学位論文要旨



No 121786
著者(漢字) 宮副,謙司
著者(英字)
著者(カナ) ミヤゾエ,ケンシ
標題(和) 百貨店における経営知識の移転 : 戦後再興期における海外からの知識導入とその移転
標題(洋)
報告番号 121786
報告番号 甲21786
学位授与日 2006.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第209号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 和田,一夫
 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
 東京大学 助教授 粕谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

要旨本文

 百貨店は現在ある数多い小売業態の中で、近代的小売業態としては最も長い歴史を持つ業態である。日本でも1904年三越の「デパートメントストア宣言」以来、約100年の歴史を歩んでいる。しかも百貨店企業は別業態を生み出していく革新でなく、ひとつの業態として業態内革新を行いながら、今日に至っている。日本では欧米先進国のデパートメントストアの業態知識を導入して誕生し発展した、いわば知識移転によって生成され発展した業態なのである。

 本研究では、日本の百貨店の発展期間を草創期(1900・10年代)、隆盛期(1920・30年代)、そして戦後の再興期(1950・60年代)と区分した。とりわけ、戦後の再興期は、本格的に店舗での営業が再開され、当時の旺盛な消費意欲、新たな生活様式へ対応するとともに、欧米流の経営手法の導入も進んだ。これにより当時の百貨店はまさに再興という成長をみせ、小売業に占めるシェアを高めた。この活発な企業活動と成長の背景には海外百貨店からの積極的な情報収集や知識導入があったと思われる。この時期に、百貨店は海外百貨店から業態知識をいかに導入したのか、あるいは組織能力をいかに高めようとしたのかをみることは重要と思われる。

 本研究の特徴として、本研究は、知識を受け入れる側の企業に立場を置き、その企業が外部から知識を導入し組織学習しながら組織能力を高めていくという組織能力構築の観点から、知識移転を捉え、百貨店企業が取り組む知識導入と移転の活動を考察する。

論文の構成

 本研究は、「はじめに」(本研究の全体概要)と1章から7章までの本文によって構成される。

 第1章(問題の設定)では、日本における百貨店業態の歴史を振り返り、海外百貨店からの知識導入と日本的適用によって発展してきたことを確認する。とりわけ、現在の百貨店業態の姿につながる戦後再興期において、新たな経営環境と消費者ニーズに直面した百貨店がどのように知識を導入し経営を確立していこうとしたかに着目し、この時期の百貨店の経営における知識導入と適用についての本論の問題意識を確認する。

 第2章(先行文献の研究)では知識移転をテーマとする先行文献に関して経営の観点からと、さらに小売業・百貨店を対象にした場合についてサーベイする。前者においては知識の属性及び組織の属性で知識移転のしやすさに差異があるのか、あるいは移転の方法、さらに知識がどの程度移転することを知識移転と定義するかの議論を踏まえる。また後者では、小売業及び百貨店の知識移転の研究の現状を理解する。

 第3章(研究のアプローチ)で、本研究における知識移転の捉え方を確認したうえで、本研究の対象とする知識が現場レベルの販売接客知識、業務知識ではなく、MDや店舗運営に関しての経営レベルであることを明確化する。そして、第一の研究として、1950・60年代の百貨店の経営全般にかかわる知識の導入活動(共時的な分析)、さらにそのなかでも着目したMD知識に関し、その米国からの導入と日本国内で企業間移転について通時的な分析によって第1章で設定した問題を探求するアプローチを明示する。

 その研究として第4章(戦後百貨店再興期における海外からの知識導入)は第一の研究内容に位置づけられるが、戦後百貨店再興期において行われた海外からの知識導入活動を全般に捉える。ここでは多様な知識導入手法がとられたこと、戦前からの経営知識の保有状況や海外とのネットワークなどの経営資源の状況や業界の競争におけるポジショニングによって、海外からの知識導入活動に差異があることが明らかにされる。

 第5章(MD知識に関する知識導入と移転)では、第二の研究として百貨店経営の重要なテーマであるMD知識について、「バイヤーズ・マニュアル」・「MDノート」の知識移転の実際を明らかにする。米国から日本への移転の経路、さらに伊勢丹がその知識を社内化し、独自に「MDノート」としてそのMD能力を高め、長年の間にその知識を多くの百貨店の移転させていたことが明らかにされる。

