学位論文要旨



No 121843
著者(漢字) 吉田,芙美子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,フミコ
標題(和) ベリリウム原子のX線による光励起に関する実験的および数値的解析
標題(洋) Experimental and Numerical Analyses on X-ray Photoexcitation of Beryllium Atom
報告番号 121843
報告番号 甲21843
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6373号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長谷川,秀一
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 助教授 門,信一郎
内容要旨 要旨を表示する

1. 背景

 Be原子(1s22s2)は4電子系の電子構造を持ち、He原子に次いで2番目に単純な閉殻構造を持っている。2電子系であるHeに関する実験的・理論的研究は詳細に行われてきているが、Beに関する実験的研究はその毒性と蒸気発生の困難性から数が少ない。しかしながら、Be原子の外殻2s電子の励起は、2電子系の電子相関に関する知見が得られるばかりでなく、研究実績の豊富なHe原子と比較することにより、内殻1s2電子の光イオン化過程での影響を明らかにすることができる。また、近年、Li原子の光イオン化分光の実験方面での進展により、さらに進んだ3電子系の理論が著しく発展している。その発展型として4電子系を取り扱う理論についても検討が進められており、この点から内殻電子1s2の光励起・イオン化過程に関する詳細な検討が望まれる。

 本研究では、高分解能・高フラックスな放射光を用いてBe原子の光イオン化断面積実験を行い、高分解能な実験データを取得する。具体的には、外殻・内殻励起によるRydberg自動イオン化系列の観測を行い、4電子系のイオン化プロセスについて、実験的な方面から系統的に解明することを目的とする。さらに、内殻励起による光イオン化プロセスについて、数値計算の手法を用いて原子構造の解析を行い、Be原子に特徴的な現象に関して、実験的な側面に加えて理論方面からのアプローチを計ることを目的とする。

2. 実験方法

 実験は、茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK)のフォトンファクトリー施設(PF)にて行った。使用したビームラインは、低エネルギー領域をカバーする(5〜40eV)20Aラインと、アンジュレータの装備された16Bラインである。

 金属Beを真空容器内の電子衝突加熱装置により1,200℃程度に熱し、Be原子蒸気を発生させ、放射光と直角に相互作用させる。光電離の結果生成したBeイオンをパルス電場で引き出し、飛行時間型質量分析装置に導き、生成したBeイオンの1価および2価を区別した。MCP(micro channel plate)によりイオンの検出を行っている。イオンの飛行時間はTime-to-Pulse Height Converter(TPHC)を通してパルスの高さに変換され、計測系で積算される。得られた質量スペクトル上において、Beイオンの1価・2価にゲートを合わせ、光エネルギーを掃引することにより1価と2価それぞれのスペクトルを取得した。

3. 外殻励起実験

 Beの外殻励起実験により、1s23sのイオン化限界へ収斂する3snpのRydberg系列(n=3〜9)が高分解能に観測された。この領域では、幾つかの異なるイオン化限界が接近しているため、Be+(3s)の1つ上のイオン化限界Be+(3p)へ収斂するRydberg系列遷移3p4sも3s5pと3s6pの間に観測された。得られた実験スペクトルをFanoの理論曲線を用いてFittingを行い、それぞれの遷移ピークのq値、共鳴エネルギー、半値全幅の値(FWHM)を抽出した。理論曲線は、装置関数であるシンクロトロン光源の線幅を考慮し、三角波を畳み込んだ上で実際のFittingに用いている。

 超球座標計算とR-matrix計算から得られた2つのイオン化断面積と実験結果を比較した結果、実験と計算のスペクトル形状は両者ともほぼ一致した。しかしながら、摂動軌道の入り込む3s5p遷移付近のスペクトル形状は、2つの数値計算の間で大きな差異が見られ、超球座標を用いた数値計算スペクトルの方が実験に近いことが明らかとなった。実験と計算の比較をさらに詳細に行うため、数値計算のスペクトルをFano曲線でFittingし、実験スペクトルと同様にパラメータq値、共鳴エネルギー値と半値全幅の値を遷移ごとに求めた。以上の比較より、Be+(2p)からBe+(3s)の2つの閾値間のエネルギー領域において、実験と計算の結果はほぼ一致した一方で、摂動軌道の入り込む3p4s遷移付近の計算値には実験結果を再現しきれていないことが明らかとなった。したがって、今回の観測結果により理論方面での発展、特に系列間の摂動の議論に関して、実験方面から理論に大きく寄与することができると考える。

