学位論文要旨



No 121821
著者(漢字) 阿部,大輔
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ダイスケ
標題(和) スペインの歴史的市街地における保全再生戦略に関する研究 : バルセロナ旧市街における再開発過程の分析を中心に
標題(洋)
報告番号 121821
報告番号 甲21821
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6351号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 北沢,猛
 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 大方,潤一郎
 東京大学 助教授 小泉,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、(1)スペインにおける既成市街地の保全再生論理の制度的な成立過程を明らかにし、(2)バルセロナを事例に都市部の歴史的市街地における再開発の約25年におよぶ取り組みを詳細に検証することによって、スペイン大都市における保全再生戦略の理念、効果および限界を明らかにすることを目的とする。

 (1)について、都市計画制度と文化財保存制度の歴史的展開を明らかにしながら、スペイン諸都市の事例を多数取り上げることで比較検討し、最終的にはスペインにおける都市計画文化と計画技術を新たな知見として提示する。

 (2)について、本研究では、歴史的市街地における保全再生の現状を整理しその効果と限界を明らかにするためには、(1)プラン(物的環境整備計画)、(2)プログラム(制度運用ならびに管理の仕組み)、(3)空間(実現された空間および用いられ方)の三要素の関係性を解明することが不可欠であるとの認識に基づき、それら三要素の関係性を「歴史的市街地における保全再生戦略」と定義する。その上で、1985年に策定されたバルセロナ旧市街の3地区における市街地改善特別プラン(PERI)を対象とし、プラン策定プロセスから現在までを詳述する。特に歴史的市街地における複数の計画内容ならびに事業進行の関係性に着目し、地区再構築を実現するための仕組みを検証する。上述の保全再生戦略の中でも特に、計画面(建築形態や公共空間の類型化)とプログラム面(整備手法の重層的な組み合わせや官官連携・官民連携などのパートナーシップ、事業の持続的展開の実態など)を重点的に考察する。

 本研究では、上記の認識のもと、第I部「スペイン都市計画研究の理論的枠組み」、第II部「スペインにおける既成市街地の保全再生論理の制度的な成立過程」、第III部「バルセロナの旧市街における保全再生戦略の検証」の三部構成をとり、論を展開していく。

 第I部は2章で構成される。第1章では、研究の枠組みを提示するとともに、スペイン都市計画研究に関する既往研究を国内、英語圏およびスペイン国内に分けて整理し、本研究の独自性を明らかにした。

 第2章では、欧州主要都市の歴史的市街地における都市計画の潮流を整理したうえで、近代建築運動への批判を最小限にとどめ前工業都市の街路構造への物的介入を一定程度許容する計画の方法が、スペイン都市計画の特質であるとの仮説を立てた。また、スペイン諸都市の都市化の状況および特徴を考察し、研究を進める上での前提条件を整理した。

 第II部は3章で構成される。第3章では、スペイン近代都市計画の嚆矢であるイルデフォンソ・セルダによるバルセロナ拡張計画(1859年)の理論および実践、他都市への理論の伝播、旧市街地の更新に対する考え方を明らかにした。都市計画の分野では拡張市街地の建設に大きな力が注がれ旧市街は整備対象から忘却されていた一方、同時期に文化財保護の分野では記念物の保存を目的としたいくつかの重要な法規制が整備されており、併せて分析の対象とした。この時期には、対象はあくまで点的ではあるものの、歴史遺産保存概念の生成が見られたことを確認した。

 第4章では、スペインで初めて誕生した包括的な都市計画制度である土地法(1956年)からその後の法改正(1975年)の展開過程を把握した。ここでは法の理念および規制の内容・手法を基礎的事実として明らかにし、1956年法と1976年改正法のいずれも既成市街地における手法は不足したままであり、歴史的市街地の整備は依然として放置されていたことを指摘した。ただし、都市問題のテーマを絞って解決にあたる市街地改善特別プランが1976年改正法で盛り込まれており、現在でも多用され続けるだけの柔軟性を当初から内在させていた可能性を指摘した。

 第5章では、1976年改正法で定められた歴史的市街地を対象とする市街地改善プランおよび1983年に中央政府によって制定された「修復に関する政令2329号」の法的な内容を仔細に記述することで、1970年代後半から散見され始める「都市修復」の成立過程を明らかにした。

