学位論文要旨



No 121871
著者(漢字) 新庄,記子
著者(英字)
著者(カナ) シンジョウ,ノリコ
標題(和) 神経細胞分化過程におけるヘム生合成系の役割の研究
標題(洋)
報告番号 121871
報告番号 甲21871
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1196号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 関水,和久
内容要旨 要旨を表示する

 ヘムは、ミトコンドリア電子伝達系酵素群やその他様々なタンパク質の補欠分子族として機能する重要な分子である。特に、神経細胞におけるヘムの重要性は従来より示唆されており、老化した脳やアルツハイマー病の脳においてヘムの減少がみられることや神経特異的ヘムタンパク質(ニューログロビン、nNOSなど)が存在すること、またヘム生合成の阻害が神経細胞特異的遺伝子発現に異常をきたすことが報告されている。さらに、神経細胞分化の過程におけるヘムの重要性も示唆されており、PC12細胞およびSHSY5Y細胞の分化の系において、ヘム生合成阻害剤により分化が阻害されるという報告がある。しかし、神経細胞分化の過程でヘムがどのような役割を果たすのかについては、まだ明らかではない。そこで、神経細胞の分化におけるヘムの役割を知る手掛りを見出す目的で、Neuro2a細胞のレチノイン酸誘導分化の系を用い、「分化の過程におけるヘム生合成の変化(1)」を解析した。さらに近年、神経細胞の分化誘導のシグナルとしてのROS生成が示唆されていること、ヘムには活性酸素(ROS)の生成側プロオキシダントとしての側面とROSを消去する側アンチオキシダントとしての側面の両方が知られていることから、(1)の解析結果をふまえ、「分化の過程で生成するROSとヘム生合成の関係(2)」についての解析を行った。

方法と結果

1. 分化の過程におけるヘム生合成酵素群の発現およびヘムの量的変化の解析

1-1. ヘム生合成酵素群mRNAレベルの変化

 ヘム生合成酵素群mRNAレベルを定量PCRにより解析したところ、ALAS、CPG oxidase、PPG oxidase、UPG cosynthaseに発現の上昇がみられた(図1)。通常、ヘム生合成においてはALAS、CPG oxidaseが律速であることから、分化の過程でヘムの生合成が活性化されていると推測される。

1-2. ヘムの量的変化

 細胞内には3種類のヘムが存在し、ミトコンドリア電子伝達系酵素群をはじめとする多くのタンパク質の補欠分子族であり、最も一般的なタイプであるヘムb、ミトコンドリア電子伝達系複合体IV(シトクロムcオキシダーゼ)の補欠分子であるヘムa、ミトコンドリアのシトクロムcタンパク質に共有結合しているヘムcが知られている。分化の過程でのそれぞれの変化を調べるため、ヘムa、bについては酸性アセトンで抽出してHPLCで分析し、タンパク質に共有結合していて抽出されないヘムcについては非還元条件下SDS-PAGEで分離後、ヘム染色法により検出した。

 その結果、分化の過程後半でのヘムbの増加、および分化の初期におけるミトコンドリアのシトクロムcに由来するヘムcの増加が観察され(図2)、細胞全体とミトコンドリアでの結果の比較から、分化後半で増加しているヘムbは非ミトコンドリア画分に由来すること、また、分化の初期においてシトクロムc前駆体のミトコンドリアへの取り込みの過程、すなわちアポシトクロムcからホロシトクロムcへの成熟過程が促進されていることが示唆された。

2. ROSとヘム生合成の関係の解析

2-1. シトクロムc増加のROS依存性

 (1-2)の解析から、分化初期においてミトコンドリアのシトクロムcに由来するヘムcが増加しているのに対し、他のミトコンドリア電子伝達系構成因子の補欠分子族であるヘムa、bは増加しておらず、シトクロムcの増加は、ミトコンドリア電子伝達系酵素群とは独立したものであることが示唆された。このことから、シトクロムcの増加はミトコンドリア電子伝達系の構成因子としての機能ではなく、もう1つの機能である抗酸化タンパク質としての役割と関係するのではないかと考え、分化初期のシトクロムcの増加に対するROS消去剤であるN-Acetyl-Cystein (NAC)の影響を調べた。その結果NACの添加によりシトクロムcの増加が抑制され(図3)、シトクロムc増加に分化過程におけるROS生成が関与していると考えられる。

2-2. カタラーゼ(ヘムタンパク質)とヘム生合成の関係

 補欠分子族としてヘムbを持つカタラーゼはペルオキシソームのマーカータンパク質として知られ、細胞内のROS消去に非常に重要な役割を果たす酵素である。分化の過程でのカタラーゼ活性を測定したところ、カタラーゼ活性の上昇がみられた。(図4)また、ヘム生合成阻害剤(SA succinyl-acetone)によりカタラーゼ活性の上昇は顕著に抑制され、このことから、分化過程で新たに生合成されたヘムがカタラーゼの補欠分子として積極的に取り込まれており、カタラーゼの活性化に寄与していることが示唆された。さらにROS消去剤NACにより、分化誘導によるカタラーゼおよびヘム生合成酵素のmRNAレベルの上昇が抑制されることから(図5)、カタラーゼおよびヘム生合成系は、共に分化の過程で生成するROSによる制御を受けていると推測される。

