学位論文要旨



No 121863
著者(漢字) 林,浩志
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ヒロシ
標題(和) ゲノムタイリングアレイを用いた網羅的メチル化解析法
標題(洋)
報告番号 121863
報告番号 甲21863
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6393号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 特任教授 井原,茂男
 東京大学 助教授 芹澤,武
内容要旨 要旨を表示する

 細胞分裂後に娘細胞にその形質が受け継がれていくことは、生物にとって非常に重要である。この際DNAの一次配列だけではなく、塩基配列の変化を伴わない形質も受け継がれていく。このようにゲノムに書かれた遺伝情報を変更することなく、個体発生や細胞分化の過程において、遺伝子発現を制御する現象をエピジェネティクスという。

 そのなかでも、DNAのメチル化修飾(以降単にメチル化とする)は、同じゲノム配列を持ちながら異なる形質を持つ仕組みとして最もよく知られている現象である。真核生物においては、主にゲノムDNAのシトシン塩基の5位に起こる。脊椎動物では、シトシン塩基(C)の次にグアニン塩基(G)が続くCpG配列中(pはリン酸化の意)のシトシン塩基がメチル化されており、全体の60-90%のCpGがメチル化されていると言われている。通常、転写がオンになっている遺伝子のプロモーター領域はメチル化されていないが、メチル化CpGがこの領域に蓄積すると、その遺伝子はサイレンシングされる。また、プロモーター領域の約半分は、特にCpG密度が高くなっており、CpGアイランドと定義づけられている。こうしたプロモーター領域のメチル化制御は、ゲノムのインプリンティング、X染色体の不活化、細胞分化に関わっている。

 癌においてはDNAのメチル化異常が起きており、ゲノム全体的には低メチル化状態になっている。これが染色体不安定性やマイクロサテライト不安定性を引き起こす。一方、様々な癌抑制遺伝子のプロモーター領域が、局所的に抗メチル化状態になっており、活性が不活化している。

 癌化に重要なメチル化状態の変化がゲノムのどの部分に存在するかを調べることは非常に重要であり、近年、さまざまな網羅的解析法が開発されている。その多くが、メチル化感受性制限酵素を用いてメチル化の相違を見出す方法であり、癌特異的なメチル化領域が数多く報告されている。しかし、このようなメチル過感受性制限酵素を用いる方法は、解析領域が酵素サイト近傍に限定されることや、酵素サイトの多型や変異などによりプロファイルが変化するという解決すべき問題がある。

 発癌のように多段階を経て起こる複雑な疾患では、一度に多くのメチル化異常をゲノム全体に渡って調べることで、これまで理解されていなかった発癌メカニズムが明らかになることが期待される。そこで、本研究の目的は、抗メチルシトシン抗体を用いた免疫沈降法と、ゲノム配列を連続的に合成したオリゴヌクレオチドプローブを搭載したゲノムタイリングアレイを組み合わせた新規DNAメチル化高解像度解析法の確立を行うことである。免疫沈降により、メチル化しているDNAのみ効果的に濃縮することができ、そのDNAをタイリングアレイにより染色体上にマッピングすることによって、CpGアイランドやプロモーターなどの領域に限定されない網羅的解析が可能であると考えられる。具体的には、ゲノムの1%を詳細に解析することをめざしたENCODE(Encyclopedia of DNA elements)計画で定められた領域にプローブが設定されているタイリングアレイを用いて、ヒト大腸癌由来細胞株のメチル化プロファイルのマッピングを試みる。

 まず、本解析法における重要なステップの一つである免疫沈降について検討を行った。2種類の市販抗メチルシトシン抗体のうち、DNAをニトロセルロース膜に固定させ抗体で検出を行うイムノブロッティングの結果から、感度が優れている抗体を選択した。また、抗体の特異性を調べるために、脱メチル化剤である5-Aza-2'-deoxycytidine(5Aza-dC)で処理した細胞から抽出したDNAと未処理のDNAを用いてイムノブロッティングを行ったところ、未処理のDNAと比較して処理したDNAでは、強いスポットが得られた。この結果から、メチル化したDNAに特異的な抗体であることが確認された。

 次に、選択した抗体を用いて免疫沈降を行った。まず、免疫沈降の効率を上げるためにゲノムDNAを超音波で200-700bpに断片化した。次にプロテインAセファロースと共にプレインキュベートしておいた抗体溶液に断片化したDNAを加え、免疫沈降を行った。免疫沈降で得られたDNAを用いて、メチル化が確認されている領域に設定したプライマーでPCRを行ったところ、増幅が認められた。一方、メチル化していないハウスキーピング遺伝子のプロモーター領域は増幅が認められなかった。すなわち、免疫沈降によってメチル化したDNAが濃縮されていることが確認された。

