学位論文要旨



No 121862
著者(漢字) 田久保,直子
著者(英字)
著者(カナ) タクボ,ナオコ
標題(和) マンガン酸化物薄膜の相競合状態における外場誘起絶縁体 : 金属転移
標題(洋)
報告番号 121862
報告番号 甲21862
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6392号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
内容要旨 要旨を表示する

[緒言]

 強相関電子材料の代表的な系である遷移金属酸化物は、電子間の強い相互作用により、従来のバンド理論では説明できない現象−モット絶縁体、高温超伝導等−が現れる系であり、近年大変盛んに研究が行われている。この系では、伝導電子がスピンや軌道など複数の自由度と結合して多彩な相が存在する。相が競合する臨界点近傍では、わずかな外場を加えることにより高速で巨大な物性値の変化を引き起こすことが可能である。このような臨界相制御は応用上の観点からも非常に注目されている。その中でもペロブスカイトマンガン酸化物は多様な物性を示すことで知られており、磁場による絶縁体-金属転移現象である巨大磁気抵抗効果(CMR)や光や電場などによる絶縁体-金属転移などの報告がある。

 本研究ではペロブスカイトマンガン酸化物における磁場、光、電流による絶縁体-金属転移の発現とメカニズムの解明を目的とした。対象とする物質として、Pr(1-x)(Ca(1-y)Sry)xMnO3 (PCSMO)を選んだ。この系はx=0.45,y=0.25付近で常磁性絶縁体相と強磁性金属相と電荷軌道秩序反強磁性絶縁体相が共存する二重臨界点が存在するというバルク単結晶での報告がある。強磁性金属相から電荷軌道秩序反強磁性絶縁体相への転移は一次転移であり、二重臨界点近傍では絶縁体相と金属相が競合し、外場に敏感な状態になっている。我々はこの系を薄膜化した。薄膜は光学測定や抵抗率測定が容易に行えることに加え、系全体を光照射できるという点などでバルクよりも有利である。本研究では、系の局所的な伝導を示す抵抗率と、系の全体的な電子状態を示す透過率を同時に測定し、不均一な系における外場誘起絶縁体-金属転移の研究を行った。

[実験方法]

 本研究では、PCSMO薄膜の二重臨界点近傍の組成x=0.45, y=0.20, 0.25, 0.40を対象として選んだ。

 薄膜試料はPulsed laser deposition法で作製した。RHEEDを観測しながら製膜し、結晶性を確かめた。基板からのストレイン効果による構造変化を伴う一次転移の抑制を防ぐため、[(LaAlO3)(0.3)-(SrAl(0.5)Ta(0.53)O3)(0.7)] (LSAT) (011)基板を使用した。

 試料の物性測定を以下の項目について行った。(1)構造解析:室温の格子定数、結晶性の確認は4軸X線回折(X'pert-MRD(PHILIPS社製))で行った。格子定数の温度依存性の測定は若林氏(KEK)により行われた。(2)磁化特性:磁化の温度依存性、M-H曲線の測定はSQUID磁力計(MPMS-5S(Quantum Design社製))で測定した。(3)電気伝導特性:抵抗率測定は四端子法で測定した。(4)赤外透過率:透過率(波長域:0.3 eV - 1.0 eV)は抵抗値と同時に測定した。光源はハロゲンランプを用い、分光器で各波長を切り出した。

[PCSMO薄膜の諸物性]

 X線測定により、薄膜試料は基板にコヒーレントエピタキシャル成長しており、単結晶であることを確認した。格子定数の温度依存性より、y=0.20, 0.25では低温で電荷軌道整列を示すことを確認した。磁化、抵抗率の温度依存性より、強磁性転移温度、電荷軌道整列転移温度を見積もり、PCSMO薄膜の電子相図を作成した(図1)。y=0.20はおよそ170 Kで常磁性絶縁体相から電荷軌道整列反強磁性絶縁体相へ転移し、y=0.40ではおよそ150 Kで常磁性絶縁体相から強磁性金属相へ転移する。また、y=0.25に三相が競合する二重臨界点が存在する。また、赤外透過率と抵抗値の同時測定により、y=0.25の絶縁体-金属転移点近傍では、大きなヒステリシスを伴い、金属相と絶縁体相が競合する相分離状態となっていることが確認された。

[磁場誘起絶縁体-金属転移]

 バルク単結晶PCSMOでは、二重臨界点近傍でのCMRの報告がある。本研究では、PCSMO薄膜の二重臨界点近傍の3種類の組成において磁場誘起絶縁体-金属転移を発現させ、透過スペクトルと抵抗値の同時測定より、それぞれの転移のメカニズムを調べた。

