学位論文要旨



No 121851
著者(漢字) 古家,真之介
著者(英字)
著者(カナ) フルヤ,シンノスケ
標題(和) 電極間原子鎖における電子伝導の第一原理計算
標題(洋) Ab Initio Study of Electronic Conduction through Atomic Chains between Electrodes
報告番号 121851
報告番号 甲21851
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6381号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 近藤,高志
 東京大学 助教授 常行,真司
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 電極間に原子サイズの点接触を作成するとコンダクタンスがG0(=2e2/h)の整数倍になるというコンダクタンスの量子化の発見をきっかけに,電極間の点接触や原子鎖の研究が盛んになってきた.電子の平均自由行程よりも短いこのような構造では,電子が散乱を受けずに対向電極まで透過するというバリスティック伝導が見られる.

 原子鎖の実験例として,透過型電子顕微鏡内で原子構造を確認しながらAu原子鎖の電気特性を測定し,原子鎖が単一原子列となったときのコンダクタンスが1 G0になったとの報告がある.また同時期に,他のグループでもAu原子鎖で同様の結果を得ており,さらに他の元素,例えばAl原子鎖でもコンダクタンスが約1 G0になるとの報告がある.

 一方理論計算では,Al,Na原子鎖についての解析が数多く行われている.例えば原子鎖の鎖長と抵抗値の関係を調べた例,固有チャンネル分解を用いて原子鎖の透過率に関して詳しく調べた例,結晶電極を用いて計算を行った例,構造緩和による電気特性の変化について調べた例などが報告されている.

 このような研究の流れの中で,これまでに本研究もジェリウム電極間に接続したAl3,Al4,Al5原子鎖の電気特性の計算を行ってきた.すると図1に示すように高いバイアス電圧を印加すると,長い原子鎖では電流値が減少することがわかった.さらに詳しい解析により,原子鎖内部でポテンシャル変化の集中が起こり,それにより電流が流れにくくなることがわかった.

 このように電極間原子鎖の電気特性は精力的に研究が行われているが,現段階では実験を行うことが難しく,また得られた結果の解釈が難しい場合が多い.また理論的にも十分調べられたとは言い難く,上記の例でもモデルが単純である,バイアス電圧を印加していない,または高すぎるなどの問題点がある.そこで本研究では,第一原理計算による電極間原子鎖の電気特性の解析をさらに進め,一般的な電極間ナノ構造の電気特性の理解を深めることを目的とした.

2.研究方法

 上記の目的を達成するため,本研究では電極間の原子鎖にバイアス電圧を印加したときの電子状態を第一原理計算により求める.この系は定常電流が流れている散乱状態であるため,束縛状態を扱う通常の第一原理計算手法は適用できない.そこで本研究では,本研究室で開発された境界マッチング密度汎関数法(Boundary-matching Scattering-state Density Functional: BSDF)法を用いる.

 BSDF法では,図2に示すように解析する系を電極表面に垂直な方向に3分割し,解析的に求まるそれぞれの電極の奥深くの領域(Region I,III)の波動関数になめらかに接続するように表面を含む中央の領域(Region II)の波動関数を求める.また電極表面に平行な方向は周期境界条件を用いて波動関数を平面波で展開する.本計算では電極をジェリウムモデルであらわす.さらに電極表面およびナノ構造を構成する原子については,擬ポテンシャルを用いて価電子のみを考慮する.そして電極間にバイアス電圧を印加した状態で電子状態を密度汎関数法に基づき自己無撞着に計算する.このとき電極間を流れる電流は波動関数から求めることができる.

3.Al(001)表面に接続したAl原子鎖の電気特性

 電極間ナノ構造の電気特性には,電極とナノ構造の接合部の構造の違いが顕著に見られると考えられる.なぜならば原子鎖内部では電子がほぼバリスティックに流れるため,透過率は接合部の反射と大きく関係があるからである.しかし,この接合部の構造の違いと原子鎖の電気特性との関係を調べた研究例は少ない.またAl原子鎖のコンダクタンスは,実験的に得られる値が約1 G0であるのに対し,理論計算では結晶電極を用いてAl(001)表面のhollow(原子間のくぼみ)サイトに接続した場合を除いて約1.6 G0から2.0 G0程度の大きな値が得られている.そこで本研究では,Al3原子鎖をAl(001)表面のhollowサイトおよびon-top(原子直上)サイトそれぞれに接続した場合の電気特性の違いについて詳しく調べた.

 まず最初にバイアス電圧を1.0Vまで印加したときのI-V特性を調べたところ,図3に示すように電極表面との接合部の構造の違いがI-V特性に顕著にあらわれていることがわかった.またhollowサイトに接続した場合のコンダクタンスは1.1 G0となり,これは実験で得られている値,および結晶電極を用いてhollowサイトに接続した場合の値とほぼ同じである.次に原子位置での有効ポテンシャル変化を調べたところ,この場合も接合部の構造の違いが顕著にあらわれ,on-topサイトに接続した場合は複雑な変化をすることがわかった.さらに詳しく考察するために原子位置での局所状態密度を調べたところ,この場合もon-topサイトに接続した場合は局所状態密度のピークが複雑に変化し,またhollowサイトに接続した場合と比べてピークが鋭いこともわかった.

