学位論文要旨



No 121792
著者(漢字) 橋間,昭徳
著者(英字)
著者(カナ) ハシマ,アキノリ
標題(和) 弾性―粘弾性層構造媒質中のモーメント・テンソルによる内部変形場 : 背弧海盆のテクトニクスへの応用
標題(洋) Internal Deformation Fields due to a Moment Tensor in an Elastic-Viscoelastic Layered Half-Space : Application to Tectonics of Back-Arc Basins
報告番号 121792
報告番号 甲21792
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4907号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩崎,貴哉
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 教授 加藤,照之
 東京大学 助教授 池田,安隆
 東京大学 教授 松浦,充宏
内容要旨 要旨を表示する

弾性-粘弾性層構造媒質中の内部力源による内部変形場の理論的研究は、プレート間の力学的相互作用による長期的な地殻変形運動を理解する上で極めて重要である。何故ならば、長期的な地殻変形運動を扱う問題では、アセノスフェアの粘弾性的な応力緩和の影響を無視することができないからである。弾性論の枠組においては、内部力源は2階の対称テンソルであるモーメント・テンソルを用いて一般的に表現できることがBackus&Mulcahy(1976a,b)によって示されている。実際、モーメント・テンソルは、等方膨張、亀裂の開口及び断層すべりの3つの独立な物理過程に対応する力のシステムに分解することが可能である。従って、モーメント・テンソルによる内部変形場の一般的表現式が得られれば、それは等方膨張、亀裂の開口及び断層すべりによる内部変形場の表現式を特別な場合として含んでいることになる。本研究では、第2章及び第3章において、重力場の下にある半無限弾性一粘弾性層構造媒質中のモーメント・テンソルによる内部変形場の一般的定式化を行った。また、第4章では、この内部変形場の定式化に基づき、プレート沈み込みと背弧拡大をカップルさせた理論モデルを構築し、マリアナ・トラフの背弧拡大のメカニズムを数値シミュレーションにより明らかにした。

静的変形問題の円筒座標系における変位ポテンシャルの導出

無限弾性媒質中のモーメント・テンソルによる変形場のデカルト座標系における表現式は、既にAki&Richard(1980)によって得られている。この表現式をハンケル変換の基本公式を用いて変換し、モーメント・テンソルM=[M(ij)]による静的変形場を記述する変位ポテンシャルの円筒座標系(r,φ,z)における以下のような積分表現式を導出することに成功した。

無限弾性媒質中のモーメント・テンソルによる円筒座標系での変位場は、上記の変位ポテンシャル(φ1,φ2,Ψ)を用いて、以下のように表現される。

重要な点は、弾性層構造媒質中のモーメント・テンソルによる変位場も形式上同じ形に表現されるということである。

弾性-粘弾性層構造媒質中のモーメント・テンソルによる内部変形場の定式化

弾性層構造媒質中のモーメント・テンソルによる変形場は、無限弾性媒質のモーメント・テンソルによる変形場を特解とし、弾性層構造媒質のモード解に重ね合わせることで形式的に表現される。この形式的な表現式に含まれる係数をFukahata&Matsu'ura(2005)の一般化伝達行列の方法を用いて諸境界条件を満たすように決めることにより、弾性2層構造媒質中のモーメント・テンソルによる内部変形場の表現式を導出した。こうして得られた弾性解にLee(1955)及びRadok(1957)の線形粘弾性の対応原理を適用すれば、ラプラス空間での粘弾性解が得られる。それを更にラプラス逆変換することで、最終的に、物理空間における半無限弾性-粘弾性層構造媒質中のモーメント・テンソルによる内部変形場の表現式を導出した。この最終的な表現式は、等方膨張、亀裂の開口及び断層すべりによる内部変形場の表現式を部分として含んでいる。この内の断層すべりについてはFukahata&Matsu'ura(2006)が既に得ているが、等方膨張と亀裂の開口については、本定式化が最初のものである。そこで、背弧海盆のテクトニクスへの応用で特に重要となる、有限亀裂の開口による弾性-粘弾性層構造媒質の変形場の数値計算例(マグマの貫入、海嶺の部分的・間欠的な拡大、プレートの定常的な発散運動)を示し、その変形パターンの特性を考察した(図1)。