 免疫沈降で得られたDNAをマイクロアレイ上のオリゴDNAプローブとハイブリダイゼーションさせるためには、ランダム増幅を行う必要がある。本法では、バイアスが少ないリニア増幅法であるin vitro転写により、増幅を行った。そして、末端標識法でビオチン標識したDNAをハイブリダイズさせ、蛍光標識が結合したストレプトアビジンと反応させた後、シグナル強度をマイクロアレイスキャナーで読みとった。

 タイリングアレイ専用の解析ツールを用いて、550bpのWindow内に存在する免疫沈降DNAとInput DNA(全ゲノムコントロール)のシグナル強度についてWilcoxonの順位和検定を行い、有意差を算出した。この550bpのwindowをプローブ間隔でシフトさせていくことにより、プローブ数と同じwindowが生成され、これらに対応したp-valueが算出される。そして、P<10(-2)以下の領域をメチル化候補サイト (Candidate Methylated Site; CMS)とした。

 CMSの特徴について調べたところ、平均CpG%は6%を越え、ENCODE領域中からランダムに選択した場合(2.3%)に比べて約3倍になっていた。CpGアイランドに代表されるCpG密度が高い領域が優先的に選択されていると考えられた。そのため、癌で起こるような遺伝子のサイレンシングに関わるCpG密度が高い領域のメチル化プロファイルの変化をモニタリングするのに適した方法であることが示唆された。また、CMSのゲノム上の位置を調べた結果、遺伝子調節に関わる遺伝子の5kb上流から翻訳開始点までの領域、エクソン領域、翻訳終了点から5kb下流までの領域の割合が増えていた。上流のプロモーター領域に関しては癌抑制遺伝子を中心によく研究されており、DNAのメチル化と遺伝子の不活性化のメカニズムが知られている。しかし、今回得られた結果では遺伝子の下流配列がメチル化している例がこれまで考えられている以上に多かった。遺伝子3'下流領域のメチル化に関しては、まだよくわかっていないが、ヒトの転写産物中には多くのセンス-アンチセンスペアが含まれていると報告されており、こうした標的遺伝子の逆方向からの転写産物であるアンチセンスRNAの転写に関係している可能性もある。

 得られたCMSのメチル化状態を確認するために、Bisulfite処理後のDNAの塩基配列決定を行った。Bisulfite処理を行うとメチル化していないシトシンはチミンに置換されるが、メチル化シトシンは置換されない。この反応後にシークエンスを行うことによりメチル化状態を一塩基毎に調べることができる。これにより、全40領域のシークエンスを行った。その結果、25箇所のCMSのうち24箇所(96.0%)が、50%以上のメチレーション率を示した。シークエンスの結果、本法では低CpG密度の領域のメチル化も検出することが可能であった。また、p-value毎にメチレーション率を調べたところ、P>10-2では平均36.2%であったが、P<10(-2)では、66.1%であった。さらにP<10(-3)では85%を越え、それ以降はさほど変わらなかった。統計学的には、P<10(-2)で有意差が得られていたが、実験的には、P<10(-3)で高頻度にメチル化DNAが検出されていると考えられた。

 シークエンスを行った40領域のうち、13領域は11のホメオボックス遺伝子を含む、約100kbのHOXAクラスター領域に位置する。これらの遺伝子は、正常な四肢の発生に必要であり、癌においてde novoのメチル化が起こる領域として知られている。シークエンシングの結果、総じてCMS、または近傍にメチル化が認められた。そして、メチル化状態の変化に富んでいる領域であることが確認できた。さらに本法では、一つの遺伝子領域内のメチル化パターンを検出することも可能であった。これらのことから、高解像度の網羅的メチル化解析法として有用であることが示された。

 また、ChIP(クロマチン免疫沈降)-chip解析によるアセチル化ヒストンとの比較では、転写が活性化されていると考えられる非メチル化領域にアセチル化ヒストンが結合し、転写が抑制されているメチル化領域には結合しないという一般的な現象が認められ、当該メチル化解析法の妥当性が示された。

 2005年、ヒト全ゲノムを解析対象としたヒトエピゲノム計画が提唱され、いよいよ大規模な解析がスタートする。これまでのDNAメチル化に関する研究は、プロモーター領域やCpGアイランドに特化した解析が主であった。本論文では、ヒト1%のゲノムの詳細な解析を行ってきたが、全ゲノムのタイリングアレイも既に使用可能な状態である。そのため、当該新規メチル化解析法は、こうしたゲノム全体のDNAのメチル化状態を高解像度でマッピングするツールとして非常に有用であると考えられた。このツールによって癌だけでなく、生命現象としてのDNAメチル化修飾の謎が解明されることを望んでいる。