 以上の結果から,局所状態密度に鋭いピークを持つon-top位置に接続した原子鎖はhollow位置に接続した原子鎖に比べて電極との相互作用が弱いと考えられる.この相互作用の違いにより,バイアス電圧を印加したときの振る舞いの違いがあらわれ、さらにI-V特性の違いが引き起こされたと考えられる.

4.不純物原子を含むAl原子鎖の電気特性

 バイアス電圧を印加したときの効果の一つとして,ポテンシャル変化が挙げられる.電極と原子鎖の接合部にこの変化が集中するとの理論解析による報告があるが,炭素原子鎖の場合はグループにより結果が異なっており,詳しい解析が望まれる系である.また電極と接続する原子を他の原子に置き換えた系では,その置き換えた原子位置にポテンシャル変化が集中するとの報告がある.しかしこれまでの解析では、この集中が起こる原因がわかっていない.そこで本研究では,Al6原子鎖のうち1つをNa原子に置き換え、さらにこの置き換える位置を変化させたときのポテンシャル変化について詳しく解析を行った.

 まず最初にバイアス電圧を0.5 Vまで印加した時のI-V特性を調べたところ,Na原子への置き換えを行うと電流値が1/4程度に減少することがわかった.またバイアス電圧を0.1 V印加したときの有効ポテンシャル変化を図4に示す.この図から,ポテンシャル変化はNa原子位置に集中することがわかる.さらに詳しく調べるため,局所状態密度の解析を行ったところ,Na原子を境にバイアス電圧による局所状態密度ピークのエネルギー変化の仕方が異なることがわかった.この場合もAl(001)表面に接続した原子鎖の場合と同様に,原子間の相互作用の強さで理解できると考えられる.またこの系は異種原子を含むため,原子構造が大きく変化すると予想される.そこで構造最適化を行ったが,ポテンシャル変化がNa原子に集中する振る舞いは変わらなかった.

5.BSDF法への非局所擬ポテンシャルの組み込み

 これまでの計算では,イオンをあらわす擬ポテンシャルは局所擬ポテンシャルを用いていた.しかし局所擬ポテンシャルは実験データを基にパラメーターを決定しているため,その際参照していた系と異なる構造では信頼性があまり高くない.また一般的にノルムが保存していないため,電子の散乱を正しく記述できない.そこで本研究では,実験データに依存せず,第一原理計算の結果を用いてパラメーターを決定し,さらにノルムが保存する擬ポテンシャルをBSDF法に組み込んだ.

 ノルム保存擬ポテンシャルの表式には非局所演算子が含まれるため,ハミルトニアン演算子を書き換える必要がある.本研究ではBSDF法の擬ポテンシャル項の書き換えを行い,この非局所擬ポテンシャルを扱えるように手法及びプログラムの拡張を行った.また擬ポテンシャルのパラメーターの決定には,第一原理計算プログラムTokyo Ab initio Program Package (TAPP)を用いた.

 テスト計算としてNa(001)とAl(001)の計算を行ったところ,正しい結果が得られることを確認した.そこで次に実験でよく用いられるAuおよびWの計算を行ったが,現段階では収束した結果が得られなかった.これはd軌道が関与する部分に問題が残っていると考えられる.

6.結論

 本研究ではAl原子鎖について詳しく解析を行った.まず電極表面との接合部の構造についての解析では,Al(001)表面との接続位置によりI-V特性,バイアス電圧印加によるポテンシャル変化,局所状態密度変化が異なることがわかった.この違いは原子鎖と電極との相互作用の強さの違いによると考えられる.次に不純物原子としてNa原子を含む原子鎖についての解析では,Na原子位置にバイアス電圧印加によるポテンシャル変化が集中することがわかった.このことも,原子間の相互作用の強さの違いによるためと考えられる.また,信頼性の高い計算をさまざまな原子種を用いて行うために,非局所擬ポテンシャルの組み込みも行った.d軌道に関する部分に問題が残っているが,s軌道およびp軌道に関しては正しい結果が得られることを確認した.これら本研究の成果は,電極間ナノ構造の基礎研究,さらに新規電子デバイス作成への応用に大きく貢献すると期待される.

図1:Al3,Al4,Al5のI-V特性

図2:計算に用いるモデル.左右それぞれの電極奥深くからの入射波はRegion IIで散乱され,反射波と透過波に分かれてRegion IとRegion IIIの奥深くに向かう.

図3:hollowサイト,on-topサイトそれぞれにAl3を接続したときのI-V特性.

