学位論文要旨



No 121830
著者(漢字) 宮内,雄平
著者(英字)
著者(カナ) ミヤウチ,ユウヘイ
標題(和) 単層カーボンナノチューブのカイラリティ制御合成に向けた蛍光分光
標題(洋)
報告番号 121830
報告番号 甲21830
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6360号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 鷲津,正夫
 東京大学 助教授 高木,周
 東京大学 助教授 山下,真司
 東京大学 助教授 染谷,隆夫
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 単層カーボンナノチューブ(single walled carbon nanotubes, SWNTs)の蛍光分光(fluorescence, またはphotoluminescence, PL)[1]は,SWNTsの物性および構造測定法として現在大きな注目を集めている.PLピークの励起エネルギーと発光エネルギーはSWNTsの幾何構造(カイラリティ)ごとに固有であり,励起光をスキャンして発光スペクトルをマッピング(PLマッピング)することで半導体SWNTsのそれぞれのカイラリティごとの発光を励起および発光エネルギー軸上で分離してとらえることができる.SWNTsの発光強度はそれぞれのカイラリティの存在量に比例すると考えられることから,PL測定は,今後のナノチューブ合成研究における強力なカイラリティ分布測定手段となることが期待されている.しかしながら,SWNTsごとの発光量子収率の違いが明らかではないことや,PLマップ中には未だ起源の明らかでない様々なサブピークが存在することから,発光分析で得た情報からのカイラリティ分布の正確な見積もりは現状では難しい.

 カイラリティ制御を可能とするような合成法は未だ開発されていないが,そもそもカイラリティ分布の測定ができなければ,カイラリティ制御に向けた研究を行うこと自体困難である.そこで,本研究ではSWNTsのカイラリティ制御合成に向けた第一歩として,バルクSWNTs試料の発光測定における各カイラリティごとの基本的な光学応答とその起源を実験的に明らかにし,蛍光分光法をカイラリティ分布測定の有効な手段として確立することを目的として研究を行った.

2.アルコールCCVD法により合成した単層カーボンナノチューブの蛍光分光

 本論文第2章では様々なCVD温度でアルコールCCVD(ACCVD)法[2]によって合成されたSWNTsのPL測定による相対発光強度の比較を行った.図1に,650℃,750℃,850℃のCVD温度で合成されたSWNTsについて,励起エネルギーと発光エネルギーの関数として相対発光強度をマッピングした等高線図(PLマップ)と,円の面積として表したカイラリティごとの相対発光強度を示す.各ピークがそれぞれ異なるカイラル指数(n,m)の半導体SWNTsに対応しており,合成温度を変えることで各ピークの相対発光強度が変化していることがわかる.このような相対発光強度の変化について詳細に検討した結果,直径が細いSWNTsについてはアームチェア型に近いナノチューブの相対発光強度が大きくなることがわかった.

 次に,発光測定の結果と吸光測定の結果の詳細な比較を行った.光吸収はカイラリティ依存性が大きい内部緩和の過程が伴わないので発光よりも単純なプロセスであり,発光過程と比べてカイラリティごとの依存性が小さいことが予想される.検討の結果,光吸収測定においても直径の細い領域ではアームチェア型に近いタイプのSWNTsの相対吸光度が大きいことがわかった.既存の理論では,吸収遷移確率の違いだけではこのような大きな吸光度の差は説明できない.したがって,この結果は直径の細い領域での相対発光強度のカイラリティ依存性が実際のカイラリティ分布の偏りを反映したものである可能性を示唆している.そこで,本研究ではSWNTs初期生成核であるキャップ構造のカイラリティごとの安定性の違いによって直径の細い場合にカイラリティ分布が偏る可能性に着目し,分子動力学法によるエネルギー計算によりそのようなモデルの妥当性を示した.

