学位論文要旨



No 121853
著者(漢字) 伊藤,智美
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,トモミ
標題(和) バイオ反応認識リン脂質ポリマーナノ粒子の創製
標題(洋) Preparation of biofunctional polymer nanoparticles with an artificial cell membrane surface
報告番号 121853
報告番号 甲21853
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6383号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 足立,芳寛
 東京大学 助教授 吉田,亮
 東京大学 講師 高井,まどか
 東京大学 講師 山崎,裕一
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

目的

生体内において診断と治療の双方を同時に行うことができる生体内導入型診断・治療ナノマシンの開発を目指し、生体分子を認識し、それに対して選択的に反応するポリマーナノ粒子の創製を目的としている(図1)。

背景

生医学分野では疫病の予防や診断、治療のために多くの臨床検査が行われており、抗原などのバイオマーカー分子やウイルスの検出・診断を目的としたバイオ診断ツールや治療薬の開発が進められている。抗がん剤の開発では細胞の機能に重要な役割を持つ糖鎖に注目した研究が行われている。がん細胞の増殖・転移メカニズムに糖鎖が関与しており、この糖鎖は転移の促進、血管内皮との接着因子として働いていることが分かっている。この糖鎖を特異的に切断することができれば、増殖・転移を抑制する抗がん剤が期待できる。糖鎖切断機能を有するデバイスを設計する上で問題となるのが、正常細胞への攻撃や体内での滞留による副作用、デバイスの生体親和性である。正常細胞への障害性や副作用を低減させるため、生体親和性を有するデバイスに、糖鎖を選択的に切断する酵素と、がん細胞に特異的に結合する抗体を導入し、さらに、酵素反応ががん細胞上で開始する機構、すなわち抗体の結合をトリガーとして酵素反応が進行するような分子診断・治療デバイスが必要となる。分子診断・治療デバイスとして応用する際に必要とされる表面特性は生体親和性である。生体親和性は生体成分(細胞、タンパク質等)の非特異的吸着を回避することで得られる。細胞膜の構造に着目し分子設計された、リン脂質極性基を有する2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)を一成分とした共重合体は、タンパク質の吸着を著しく低減する。またタンパク質吸着に誘起される細胞の接着、活性化も抑制され、極めて高い生体親和性を有することが明らかとなってきている。このようなタンパク質非吸着表面をナノ粒子の表面設計に展開し、分子診断や治療のための分子ナノデバイスとしての基盤に用いる。生体の防御反応を回避できるリン脂質極性基高度集積表面をもつポリマーナノ粒子に、生体反応に応答するための抗体、細胞機能の低下を引き起こすような酵素、さらに細胞周辺の環境の微小な変化に応答するグラフトポリマー鎖を固定化することにより、抗体でターゲット部位に特異的に反応したのち、ナノ粒子表面のポリマー鎖の構造変化が生じて酵素が反応を開始するような機序を実現する。

研究の方針

本研究では分子診断・治療するバイオ反応認識リン脂質ポリマーナノ粒子の創製を目的とし、3つの方針を立てた。

●水溶性リン脂質ポリマーの合成

活性エステル基を有する水溶性リン脂質ポリマーを合成し粒子を調製する。

●バイオコンジュゲートポリマーナノ粒子の調製

調製した粒子にバイオ分子を固定化し、活性が維持されているかさらに2種のバイオ分子を固定できるかについての検討を行う。

●環境応答性システムの構築

ポリマー鎖が環境の変化に伴いバイオ分子の活性を制御する働きを示すか検討を行う。

以上3つの方針をもとに、複数のバイオ分子を安定かつ高活性で固定し、細胞周辺の環境変化に応答するシステムの構築について検討した。

2.細胞膜様表面を構築できるポリマーナノ粒子の調製

分子診断・治療デバイスとして応用する際に必要とされる表面特性は非特異的吸着を回避することである。また、診断・治療を行うまでバイオ分子は安定に保持されていなければならない。両者を満たすデバイスの基盤として、リン脂質ポリマーを用い、このリン脂質ポリマーにバイオ分子との固定化ユニットを導入することを考えた。バイオ分子の固定化法として、活性エステル化法を用いた。活性エステル基とバイオ分子中のアミノ基が反応しペプチド結合が形成される。この活性エステル化法は温和な条件下で行うことができるため、バイオ分子の活性を低下させることなく結合を可能とする。活性エステル基を有するポリマーナノ粒子の調製を目的とし、活性エステル基を有するモノマーを用いてポリマーを合成し、ポリマーナノ粒子を形成させることを試みた(図2)。