2-3. ROS消去剤(NAC)添加のヘムa,bレベルへの影響

 上記のROS消去剤NACを用いた解析により、分化誘導によるシトクロムcの増加とヘム生合成の活性化がROS依存であることが示されたが、次に、細胞内のヘムa、bの量がNAC添加によりどのように影響されているかを調べた。その結果NAC存在下では、分化誘導の有無に関わらず、ヘムaレベルが顕著に減少していることがわかった(図6)。

 さらに、形態的観察から、NACによりNeuro2a細胞の分化は阻害される様子、また、ヘム生合成前駆体を添加することでNAC存在下においても分化が進行する様子が観察され、ROSシグナル下流におけるヘム生合成の重要性が示唆された。

まとめと考察

 以上の解析より、Neuro2a細胞分化の過程でヘム生合成系の活性化がおこること、抗酸化ヘムタンパク質であるシトクロムcおよびカタラーゼの増加がおこることが示され、またそれらがROSシグナルによる制御を受けていることが示唆された。

 ROSは、その過剰な生成がストレスにつながることが知られている一方で、シグナル分子としての機能が示唆されている。近年、神経細胞の分化過程におけるROSレベルの上昇とその分化誘導のシグナルとしての重要性が示されており、高いROSレベルの下で分化を進行させるためには酸化ストレスから細胞を守る抗酸化系の役割が非常に重要であると考えられる。本研究により示された抗酸化ヘムタンパク質の増加、活性化はこのような細胞防御にかかわるものであると推測される。また、神経細胞の分化は、発生の過程だけでなく神経再生においても重要な現象であり、今回の解析で明らかになったヘム生合成の役割は発生分化だけでなく生体内の神経再生においても重要な役割を果たすのではないかと考えられる。

 また、分化誘導の有無に関わらず、ヘムaレベルがROSの影響を顕著に受けることが示された。ヘムaはミトコンドリア電子伝達系末端酸化酵素であるシトクロムcオキシダーゼの補欠分子族であり、エネルギー生成に必須の要素である。ヘムaがROSレベルの制御を受けるという今回の結果は、エネルギー代謝の制御という観点から興味深い。また、アルツハイマー病の脳組織においてヘムaレベルが顕著に低下しているとの報告もあり、今回示されたROSとヘム生合成の関係は神経疾患や老化のにも関わる可能性がある。

 本研究の成果は神経再生や脳の老化防止につながると期待される。

参考文献Shinjyo N, Kita K. (2006) "Up-regulation of heme biosynthesis during differentiation of Neuro2a cells" J Biochem. (Tokyo), 139, 373-381.

[図1]

[図2]

[図3]

[図4]

[図5]

[図6]

審査要旨 要旨を表示する

 ヘムは、ミトコンドリア電子伝達系酵素群やその他様々なタンパク質の補欠分子族として機能する重要な分子である。特に、神経細胞におけるヘムの重要性は従来より示唆されており、老化した脳やアルツハイマー病の脳においてヘムの減少がみられることや神経特異的ヘムタンパク質(ニューログロビン、nNOSなど)が存在すること、またヘム生合成の阻害が神経細胞特異的遺伝子発現に異常をきたすことが報告されている。さらに、神経細胞分化の過程におけるヘムの重要性も示唆されており、PC12細胞およびSHSY5Y細胞の分化の系において、ヘム生合成阻害剤により分化が阻害されるという報告がある。しかし、神経細胞分化の過程でヘムがどのような役割を果たすのかについては、まだ明らかではない。そこで、神経細胞の分化におけるヘムの役割を知る手掛りを見出す目的で、Neuro2a細胞のレチノイン酸誘導分化の系を用い、「分化の過程におけるヘム生合成の変化(1)」を解析した。さらに近年、神経細胞の分化誘導のシグナルとしてのROS生成が示唆されていること、ヘムには活性酸素(ROS)の生成側プロオキシダントとしての側面とROSを消去するアンチオキシダントとしての側面の両方が知られていることから、(1)の解析結果をふまえ、「分化の過程で生成するROSとヘム生合成の関係(2)」についての解析を行った。

1. 分化の過程におけるヘム生合成酵素群の発現およびヘムの量的変化の解析

1-1. ヘム生合成酵素群mRNAレベルの変化

 ヘム生合成酵素群mRNAレベルを定量PCRにより解析したところ、ALAS、CPG oxidase、PPG oxidase、UPG cosynthaseに発現の上昇がみられた。通常、ヘム生合成においてはALAS、CPG oxidaseが律速であることから、分化の過程でヘムの生合成が転写レベルで活性化されていると推測される。

1-2. ヘムの量的変化

 細胞内には3種類のヘムが存在し、ミトコンドリア電子伝達系酵素群をはじめとする多くのタンパク質の補欠分子族であり、最も一般的なタイプであるヘムb、ミトコンドリア電子伝達系複合体IV(シトクロムcオキシダーゼ)の補欠分子であるヘムa、ミトコンドリアのシトクロムcのペプチドに共有結合しているヘムcが知られている。分化の過程でのそれぞれの変化を調べるため、ヘムa、bについては酸性アセトンで抽出してHPLCで分析し、タンパク質に共有結合していて抽出されないヘムcについては非還元条件下SDS-PAGEで分離後、ヘム染色法により検出した。