3.単層カーボンナノチューブの発光励起スペクトルにおける同位体効果

 第3章では,(13)C同位体置換アルコールから炭素13同位体からなるSW(13)CNTsを合成し,ラマン分光および発光励起スペクトル(Photoluminescence excitation spectra, PLE)測定を行い,励起子・フォノン散乱に起因するフォノンサイドバンドピークを同定した.図2に,SW(13)CNTsと通常のSWNTsのPLマップのうち(7,5)ナノチューブの発光ピーク付近の拡大図と発光エネルギー1.208 eVに対応するPLEスペクトルを比較して示す. SWNTsの第2サブバンド間の光学遷移に起因するE22励起子遷移の明るい発光ピークの他に,PLEスペクトル上には起源の明らかではないPLEピーク(図2ピークA,B,Cなど)が存在することがわかる.これらの未解明なサブピークは他のカイラリティの発光ピークにオーバーラップする可能性がある.したがって,相対発光強度の正確な測定のためにはこれらのサブピークの起源を同定し,その出現位置や強度の予測を可能とする必要がある.

 起源の明らかでないPLEピークのうち,入射光のエネルギーが(励起子のエネルギー+フォノンエネルギー)に一致する場合には,フォノンサイドバンドと呼ばれる吸収ピークの存在が期待される[3].

 スペクトルの詳細な比較により,E(11)およびE(22)エネルギーとピークAおよびCのピークの間隔が通常のSWNTs,SW(13)CNTsで若干異なっていることがわかる.このずれがラマン分光法により測定したフォノンエネルギーの同位体シフトから予想される値と対応していることから,ピークA,Cはフォノンサイドバンドピークであると同定した.一方,ピークBはE(22)励起の主ピーク同様明確な同位体シフトを示しておらず,純粋な電子励起によるものだと考えられる.

4.単層カーボンナノチューブの発光励起スペクトルの光学異方性

 第4章では,SWNTsのPLEスペクトルにおける光学異方性を検討した.SWNTs軸に垂直な偏光による光励起を考えると,選択則からその最小の光遷移エネルギーはE(11)遷移エネルギーとE(22)遷移エネルギーの間に位置することが期待される[4].そこで,第3章において同位体シフトを示さなかったピークの起源が軸垂直励起である可能性に着目し,SWNTsの偏光発光測定を行った.

 本研究ではまず,孤立分散したSWNTsをある程度配向させてゼラチン薄膜中に固定し,薄膜に対する偏光PLE測定によってPLEスペクトル中の各ピークの偏光依存性を観測した.

 図3に,配向SWNTs膜の(7,5)SWNTsに対するPLマップとPLEスペクトルを示す.図3から,ナノチューブ配向方向に平行な偏光(θ=0°)による励起に対して1.8eV付近のピーク(図2のピークBに対応)がほとんど観測されず,配向方向に対して垂直な偏光(θ=90°)に対する励起の場合には逆に強調されていることがわかる.このことから,1.8eV付近のピークは,(7,5)SWNTsのチューブ軸垂直偏光による励起に伴う発光のピークであると同定できる.

 さらに,様々な(n,m)SWNTsの軸垂直励起エネルギーを測定するため,物理的にSWNTsを配向させるのではなく界面活性剤分散SWNTsサンプルを用いて,入射励起光の偏光と観測される発光の偏光の関係からの軸垂直励起ピークの同定を試みた.また,PL anisotropyの理論[5]を用いてSWNTsの軸平行励起と軸垂直励起に対するPLマップの分解を行った.

 図4に,分解して得られた(6,5)および(7,5)SWNTsについての軸平行励起と軸垂直励起のPLマップを示す.それぞれの(n,m)SWNTsについて,軸垂直励起の遷移エネルギーは軸平行励起の場合のE11遷移エネルギーとE(22)遷移エネルギーの間に位置しておりそれぞれ2つのピークを持つことがわかる.1電子近似による定性的な予測によれば,軸垂直励起の遷移エネルギーは2つのピークを持ち,それらのエネルギーはE(11)遷移エネルギーとE22遷移エネルギーのちょうど中間に位置することが期待される[4].しかしながら,本研究で測定された軸垂直励起遷移エネルギーは,どのSWNTsについても(E(11)+E(22))/2よりもブルーシフトしていることが明らかとなった.このようなブルーシフトは,軸垂直励起に対する励起子結合エネルギーが,軸平行励起の場合に比べて小さいことを示唆していると考えられる.