 (1)y=0.20:70 Kでの透過率(0.5 eV)と抵抗の磁場依存性を測定した結果、3 Tで抵抗値の8桁の減少を伴う絶縁体-金属相転移を示した。透過率と抵抗値の振る舞いが一致し、一様な転移であることが確認された。また、降磁場過程では大きなヒステリシスを描き、元の絶縁体状態に戻ることから、安定状態は絶縁体状態であることがわかった。(2)y=0.25:絶縁体-金属転移点直上の温度75 Kでの透過率(0.5 eV)と抵抗の磁場依存性を測定した結果、3 Tで絶縁体-金属相転移を示した。透過率と抵抗値の振る舞いは一致しない。これは、相分離状態におけるパーコレーション伝導が起こっていることを示唆する。磁場を切っても透過率、抵抗値ともに金属状態を維持し、永続的な転移を示した。(3)y=0.40:絶縁体-金属転移点直上の温度180 Kでの透過率(0.5 eV)と抵抗の磁場依存性を測定した結果、y=0.25の変化よりは小さいが、抵抗値と透過率の減少が観測された。透過率と抵抗値の振る舞いは一致し、一様な転移であることが確認された。

 以上のように、3種類の組成においてそれぞれ異なった種類の磁場誘起絶縁体-金属転移が観測された。これを相図上にまとめると図2のようになる。y=0.20では、電荷軌道整列絶縁体相から一次相転移線をまたいで強磁性金属相へと相転移するCMR1と呼ばれているものに相当する。y=0.25では、一次転移線上の2相安定領域における準安定相(絶縁体相)から安定相(金属相)への永続的な相転移である。y=0.40では、強磁性転移温度直上で起こるCMR2と呼ばれているものに相当する。これはスピン散乱を外部磁場よって抑制し、二重交換相互作用により伝導が増加するというメカニズムであると考えられる。

[電流誘起絶縁体-金属転移]

 本研究では、PCSMO薄膜の二重臨界点近傍における電流による相制御とメカニズムの解明を目指した。

 各組成の薄膜のI-V特性を測定した結果、y=0.25の絶縁体-金属転移点直上の温度でのみ、非線形な振る舞いが観測された。さらに転移点に近づき(70 K)、抵抗の電流依存性を測定した結果、およそ10 nAで抵抗値が4桁減少し、金属状態に転移した(図3)。印加電流を切っても金属状態を維持する永続的な転移である。ただし、透過率は電流の増減に対して変化を示さなかった。このことは、相分離状態においてパーコレーション伝導が起こっており、電流によって金属相が増加していないことを示唆する。また、測定電流値を変えて抵抗の昇温過程を測定した結果、電流値が小さい方が低温側で金属-絶縁体転移を示した。よって、電流値は伝導パスを維持する方向に働き、また、これらの現象は電流による発熱の効果ではないことがわかった。

[光誘起絶縁体-金属転移]

 本研究では、PCSMO薄膜の二重臨界点近傍における補助的外場を必要としない永続的な光誘起相転移の発現とメカニズムの解明を目指した。

 各組成の試料に光を照射した結果、y=0.25の77 Kにおいて5桁の抵抗値の減少を伴う絶縁体-金属転移が観測された。照射した光はYAG-OPO pulsed laser (10 Hz, λ=637 nm, I= 3.82 mJ/cm2, 100 pulses)である。照射後も金属状態を維持する永続的な転移であった。また、測定電流を流さない時にも転移が起こり、補助的外場の必要が無いことを確認した。図4のように照射後の抵抗の昇温過程は、光を照射していないときの抵抗率の昇温過程と一致する。これより、この転移は光による発熱の効果ではないことがわかる。光照射前後の赤外透過スペクトルを測定した結果、照射前の絶縁体的スペクトルから、照射後は金属的なスペクトルに変化した。よって、光により系に金属相が生成されたことがわかった。

 パルスレーザーとCWレーザーを用いた抵抗のスイッチングを観測した。y=0.25の77 Kで、尖頭値の高いパルスレーザーによって絶縁体-金属転移を起こし、平均パワー密度の大きいCWレーザーによって系を暖めて絶縁体状態に戻した。これは光励起の効果と熱の効果を明確に分離した例である。また、光だけを用いたものであり、デバイス応用にも有用である。

[結論]

 PCSMO(x=0.45, y=0.20, 0.25, 0.40)薄膜を作製し、y=0.25では3相が競合する二重臨界点を示し、その近傍では相分離状態となっていることを確認した。

 3つの組成それぞれで異なった種類の磁場誘起絶縁体-金属転移を観測した。y=0.20では8桁の抵抗値の減少を伴うCMR1に相当する相転移が、系の不均一性を伴わない新しいタイプのCMRであった。y=0.25では不均一で永続的な相転移であった。y=0.40は均一でCMR2に相当する転移であった。

 二重臨界点近傍で数十nAの電流による絶縁体-金属転移を観測した。相分離状態において、電流によりパーコレーティブな伝導パスが生成されたと考えられる。また、この転移は電流による発熱の効果ではないことを確認した。

 二重臨界点近傍で光誘起絶縁体-金属相転移を観測した。これは補助的外場を必要としない永続的な転移であり、Mn系では初めての例である。また、光だけによる抵抗のスイッチングに成功した。

 以上のように、マンガン酸化物薄膜の二重臨界点近傍で、磁場、電流、光による絶縁体-金属転移を観測し、特に、CMR効果における電子相の不均一性の意義について明らかにした。

