学位論文要旨



No 121874
著者(漢字) 岡部,哲士
著者(英字)
著者(カナ) オカベ,サトシ
標題(和) 結合相関巨大分子系の構造とダイナミクスに関する研究
標題(洋) Structure and Dynamics of Connectivity-correlated Macromolecular Systems
報告番号 121874
報告番号 甲21874
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第228号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 川合,真紀
 東京大学 教授 吉澤,英樹
内容要旨 要旨を表示する

概要

 我々は様々な種類の柔らかい物質-ソフトマター-に囲まれて生活している。ソフトマターとは高分子、液晶、コロイド流体などの総称である。その中でも、ゲルは高分子によって形成された三次元ネットワークが溶媒中で膨潤した物質であり、高分子同士の結合によってもたらされる一つの巨大分子系であると言える。ゲルはその構造に起因して、固体と液体両方の性質を持つ、すなわち弾性体でありかつ流動性を持つ系であり、さらに人間の生活環境に近い条件で機能を発揮するよう分子設計することも容易であることから、ソフトでウェットな材料として、吸湿材や増粘剤など、工業的にも様々な応用がなされている。一方、ゲルはその複雑さゆえ、形成されるネットワーク構造の詳細や形成機構、また、作成時に不可避的に生じる微視的な不均一性など、未解明の問題も多い。本研究では、疎水性相互作用や水素結合を主な駆動力として可逆的に形成されるゲル-物理ゲル-の形成過程およびその構造とダイナミクスについて研究した。そしてソフトマター系において特に重要なこれらの相互作用が高次構造や物性に及ぼす影響を明らかにした。また、物質研究において実験法の整備は重要な課題であると考え、小角中性子散乱(SANS)に関して装置のアップグレードおよび新たな散乱理論の導出を行った。以下では、各項目別に研究の概要を述べる。

(I)小角中性子散乱測定法の整備

 実験装置であるSANS-U(東大物性研所有)のさらなる実験効率の向上および装置の老朽化対策を目的としてアップグレードを行った。その主な項目は(1)二次元検出器の交換、(2)microVAXコンピュータからWindowsコンピュータへの置き換えおよびLabVIEW-RTによる制御系の開発、(3)集光デバイスの導入、(4)各種試料環境の導入、である。これらにより、SANS実験の効率化、メンテナンス性の向上が実現できた。

 一方、多くのソフトマター系に含まれる水素原子は非常に大きな非干渉性中性子散乱断面積を持ち、構造情報を持たない散乱に寄与する。したがって、ソフトマターの構造情報を得るためには試料からの非干渉性散乱の影響を除くことが重要である。本研究では水素を多く含む系における非干渉性散乱の多重散乱過程に着目し、非干渉性(弾性)散乱強度を導出した。

(II)ブロック共重合体水溶液系の構造とダイナミクス

 ブロック共重合体は、異なる複数の高分子鎖(ブロック鎖)の端同士が共有結合によって結びつけられた高分子である。外部環境の変化によりブロック鎖間で相分離が起きる際、共有結合によって結びついているために相分離は分子サイズ程度に限定される(ミクロ相分離)。ミクロ相分離については多くの研究がなされており、外部環境によって多彩なミクロ相分離構造が形成されることが理論、実験の両面から示されている。また、高分子鎖に沿って連続的なモノマー組成プロファイルを持つグラジエント共重合体は、近年の精密重合法の発達によって合成が可能になった高分子であり、ブロック共重合体の関連物質として位置づけられる。本研究では、ブロック共重合体やグラジエント共重合体の水溶液が疎水性相互作用により、外部環境に応答して物理ゲルを形成するメカニズムについて実験的に調べた。

 20℃以上/以下で疎水性/親水性である2-ethoxyethyl vinyl ether (EOVE)と、親水性の2-hydroxyethyl vinyl ether (HOVE)により構成されたブロック共重合体(EOVE-b-HOVE)の水溶液は、例えば濃度20wt%では20℃以下で溶液状態であるが、20℃以上では流動性のないゲル状態になる。EOVE-b-HOVE水溶液に対するSANS測定により、低温においては高次構造を持たない高分子溶液であり、17℃付近でEOVEセグメントをコアとする球状ミセルを形成し、高濃度ではさらに超格子構造を形成することがわかった(Fig.1)。また、動的光散乱(DLS)測定により、分子鎖の運動がすなわち、構造形成によるゲル特有の凍結ダイナミクス(ゲルモード)が観測された。さらに、超格子構造が形成される条件においてのみ、散乱強度の試料位置依存性(散乱スペックル)が現れた。このことから、超格子構造形成は系の非エルゴード性、すなわち系の空間的不均一性を発現させることが分かった。