 しかし、第6章(百貨店の統合管理機能と知識導入活動の課題)において、百貨店業態の経営機能としてパスダーマジャンが提起する「統合管理機能」に着目した場合、百貨店の知識導入がその観点では十分でなく、百貨店が業態特性として(他の業態への差別化からも)その機能の構築に至っていないという課題が指摘される。

 最後に第7章(研究の総括)として、本研究のまとめとインプリケーションを示すと共に、研究の貢献と課題をまとめとして締めくくる。

百貨店の経営知識の移転に関する二つの主研究

 第一の研究は、1950-60年代の百貨店の海外からの知識導入の実際を明らかにするものだった(共時的な分析)。研究手法としては、主要各社の知識導入の活動について、その社史や当時在職したベテラン人材への聞き取りで調査した。

 そこで判明したことは、まず多様な形式で海外百貨店との接点があり、そこからの知識導入活動があったということだ。具体的には知識の導入手法として文献の購読以外に、(1)店舗視察、(2)第三者による知識移転、(3)研究文献以外のマニュアルなどの資料導入、(4)海外百貨店連盟組織などへの加入、(5)特定百貨店との提携による入手、(6)人材派遣、(7)海外から専門知識を持った人材の招聘、(8)直接の海外出店、などに分類された。

 また経営の近代化へ向けた店舗運営・経営管理などの経営領域についての知識導入については、まずMD知識の導入があったこと、そして多店舗化へ向けた本社一括仕入や独自商品開発へ向けた商品本部組織運営の知識が研究され、実際の組織改革に取り組んだ企業(例えば西武百貨店、高島屋など)もあったということだ。

 またディスカッションとして、当時の業界の中での競争関係、各社のポジショニングや、戦前までの既存の経営知識(店舗運営ノウハウ)の蓄積の差異から、知識導入の取り組みに差異が見られたということであった。すなわち1950年代当初は三越、大丸、高島屋、松坂屋の大手4社が売上高ランキングの上位を占め、その他の企業や新興企業と売上シェアの格差は歴然としていた。また大手4社はいずれも戦前から東京・大阪の東西に店舗網を持ち、複数の大型店舗を運営する知識を有しており業態運営知識の蓄積の面でもその他の百貨店とは格差があったと推測される。

 このような(1)経営資源の保有状況と、(2)戦後の経営ニーズへの対応(既存資源で対応したか、海外知識の導入に積極であったか)の2軸で各社の活動をタイプ分類すると、三つの企業タイプに分類できた。すなわち、第一に、高島屋と大丸は経営資源を既に保有していたうえでさらに海外からの知識導入に積極的であった(一層の積極的対応型)。第二に、新興企業の西武百貨店と伊勢丹は経営資源に乏しく、上位に追いつくために海外百貨店からの知識導入に積極的であった(新興キャッチアップ型)。第三に、三越と松坂屋は業態運営の知識を戦前から持っており、戦後もその既存経営資源で対応した(抜本的改革先送り型)。その後、今日にいたる50年の業績(店舗展開)をみると、上記の企業姿勢が反映されているようにも見える。

 第二の研究として、MD知識に着目し、その知識の海外から日本への移転、さらに日本国内での移転の実際について分析した(通時的な分析)。MD知識は、百貨店全般の取扱商品に関して品揃え計画、仕入、品揃え、販売、在庫管理といった一連の流れを科学的に計画、実行、管理する手法であり、百貨店経営の近代化から重要なテーマである。そこで、米国小売商協会(NRMA)の「バイヤーズ・マニュアル」と、それに基づき伊勢丹が作成したとされる「MDノート」というMDの知識資料を研究対象とし、その移転を戦後すぐの1950年代から2000年に至るまでの期間を追って調査・分析した。

 そこで明らかになったことの第一は、米国百貨店のMD知識が「バイヤーズ・マニュアル」として日本に導入され、伊勢丹では「MDノート」という知識資料に社内化され、それがさらに複数の企業間に移転した。この事例を通じ百貨店業界において、MD運営という経営領域の知識移転があったという事実だった。

