学位論文要旨



No 121877
著者(漢字) 佐藤,繭子
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,マユコ
標題(和) 灰色植物のシアネレ分裂におけるFtsZの動態と分裂装置の微細構造に関する研究
標題(洋) Studies on FtsZ dynamics and a division apparatus in the cyanelle of Cyanophora paradoxa (Glaucocystophyta)
報告番号 121877
報告番号 甲21877
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第231号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 助教授 園池,公毅
 東京大学 助教授 鈴木,匡
内容要旨 要旨を表示する

序論

 葉緑体は,細胞内共生により誕生し,その起源はシアノバクテリアだと推定されている.また葉緑体は,独自のゲノムDNAを持ち,半自立的に分裂して増殖する.分裂に関わる装置として原核生物由来と真核生物由来のものがあることが近年の研究で明らかになってきた(Osteryoung and Nunnari, 2003).原核生物由来の分裂装置については,ftsZ, minD, sulAなどシアノバクテリアから陸上植物にいたるまで保存されている遺伝子がいくつか見つかっているものの,葉緑体における機能はほとんど明らかになっていない.真核生物由来の分裂装置として,葉緑体の内側と外側にある二重の葉緑体分裂リング(Plastid-dividing ring: PDリング)と,ダイナミンが見つかっており,これらが分裂の原動力としての役割を果たしていると考えられている.

 1924年,Korschkoffは,シアノバクテリアによく似た細胞器官をもつ鞭毛藻を発見し,Cyanophora paradoxa と名づけた(Fig.1).1929年,Pascherは,この細胞器官が共生したシアノバクテリアそのものだと考え,特別にシアネレ(cyanelle)と呼ぶことにした.シアネレは,後にゲノムサイズがシアノバクテリアの20分の1以下であることが明らかになり(Herdman 1977, Stirewalt et al. 1995),現在では完全な葉緑体と考えられている.C. paradoxa を含む灰色植物門の藻類の葉緑体は,葉緑体二重包膜の間にペプチドグリカン層を維持している.ペプチドグリカン層は他の植物の葉緑体では既に失われており,灰色藻は植物の系統進化を考える上で重要な位置にある(Iino and Hashimoto, 2003).

 本研究では,灰色藻のシアネレの分裂装置を明らかにすることを目的とした.特に,植物の進化で葉緑体分裂制御システムがどのように獲得されてきたのか,原核生物由来の分裂装置が果たす機能について明らかにしたいと考えた.

結果と考察

1. 原核生物由来の葉緑体分裂遺伝子の探索

(1) 原核型葉緑体分裂遺伝子の単離

 縮重プライマーを用いたPCR法により,C. paradoxa のゲノムDNAから,シアノバクテリアや葉緑体型の分裂遺伝子ftsH, ftsZ, minDに相同な部分配列が得られた.このうち,原核生物の細胞分裂面にリングを形成し,原核型分裂装置の基盤を構成するftsZについて,RACE法とInverse PCR法を用いて全塩基配列を決定した(CpFtsZ-cy).予測されるアミノ酸配列をTargetPプログラムで解析すると,N末端の35アミノ酸残基が葉緑体移行ペプチドであると予測された.

(2) 葉緑体型FtsZの分子系統解析

 植物葉緑体で機能するFtsZの系統関係については,紅色植物・シアノバクテリア・緑色植物FtsZ2のクレードと,緑色植物FtsZ1のクレードに分かれることが知られている.近隣結合法を用いた分子系統解析から,CpFtsZ-cyは,緑色植物のFtsZ1に近縁である可能性が示唆された.

2. シアネレ分裂におけるFtsZの動態

(1) FtsZリング形成過程の観察

 葉緑体二重包膜の間にペプチドグリカン層が維持されているシアネレでは,他系統の葉緑体分裂に比べ,原核生物型の分裂装置の機能が重要であることが考えられた.そこでシアネレでのFtsZの局在を,抗FtsZ抗体を用いた間接蛍光抗体染色により調べた(Fig.2).

 クロロフィルの自家蛍光からシアネレの分裂過程を4つのステージに分けた(Fig.2, ステージI-IV).シアネレは,片側がくびれた腎臓型(ステージI),くびれが分裂面全周に広がったダンベル型(ステージII)を経て,分裂面の隔壁形成が完了し(ステージIII),分裂する(ステージIV).また各ステージの頻度は,ステージI:21%,ステージII:32%,ステージIII:32%,ステージIV:15%で,ダンベル型の状態が6割を超えていた.抗体染色の結果から,FtsZが分裂面にリングを形成すること,分裂が進むにつれてFtsZリングが収縮することが確かめられた(ステージIIa-IIIa).さらに,1) 分裂初期にFtsZが分裂面片側に弧を描くように局在していた(ステージI).これをFtsZ アークと呼ぶことにした.FtsZアークが見られるシアネレは分裂面の片側のみがくびれているもので,くびれの位置とFtsZの局在は一致していた.2) 分裂の最後に,FtsZリングが分裂面に対して平行に分離していた(ステージIIIb).これら二つの特徴は,シアネレが分裂時にペプチドグリカン隔壁を形成することに起因していると考えられ,他の葉緑体には見られないものである.

