学位論文要旨



No 121794
著者(漢字) 大橋,智之
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,トモユキ
標題(和) 有限要素法を用いた鳥脚類恐竜頭骨の構造解析 : 摂食メカニズムの再考
標題(洋) Structural analysis of ornithopod skulls using finite element method : reconsideration of their feeding mechanisms
報告番号 121794
報告番号 甲21794
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4909号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 教授 吉川,暢宏
 東京大学 教授 諏訪,元
 国立科学博物館 主任研究員 真鍋,真
 東京大学 助教授 大路,樹生
内容要旨 要旨を表示する

 恐竜は陸上脊椎動物の進化の中で,中生代に汎世界的に繁栄していた爬虫類の1グループである.彼らはその進化の中で形態,食性などを多様化させていた.恐竜を含む爬虫類は基本が肉食であるが,恐竜の系統の中には植物食に適応していた仲間が数多くいた.鳥盤類(鳥盤目)の鳥脚類はその中でも,顎や歯の形態,顎の動きを特殊化させて口での植物の分解・すり潰しを効率よく行っていたグループである.彼らは(1)歯の数を増やし,また隣り合う歯同士が密接に生え,生え変わりの歯も植物をすり潰すために用いていた「デンタルバッテリー」と呼ばれる歯の構造を獲得し,(2)植物をすり潰すために顎の動きを特殊化していたことがこれまでの形態学的な研究から示唆されている.(2)に関して,恐竜などの爬虫類は,哺乳類と顎の関節の仕方が異なり,下顎は単純な上下運動のみが基本である.この動きでは植物を噛み切ることはできるが,口内でより細かくすり潰す「咀嚼」をすることは困難である.しかしながら鳥脚類では上顎や頭骨(本研究では「頭骨」は下顎を含まない)の一部の骨が,口を閉じた際に下顎によって押し上げられ,左右それぞれ外側へ動いていたことがこれまでの研究から推定されている.この動きは「Pleurokinesis(側方向運動)」と呼ばれ,上顎の骨や頭骨の一部の骨とその他の頭骨の関節面の構造やその関節の仕方から提唱されている.これらの骨同士の関節面がPleurokinesisに関する箇所では,滑らかな面から成り,骨同士の可動性が強く示唆されている.この可動性に基づく骨の動きによって上顎がそれぞれ左右にずれて,下顎と上顎の歯同士が擦り合わさることになり,植物を咀嚼することが可能となったと考えられている.このPleurokinesisはこれまで,頭骨の骨同士の関節の仕方など形態学的な側面から推定されていたが,構造力学的側面からの解析はなされておらず,Pleurokinesisのような動きがあることの頭骨構造上のメリットや,歯の噛み合わせの面(咬耗面と呼ばれる)にどのような負荷が加わり,それが植物をすり潰すことにどのような影響があったのかについて明らかになっていない.そこで本研究ではPleurokinesisが頭骨構造にどのような影響を与えていたのか,効率的な咀嚼運動をどのようにサポートしていたのかについて,構造力学的観点からの解析を試みた.

 本研究では,Pleurokinesisの力学的機能を明らかにするため,国立科学博物館所蔵の鳥脚類恐竜ヒパクロサウルスHypacrosaurus stebingeri(NSM PV 20378)の亜成体頭骨を用いて解析を行った.ヒパクロサウルスは白亜紀後期に北米に生息していた鳥脚類ハドロサウルス科の1種で,亜成体を利用することにより基本的な頭骨構造におけるPleurokinesisの影響の推定が可能となる.そこで,このヒパクロサウルスの亜成体標本の頭骨を有限要素法(Finite Element Method;FEM)によって解析を行った.有限要素法では,数値解析シミュレーションにより物体内の応力や変形が詳細に解析できる.これまでにバイオメカニクス分野で多くの研究例があり,古生物学や古脊椎動物分野でも有限要素法を用いた研究がある.構造解析の手法として確立されているので本研究でもこれを用いて解析を行った.ヒパクロサウルス頭骨を石油ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の研究所にてCTスキャンをかけ,3次元画像データを得た.この3次元画像データから3次元モデルを構築し,このモデルを東京大学生産技術研究所基礎系部門吉川研究室の有限要素法汎用コードVOXELCON2005(Quint Corp.,JAPAN)で解析を行った.