 アセトンに可溶で水に不溶である2-phenoxyethyl vinyl ether (PhOVE)とアセトンにも水にも可溶である2-methoxyethyl vinyl ether (MOVE)で構成されたブロック共重合体(PhOVE-b-MOVE)は、アセトンに溶解させた後に水を添加することで溶液が物理ゲル化する。PhOVE-b-MOVE溶液に対するSANS測定結果から、水添加によりPhOVEセグメントをコアとするミセルおよび超格子構造が形成されることがわかった。ミクロ相分離構造は温度誘起型の場合と類似であるが、明確な孤立球状粒子が形成される前に、ドメイン間の長距離相関が現れたことから、ミクロ相分離過程は溶液中の密度揺らぎが成長して長周期を保ちながらミセルへと分化していくスピノーダル分解的であることがわかった。一方、温度誘起型ミクロ相分離は、ミセル形成が完了した後にミクロ相分離構造への再配列が起こるという核生成・成長過程であった。この構造転移過程の違いは、高分子と溶媒分子の間の相互作用パラメータの変化が、溶媒組成を変化させた場合(溶媒誘起型)は連続的であり、温度を変化させた場合(温度誘起型)は不連続であることに起因すると考えられる。

 グラジエント共重合体もブロック共重合体同様、水溶液中で物理ゲルを形成することが観測されている。本研究ではSANSとDLSを用いてグラジエント共重合体が水溶液中で形成する構造とダイナミクスを調べ、ブロック共重合体の場合と比較を行った。そして、グラジエント共重合体の系に特徴的なreel-in現象を発見し、これが構造転移および巨視的な物性に大きく影響していることを明らかにした。

(III)オイルゲル化剤溶液系の構造とダイナミクス

 油や有機溶媒などの溶媒に、少量添加することで系を物理ゲル化させることができる物質をオイルゲル化剤(gelator)と呼ぶ。オイルゲル化剤に関して、ゲル特有の力学特性を利用した廃液処理やナノ構造を制御する方法の一つとして盛んに研究・開発がすすめられている。ゲル形成に際しては、水素結合によるオイルゲル化剤分子間の会合が重要な役割を果たすと考えられており、このことを考慮して水素結合可能部位を持たせるように分子設計が行われる場合が多いが、オイルゲル化剤の分子構造とゲルのネットワーク構造やその形成メカニズムについては明らかでない。本研究ではオイルゲル化剤としてcyclo(L-β-3,7-dimethyloctylasparaginyl-L-phenylalanyl) (CPA), trans-(1R,2R)-bis(undecylcarbonylamino)cyclohexane (TCH), Nε-lauroyl-Nα-stearylaminocarbonyl-L-lysine ethyl ester (LEE)を用い、それぞれの系で形成された物理ゲルの構造を調べることで、分子構造とネットワーク構造の関係、およびゲルの形成メカニズムを明らかにした。CPA,TCH,LEEをそれぞれトルエンに加え高温で溶解させた後、室温付近まで徐々に冷却することでゲルを得た。

 SANS測定により、各系においてnmスケールの円柱状粒子の存在が示された。ゲル化剤分子が分子間相互作用によって会合し、nmオーダーの持続長を持つ、またはある確率でスタッキングの形態に欠陥を生じることによって円柱状粒子の連続構造となり、ネットワークが形成されたと考えられる。これらのことからFig.2のような分子の会合形態モデルを提案した。さらに、CPA, TCH, LEEのすべての系のゲル状態において散乱スペックルが観測された。このことから、ブロック共重合体溶液系や他のゲルと同様に、オイルゲル化剤系においても非エルゴード性が生じることが示された。一方、DLS測定により、物理ゲル化した後にはどの系においても明確な緩和が観測されなかったことから、ネットワークの分子運動は強く制限されていることが示唆された。

総括

(I)小角中性子散乱測定法の整備により、SANS実験を容易かつ効率的に行えるようになった。(II)ブロック共重合体水溶液系の構造とダイナミクスおよび(III)オイルゲル化剤溶液系の構造とダイナミクスでは、様々な系における物理ゲル化のメカニズムと形成される構造を明らかにし、さらに、非エルゴード性および凍結ダイナミクスといったゲルに特徴的な性質がこれらの系において共通して観測され、物性に大きく影響していることを明らかにした。特に(II)では、水溶液系において構造形成に重要な役割を果たすのは疎水性相互作用であり、共重合体中のモノマー配列によって外部刺激に対する応答性やミクロ構造を制御できることを示した。(III)では、水素結合が構造形成の中心的な駆動力である有機溶媒系においては、相互作用の異方性を利用したミクロ構造の制御が可能であることを示した。また、ネットワークの構成単位(高分子であるか円柱であるか、またそのアスペクト比)によって、局所的な運動状態が大きく異なることを示した。

Fig.1 Schematic representation of structural transitions in EOVE-b-HOVE aq. solution.

