学位論文要旨



No 121860
著者(漢字) デオカリス カスター カリンガサン
著者(英字) DEOCARIS CUSTER CALINGASAN
著者(カナ) デオカリス カスター カリンガサン
標題(和) 癌におけるmortalinの機能解析 : mortalinに基づく抗癌治療と老化の調節
標題(洋) Elucidation of functional involvement of mortalin in human carcinogenesis : Mortalin-based anti-cancer therapeutics and modulation of ageing
報告番号 121860
報告番号 甲21860
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6390号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 Renu,Wadhwa
内容要旨 要旨を表示する

 Mortalin(mtHsp70/GRP75/PBP74)は細胞寿命決定に関連するタンパク質として同定されたHsp70ファミリーに属するタンパク質である。マウスにおいてはまったく反対の機能を持つ2つのアイソフォームが存在する。Mortalin-1 (mot-1)は細胞質全体に分布し細胞に老化現象を引き起こすが、Mortalin-2(mot-2)は核膜の周辺部に存在し、繊維芽細胞や線虫では寿命延長効果を持つことが報告されている(1-2)。本研究は細胞寿命を司るMortalinタンパク質がどのようなメカニズムで老化を調節するのかを解析し、正常細胞や癌細胞の老化現象を自由に制御できるような技術の開発を目指すものである。

 Mortalinのホモロジーモデリングによる構造解析を行ったところ、mot-1はシャペロン活性を発揮する上で重要となる蓋構造をとると思われる・-ヘリックス部位に変異を持ち、不完全な蓋構造をとることが予測された3。シャペロンアッセイや培養細胞の寿命測定実験などの結果からもmot-1はmot-2に比べシャペロン活性が低いことが示され、ホモロジーモデリングでの予測が支持された。さらにmot-1を発現している癌細胞では細胞老化に似た現象が見られることからmot-1は癌細胞に老化を引き起こす抗癌剤として応用できる可能性があることが示された4。

 次にMortalinの特異的阻害剤であるMKT-077を用いることで、老化現象の誘導が癌の治療に有効であるかを調べた。MKT-077はMortalinのシャペロン活性を阻害することで癌細胞において老化現象の誘導が見られた。Mortalinを過剰発現させた細胞ではMKT-077に対する感受性が上がったのに対し、Mortalinに対するshRNAを発現させた細胞では抵抗性が見られた。このことからMKT-077の低濃度処方は、Mortalinの発現量の差異による、異なった強度の老化誘導作用をもたらすと考えられる。これらの結果からMKT-077を含むrhodacyanine色素系化合物が抗癌剤として応用できる可能性が示された5。

 またMortalinを標的とした新しい癌治療は幅広い種類の癌に対して有効であるかを検証した。これまで100以上の癌細胞株と幾つかの癌組織においてMortalinが過剰発現されていることが報告されている。さらにヒトの癌のほぼすべてでMortalinの細胞内局在が変化しており、発現量の上昇と癌の悪性度は非常によく相関している6。このような報告例からもMortalinは細胞の不死化、悪性化の普遍的かつ重要なマーカーであると考えられ、癌の発生、進行を抑制するためにMortalinをワクチンとして使えるのではないか考えた。そこでMHC複合体に認識されやすいと思われるMortalinの抗原部位を免疫情報学的アプローチを用いて予測した。興味深いことに予測されたあるエピトープが多くの感染症を引き起こす様々な病原体の持つhsp70ホモログと交差性を持つ可能性が高いことが分かった。この発見をもとに貧困国での癌と感染症の発症率の負の相関性を説明しうる「Mimotope-Hormesis」というまったく新しい仮説を提唱した7。

 最後に「正常な老化」におけるMortalinの役割を解明した8。化学的シャペロンであるグリセロールの細胞老化にもたらす影響を調べたところ、グリセロールは細胞の酸化ストレスや熱ストレスへの抵抗性を上げる作用があることが分かった。また、Mortalinとプロテアソームの発現上昇も見られた。線虫C. elegans においては老化に伴い蓄積する自家蛍光物質の減少がみられ、寿命が延長されたことが示された(9-10)。