4. 内殻励起実験

 観測したエネルギー範囲は127〜140eVの内殻励起領域の広範囲にわたり、光源分解能はおよそ13meVで観測を行った。この領域では2価の生成が主であるが、1価イオンも同時に生成され、そのため1価・2価それぞれのスペクトルを取得した。いくつかのRydberg系列に着目した結果、1s(2s2p3P)、1s(2s2p1P)、1s(2s3s3S)、1s(2s3s1S)の4つのイオン化限界へ収斂する一連のRydberg系列の詳細観測に成功した。この高分解能測定から、これまで実験装置や実験方法の制約により観測されなかった遷移が数多く観測された。

 得られたスペクトルの形状から、2価のスペクトルに対してはFanoの理論式を、1価のスペクトルに対してはLorentz式を用いてFittingを行った。Fitting解析の結果、2価に関してはパラメータq値、共鳴エネルギー値、半値全幅の値が、1価に対してはエネルギー値と半値全幅の遷移情報が得られた。共鳴エネルギー値より、Rydbergの式を用いて、4つの系列のエネルギー閾値と量子欠損値を決定した。ここではいくつかの閾値を仮定した上で、主量子数に対して量子欠損の値をプロットし、系列を通して量子欠損の値が一定値を取るようなElimをエネルギー閾値として採用している。

 理論との比較を行うため、R-matrix法で計算した光イオン化断面積と実験結果を比較した。計算スペクトルが高エネルギー側に0.3〜0.5eV程度シフトしているものの、実験と計算のスペクトルの形状はほぼ一致した。しかしながら、140eV付近の高エネルギー領域では、計算と実験のずれが0.6eV程度にまで広がることが明らかとなった。これは、R-matrix計算に用いられている基底関数の数が140eV付近の励起状態を表すのに不十分であることと、適切な励起状態の波動関数が計算に盛り込まれていないことに起因すると考えられる。これにより、数値計算における波動関数の選択性、すなわち電子相関の描写に関して、これらの実験値が大きく役立つものと考える。

5. 理論計算による構造解析

 Multi Configuration Dirac Fock (MCDF)法を用いて、内殻励起領域の計算を試みた。MCDF計算は、光と原子の相互作用に相対論効果を取り入れた計算法である。その基礎方程式は系の保存量としてDiracのハミルトニアンを採用している。計算手順としては、原子の基底状態、および励起状態についてレイリー・リッツの変分原理を用いて1電子軌道を最適化し1電子軌道を求めた後、それらのConfigurationを取り配置間相互作用から波動函数を決定する。その後、得られた基底・励起状態の波動函数を用いて双極子モーメントの振動子強度を計算する。

 1sから4dまでの1電子軌道を最適化し内殻励起領域のフォトンエネルギーに対する振動子強度が計算された。得られた結果を実験結果と比較した結果、実験において観測された振動子強度の大きなピークに対してはその構造がアサインされた。その結果を受けて、2つのRydberg系列(1s2s3snpおよび1s2s3pns)の計算を行った。しかしながら、それら2つの結果とも、実験で観測されたより系列ピークの振動子強度は非常に小さいことが明らかとなった。そのため、共鳴ピークの構造を調べ、Rydberg系列の構造を持っているエネルギー値を特定しイオン化閾値を仮定した上で量子欠損の値を計算値より算出している。

6. 結論

 本研究では4電子系の物理に関する実験的知見を得るために、Be原子の外殻2s電子および内殻1s電子励起による光イオン化断面積を測定し、広範囲にわたるRydberg系列の詳細観測を行った。さらに、それらの実験結果を受けて、理論方面から内殻励起の光イオン化プロセスおよび構造の解析を行った。

 外殻励起の領域では、3snp系列および3p4s遷移を観測し、遷移のq値、エネルギー、半値全幅の値をFitting解析により求めた。数値計算との比較から系列間の摂動の影響を解析し、実験方面から理論発展へ大きく寄与することが出来た。内殻励起による光イオン化実験では、127〜140eVにわたるエネルギー領域において、4つのイオン化限界に収斂する一連のRydberg系列を1価と2価の光イオン化断面積について詳細に測定した。スペクトルのデータ解析の結果、外殻励起の場合と同様に、遷移ピークの自動イオン化パラメータq値、半値全幅、共鳴エネルギーの値が得られ、各系列のイオン化閾値、量子欠損の値が決定された。内殻励起による光イオン化プロセスについて、得られた実験的なデータをもとに、数値計算の手法を用いて4電子系の物理の理論解析を行った。この解析から、Be原子の構造に関して、理論的な側面からのアプローチを計ることができた。

 これらの実験および理論解析から、Be原子の外殻・内殻電子の励起とそれに続く自動イオン化プロセスに関し、詳細かつ広範囲にわたる知見が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文はベリリウム原子の光励起に関する放射光を用いた実験および数値解析に関する研究で6章より構成されている.