Fig.2 Schematic illustration of the molecular stacking for the cases of (a) CPA and (b) TCH.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3部(9章)からなり、第1部は小角中性子散乱法の整備、第2部はブロック共重合体水溶液系の構造とダイナミクス、第3部はオイルゲル化剤系の構造とダイナミクスついて、それぞれ述べられている。以下では各部についての概要と評価について述べる。

 第1部では実験手法としての小角中性子散乱の信頼性向上のため、(1)実験装置SANS-Uのアップグレード(第1章)、および(2)中性子非干渉性散乱強度の理論的導出(第2章)について述べられている。(1)は、物性研究所の装置として全国共同利用に供するSANS-Uの老朽化対策と性能向上を主な目的として、論文提出者が中心となりアップグレード作業および性能評価が行われたものである。これにより、装置の性能や保守性はもとより、SANSの実験効率も飛躍的に向上し、ユーザーに求められる労力が大幅に減少した。一方、(2)では特にソフトマターの中性子散乱において構造情報を埋もれさせてしまう水素原子からの非干渉性散乱の寄与を、理論的に見積もって差し引く方法を記述しており、特にソフトマターの中性子散乱において精密な構造解析を支持する方法として有用である。

 第2部では、工業的にも広く利用され、学問的にも興味深い高分子であるブロック共重合体の環境応答性に着目し、溶液中で物理ゲル化するメカニズムについて述べられている。第3章では温度誘起型と称される、ブロック共重合体水溶液において、物理ゲルが形成される過程およびその構造が調べられており、ブロック共重合体同士が会合して高分子ミセルを形成し、これが格子状に配置することにより物理ゲル化が起こることが明らかにされた。さらに第4章では、特にダイナミクスの観点からこの構造の特徴、すなわち非エルゴード性をもった凍結構造であることが明らかにされている。これらは、ブロック共重合体水溶液における物理ゲル化現象の解明の基礎となるものであり、続く第5、6、7章での溶媒誘起型およびグラジエント型の構造転移過程と比較される。温度誘起型に比べて、溶媒誘起型では構造転移は連続的に起こることが示されており、これは高分子と溶媒との相互作用の強さが連続的に変化するとの考えにより説明された。また6、7章では、グラジエント型では高分子ミセルの形成機構がブロック共重合体とは異なり連続的に成長する過程が観測され、これは新奇な構造形成モデルであるリールイン現象により説明された。すなわち、分子内における溶媒との相互作用の強さが環境に応じて連続的に変化することで引き起こされることが明らかにされた。結論として、高分子と溶媒の組成を選択することにより、形成されるミクロ構造と構造転移の連続性を精密に制御できることが実験的に示されたのであり、今後の高分子科学に対して有用な知見を与えると考えられる。

 第3部では、オイルゲル化剤と呼ばれる、油や有機溶媒をゲル化させることができる低分子化合物がどのようなメカニズムによってゲルを形成するのか、ミクロ構造とダイナミクスの観点から行われた研究について述べられている。第8章では新奇なシロキサン骨格を有するオイルゲル化剤が有機溶媒中で形成する構造の基本単位が円柱状であることが明らかにされている。さらに第9章では、様々な化学構造のオイルゲル化剤がどのような構造のゲルを形成するのかについて系統的な実験を行い、ゲルの構造を決定するだけでなく、分子間相互作用の指向性が重要であること、すなわち、水素結合を介した一次元的な高次構造を形成しうる分子がオイルゲル化剤として適していることを見出した。これは、従来知られていたオイルゲル化剤としての必要条件に加えて、合成化学者にとっての有用な情報となりうるであろう。

 なお、各章で述べられた研究は下記の方々との共同研究であるが、すべて論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。(敬称、所属略)

第1章:長尾道弘、狩野武志、渡邊聡、安達智宏、清水裕彦、柴山充弘

第2章:柴山充弘、長尾道弘、狩野武志

第3、4章:杉原伸治、青島貞人、柴山充弘

第5章:布施千絵子、杉原伸治、青島貞人、柴山充弘

第6、7章:瀬野賢一、金岡鍾局、青島貞人、柴山充弘

第8章:柴山充弘、安藤圭一、英謙二

第9章:英謙二、柴山充弘

 したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/9274