 また「知識は人を介して移転する」という先行文献研究での命題について、今回の研究を通じて、さらに詳細に明らかにできた。つまり「バイヤーズ・マニュアル」と「MDノート」の企業間移転は、山本氏や山中氏などの経営者人材の他社への転職が直接的な要因になっている。しかし前職の知識資料を転職先に単に持ち込んだということではなく、MD知識を保有する経営者層の人物が、知識資料(形式知)も活用し、またその経験を含めて現場の指導(暗黙知)を通じて知識を移転させたのであった。

 最後に、本研究の貢献としては、第一にNRMA編「バイヤーズ・マニュアル」の日本語版文献を発見したことにある。しかも現物を手にしたところ、その翻訳に高島屋調査部のメンバーが関与したことまでが判明した。戦後の百貨店経営の基礎となるMD知識の導入と移転に関して、その経路を新たに発見できたのである。

 第二に「バイヤーズ・マニュアル」という知識資料の発見によって、その保有や活用の有無を調査することによって、その知識資料の移転について(その移転だけでも)明らかにできた。しかも米国から日本への移転、そして国内の企業間の移転までも明らかにすることができたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は、日本の百貨店の戦後再興期(1950年代〜60年代)に、海外からどのような知識導入が行われ、その知識がいかに加工され、他の百貨店にどのように伝播していったのかに着目することで、知識移転のプロセスだけではなく、百貨店にとって本質的な機能とは何なのかを解き明かそうとするものである。

 本論文の構成は次のようになっている。

はじめに 本研究の全体概要

第1章 問題の設定

第2章 既存研究

第3章 研究のアプローチ

第4章 戦後百貨店再興期における海外からの知識導入

第5章 マーチャンダイジング知識に関する知識導入と移転

第6章 伊勢丹「MDノート」の活用

第7章 百貨店の知識移転と業態特性、組織能力

第8章 結びに代えて

なお第1章・第2章の一部は『流通研究(日本商業学会誌)』(Vol.8, No.1)、第4章は『日本経営学会誌』(No.17)、第5章は『流通研究(日本商業学会誌)』(Vol.8, No.2)と、それぞれ評価の高いレフェリー付き学会誌に掲載されており、各々は完成度の高い研究論文としての評価を得ている。

各章の内容の要約・紹介

 各章の内容を要約・紹介すると次のようになる。

 第1章は、課題設定であり、日本における百貨店業態の歴史を草創期(1900〜1919年)、隆盛期(1920〜1939年)、そして戦後の再興期(1950〜1969年)と分けて振り返っている。もともと欧米先進国のデパートメントストアの業務知識を導入して誕生・発展してきた百貨店業態にとって、戦後の再興期は特に重要な時期となった。(1)戦後の需要回復と高度経済成長にともなう旺盛な消費意欲の中で、百貨店は当時唯一の大型小売業であったこと。(2)欧米風のライフスタイルが一般消費者にも急速に浸透し、こうした新たな消費ニーズと新しい生活様式に対応するために、これまでにない商品カテゴリーが増加し、マーチャンダイジング(MD)面でも大きな転換期であったこと。(3)経営の近代化が要請されていた時期であったこと。

 もちろん、当時既に、百貨店業界では一定の経営知識が蓄積されていたことを示す文献なども存在している。しかし、こうした戦後の劇的な環境の変化への対応に長じたことで、百貨店は本格的な店舗での営業を再開し、小売業におけるシェアを高めていったわけで、この3点の背景には、いずれも欧米先進国の百貨店からの積極的な情報収集や知識導入があったことが容易に想像される。しかも、現在とは比べものにならないほど、当時は海外からの情報の入手は困難な状況にあった。こうしたことから、百貨店経営知識、その中でも特にMD運営知識に焦点を当てることで、戦後の再興期における百貨店の知識導入と移転について分析が可能になると方向性が示される。

 第2章では、百貨店論と知識移転に関する先行研究のサーベイが行われている。経営学分野で製品開発やイノベーションにおける知識移転に関する先行研究と、小売業・百貨店における知識移転に関する先行研究についての文献のサーベイが中心になるが、特に、百貨店業態の経営機能としてパスダーマジャンが提起する統合管理機能に着目している。