背弧海盆のテクトニクスへの応用

地球の最外殻はいくつもの弾性プレートに分割されており、それらは相対的な水平運動を行っている。プレートとプレートの境界は、発散型・横ずれ型・収束型とその形態を変えながら、地球表面上で閉じた環を成す。プレート境界周辺域の地殻変形の根本原因は、このような様々な形態のプレート境界における力学的相互作用に帰することができる。現在では、プレート境界の3次元形状は地震の震央分布によって、またプレート相対運動速度はGPSやVLBIなどの宇宙技術を利用した測地観測によって精確に求めることができる。従って、Matsu'ura&Sato(1989)が既に示しているように、プレート境界における力学的相互作用をプレート境界での変位の不連続の増大として表現することは合理的である。この場合、プレート境界面に沿った方向の変位の不連続は断層すべりに対応し、垂直方向の変位の不連続は亀裂の開口に対応する。本研究で導出したモーメント・テンソルによる内部変形場の表現式は、この両方の場合を含んでいるので、複合的なプレート境界の周辺域における地殻変形運動をモデル化する上で、非常に有用である。

このような基本的考えに基づいて、マリアナにおけるプレート沈み込みと背弧拡大をカップルさせた3次元的力学的モデルを構築し、数値シミュレーションを通して、背弧海盆の発達を支配する以下のようなフィードバック・メカニズムを明らかにした。まず、定常的なプレート沈み込み運動によって、上盤プレートの背弧域に伸張応力場が時間と共に徐々に形成される。伸張応力が蓄積すると、それを解消するように背弧域の構造的弱面を選んで亀裂の開口(背弧拡大)が始まる。背弧拡大による上盤プレートの水平変形運動はプレート境界を沈み込む海洋プレート側へ押し出す。定常的にプレートが沈み込んでいる状態においては、プレート境界に働く剪断応力はプレート境界の最大摩擦強度と釣り合っていなければならない。従って、背弧拡大によるプレート境界での剪断応力の増加は、プレート沈み込み速度の局所的増大を引き起す。この局所的なプレート沈み込み速度の増大は背弧域の伸張応力の蓄積を更に加速する。そして、増大した伸張応力を打ち消すように、さらなる背弧拡大が引き起こされる(図2)。このようなフィードバック・メカニズムは、プレート境界の張り出しが大きくなり、プレート沈み込みによる背弧域の伸張応力の蓄積レートが低下するまでの一定期間継続する。

図1:無限長の中央海嶺が瞬間的に拡大した後の内部変形場の変化

図2:沈み込み速度の増大と背弧拡大がつりあっている時の(a)上盤の水平変形速度場と(b)沈み込み運動による応力蓄積レート(c)上盤の平衡状態における応力蓄積レート

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章から構成され,弾性層-粘弾性層からなる多層構造媒質中のモーメントテンソルによる内部変形を理論的に取り扱ったものである.第1章は,緒言であり,これまでの研究との対比によって本論文の位置づけが明確に述べられている.弾性論の枠組みでは,内部力源は2階対称テンソルであるモーメントテンソルを用いて一般的に表現できる.しかし,実際の地球上で観測される長い時間スケールを持つ変動を扱うには,レオロジーを考慮した弾性層-粘弾性層からなる多層媒質についての表現式を導出しなければならない.この場合,まず多層構造弾性体における表現式を求め,それに"対応原理"を用いて粘弾性効果を導入するのが一般的である.しかし,モーメントテンソルによる多層構造弾性体内の変形の一般的な表現式は,これまで求められていなかった.本論文では,この一般的表現式を初めて導出した.