3.ポリマーナノ粒子へのバイオ分子の固定化

活性エステル基を有するポリマーナノ粒子を調製することができた。このポリマーナノ粒子表面はリン脂質極性基に覆われていることも明らかとなった。分子診断・治療デバイスとして応用する際に必要とされる表面特性の一つである非特異的吸着を回避することは達成できる。さらにポリマーナノ粒子表面に存在している活性エステル基に、バイオ分子のアミノ基が反応してバイオ分子が結合し、結合したバイオ分子の活性を維持することができれば、分子診断・治療を可能とするデバイスとして期待できる。このポリマーナノ粒子に抗体及び酵素を導入し、ポリマーナノ粒子に固定された抗体が細胞膜に存在するターゲット部位に特異的に反応して分子診断し、酵素が治療を行う診断・治療ユニットの構築を目的とし、調製したポリマーナノ粒子に抗体または酵素の複合固定化を試みた(図3)。

4.細胞周辺の環境変化に応答するシステムの構築

ポリマーナノ粒子に抗体または酵素の活性を維持したまま保持できることを明らかにした。分子診断・治療デバイスとして応用する際に、診断部位と治療部位をポリマーナノ粒子に導入しなければならない。診断部位としての抗体と、治療部位としての酵素の2種類をポリマーナノ粒子に固定化できるか、さらに、それぞれの反応が阻害されることなく進行するかについて検討した(図4)。

5.細胞周辺の環境変化に応答するシステムの構築

生体の防御反応を回避できるリン脂質ポリマーナノ粒子に、特異性を有する抗体及び酵素を複合固定し、抗体が細胞膜に存在するターゲット部位に特異的に反応し分子診断する。このとき細胞膜近傍の環境に応答してナノ粒子表面のポリマー鎖の構造変化を誘起させ、酵素の基質取り込みが促進され治療が行えるシステムの実現を目指している。この設計の生体反応応答性とは、一つ目のバイオ分子の反応が二つ目のバイオ分子の反応、活性化を誘起するというバイオコミュニケーションをいう。ここでは、細胞近傍での環境の違いに対して応答するセンシングユニットとしてポリペプチド鎖の形態変化を応用し、抗体、酵素を固定化したポリマーナノ粒子にさらにポリペプチド鎖を導入し、最終的には診断・治療する生体反応自律応答型リン脂質ポリマーナノ粒子の創製を目指している。応答性を検討するにあたり、ポリペプチド鎖の形態変化が酵素活性を制御できるかを明らかにすることを目的とした。ポリペプチド鎖としてポリグルタミン酸(PGA)を選択し、PGAの構造変化を利用して酵素活性を制御できるか検討した(図5)。

6.細胞に対するポリマーナノ粒子の挙動

バイオ分子の固定化及び酵素反応の制御についての検討を行い、ポリマーナノ粒子の有効性を明らかにした。研究の目的である、分子診断・治療するバイオ反応認識リン脂質ポリマーナノ粒子の創製のために、細胞への影響を検討しなければならない。ポリマーナノ粒子の細胞毒性、細胞への結合の特異性さらに細胞表面上での酵素反応の制御についての検討を行った(図6)。

7.結論

本研究では、バイオ反応認識リン脂質ポリマーナノ粒子の創製を目的とし、バイオ分子を安定に固定化可能なポリマーナノ粒子の調製及び固定化されたバイオ分子の機能解析、応答性を得るための手法について解析を行い、以下の知見を得た。

(1)リン脂質極性基と活性エステル基を有するポリマー(PMBN)を合成し、合成したポリマーを用いて調製したナノ粒子の粒径及びゼータ電位は、260nm,-5mVであった。この表面は、バイオ分子の非特異的吸着を低減し、高いS/N比が得られる。

(2)抗原及び酵素をナノ粒子へ選択的に固定化でき、かつ高密度に集積していながらも抗原抗体反応・酵素基質反応が阻害されることなく進行した。また、複数のバイオ分子の複合固定化が可能であり、様々なバイオ分子をシグナルとして機能するポリマーナノ粒子が実現できる。

(3)混合比率を調節することにより、ナノ粒子へのバイオ分子の固定化量を制御できた。また、pHによりポリグルタミン酸の構造を変化させることにより、酵素の活性を制御できた。

このポリマーナノ粒子は、細胞膜表面のようにPC基が高度に配向しているため、タンパク質、細胞との非特異的な反応を阻止でき、高い生体親和性を有する。このような表面に、高選択的な抗体や酵素の組み合わせを自由に組み替えることにより、生体内で使用しても免疫反応や血栓形成を克服でき、目的に合わせたポリマーナノ粒子を簡便に調製することが可能である。またポリマーナノ粒子表面は細胞膜の構造に近い形を有しているといえる。これらのことより生体内で疾患を認識して集積し、バイオ分子のもつ特異的反応により疾患を治療するような生体反応自律応答型ナノマシンが期待でき、さらには人工細胞の構築への貢献が期待できる。