図4:バイアス電圧を0.1V印加したときの(a)NaAl5,(b)AlNaAl4,(c)Al2NaAl3原子鎖の有効ポテンシャル変化,左右は電極内部であり,中央の大きな丸がNa原子,小さな丸がAl原子をあらわす.

審査要旨 要旨を表示する

 将来の超微細素子の可能性を探索するために、ナノ構造の電気特性の研究が盛んに行われている。電極間原子鎖はもっとも簡単なナノ構造として実験・理論両面で活発に研究が進められているが、その電気特性はまだ十分明らかになったとはいえない。特に、構造と電気特性との関連を明らかにすることが強く望まれている。本論文は、電極間Al原子鎖の電気特性について、電極−原子鎖接合構造と原子鎖中の不純物の影響に着目して第一原理計算により解析し、ナノ構造およびナノスケール素子の電気特性の制御・設計に役立つ指針を導出しようとしたものである。本論文は6章からなる。

 第1章は緒言であり、量子効果の顕現等の観点から電極間原子鎖の電気特性の研究の意義を述べると共に、電極間原子鎖に関するこれまでの実験および理論研究をまとめている。そして、理論計算間に見られる不一致の原因が明確にされていないこと、有限バイアス電圧を印加した際の原子鎖内でのポテンシャル変化の振る舞いが十分には理解されていないことを指摘して、本研究の目的を明確にした。

 第2章では、本研究の計算方法を述べている。電極間にバイアス電圧が印加され定常電流が流れている非平衡開放系の電子状態を自己無撞着に決定することが本研究においては本質的に重要であるが、このために本研究では境界マッチング密度汎関数法を用いている。この方法の概要を述べるとともに、その基盤となる密度汎関数法の概略を述べている。

 第3章では、Al(100)表面に接続されたAl原子鎖の電気特性について、電極と原子鎖との接合部の構造に注目して第一原理計算で解析した結果を述べている。Al原子3個から成る原子鎖がAl(100)表面の4個のAl原子の中央(以下hollowサイトと記す)および1個のAl原子の真上(ontopサイトと記す)に接続された場合を比較し、0Vにおけるコンダクタンスの値が両者で大きく異なること、前者の電流-電圧特性が直線的であるのに対し後者のそれには著しい非直線性が見られること等を明らかにした。さらに、両者の電気特性の違いに対応して原子鎖内のポテンシャル変化にも顕著な違いが見られ、またポテンシャル変化のバイアス電圧依存性が原子鎖の微分コンダクタンスの変化とよく対応することを見出した。さらに、原子鎖部分の局所状態密度に見られるピークの位置の振る舞いもポテンシャル変化の振る舞いとよく対応すること、ontopサイトに接続した場合の方がhollowサイトに接続した場合よりも局所状態密度のピークが鋭いことを見出した。以上の結果を原子鎖と電極との相互作用と関連付けて考察するとともに、既報の理論計算に見られたAl原子鎖のコンダクタンスの計算値の不一致が接合部の構造の違いから理解できることを示した。

 第4章では、Al原子鎖中の1原子をNa原子に置換することによる電気特性の変化を第一原理計算により解析した結果を述べている。不純物の導入によるコンダクタンス低下という予想された結果が得られただけでなく、不純物をどの位置に導入してもバイアス電圧印加によるポテンシャル変化がNa原子位置に局在するということを見出した。さらに、3章の場合と同様に、ポテンシャル変化の振る舞いと局所状態密度のピークの振る舞いとがよく対応することを見出した。以上のことから、3章と4章の結果を隣接部分間の相互作用の観点から統一的に理解できる可能性を示した。以上の結果は、ナノ構造をデザインすることによってバイアス電圧によるポテンシャル変化を制御し、ひいては電気特性を制御する可能性を示したものであり、超微細素子を目指したナノ構造の設計に有用な知見と考えられる。

 第5章では、より多様な原子種に対応するためにノルム保存型擬ポテンシャルを境界マッチング密度汎関数法に組み込むための方法論の概要と、これを組み込んだプログラムのテスト計算の結果を述べている。Al原子鎖については、境界マッチング密度汎関数法と原理的に同等の精度が期待できノルム保存型擬ポテンシャルが既に組み込まれている他の方法論による既報の結果とよく一致する結果を得た。d軌道を含む原子種についてはまだ問題が残っているものの、方法論とプログラムの妥当性を検証することができたといえる。

 第6章は総括である。

 以上のように、本論文は、電極間Al原子鎖の電気特性を第一原理計算により解析した。電極−原子鎖接合部の構造および原子鎖中の不純物の効果に注目し、原子鎖内のポテンシャル変化や局所状態密度の観点から解析を行うことにより、ナノスケール構造の電気特性を制御・設計する上で有用な知見を得た。よって本論文のナノ物性工学、計算マテリアル工学への寄与は大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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