 これをふまえて、第3章では、この論文のアプローチについて、確認が行われる。すなわち、この論文の研究対象としている知識とは、現場レベルでの販売接客知識・業務知識ではなく、MDや店舗経営に関しての経営レベルの知識であること。そして続く二つの章で、(a)横断的分析として、戦後の再興期において、それらの知識がどのように米国から導入されたのかを分析し、(b)時系列的分析として、MD知識に着目して、米国からの導入と日本国内での企業間移転を分析することが述べられる。

 第4章では、(a)の横断的分析が行われる。戦後再興期に海外からの多様な知識導入手法がとられたが、当時、在職していたベテラン人材への丹念なインタビューと社史等の資料を用いて、主要各社の知識導入の実態が明らかにされる。実際、海外文献だけではなく、多様な形で海外百貨店との接点が存在していた。当時既に、多店舗化に向けた本社一括仕入や独自商品の開発に向けた商品本部組織運営のMD知識が研究され、実際に組織改革に取り組んだ企業も存在した。知識導入の実態は、もちろん戦前からの経営知識の保有状況、海外とのネットワーク、業界におけるポジションによって差異があった。しかし、同じような業界ポジショニングの会社であっても、たとえば、1950年代当初に売上高の上位を占めていた三越、大丸、高島屋、松坂屋の大手4社の中では、高島屋と大丸は海外からの知識導入に積極的だったが、三越と松坂屋は戦前からの既存経営資源で対応するという違いが見られ、それがその後50年の業績に反映していると考えられ、興味深い。

 第5章では、(b)の時系列的分析が行われる。MD知識に着目して、米国小売商協会(NRMA)の『バイヤーズ・マニュアル』の浸透、さらには、それに基づき伊勢丹が作成したとされる「MDノート」の伝播の仕方を1950年代から2000年に至るまでの半世紀追いかけることで、MD知識の移転のプロセスを明らかにしている。特に1950年においては相対市場シェア16.1%の弱小百貨店にすぎなかった伊勢丹が、MD知識を独自に社内化して「MDノート」を作り、そのMD能力を高め、やがては2000年には相対市場シェア41.7%の有力百貨店となり、その知識を「MDノート」とともに多くの百貨店に移転していったことが明らかにされる。また「MDノート」の企業間移転が、伊勢丹で『バイヤーズ・マニュアル』の翻訳を担当した山本宗二氏や山中�竡≠ニいった経営者人材の転職に伴い起きていたことも明らかになり、「知識は人を介して移転する」という先行研究の命題も確認できた。彼らは、現場の指導をする際に、「MDノート」という形式知を活用することで、自分たちの経験という暗黙知もを含めて知識移転を行っていたのである。

 第6章では、「MDノート」が伊勢丹社内において、いかに活用され、経営的に効果を発揮したかを「MDノート」が存在しなかった西武百貨店との比較などもしながら事例として分析している。「MDノート」が、もともと戦後、1952年から1963年の間にNRMA編『バイヤーズ・マニュアル』の中の品揃えタイプに近いものとして作られたと推測されること。分類MDの概念を具体的な商品分類基準に落とし込んだことで、「MDノート」が、その後の商品計画、品揃え、管理の基準として活用されるようになったこと。それが伊勢丹社内で長年にわたって継承されることで、他社にはない伊勢丹の組織能力の構築につながったことなどが明らかにされている。

 第7章では、パスダーマジャンが提起する統合管理機能に着目した場合、「MDノート」がMDの分化、すなわち専門化に貢献しただけではなく、従業員の間で共有化され定着することで、経営的な統合化の基礎としても貢献したのではないかと考察している。