 またPERIは歴史的市街地の住環境改善に資するツールであること、一体的修復区域制度は荒廃が進んでいた歴史的市街地の修復事業を始動させることを狙った初の全国レベルの制度であり、建造物の修復だけに留まらず社会的・文化的価値を有する都市環境の修復を重用している点、そして技術的側面だけでなく修復行為を支援する財政措置を確立した点に特徴があることを指摘した。そして文化財保護行政の分野では約50年ぶりの改正となるスペイン歴史遺産法(1985年)を取り上げ、その制度が硬直的で保全至上主義的な傾向を指摘し、その保存至上主義的な傾向を指摘し、文化財保存のためのツールが都市の保全に関して都市計画上のツールに統合されていく過程を明らかにした。

 第III部は具体的な分析事例としてバルセロナの旧市街を取り上げ、その保全再生戦略の理念と内容、事業を実現する構造を検証した。この部は合計6章で構成される。

 第6章では、バルセロナ旧市街の抱える都市問題の状況を主に内戦後から現在に至るまで掘り起こし、社会構造上の問題(居住者層の変遷など)、建造環境上の問題(住環境の悪化状況など)、事業実施上の問題(所有権構造など)に分けて整理した。これにより、旧市街において解決が要請されていた一連の都市問題を特定した。

 第7章では、前章で特定された都市問題がどのようなプロセスで発生したのかを、フィジカル・プランの展開と併せて考察した。その結果、(1)セルダ案で提案された大通りの整備を現代的要求に照合していかに整備継続していくのかが旧市街のプランニングの中心的議題だったこと、(2)セルダ計画以降、環境改善を考慮した都市計画に沿った具体的な空間はほとんど実現されず、その結果過密に喘ぐ旧市街の住環境は低下する一方だったこと、を明らかにした。その上で、近年では「ミクロな都市計画」というコンセプトに支えられた空間の再編成が主流となり、80年代初頭の深刻な財政難の中、経済不況を逆手に取り小規模な公共空間を整備していく戦略が確立されたと結論付けた。

 第8章では、旧市街3地区で作成されたPERIの提案内容を詳細に調べ、空間整備の戦略を明らかにした。また、各プランの再生事業の内容を類型化した。それらは公共空間、地区街路の整備、新規住宅、修復住宅、修復施設に大別され、公共空間の創出手法としてスポンジ化/多孔質化が頻繁に適用された。新規建造物は、基本的に町並みの風景を乱さぬようインフィル型の挿入方法をとっている。

 第9章では、保全再生戦略を進展させる上で大きな鍵を握るプログラム面を考察することにより、いかにして事業の持続的な展開が可能となったのかを明らかにした。まず、全国制度である一体的修復区域をバルセロナはどのように独自的に運用したのかを明らかにし、ついで市が1988年に設立した旧市街開発公社(PROCIVESA)の運営理論ならびに活動実態を重点的に記述した。

 第10章では、保全再生戦略の展開過程と再開発の実態をより実証的に論じるために、旧市街ラバル地区の「ラバル大通り周辺地区」と東部地区の「アリャダ・ベルメイ通り周辺地区」を取り上げ、具体的な再開発過程を分析した。特に既存建造物の収用・立ち退き・取り壊しのプロセスと代替住宅としての新規建造物や修復のペースの関係性を明らかにした。

 前章を受けて、第11章では、投資額の変遷と獲得された公共空間に着目し、1988年〜2002年までのバルセロナ旧市街における再開発の経験に評価を与えた。PROCIVESAを中心とする再開発過程の様々なデータと側面をわが国で初めて提示した。

 以下が本論文の結論である。

* プランの側面から見ると、人口減少時代を迎えた現在、拡大成長を前提にした近代都市計画で現代的な都市問題に対処することは難しくなっているが、バルセロナが取り組んできた「街区の選択的な取り壊しによる公共空間の創出」(バルセロナでは多孔質化/スポンジ化と呼ばれた)は、空間的なゆとりが都市の質を高めることを実証している。

* プログラムの側面から見ると、多様な主体の意見調整の場として設置されたARI管理委員会が重要である。ここは第一に官々連携の場であった。委員会において具体的な再生事業の進め方が確立され、開発公社が収用の役割を担った。開発公社は建造物修復局と協働して、建造物の修復に関する民間事業の促進を図り、やがて官民のパートナーシップが引き出された。民間部門の開発公社や修復局への参入、そしてARI管理委員会への住民組織や不動産資本の参入は、都市再生へ向けた様々な主体の統合を促進し、総合的な都市再生事業の実行を容易にした。