図1 PCSMO薄膜の電子相図

図2 二重臨界点近傍のCMR

図3 抵抗と透過率(0.5 eV)の電流依存性(y=0.25, 70 K)

図4 光照射前後の抵抗の温度依存性 (y=0.25)

図5 パルスレーザーとCWレーザーを用いた抵抗のスイッチング(y=0.25, 77 K)

審査要旨 要旨を表示する

 遷移金属酸化物は、古くから物性研究の対象となってきたが、1986年の高温超伝導現象の発見以来、電子相関が本質的な材料として広く再検討されてきた。中でもマンガン酸化物は、磁場によって何桁も抵抗が減少する負の超巨大磁気抵抗効果(CMR)の応用への期待から、精力的な研究が行われてきた。しかし、CMRを始めとする巨視的な外場応答性が、材料の微視的な相変化に由来するものなのか、あるいはより巨視的なパラメータのクロスオーバーによるものなのかと言う点については、必ずしも理解がなされていなかった。本論文は、薄膜を用いることでマンガン酸化物の巨大応答性のメカニズムを解明しようとしたものであり、全4章よりなる。

 第1章は序論である。ここでは、まずペロブスカイト型マンガン酸化物の物性を決めている様々な相互作用について簡単に解説の後、バルク単結晶において知られている、磁場、電場、光誘起の絶縁体・金属転移が紹介されている。さらに、これら既知の現象を研究する際、バルクと比較して薄膜試料を用いることのメリットが議論されている。

 第2章では実験の具体的な手順について記述されている。

 第3章は実験結果である。本論文で取り上げたマンガン酸化物は、Pr(0.55)(Ca(1-y)Sry)(0.45)MnO3であり、組成比yを変化させることにより、温度とともに常磁性絶縁体(PI)から反強磁性電荷整列絶縁体(AFCOI)もしくは強磁性金属(FM)へと相転移することが知られている。この両者のどちらへ転移するかの分岐点はy=0.25の付近にあり、三相が相図上で交わる点を、二重臨界点と呼ぶ。本論文では、組成としてこの二重臨界点をまたぐ、y=0.2、0.25、0.4の三種類の組成の薄膜試料を用意した。

 まず第1節では、外場の無い場合の物性が述べられている。一般に広く行われている室温での4軸X線回折、磁化および抵抗率の温度依存性の他に、赤外透過スペクトルによって薄膜の全体的な電子状態について明確な判断が出来ることが示されている。さらに、放射光施設との共同研究による低温での回折実験から、AFCOIの構造が示され、相の同定が明瞭に行われたこと、コンタクト・プローブを用いて局所抵抗が測定され、y=0.25では著しい不均一性があることが示されている。これらの知見をもとに、以下では本論文の主題である外場誘起絶縁体・金属転移について詳説されている。

 第2節は磁場誘起転移である。磁場誘起絶縁体・金属転移は、PI-FM相間のものがCMR2として、AFCOI-FM相間のものがCMR1として知られてきた。CMR1とは絶縁体・金属2相共存状態において磁場がパーコレーション伝導を促すものである。y=0.4についてはCMR2の特徴が見られた。y=0.2についてはCMR1となるべきであるが、電気抵抗は赤外透過スペクトルと良い一致を示し、転移が一様にかつ広いエネルギー領域に渡って起こっていることを示した。一方、より二重臨界点に近いy=0.25では、磁場を取り去っても絶縁体状態が復活しないことや、試料によっては赤外透過率と抵抗が一致しないことなどから、従来のCMR1の描像に近いと考えられる。

 第3節は電流誘起転移である。降温過程では、電流の増加とともにパーコレーション的な不連続で大きな抵抗の減少が見られ、またその過程で赤外透過率には変化が無かった。また昇温過程では、測定時の電流値を5nAから1μAに増加させることによって、転移温度が20度以上上昇することが見られた。電流の増加は抵抗発熱による温度の増加を招き、温度の増加は転移温度の低下をもたらすはずであるから、この電流依存性は発熱によるものではなく、電流が二重交換相互作用を通じて金属状態を安定化させる本質的な電流誘起転移であると考えられる。これらの現象は、y=0.25にのみ見られた。

 第4節は光誘起転移である。光励起は電子のより均一な分布を促し、金属状態を安定化させると考えられる。実際、本論文では永続的かつ光以外の電流維持のための外場を必要としない光誘起絶縁体・金属転移が始めて観測された。また、赤外透過率は光照射に比例して上昇することから、光は系の微視的な電子状態に働きかけ、一様に金属状態を生み出すこと、伝導状態への転移はその結果のパーコレーション的なものであることが、明確に示された。しかし、昇温過程においては、光誘起の金属・絶縁体転移が起こることも見出され、光励起の微視的なメカニズムについては更なる研究が必要であることが明らかになった。これらの現象も、y=0.25にのみ見られた。

 第4章は結論である。

 以上要するに、本論文はマンガン酸化物における外場誘起絶縁体・金属転移を、薄膜の利点を活かして多角的に測定することにより、系の不均一性の巨視的物性に及ぼす影響を明示したものであり、物質科学に貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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