したことが述べられている。

 第2章は、体が不定形であるため、形態形質を用いた種同定が困難であるフクロムシ類に対し、COI遺伝子の塩基配列を種判別に利用することの有効性について論じた章である。千葉県鴨川市に生息するイワガニから採取したフクロムシ類のCOI遺伝子の部分配列を解析・比較した結果、同所的に生息する3種類の異なるフクロムシ類を見つけた。この結果を、それら3種類のフクロムシ類の形態を精査して種同定を試みた結果と照らし合わせ、フクロムシ類の種判別にCOI遺伝子の塩基配列比較が実際に十分有効であることを論じている。

 第3章では、潮間帯棲の10科34属40種約4000個体のカニ類を対象に、前章で有効性を確認したCOI遺伝子の塩基配列比較と形態解析を併用することでそれらに寄生するフクロムシ類の種同定を行い、日本の沿岸域に生息するカニ類とフクロムシ類間の寄主-寄生者の対応関係を明らかにした章である。この研究によって、新規に発見された6つを含む18の対応関係を確認しており、カニ類とフクロムシ類間の関係が必ずしも1対1ではなく、多対1や、1対多の関係も見られることを定量的に明らかにした。

 第4章では、宿主カニ類とフクロムシ類の分子系統樹を作成し、両系統樹の樹形を比較することにより、カニ類間とフクロムシ類との対応関係の変遷過程を推定した。その際に用いたのは、cospeciation、sorting、duplication、host-switchingという4つの共進化イベントの組み合わせで対応関係の変遷過程を推測する手法である共系統解析である。フクロムシ類の系統樹の樹形は種レベルでは宿主カニ類のそれとは一致しないが、系統的に近縁なフクロムシ類ほど生息地が同所的であるということから、フクロムシ類の種レベルでの多様化は、主としてhost-switchingによって進行したものとの推測がなされている。この結果は、宿主特異性の低さなど、フクロムシ類に関する知見とも整合性が高く、フクロムシ類の進化を考える上で重要な情報を提供するものである。

 第5章では、寄主-寄生者関係の成立について、分子生物学的側面から理解を深めようとして行った解析結果に関する章である。フクロムシ類は宿主カニ類の体内深くに複雑に浸潤する組織であるインテルナを有しており、これが寄生成功や宿主のコントロールに重要な役割を果たしていると思われる。本章では、EST解析とcDNA-AFLP法を巧く利用してインテルナで発現する遺伝子の探索を行い、その結果、11の遺伝子を同定することに成功している。さらに、そこで特異的に発現しているものの中には、αアミラーゼなどが含まれていたが、それらは消化器官特異的に発現するものであることから、フクロムシ類のインテルナは消化器官由来の可能性があることも論じられている。

 土田氏はこの論文で、フクロムシ類の宿主特異性、寄生率、多様性増加メカニズム、発現遺伝子など、カニ類-フクロムシ類間の寄主-寄生者関係を理解するための基礎的かつ重要な知見を提供した。この成果は、フクロムシの寄生に関する包括的情報を初めて提供するものであり、カニ類-フクロムシ類間の寄主-寄生者関係をより深く理解する上で重要な基礎を築いたと言える。

 なお、本論文の一部は主査である西田睦およびJorgen Lutzen博士(第2章)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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