 第2章では,無限均質弾性体内のモーメントテンソルによる変形場を扱っている.この場合の解は直交座標系において既に求められている.本論文では,多層構造媒質における変位場導出の準備として,この解を,それと等価な円筒座標系における変位ポテンシャルの形で導き直した.その結果,多層構造の場合の変形場への拡張が伝達行列を用いて可能となった.この変位ポテンシャルはモーメントテンソル全ての成分の変形を含む一般的な表現で,本論文の重要な成果の一つである.これによって弾性体/粘弾性体の変形を統一的に扱うことが可能となった意義は大きい.

 第3章では,まず,第2章で求めた無限均質媒質中の変形場の表現式を多層構造弾性体の場合に拡張した.この拡張は,伝達行列を用いて行われており,前章の成果である変形場のポテンシャル表示があってはじめて可能となったものである.更に,伝達行列の適用には数値的不安定の問題があるが,この問題を,一般化伝達行列を用いて回避した.ここで求められた多層構造弾性体の変位場の表現式は,モーメントテンソル全ての成分に対応する完全なもので,数値的計算上も安定であるという点で,過去の研究に比べて格段に優れたものである.次に,実際の地球の構造に合わせた弾性層-半無限粘弾性層構造を考え,多層構造弾性体の解に対応原理を適用することで,粘弾性の効果が入った場合の"準静的変形場"の表現式を導出した.この章の最後の部分では,特に開口亀裂による変位場を実際の数値計算で求めた.これは,第4章で取り扱う背弧海盆拡大のプロセスを念頭においたもので,垂直な開口亀裂による変形場の空間的な特徴,時間的な変化を論じている.

 第4章は,前章までの理論の応用として背弧海盆発達過程のシミュレーションを行っている.プレート境界における力学的相互作用は,境界面上のモーメントテンソルによる力源の分布によって表すことができる.これまでは,開口亀裂に対しての理論的表現式が出されていなかったため,発散型プレート境界の相互作用は表現することができなかった.本研究の成果により,発散型のみならず様々なタイプのプレート境界を数学的に統一した形で表現することができ,特に背弧海盆を伴う沈み込み帯のように発散型も含んだ複合的なプレート境界の変形を取り扱えるようになった.本研究では,最も顕著な背弧拡大を示すマリアナトラフを念頭におき,プレート沈み込みと背弧拡大のプロセスをカップルさせたシミュレーションを行った.その結果によれば,定常的なプレート沈み込みに伴ってプレート上盤側の伸長応力場が形成と,開口亀裂の生成による背弧拡大開始に引き続き,この亀裂生成によってプレート境界は海洋プレート側に押し出される.このためにプレート境界の剪断応力が増加し,プレート沈み込み速度の局所的増大をもたらす.その結果として背弧域の伸長応力場が更に増大し,背弧拡大が進展するというフィードバックが働くことがわかった.第5章は,議論に当てられている.前半では,本論文の理論的成果をこれまでの研究と比較し,その優れた点を簡潔に説明している.後半はシミュレーションに関する議論であり,本論文のモデルで実際のマリアナトラフの変形を説明しきれていない原因等について言及している.しかし,幾つかの不十分な点があるものの,本論文のシミュレーションは,背弧拡大のプロセスをプレート運動と開口亀裂生成のメカニズムをカップルさせて定量的に説明したもので,大変興味深いものとして評価できる.第6章はまとめであり,本論文の研究が簡潔な形でまとめられている.

 以上,本論文はモーメントテンソルによる多層構造弾性体内の変形の一般的な表現式をこれまでにない完全な形で導出し,それを粘弾性構造における変形にまで拡張した.更に,この理論を応用することで,背弧海盆拡大の物理モデルを提出した点で高く評価される.

 尚,本論文の第2章,第3章は松浦充宏・深畑幸俊・高田陽一郎氏との共著であるが,論文提出者の寄与が十分であると判断される.

 従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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