(2) ペプチドグリカン合成がFtsZアーク・リング形成におよぼす影響

 原核生物の細胞分裂では,最初にFtsZが分裂面に足場となるリングを形成し,続いてペプチドグリカン合成に関わる分裂装置のタンパク質複合体がリクルートされる(Margolin, 2005).C. paradoxa ではペプチドグリカン合成酵素 (Penicillin binding protein: PBP)の存在が生化学的研究から示唆されている.シアネレにおけるFtsZアーク・リング形成とPBPとの関係を調べるため,PBPの活性を阻害するβ-ラクタム系抗生物質アンピシリンを用いて阻害剤実験をした.シアネレでは分裂終了後すぐに次の分裂が開始されるため,分裂周期を通してくびれの入ったシアネレが観察される.しかし,アンピシリン処理の結果,くびれのない球形のシアネレが見られるようになった.くびれのないシアネレでFtsZの抗体染色を行うと,FtsZアークまたはリングが形成されていた.このことから,FtsZの局在化はPBPとは独立に起こることがわかった.またペプチドグリカン合成阻害条件下ではFtsZの収縮・分離が阻害されていた.このことから,FtsZの収縮・分離はペプチドグリカン隔壁形成にともなって起こることが示唆された.

3. シアネレ分裂装置の微細構造

(1) 走査型電子顕微鏡を用いたシアネレ外包膜表面の分裂装置の探索

 シアネレ包膜を外側から絞り込む分裂装置が存在するかを調べるため,シアネレを単離し,フィールドエミッション型走査型電子顕微鏡(FE- SEM)を用いて,シアネレ表面の微細構造を観察した.

 包膜の陥入はシアネレ表層の一箇所にできる溝から始まる.シアネレは,深い溝をもつハート形になってから,くびれが拡大してダンベル状になる.くびれた表層にOuter PDリングが観察されることはなかった.これまでにSEMで観察されている他の葉緑体に比べ,分裂面は鋭い角度で陥入しており,バクテリアの分裂面と類似していた.分裂面の最初のくびれの位置と長さとはアーク状のFtsZと一致している.包膜陥入には,FtsZリングを含むシアネレ内部の分裂装置が関与すると考えられる.

(2) 透過型電子顕微鏡を用いたシアネレ内部の分裂装置の解析

 従来の化学固定に加え,急速凍結と加圧凍結固定法で細胞を固定し,分裂面内部の微細構造を透過型電子顕微鏡(TEM)で観察した.化学固定法と凍結固定法の両方でInner PDリングが観察できた.化学固定法で見られたInner PD リングは内包膜陥入部にドット状の電子密度の高い構造として観察された.凍結固定法で観察されたInner PDリングは,陥入部に沿うようなバンド構造をしていた.Inner PD リングは,シアネレ分裂初期には現れず,内包膜の陥入が進んだシアネレで観察された.FtsZはシアネレ分裂初期から分裂面に局在しているため,Inner PD リングとは異なる構造であることが示唆される.また透過型電子顕微鏡顕観察においても,外包膜の上にOuter PDリングに相当する構造は観察されなかった.

結論

 本研究では,ペプチドグリカンを維持した葉緑体である灰色藻シアネレの分裂装置について以下のことを明らかにした.

1.予測されるアミノ酸配列を用いた分子系統解析で,CpFtsZ-cyは緑色植物のFtsZ1ファミリーの基部に位置した.

2.光学顕微鏡と走査型電顕の観察から,シアネレ分裂は全周で同時に起こるのではないことがわかった.

3.抗FtsZ抗体による間接蛍光抗体染色の結果より,シアネレのFtsZリングはFtsZアークを経て形成され,これは走査型電顕で観察されるくびれの位置と一致すると予測される.

4.FtsZの局在化はペプチドグリカン合成酵素とは独立に起こる.FtsZの収縮・分離はペプチドグリカン隔壁形成にともなって起こり,その過程はアンピシリンで阻害される.

5.透過型電顕を用いた分裂面の微細構造の観察から,陥入した内包膜の下にInner PDリングが観察できた.外包膜の上にOuter PDリングに相当する構造は観察されなかった.

発表論文1) Sato M., Nishikawa T., Yamazaki T., Kawano S. Isolation of the plastid FtsZ gene from Cyanophora paradoxa(Glaucocystophyceae, Glaucocystophyta). Phycol. Res. 53, 93-96 (2005).

