学位論文要旨



No 121879
著者(漢字) 武智,正樹
著者(英字)
著者(カナ) タケチ,マサキ
標題(和) ゼブラフィッシュ赤、緑タイプ視物質遺伝子の発現パターンの解析及び青、紫外線タイプ視物質遺伝子の発現制御領域の検討
標題(洋) Analysis of Expression Pattern of Multiple Red and Green Subtype Opsin Genes and Identification of Cis-regulatory Regions of Blue and UV Type Opsin Genes in Zebrafish
報告番号 121879
報告番号 甲21879
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第233号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 河村,正二
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 小嶋,徹也
 東京大学 助教授 東原,和成
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 色覚は採食行動, 配偶行動, 捕食者の識別など、動物の生存に密接に関わる重要な感覚の一つである。網膜の視細胞には光受容物質である視物質が産生されており、7回膜貫通型タンパク質のオプシンとレチナールから成る。脊椎動物の視物質は進化系統的に5タイプに分かれる。桿体細胞に産生されて薄明視を担うRH1(桿体タイプ)と、錐体細胞に産生されて色覚を担うM/LWS(赤タイプ), RH2(緑タイプ), SWS2(青タイプ), SWS1(紫外線タイプ)である。色覚が成立するためにはこれら異なる吸収光特性をもつ視物質を複数有し、それらを異なる視細胞で発現させることが不可欠である。しかしこの1視細胞1視物質ルールを成立させるために必要な視物質遺伝子の発現制御機構はその多くが未知である。

 脊椎動物の中でも魚類の多くは5タイプ全ての視物質を有しており、その発現制御機構を検討する良いモデルとなる。そこでトランスジェネシスによる遺伝子発現制御領域の検討法が確立されているゼブラフィッシュを用いることで視物質遺伝子の発現制御機構の解明を目指した。ゼブラフィッシュの視細胞には桿体細胞 (Rod)と4種類の錐体細胞Short Single Cone (SSC), Long Single Cone (LSC), Short members of Double Cone (SDC), Long members of Double Cone (LDC)が存在する(Fig.1)。当研究室がゼブラフィッシュの全視物質遺伝子レパートリーを魚類で初めて明らかにしたところ、遺伝子重複によって赤タイプには2種類(LWS-1, -2)、緑タイプには4種類(RH2-1, -2, -3, -4)のサブタイプが存在し、吸収光特性が全て異なっていることを示した。しかしこれらのサブタイプが同じ錐体細胞で発現するのか、異なるとすれば網膜上でどのような空間配置を示すのかは不明であった。よって本研究では、まず(1)赤タイプ, 緑タイプ視物質遺伝子の幼魚から成魚における発現パターンをin situ hybridizationにより調べることにした。次に錐体視物質タイプ間の発現制御を比較検討するため、単一コピー遺伝子の(2)青タイプ (SWS2)と(3)紫外線タイプ (SWS1)視物質遺伝子について、GFPレポーターを用いたトランスジェネシスによって各遺伝子の発現制御領域を検討した。またこの過程で樹立される特定の視細胞のみがGFP標識された「視細胞可視化ゼブラフィッシュ」は生体のまま視細胞の挙動を観察できるため、視細胞発生に異常をきたす突然変異体スクリーニング等において有用なツールとなる。そこで発現制御領域の検討と同時に特定の視細胞を可視化したトランスジェニックゼブラフィッシュの樹立を目的とした。

【結果と考察】

(1) 赤タイプ, 緑タイプ視物質遺伝子の時間的空間的な発現パターン

(1)−1初期胚(〜受精後3日)と幼生(受精後3日〜1ヶ月)における発現

 LWS-2は受精後約40時間、RH2-1は45時間において網膜腹側でスポット状に発現を開始し、その後網膜全体に広がるという、既知の視物質遺伝子と同様の発現パターンを示した。RH2-1に遅れて受精後3日目以降にRH2-2も発現を開始し、約1週間で網膜全体に発現が見られた(Fig.2B)。一方で、LWS-1とRH2-3/RH2-4は受精後1週間までに網膜周縁部で非常に弱く発現が見られたが、網膜全体には広がらず、視物質遺伝子における新規の発現パターンを示した(Fig.2A, B : 1 week)。

(1)−2 幼魚から成魚における発現―赤タイプ(Fig.2A)

幼魚(受精後1〜2ヶ月)と成魚(受精後2ヶ月〜)においては、LWS-2は網膜中央〜背側領域に非常に弱く発現する一方で、LWS-1は周縁部+腹側領域に強く発現していた(Fig.2A)。つまり両遺伝子は網膜上での発現領域が異なり、さらに発現量が幼生時と逆転していた。また興味深いことに中央〜背側領域にLWS-1とLWS-2が共発現している視細胞が散在していた(Fig.2C)。

(1)−3 幼魚から成魚における発現―緑タイプ(Fig.2B)

 受精後1ヶ月の幼魚では、網膜全体に発現していたRH2-1は網膜周縁部での発現が見られず、反対にRH2-2は中央部での発現が完全に消失した。RH2-3/2-4は網膜腹側+周縁部に発現が見られた。生後2年の成魚になるとRH2-1, -2は共に再び網膜中央〜背側に発現していたが、RH2-2の発現の方が強かった。またこの領域では同一視細胞においてRH2-1とRH2-2が共発現していた(Fig.2D)。RH2-3はRH2-2発現領域の外側に、RH2-4はRH2-3の外側すなわち網膜周縁部+腹側に発現していた。