* ただし開発公社は、土地の収用とそれを活用した不動産活動が資金供給の主な手段となっている。この方法は再開発の過程で生じる負債の返済を容易にする一方、収用を伴わない事業は公社の構想に乗りづらい。

 社会状況が異なるにせよ、バルセロナ旧市街も権利関係の調整の難しさや居住者層の偏り、財政不足など、わが国の木造密集市街地の整備と類似した問題を抱えていた。民間との協働が初動期には困難である歴史的な既成市街地において、再生事業は公共主導とならざるを得ない。そして期間と空間を限定した集中的な事業を可能にするために、まずは官々連携の仕組みをつくり、再開発資金をひとつの制度的枠組み内で管理運営することの重要性が、本論文のスペイン、そしてバルセロナの事例より示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はスペインのバルセロナ市の旧市街を対象に、スペイン都市計画における歴史的市街地の保全再生の戦略について、再開発過程を中心に現地調査結果をとりまとめ、考察を行ったものである。これまで日本においては、スペインの都市計画制度についてまとまった学術的な研究は行われていないため、本論文が本邦初のスペイン都市計画に関する本格的な研究論文となっている。したがって、パイオニアとして特に高い価値を有する論文となっている。また、バルセロナ旧市街における市街地改造計画に関して、詳細な現地調査をもとにその実態を詳しく明らかにし、その結果に基づいて客観的な評価を下している。こうした現地調査情報に関しても、物的計画のみならず制度推進のための公社組織の分析や各種社会指標の分析を行っている点もこれまでにない特長である。

 論文は3部合計12章から成っている。

 第1部はスペイン都市計画研究の理論的枠組みについて、研究の前提条件を整理する部分である。第1章では研究の枠組みを明らかにし、続く第2章ではスペインの歴史的市街地に関して都市政策の潮流を概観し、スペイン都市計画に関する諸問題を概説している。

 第2部はスペインにおける既成市街地の保全再生論理の制度的な成立過程を論じている。第3章では、19世紀におけるスペイン都市計画の誕生と最初期の実践、ならびに20世紀初頭における歴史的遺産保存概念の生成過程を明らかにしている。第4章では、スペインにおける初の体系的都市計画法制であるといえる1956年の土地法に関して、その内容を概説し、その法的特徴と限界、さらには1976年および1998年の土地法改正の経緯について明らかにしている。第5章では、歴史的市街地における空間整備の主要な手法である市街地改善プランおよび一体的修復区域制度に関して、その導入過程を詳細に論じ、そこにおいていかに歴史的市街地保全再生の論理が成立していったかを明らかにしている。

 第3部はバルセロナの旧市街を対象に、実際の保全再生策がいかに立案され、実施に移されたのかを論じ、その効果を検証している。第6章では、バルセロナ旧市街の社会的、経済的および空間的特質を概観している。第7章では、バルセロナ旧市街における社会問題発生の過程を論じ、そこにおいていかに物的計画が推進されていったかを、19世紀前半、19世紀後半から1939年にかけて、1939年から1976年にかけて、1976年以降に分けて詳細に跡づけている。第8章では、1976年の大都市圏総合計画を中心に旧市街地の改善特別プランの内容を明らかにし、その形態を中心に分析している。第9章では、1980年代の統合的実行プランや第1次4カ年計画を中心に、再生事業の制度的枠組みを明らかにする作業を行っている。特に旧市街開発公社の活動について、その運営の理論を明らかにする分析を行っている。第10章では、バルセロナ旧市街の保全再生策に関して、具体的にどのような地区でいかなる空間整備が実施され、どのような空間が生まれているのかを具体的に明らかにしている。第11章では、以上の現地調査をもとにそうした保全再生戦略の評価を明らかにしている。結論に当たる終章では、スペイン諸都市の歴史的市街地における保全再生論理がどのように生成してきたのかを1976年土地法に根拠を持つ市街地改善プランをもとに明らかにし、とりわけバルセロナ旧市街における開発公社の役割を正当に評価している。さらにバルセロナにおける保全再生策としての「多孔質化」の論理とその効果を明らかにすると同時に、その限界も示唆している。

 以上、本論文はスペインの都市計画に関する日本初の本格的研究として非常に価値が高く、とりわけスペイン都市の歴史的市街地における保全再生施策に関しては他の追随を許さない貴重な研究成果を挙げている。

 よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

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