Fig.1 Cyanophora paradoxaの細胞

2本の鞭毛と,1〜2個の葉緑体(シアネレ)を持つ.Bar=5μm

Fig.2 シアネレ分裂におけるFtsZの動態

FtsZは始め分裂面の片側にアークとして現われ,アークの両端が伸びてFtsZリングとなる.リングは分離して娘シアネレに分配される.Bar=5μm.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章は原核生物由来の葉緑体分裂遺伝子CpFtsZ-cyの単離、第2章はシアネレにおけるFtsZタンパク質の動態、およびFtsZとペプチドグリカン合成の関係についての解析、第3章はシアネレ分裂時に起こるシアネレ表面と内部の構造変化に関する電子顕微鏡観察について述べられている。

 灰色植物門の藻類の葉緑体(シアネレ)は、葉緑体二重包膜の間にペプチドグリカン層を維持している。ペプチドグリカン層は他の植物の葉緑体では既に失われており、灰色藻は植物の系統進化を考える上で重要な位置にある。本論文提出者の佐藤繭子は、灰色植物の一種Cyanophora paradoxaのシアネレ分裂において、FtsZタンパク質がアーク構造を経た後にリング構造を形成すること、また他の葉緑体と異なり、内部の分裂装置の機能が重要であることを明らかにした。これは、植物の進化過程で葉緑体分裂制御システムがどのように獲得されてきたのか、また原核生物由来の分裂装置が果たす機能について理解するうえで極めて重要な知見である。

 第1章では、C. paradoxa から原核生物由来の葉緑体分裂遺伝子FtsZ (CpFtsZ-cy)の全塩基配列を単離している。予測されるアミノ酸配列のN末端35アミノ酸残基が葉緑体移行ペプチドであると予測された。また分子系統解析から、CpFtsZ-cyは緑色植物のFtsZ1ファミリーに近縁である可能性が示唆された。

 第2章では、シアネレ分裂におけるFtsZの動態を、抗FtsZ抗体を用いた間接蛍光抗体染色により調べている。シアネレは、片側がくびれた腎臓型(ステージI)、くびれが分裂面全周に広がったダンベル型(ステージII)を経て、分裂面の隔壁形成が完了し(ステージIII)、分裂する(ステージIV)。抗体染色の結果から、FtsZが分裂面にリングを形成すること、分裂が進むにつれてFtsZリングが収縮することが確かめられた(ステージIIa-IIIa)。さらに、1) 分裂初期にFtsZは分裂面片側に弧(アーク)を描くように局在していた(ステージI)。FtsZアークが見られるシアネレは分裂面の片側のみがくびれているもので、くびれの位置とFtsZの局在は一致していた。2) 分裂の最後に、FtsZリングが分裂面に対して平行に分離していた(ステージIIIb)。これら二つの特徴は、シアネレが分裂時にペプチドグリカン隔壁を形成することに起因していると考えられ、他の葉緑体には見られないものである。続いて、シアネレにおけるFtsZアーク・リング形成とペプチドグリカン合成酵素 (Penicillin binding protein : PBP)との関係を調べるため、PBPの活性を阻害するβ-ラクタム系抗生物質アンピシリンを用いて阻害剤実験を行っている。シアネレでは分裂終了後すぐに次の分裂が開始されるため、分裂周期を通してくびれの入ったシアネレが観察される。アンピシリン処理の結果、くびれのない球形のシアネレが見られるようになった。くびれのないシアネレのFtsZ抗体染色では、FtsZアークまたはリングが形成されていた。このことから、FtsZの局在化はPBPとは独立に起こることがわかった。またペプチドグリカン合成阻害条件下ではFtsZの収縮・分離が阻害されていた。このことから、FtsZの収縮・分離はペプチドグリカン隔壁形成にともなって起こることが示唆された。

 第3章では、シアネレ分裂装置の微細構造の、電子顕微鏡を用いた観察について述べている。始めに、フィールドエミッション型走査型電子顕微鏡を用いて、単離シアネレ表面を観察した。膜の陥入はシアネレ表層の一箇所にできる溝から始まり、深い溝をもつ腎臓形になってから、くびれが拡大してダンベル状になる。くびれた表層にOuter PDリングが観察されることはなかった。分裂面は鋭い角度で陥入しており、バクテリアの分裂面と類似していた。分裂面の最初のくびれの位置と長さとはアーク状のFtsZと一致しており、包膜陥入には、FtsZリングを含むシアネレ内部の分裂装置が関与すると考えられる。続いて透過型電子顕微鏡を用いシアネレ内部の分裂装置の観察を行った。化学固定に加え、急速凍結と加圧凍結固定法で細胞を固定し、分裂面内部の微細構造を観察した。Inner PD リングは、化学固定法では内包膜陥入部にドット状の電子密度の高い構造として、凍結固定法では陥入部に沿うようなベルト構造として観察された。透過型電子顕微鏡顕観察においても、外包膜の上にOuter PDリングに相当する構造は観察されなかった。

 なお、本論文第1章は、西川壽一、山崎誠和、河野重行との共同研究で、共著論文として論文発表もしているが、本論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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