 第1章は序論で,研究の背景と目的を述べている.ベリリウム原子の特徴について化学的性質などを紹介するとともに,その基底状態の電子配置(1s22s2)からの光励起により期待される知見についてまとめている.あわせて少数電子系原子(He, Li)の放射光を用いた光励起研究について既往の研究を概観しているとともに4電子系への拡張との関連性について論じている.

 第2章では原子構造を記述するために必要となる理論について記述している.原子物理における波動関数にはじまり,光励起による自動イオン化準位のスペクトルで特徴的な非対称形状となるFanoプロファイルについて,離散準位と連続状態の干渉効果によることを既往の研究に沿ってまとめ,実験と対比する際に必要となるパラメータを整理している.

 第3章では外殻電子の光励起状態の解析についてまとめている.ベリリウム原子の外殻電子(2s2)を光励起することにより,2電子系ヘリウム原子(1s2)との対比が可能となることなど実験の意義を明らかにした後,実験装置の説明を行っている.真空容器は電子衝突加熱オーブン,放射光・原子相互作用領域,飛行時間型(TOF)質量分析器から構成されていることが説明している.これにより価数に応じた(Be+,Be(2+))スペクトルを取得することが可能となる.さらに本研究で利用された放射光施設として高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 放射光科学研究施設(KEK Photon Factory)を概観し,さらに本実験で必要とされる20 eV付近のビームラインであるBL-20Aについて紹介している.これらの装置により,本実験で焦点を当てている3snp Rydberg系列の光イオン化スペクトル(Be+)を観測している.これら共鳴状態のエネルギー値,半値幅,FanoパラメータをFanoの公式をフィッティングすることにより導出するとともに,3p4sを摂動項として確認している.さらにそのスペクトル形状を既往のR-matrix計算および超球座標系計算から得られるスペクトルと比較することで,摂動項の影響を評価している.

 第4章では内殻電子の光励起状態の解析についてまとめている.ベリリウム原子の内殻電子(1s)を光励起することにより3あるいは4電子の相関を示す共鳴状態の観測およびその同定を高分解能分光で行うとともに,既往の計算例との比較を行うことが述べられている.ここでは特に4つのイオン化限界(1s(2s2p 3P), 1s(2s2p 1P), 1s(2s3s 3S), 1s(2s3s 1S))に収斂するRydberg系列に着目して実験を行っている.本実験で用いているKEK PFのビームラインBL-16Bを紹介しており,120〜140 eVの光子を利用している.実験の結果,多くの新たな共鳴状態を観測しており,それらについてエネルギー値,半値幅,Fanoパラメータなどの導出を行っている.これらについて議論しているとともに,エネルギー値よりイオン化限界値の導出も行っている.これらの共鳴状態は既往の計算例との比較により同定を行っているが,特に高エネルギー側において同定ができない状態が多く観測されていることを明らかにした.

 第5章では内殻励起状態を明らかにするための数値計算についてまとめている.ベリリウム原子の励起状態の理論計算および数値解析について既往の研究をまとめており,本研究ではMulti Configuration Dirac-Fock(MCDF)法を用いている.計算手順についてまとめられており,基底状態のエネルギー値を計算には14,000程度の配置関数(configuration state function:CSF)を用いており,励起状態には2,000程度のCSFを用いている.しかしながら,計算資源の制限より振動子強度の計算において基底状態は38のCSFを用いている.計算の結果,基底状態エネルギーは高い精度で計算出来ており,基底状態には1s22s2が約91%に対して1s22p2が約9%含まれていることを明らかとした.さらに振動子強度の計算より,強度の大きい準位および(1s2s3p 2P)nlのRydberg系列を同定することができた.

 第6章は結論であり,本研究のまとめが述べられている.

 以上を要するに、本論文は4電子のベリリウム原子を対象として,放射光により光励起された状態を飛行時間型質量分析装置により観測することで,内殻および外殻電子が励起された共鳴状態のエネルギー値を測定するとともに,数値解析によりその共鳴状態を同定し,4電子系での電子相関について新たな知見を見いだしている.こうした成果はシステム量子工学の進歩に貢献することが少なくない.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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