審査要旨 要旨を表示する

 ゲノムの一次配列情報を変更することなく、個体発生や細胞分化の過程において、遺伝子発現を制御する現象をエピジェネティクスという。そのなかでも、DNAのメチル化は、同じゲノム配列を持ちながら異なる形質を持つ仕組みとして最もよく知られている現象である。真核生物においては、主にゲノムDNAのシトシン塩基の5位に起こる。通常、転写がオンになっている遺伝子のプロモーター領域はメチル化されていないが、メチル化CpGがこの領域に蓄積すると、その遺伝子はサイレンシングされる。また、プロモーター領域の約半分は、特にCpG密度が高くなっており、CpGアイランドと定義づけられている。こうしたプロモーター領域のメチル化制御は、ゲノムのインプリンティング、X染色体の不活化、細胞分化に関わっている。癌においてはDNAのメチル化異常が起きており、ゲノム全体的には低メチル化状態になっている。これが染色体不安定性やマイクロサテライト不安定性を引き起こす。一方、様々な癌抑制遺伝子のプロモーター領域が、局所的に抗メチル化状態になっており、発現が不活性化されている。

 癌化に重要なメチル化状態の変化がゲノムのどの部分に存在するかを調べることは非常に重要であり、近年、さまざまな網羅的解析法が開発されている。その多くが、メチル化感受性制限酵素を用いてメチル化の相違を見出す方法であり、癌特異的なメチル化領域が数多く報告されている。しかし、このようなメチル化感受性制限酵素を用いる方法は、解析領域が酵素サイト近傍に限定されることや、酵素サイトの多型や変異などによりプロファイルが変化するという解決すべき問題がある。

 本研究では、抗メチルシトシン抗体を用いた免疫沈降法と、ゲノム配列を連続的に合成したオリゴヌクレオチドプローブを搭載したゲノムタイリングアレイを組み合わせた、新規DNAメチル化解析法の確立を行った。具体的には、細胞株から抽出したDNAから、抗メチルシトシン抗体を用いた免疫沈降により、メチル化DNAを濃縮した。次に、得られたDNAランダムに増幅し、末端標識を行ったあと、ゲノムの1%を詳細に解析することをめざしたENCODE(Encyclopedia of DNA elements)計画で定められた領域のタイリングアレイ上でハイブリダイゼーションを行った。順位和検定により、全ゲノムコントロールに比べて抗体で得られたDNAでシグナル強度が高い領域をメチル化候補サイトとした。

 まず、論文の前半では、実験に用いる抗メチルシトシン抗体を選択し、条件を設定した。次に、濃縮したDNAを増幅させる手法を検討し、通常用いられているランダムPCR法に比べてより低バイアスなin vitro転写法を選択して系を確立した。

 後半では、解析で得られたメチル化候補サイトの検証を行った。False Discovery Rate (FDR)解析とBisulfiteシーケンスにより、統計学的、あるいは実験的に有意なメチル化候補サイトを決定した。実験データの解釈を明確にしたあと、メチル化候補サイトの特徴について考察を行った。さらに、ChIP(クロマチン免疫沈降)-chip解析によるアセチル化ヒストンとの比較を行い、転写が活性化されていると考えられる非メチル化領域にアセチル化ヒストンが結合し、転写が抑制されているメチル化領域には結合しないという一般的な現象が認められ、当該メチル化解析法の妥当性が示された。

 これまでのDNAメチル化の網羅的解析法は、メチル化感受性制限酵素を用いることにより、解析範囲が制限酵素サイト近傍に限定されるという問題があった。また、マイクロアレイを用いたメチル化解析法もあるが、解像度の低いBACアレイや、CpGアイランドに限定されたアレイを利用したものがほとんどであった。

 本研究では、これまで報告されていない免疫沈降とタイリングアレイを組み合わせた新規の手法により、メチル化解析を行った。その結果、遺伝子領域内におけるメチル化状態の変化を検出することができた。また、解析結果をFDR解析やBisulfiteシーケンスによって検証を行うことにより、解析データの解釈を明確にした。そして、このツールにより、DNAのメチル化修飾は遺伝子の上流や5'非翻訳領域と同様に、エキソンや3'非翻訳領域にも起こっている現象であることがわかった。これらのことから、本論文による新規のメチル化解析法は、ゲノム全体のDNAのメチル化状態を高解像度でマッピングするツールとして非常に有用であると考えられた。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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