5.まとめ

 図5に,本研究において同定した可視,近赤外領域のPLマップ中に現れる主な発光ピークの典型的な配置とその起源の模式図を,実際のPLマップと比較して示す.本研究で同定された様々な発光ピークの存在を考慮に入れることで,カイラリティ分布制御法の開発に向けた研究において,発光測定結果の解釈をより正確に行うことが可能になると期待される.

(参考文献)[1] S.M. Bachilo, et al., Science 298, 2361 (2002).[2] S. Maruyama, et al., Chem. Phys. Lett. 360, 229 (2002).[3] V. Perebeinos, J. Tersoff, Ph. Avouris, Phys. Rev. Lett. 94, 027402 (2005).[4] A. Gruneis, et al., Phys. Rev. B 67, 165402 (2003).[5] J. R. Lakowicz, Principles of Fluorescence Spectroscopy (Plenum Publishing Corp., New York, 1999), 2nd ed..

図1

図2

図3

図4

図5

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「単層カーボンナノチューブのカイラリティ制御合成に向けた蛍光分光」と題し,ナノテクノロジーの中心的素材として注目を集めている単層カーボンナノチューブ(single-walled carbon nanotubes, SWNTs)の幾何構造(カイラリティ)を制御した合成に向けて,SWNTsの合成条件とカイラリティ分布の関連を蛍光分光測定を用いて実験的に明らかにするとともに,蛍光分光によるカイラリティ分布測定の障害となっている未知の蛍光発光ピークの起源を解明することを試みたものであり,論文は全5章よりなっている.

 第1章は,「序論」であり従来研究の未解決問題について検討して,本論文の研究目的を述べている.また,本研究と関連して,SWNTsの物性・合成法について述べるとともに,SWNTsの構造,電子構造,およびそれらに関連する様々なSWNTsの分光分析の手法について概観している.また,本研究で中心的に用いた蛍光分光法の詳細について述べている.

 第2章は,「アルコールCCVD法により合成した単層カーボンナノチューブの蛍光分光」であり,様々な合成温度で生成されたSWNT試料の蛍光分光測定を行い,これまでに報告された発光強度の理論的予測と各カイラリティに対応する発光強度の測定結果とを組み合わせて,SWNTs試料中のカイラリティ分布を推定している.さらに,合成条件の変化に伴うカイラリティ分布の変化から,合成時のカイラリティ選択性とそのメカニズムについて考察し,SWNTs生成核であるキャップ構造の安定性によるカイラリティ選択性のモデルを提案している.

 第3章は,「単層カーボンナノチューブの発光励起スペクトルにおける同位体効果」であり,非常に少量の同位体置換エタノールから同位体置換SWNTsを合成する手法を開発し,ラマンスペクトルの変化から合成された同位体置換SWNTs中のフォノンエネルギーの変化を確認し,励起子・フォノン相互作用に起因する発光励起スペクトルピークの同定を行っている.

 第4章は,「単層カーボンナノチューブの発光励起スペクトルの光学異方性」であり,SWNTsを孤立状態に保ったままゼラチン薄膜中に配向させる方法を開発し,偏光発光励起分光法により発光励起スペクトルの偏光依存性を調べ,SWNT軸に垂直な偏光による励起(軸垂直励起)に起因するピークを同定している.さらに,偏光蛍光分光の手法を適用して,様々なカイラリティに対応した軸垂直励起遷移の光励起エネルギーを測定し,軸垂直励起に対する励起子効果と測定結果の関連について考察している.

 第5章は「結論」であり,上記の研究結果をまとめたものである.

 以上を要するに,本論文では単層カーボンナノチューブのカイラリティ分布の合成温度依存性を明らかとし,直径を非常に細く制御することができればある程度のカイラリティ制御ができる可能性があることを示している.また,SWNTの未知の発光ピークの起源を同位体実験や偏光蛍光分光の手法により同定しており,本論文で同定された様々な発光ピークの存在を考慮に入れることで,今後のカイラリティ分布制御法の開発に向けた蛍光マップ測定において,測定結果の解釈をより正確に行えることを提案している.本論文はSWNTsのカイラリティ分布の合成温度依存性および蛍光発光に関する新たな知見を与えており,分子熱工学の発展に寄与するものであると考えられる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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