 第8章は、この論文のインプリケーションと残された研究課題である。

論文の評価

 この論文の貢献は、「MDノート」の発見と、その跡を追いかけることで百貨店間の知識移転を追いかけることができるという発見に象徴されている。「MDノート」は、MD基準であるプライスゾーン、プライスライン、季節区分に、独自に対象別分類、用途別分類、関心度別分類などの分類区分を付加した分類MDを記したもので、当初はノートの一部として、後に品揃え基準として使いやすいように、携帯カードに収まる形に整理された。素人目には、ただの手帳の栞、ぺらぺらのカードにすぎないものである。おそらく、普通の経営学者が見つけたとしても、その価値に気がつかないままに見過ごされてしまうような類の資料である。ところが、多くの百貨店を対象とした地道な調査の中から、宮副氏は「MDノート」の存在と価値にすぐに気がつく。これは宮副氏が百貨店業界の中で、最初は西武百貨店で一従業員として、後にコンサルタントとして、多くの百貨店を見てきたことから生まれた直感のようなものであろう。それは「MDノート」のない西武百貨店での売り場の改修が、あまりにも感覚的・気分的なもので、いかにカリスマ経営者がいたとしても、従業員から見て納得性も合理性もなかったという宮副氏の経験に裏打ちされた直感だった。西武百貨店では見たこともないそのちっぽけなカードが、伊勢丹では、ことあるごとにMD知識の整理のために用いられていた。ワイシャツの胸のポケットに忍ばせた、あるいは手帳に挟んだ「MDノート」をチラチラと見ながらMD知識を整理していくのである。そして、経営者として引き抜かれて伊勢丹から他の百貨店へと移る際には、その「MDノート」も一緒に移転して行った。「MDノート」を使いこなして従業員を教育・指導できるような経営者の下で、百貨店は業績を伸ばしていったのである。「MDノート」を追いかけることで知識移転の跡を追いかける作業は、さながら推理小説を読んでいるかのようですらある。

 このことから、宮副氏は、一体、百貨店とは何なのだろうかという百貨店の本質的な機能の考察へと立ち戻ることとなる。具体的には、1954年に出版されたパスダーマジャンの『百貨店論』の再発見へと導かれていく。日本でも1957年に翻訳が出版されているが、パスダーマジャンの名前は、半世紀を経て、百貨店業界でも学界でも忘れられた存在であった。しかし、戦後再興期に注目されたパスダーマジャンが提起する統合管理機能にこそ、百貨店の、あるいはMDの本質的な機能が凝縮されていると宮副氏は考えた。もし一つの経営意思の下での統合管理機能がなければ、百貨店の店舗の中では市場変化に応じた商品取り扱い面積・販売人員の融通も行われず、百貨店は単なる複数の商品系統が店舗に集まった「よろづや」でしかなくなる。しかし、現状で苦境に喘いでいる百貨店の店舗は、限りなくこの「よろづや」に近いのである。パスダーマジャンの統合管理機能の再発見、そして「MDノート」が統合化の基礎として貢献しているという発見もまた、宮副氏の豊富な経験と地道な文献サーベイがもたらしたものである。

 もちろん、この論文にも問題点はある。第7章で論じられている「MDノート」がMDの分化、すなわち専門化に貢献しただけではなく、従業員の間で共有化され定着することで、経営的な統合化の基礎として貢献したのではないかという主張は、まだ仮説の域を出ていない。また、博士論文執筆プロセスの全体からすると、「MDノート」に着目した実証研究自体が、ようやく芽が出始めた状態であることも事実である。今後の研究の進展によっては、もっと大きなスケールの研究に発展する可能性が残されている。

 あるいは、第2章の既存研究のサーベイは、知識移転というこの論文のテーマに特化しすぎている。はたしてこの論文が研究対象としていた現象が、本当に知識移転だけだったのか、あるいは、もっと大きな経営現象、組織現象の一部だったのか、という検討の余地も残る中で、早い段階でアプローチを絞り込みすぎたのではないかという疑問も残る。また、百貨店についても、もっと幅広く文献をサーベイし、より一般的な百貨店論としてバランス良く提示した方が、この論文の貢献をより明確に主張することができたと思われる。

 しかし、これらの問題点を残すとはいえ、この論文が経営学分野においては重要な貢献をなす研究成果であることは疑いない。

 以上により、審査委員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した。

審査委員(主査)高橋伸夫

 和田一夫

 藤本隆宏

 新宅純二郎

 粕谷 誠

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