REFERENCES1. CC Deocaris et al. 2006. Mortalin―a driver at the crossroads of ageing, immortalization and stress pathways. In: Molecular Biology of Stress Response. Cambridge University Press, UK2. CC Deocaris et al. On the Brotherhood of the Mitochondrial Chaperones Mortalin/MtHsp70 and Hsp60. 2006. Cell Stress and Chaperones. 11 (2): 116-28.3. CC Deocaris et al. 2006. Structural and functional differences between mouse mot-1 and mot-2 proteins that differ in two amino acids. Annals N Y Acad Sci.1067: 222-225.4. CC Deocaris et al. 2006. A single amino acid change converts mortalin/mthsp70 from an agent of longevity into ageing (manuscript submitted, Nature Struc Mol Biol).5. CC Deocaris et al. 2006. Low-dose MKT-077 induces senescence in tumors by targeting mortalin/GRP75 (manuscript submitted, Int J Cancer)6. R Wadhwa et al. 2006. Upregulation of mortalin/mthsp70/Grp75 contributes to human carcinogenesis. Int J Cancer. 118(12):2973-80.7. CC Deocaris et al. 2005. Mimotope-hormesis and mortalin/grp75/mthsp70: A new hypothesis on how infectious disease-associated epitope mimicry may explain low cancer burden in developing nations. FEBS Letters. 579(3):586-90.8. R Wadhwa et al. 2004. Imminent approaches towards molecular interventions in ageing. Mech Ageing Dev. 126(4):481-90.9. CC Deocaris et al. 2006. Gero-protection by Glycerol: Insights to its Mechanisms and Clinical Potentials. Annals N Y Acad Sci. 1067: 490-494.10. CC Deocaris et al. 2006. Stimulation of biological chaperones and protein degradation by a non-toxic chemical chaperone, glycerol: its implications in stress and geronto-manipulation. (manuscript submitted, Aging Cell).
審査要旨 要旨を表示する

 本研究ではHsp70ファミリーに属するシャペロンタンパク質であるMortalinの活性を調節してやることで正常細胞や癌細胞において老化現象を制御できる可能性を見出すことに成功した。Mortalin (mtHsp70/GRP75/PBP74)はマウスにおいてはまったく反対の機能を持つ2種類のアイソフォームが存在し、Mortalin-1 (mot-1)は細胞に老化現象を引き起こすが、Mortalin-2 (mot-2)は繊維芽細胞や線虫では寿命延長効果を持つことが報告されている。これらのタンパク質の活性をコントロールすることで、細胞の老化速度を制御できる可能性がある。

 第1章では、これまでの細胞の不死化、老化に関する研究全般を概観し、関連する発癌機構全分野における本研究の位置づけを明らかにした。

 第2章では様々な癌組織や癌細胞株についてMortalinの発現量を測定し、ほとんどのヒトの癌においてMortalinの発現が増長されていることを明らかにした。また癌の悪性化との相関性も確認され、Mortalinが癌治療の標的となりえることを示したものである。この結果に基づき、第3章では2つのMortalinアイソフォームについて詳細な解析を行った。2種類のMortalinは2つのアミノ酸変異を持つのみであるが、mot-1はシャペロン活性を発揮する上で重要な蓋構造に変異が見られ、シャペロン活性が低下していることが明らかとなった。

 第4章ではMortalinの特異的阻害剤であるMKT-077が癌細胞の老化を引き起こすことを示した。これはMortalinを過剰発現した癌細胞の持つシャペロン活性を阻害することで癌細胞だけを特異的に標的とすることができることを示したものであり、新しい抗癌治療薬の可能性を広げるものである。

 第5章ではMortalinを標的とした抗癌治療におけるMortalinワクチンの有用性について考察した。感染性バクテリアの持つHsp70ホモログに対する抗体はMortalinに対しても交差性を示し、結果として癌の発症が抑制されている可能性が示された。これをさらに発展させた「Mimotope-Hormesis」というまったく新しい仮説を提唱した。

 第6章ではこれまでのヒトの寿命決定要因についての研究に触れ、老化に伴い蓄積される老廃物の代謝とMortalinの関連について考察した。その上で第7章では化学物質シャペロンとして知られるグリセロールとMortalin、プロテオソームの関連性を明らかにした。グリセロールはMortalinとプロテアソームの発現上昇を介して細胞の酸化ストレスや熱ストレスへの抵抗性を上げる作用があることを示した。以上の成果は、癌細胞に老化を引き起こしたり、逆に細胞の老化を遅らせたりすることへの応用が期待される重要なものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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