 爬虫類が食物を摂取するために顎を動かして食物を分解する動きは,基本的に以下の3つのステップからなる.(1)頭骨と下顎を結ぶ顎筋群が収縮する,(2)顎関節(頭骨の方形骨と下顎の関節骨の関節部分)を支点にして,筋肉の収縮により下顎が上向きに回転する,(3)上下の歯の間にある食物が潰される(噛み切られる).本研究ではこれらのステップを解析の際の境界条件として用いた.すなわち(1)顎筋群の頭骨との接着部位から筋肉の伸びる方向へ荷重をかける,(2)方形骨の顎関節面を固定する,(3)仮想的な食物を上顎骨歯の下に設置するという境界条件を設定した.また,物理的境界条件としてヤング率やポアソン比といった物的特性は,先行研究で用いられている脊椎動物の骨格が持つ数値を本研究でも用いて解析を行った.

 これまでに古脊椎動物の頭骨の構造解析では,解析する頭骨を1つの均質な物体として扱っている.この場合,均質な物体とはヤング率が全て同じであることを意味している.本研究でも最初に頭骨のどの部位に応力が分布するかを観察するために,頭骨を均質な物体として扱うモデルで解析を行った.このモデルをRigid modelとした.Rigid modelでは頭骨は均質な物体なので,「緩い」関節部位の可動性は考慮されていない.しかし鳥脚類のPleurokinesisでは,可動性が示唆されている.この可動性を考慮するために,本研究では新たに,可動性が示唆されている関節部分のヤング率を低く設定することによって,その部分の可動性を近似する手法を確立した.このモデルをSuture modelとした.本研究では解析の諸条件(2),(3)の値およびSuture modelのヤング率の値は,負荷の分布など力学的影響がより改善されるものが最適であるという作業仮説をたて,それぞれの値を変更した数種類のモデルで解析を行い,より改善されているモデルについて検証した.

 Rigid modelの解析結果からは(図1),頭骨内に分布する応力は,頬骨と後眼窩骨,方形頬骨と方形骨,方形骨と鱗状骨という骨同士の関節部分に強く集中することがわかった.これらの応力集中の観察された関節部位は,形態学的観察によるPleurokinesisモデルでの可動性が示唆されていた関節部位であった.一方でSuture modelではこれらRigid modelで観察された応力集中が見られず,噛む動きによって頭骨が受ける負荷は,頭骨全体に広がっていることが観察された(図2).これらのことから,可動性のある関節部位は,Rigid modelで観察された応力集中を緩和させていることが確認された.またSuture modelでは,上顎骨歯の食物と接する面(咬耗面)に負荷が分布しており,頭骨内に分布する負荷が,歯の部分にもかかっていることが示された.このことから実際には歯の生えている部位(歯列という)で万遍なく食物をすり潰すことができていたと考えられる.

 Suture modelの結果から,可動性のある関節部分のヤング率が骨のヤング率の10(-2)から10(-3)のオーダーの時に,負荷の分布がその他のオーダーの時よりも改善されることが示された.可動性のある関節部分の力学的特性はまだ完全に明らかではなく,またそれらが負荷の分布を改善させることだけに適応しているとは言い切れないが,本研究により少なくとも力学的観点からの,可動性のある関節部分の力学的特性の適当な値について推定することができた.

 歯列に加わる力について,歯列下面に上向きに加わる反力を測定した結果,Rigid modelよりもSuture modelの方がなだらかな反力の分布を示し,歯列の中央部に力が分布する結果を得た.また,噛ませる仮想的な食物の物的特性を変更した場合でも,Suture modelでは柔らかいものから硬いものまで同様に力が加わっていることが明らかとなった.

 本研究で用いた骨の可動性を近似したモデルから,Pleurokinesisという可動性が鳥脚類の頭骨にとって安定した応力分散をもたらしているという頭骨形態の構造的意義について,初めて明らかにできた.また,鳥脚類はこのpleurokinesisという動きを獲得したことにより,より万遍なく歯で食物をすり潰すことができていたことが構造力学的側面からも確認することができた.

 今後は,鳥脚類に限らず,脊椎動物の頭骨形態の構造的意義について,本研究で用いた解析モデル(顎の動きのモデル化とSuture modelのような可動性を考慮したアプローチ)を,系統的制約と環境的制約による変化と関連させた研究が可能になると考えられる.さらに顎の動きのモデルをこれまでにまだ適用されていない下顎も含めた総合的な頭の動きに応用することが可能である.また縫合線のような関節部位についてより詳細な力学的アプローチの可能性も示唆でき,今後は縫合線自体の解析というマイクロな視点と頭の骨全体の解析というマクロな視点の双方からの研究に繋がっていくことが期待される.

図1. Rigid modelの解析結果.負荷が頭骨の一部部分に集中しており,歯の部分への負荷の分布が少ない.