図1 分子診断・治療を可能とするポリマーナノ粒子の概念図

図2 ポリマーナノ粒子像

図3 ポリマーナノ粒子上に固定化した抗体の蛍光スペクトル

図4 抗体及び酵素を固定化したポリマーナノ粒子の酵素活性評価

図5 酵素及びPGAを固定化したポリマーナノ粒子のpH変化による酵素活性率

図6 ポリマーナノ粒子の細胞毒性

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、生体内において診断と治療の双方を同時に行うことができる生体内導入型診断・治療ナノマシン(生体反応自律応答型ナノマシン)の開発を目指し、細胞上の生体分子を認識し、その場で選択的に酵素反応するポリマーナノ粒子の創製を目的としている。生体の防御反応を回避できる細胞膜類似表面をもつポリマーナノ粒子に、生体反応に応答するための抗体、細胞機能の制御が可能な酵素、さらに細胞周辺の環境の微小な変化に応答するグラフトポリマー鎖を固定化している。これにより、抗体で標的部位に特異的に反応したのち、ナノ粒子表面のポリマー鎖の構造変化が生じて酵素が反応を開始するような巧妙な機序の実現を図っている。また外部から刺激を与えるのではなく細胞周辺の環境に応じて反応を開始するという自発的な制御法としての新たな概念を提示している。細胞膜の構造に着目し分子設計された、リン脂質極性基を有する2-メタクリロイルオキシエチルホスホリルコリン(MPC)を一成分とした共重合体が、タンパク質の吸着を著しく低減し、細胞の接着、活性化も抑制して、極めて高い生体親和性を有することを利用している。これをポリマーナノ粒子の表面設計に展開し、分子診断や治療のためのナノマシンの創製へと発展させている。本論文では、リン脂質極性基を有するポリマーナノ粒子を調製し、ポリマーナノ粒子の物理的特性、バイオ分子との結合特性およびバイオ分子の活性制御についての知見を全7章で展開している。

 第1章では、社会的背景、目的、意義、および周辺領域の研究例の概観を通し、本研究の新規性・独創性を示しており、以降の各章への導入となっている。

 第2章では、細胞膜類似表面を有するポリマーナノ粒子の調製を目的とし、タンパク質結合部位とリン脂質極性基を有するポリマーの合成を行い、さらにこのポリマーを用いてポリマーナノ粒子の調製し、物性評価および表面解析を行っている。

 第3章では、ポリマーナノ粒子へのバイオ分子の導入について検討している。蛍光標識されたバイオ分子(抗体)をポリマーナノ粒子に導入し蛍光強度を測定することにより結合の確認をしている。またバイオ分子の構造及び活性が変化することなく結合できることを明らかにしている。

 第4章では、ポリマーナノ粒子に2種類のバイオ分子の同時固定化を実施し、これに成功している。すなわち、2種類のバイオ分子の割合を変化させた混合液を用いてポリマーナノ粒子と反応させると、ポリマーナノ粒子上に結合するバイオ分子の割合を任意に制御できることを明らかにしている。また異種タンパク質を結合させていながら、お互いの反応を阻害することなく進行することも見いだしている。これにより、抗体による細胞膜上の特異部位の認識を酵素による特定バイオ分子との反応が可能であることを結論している。

 第5章では、生体反応に応答するシステムの構築を目指し、ポリマー鎖として生体環境下でのpH変化で構造転移を誘起するポリグルタミン酸に着目して、環境変化に応答する系を導入している。プレート表面に酵素及びポリグルタミン酸を同時に固定化した場合、生体内pH環境からpHが低下する(pH6)ことで酵素の活性が上昇することを見いだした。これは、ポリグルタミン酸で覆われていた酵素が、pH低下に対応した構造変化により、基質との反応性が変化したと考えられた。一方、ポリマーナノ粒子での酵素活性は、酵素のみを結合した場合と有意な差がなく、活性変化が見られなかったことについて、pH応答性を得るためには粒子表面に存在する酵素とポリグルタミン酸の量や固定化密度が重要であるとの知見を得ている。

 第6章では、ポリマーナノ粒子の細胞毒性評価、細胞表面上での酵素反応について検討している。ポリマーナノ粒子の細胞毒性は、一般のポリスチレンナノ粒子と比較しても、有為に細胞毒性が低いことを明らかにしている。また酵素を結合したポリマーナノ粒子は細胞表面上でも酵素反応が進行することを示している。これらの結果は、リン脂質二分子膜上にタンパク質が存在する細胞膜構造をポリマーナノ粒子上に再現できることを明確に示している。

 第7章では、細胞に対するポリマーナノ粒子の挙動についての評価を総括している。これらの研究の遂行により、新しい医療、細胞標的治療など先端医療に適用できるナノマシンとしての生体反応自律応答型ポリマーナノ粒子の設計概念を提示している。

 以上、生体分子を認識しそれに対して選択的に反応する、自律応答型ナノマシンを創製するためのポリマーナノ粒子の設計および生体反応に応答するシステムの概念を提示したことはマテリアル工学の発展、応用展開に大きな貢献をした。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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