 その結果、分化の過程後半でのヘムbの増加、および分化の初期におけるミトコンドリアのシトクロムcに由来するヘムcの増加が観察され、細胞全体とミトコンドリアでの結果の比較から、分化後半で増加しているヘムbは非ミトコンドリア画分に由来すること、また、分化の初期においてシトクロムc前駆体のミトコンドリアへの取り込みの過程、すなわちアポシトクロムcからホロシトクロムcへの成熟過程が促進されていることが明らかになった。

2. ROSとヘム生合成の関係の解析

2-1. シトクロムc増加のROS依存性

 1-2の解析から、分化初期においてミトコンドリアのシトクロムcに由来するヘムcが増加しているのに対し、他のミトコンドリア電子伝達系構成因子の補欠分子族であるヘムa、bは増加しておらず、シトクロムcの増加は、ミトコンドリア電子伝達系酵素群とは独立したものであることが示唆された。このことから、シトクロムcの増加はミトコンドリア電子伝達系の構成因子としての機能ではなく、もう1つの機能である抗酸化タンパク質としての役割と関係するのではないかと考え、分化初期のシトクロムcの増加に対するROS消去剤であるN-Acetyl-Cystein (NAC)の影響を調べた。その結果NACの添加によりシトクロムcの増加が抑制され、シトクロムc増加に分化過程におけるROS生成が関与していると考えられる。

2-2. カタラーゼ(ヘムタンパク質)とヘム生合成の関係

 補欠分子族としてヘムbを持つカタラーゼはペルオキシソームのマーカータンパク質として知られ、細胞内のROS消去に非常に重要な役割を果たす酵素である。分化の過程でのカタラーゼ活性を測定したところ、カタラーゼ活性の上昇がみられた。また、ヘム生合成阻害剤(SA succinyl-acetone)によりカタラーゼ活性の上昇は顕著に抑制され、このことから、分化過程で新たに生合成されたヘムがカタラーゼの補欠分子として積極的に取り込まれており、カタラーゼの活性化に寄与していることが示唆された。さらにROS消去剤NACにより、分化誘導によるカタラーゼおよびヘム生合成酵素のmRNAレベルの上昇が抑制されることから、カタラーゼおよびヘム生合成系は、共に遺伝子発現レベルで、分化の過程で生成するROSによる制御を受けていると推測される。

2-3. ROS消去剤(NAC)添加のヘムa,bレベルへの影響

 上記のROS消去剤NACを用いた解析により、分化誘導によるシトクロムcの増加とヘム生合成の活性化がROS依存であることが示されたが、次に、細胞内のヘムa、bの量がNAC添加によりどのように影響されているかを調べた。その結果NAC存在下では、分化誘導の有無に関わらず、ヘムaレベルが顕著に減少していることがわかった。さらに、形態的観察から、NACによりNeuro2a細胞の分化が阻害され、また、ヘム生合成前駆体を添加することでNAC存在下においても分化が進行することから、ROSシグナル下流におけるヘム生合成の重要性が示唆された。

 以上の解析より、Neuro2a細胞分化の過程でヘム生合成系の活性化がおこること、抗酸化ヘムタンパク質であるシトクロムcおよびカタラーゼの増加がおこることが示され、またそれらがROSシグナルによる制御を受けていることが明らかになった。

 ROSは、その過剰な生成がストレスにつながることが知られている一方で、シグナル分子としての機能が示唆されている。近年、神経細胞の分化過程におけるROSレベルの上昇とその分化誘導のシグナルとしての重要性が示されており、高いROSレベルの下で分化を進行させるためには酸化ストレスから細胞を守る抗酸化系の役割が非常に重要であると考えられる。本研究により示された抗酸化ヘムタンパク質の増加、活性化はこのような細胞防御にかかわるものであると推測される。また、神経細胞の分化は、発生の過程だけでなく神経再生においても重要な現象であり、今回の解析で明らかになったヘム生合成の役割は発生分化だけでなく生体内の神経再生においても重要な役割を果たすのではないかと考えられる。

 また、分化誘導の有無に関わらず、ヘムaレベルがROSの影響を顕著に受けることが示された。ヘムaはミトコンドリア電子伝達系末端酸化酵素であるシトクロムcオキシダーゼの補欠分子族であり、エネルギー生成に必須の要素である。ヘムaがROSレベルの制御を受けるという今回の結果は、エネルギー代謝の制御という観点から興味深い。また、アルツハイマー病の脳組織においてヘムaレベルが顕著に低下しているとの報告もあり、今回示されたROSとヘム生合成の関係は神経疾患や老化にも関わる可能性がある。

 本研究の成果は、神経細胞の分化過程におけるヘムの役割およびヘム生合成とROSとの関係を見出したものであり、今後、神経再生や脳の老化防止の研究にも貢献すると期待され、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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