図2. Suture modelの解析結果.負荷が頭骨の広い範囲に分布しており,歯にも分布している.頭頂部に高めの負荷が分布している.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は有限要素法(FEA)を用いて植物食恐竜の頭骨の力学的解析を行い,食物を咀嚼する時の応力分布が骨格内にどのように分布するのかを3次元的に把握し,摂食メカニズムの機能的,進化学的考察を行った先駆的なものである。中生代に繁栄した恐竜類の中で,鳥脚類と呼ばれるグループは植物食に適応し,その一部は隣り合う多数の歯および生えかわりのための歯が密接に並んで生えているデンタルバッテリーとよばれる構造を発達させた。形態に基づく先行研究では,鳥脚類はこのような特殊な歯により広い面積での餌のすりつぶしを行うとともに,pleurokinesisと呼ばれる,上あごが側方へ可塑的な動きを示すことで,上あごと下あごの歯どうしが擦り合わさる動きを可能にし,植物の効率的な咀嚼を行っていたと考えられている。しかしこのような歯や上顎の構造や動きが果たして骨格内でどのような応力の分布をもたらし,実際どのような負荷が咬耗面に加わっていたのかについては不明であった。これらの力学的な特性を明らかにすることは,骨形態の機能的意味を明らかにするために重要であるばかりでなく,餌の性質や咀嚼に使われる応力の見積もりなどを行う上でも欠かすことはできない。本論文は比較的保存の良い鳥脚類恐竜の頭骨を用い,このpleurokinesisによるあごの動きにより,応力の分散が頭骨格内でどのように行われたのかを初めて明らかにしたものである。

 この研究で用いられた材料は,国立科学博物館が所有する,北米産の白亜紀後期の鳥脚類恐竜,ヒパクロサウルスHypacrosaurus stebingeriの保存の良い亜成体の頭骨である。この化石頭骨からCTスキャンによって3次元のデジタルデータを得て,それを多くの有限要素に分割することによって力学的な解析を行った。この解析は橋梁の強度測定等の工学分野で良く行われている方法である.従来FEAを用いた研究では,頭骨の解析を行う際に頭骨が一つの,同様な性質を持った物体(rigid model)として解析を行っていた。しかし,実際には頭骨は頬骨や方形骨などいくつかの骨からなっている。そこで本論文では,複数の骨をつなぐ関節の性質(ヤング率)を予想される範囲で変化させ,咀嚼時にどの位の数値が最も力学的に確からしいかを検討した。さらに歯列にどのような力がかかるのかを知るために,食物の板を歯列にかませるモデルを用いた。

 解析の結果,rigid modelに比べて関節や縫合面に可塑性を与えたモデルでは,Hypacrosaurus stebingeriの歯列全体にわたって広く応力が観察され,より均一な咀嚼が可能なことや,頭骨全体に負荷が分布するように力の分散がはかられていることが明らかになった。さらに重要なことは,pleurokinesisが存在すると仮定した場合,食物の板をかませた場合に歯列に応力がよりまんべんなく分布し,頭骨内にも応力の集中が見られずに分散したパターンを示すことが明らかになったことである。このことからpleurokinesisが咀嚼時に重要な働きを果たしていることが示唆された。

 本論文の特筆すべき点は,単に工学的な手法を生物体に応用したのみならず,実際の骨をrigidな一体の骨とは見なさず,その関節部分,縫合部分をも考慮し,異なった性質の部分の組み合わせとして理解していること,そしてこれらの関節,縫合部分に加えて餌の性質に大きな影響を与えるヤング率を決める際に,従来得られているデータと比較しつつ,これらの値を変化させながら応力分布が合理的に説明できるように決定し,その上でこれらの境界条件に基づいた上で解析を行っている点である。これはFEAを生物体に適応する上で重要なステップであり,また本論文のユニークな点となっている。このように、大橋君は,生物学的に妥当な境界条件を設定し,化石骨格を有限要素法を用いて詳細に構造解析し、応力のかかる場所の骨構造がどのように補強されているのかを定量的に明らかにすることに成功した。本研究により,咀嚼の進化と共にどのような骨構造の適応が見られるのかに関しても,今後の発展的な研究の基礎が築かれたと評価される。

 なお、本論文は,大路樹生・真鍋 真・吉川暢宏・桑水流 理の諸氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、本論文の独創性と質の高さ,そしてFEAを用いた今後の研究の発展性が非常に高いことも合わせて評価し,審査委員会では全員が本論文を博士(理学)の学位に受けるに値すると判断した。

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