 以上の結果より、赤タイプ, 緑タイプともに幼生では最も短波長感受性のサブタイプが先に発現するが、成魚では長波長感受性寄りのサブタイプが主に発現するように切り替わった(LWS-2→LWS-1, RH2-1→RH2-2:サブタイプ間の時間的発現パターンの相違)。また各成長時期において、サブタイプによって網膜での発現領域が異なることを明らかにした(サブタイプ間の空間的発現パターンの相違)。興味深いことに赤タイプ, 緑タイプとも短波長感受性のサブタイプが網膜中央〜背側に、長波長感受性のサブタイプが網膜周縁部+腹側に発現していた(Fig.2C, D)。以上の結果から、ゼブラフィッシュは重複した視物質サブタイプを網膜で異なる時間および空間で発現させることにより、成長時期や視野によってきめ細かく異なる波長感受性の調節を行っていることが示唆された。

(2) 青タイプ視物質遺伝子 (SWS2) の発現制御領域の検討

SWS2の様々な長さの上流領域をGFPレポーターにつないでゼブラフィッシュ受精卵に導入し、約1週間後における導入個体のGFP蛍光を観察した。その結果、LSC特異的な発現には上流582 bpが十分であったが、上流300 bpでは発現が誘導されなかった。次に発現誘導が可能な上流1.4 kbから、−595〜−282領域を様々に欠失させたコンストラクトを作製し、同様に導入個体におけるGFP蛍光を観察した(Fig.3)。−595〜−404, −497〜−282の欠失(Fig.3:DEL-1, DEL-2)では発現が誘導されなかった。一方で−404〜−282の欠失(Fig.3:DEL-5)ではLSCと同様にSSCでの異所的な発現が誘導された。このことから−404〜−282にはSSCでの発現を抑制する制御領域が存在すると考えられた(Fig.5)。次に−595〜−282あるいは−497〜−282領域をSWS1上流0.8 kbをつないだGFPレポーターと共に受精卵に導入したところ、LSCに発現が誘導された。よって−497〜−282にはSWS2のLSCでの発現を誘導する領域が含まれていた(Fig.5)。この領域を既知の魚類SWS2ゲノム周辺領域と比較したところ、ニジマス(Oncorhynchus mykiss) のSWS2直上領域と配列類似性が高いことがわかった。

 また−450〜−427の欠失により、本来発現しない脳の光受容器官である松果体と網膜双極細胞で強い発現が見られた(Fig.4: Deletion)。上流1.4 kbのGFPコンストラクト中でこの24 bpの領域に点変異を導入したところ、SWS2の松果体での発現抑制にはTAACTGCCAの9 bpからなる新規シス調節エレメントとその直下に存在する既知のシス調節エレメントであるOTX結合配列が共に不可欠であることを明らかにした(Fig.4: mut-4〜6, -8, Fig.5)。またSWS2の双極細胞での発現抑制にも同一のOTX結合配列が必要であることことがわかった(Fig.4: mut-8, Fig.5)。

(3) 紫外タイプ視物質遺伝子 (SWS1) の発現制御領域の検討

SWS1の様々な長さの上流領域をGFPレポーターにつないでゼブラフィッシュ受精卵に導入し、トランスジェニックラインを樹立した(Fig.6A)。上流5.5 kbを用いた2ラインのGFPは共に網膜全体のSSCに発現し(Fig.6B)、内在SWS1の時間的空間的な発現パターンと一致することをin situ hybridizationと免疫組織化学染色によって確認した。一方で上流1.8 kbと1.4 kbを用いた計3ラインは一部のSSCでしかGFP発現が見られなかった。この結果、SWS1の上流1.8 kb内にはSSCでの特異的な発現を誘導する領域が、上流1.8 kb〜5.5kbにはエンハンサー領域がある事がわかった。

【結論】

 視物質遺伝子におけるサブタイプの存在は魚類に特徴的に見られるため、陸上とは異なり濁度,深度等により多様に変化する水中の光環境に関与すると考えられているが、その実像と意義は多くが未知であった。本研究ではサブタイプが網膜で異なる空間的発現パターンを示すことを初めて示し、サブタイプを有する魚類が成長時期や視野によってきめ細かく異なる波長感受性の調節を行っている事を示唆する結果を得た。

 青タイプ, 紫外線タイプ視物質遺伝子の上流領域を用いてLSC, SSCをそれぞれ可視化した「視細胞可視化ゼブラフィッシュ」を樹立した。これらのラインはすでに国内外の研究者に提供し、視細胞発生が不全となる突然変異体の解析が共同研究として開始している(発表論文4)。また、青タイプ視物質遺伝子において新規シス調節エレメントを含む複数の発現制御領域を同定したが(Fig.5)、1つの視物質遺伝子において網膜と松果体の両光受容器官での発現制御領域を同定したのは初めての報告となる。ゼブラフィッシュや他動物において視物質が松果体でも発現する例が知られており、松果体と網膜における視物質遺伝子の発現制御機構の関連性を考える上で興味深い結果を得た。

【発表論文】

1) Hamaoka, T. †, Takechi, M. †, Chinen, A., Nishiwaki, Y. and Kawamura, S. (2002). "Visualization of rod photoreceptor development using GFP-transgenic zebrafish" Genesis, 34 (3):215-220. †Equal contribution

2) Takechi, M., Hamaoka, T. and Kawamura, S. (2003). "Fluorescence visualization of ultraviolet-sensitive cone photoreceptor development in living zebrafish" FEBS Letters, 553 (1-2):90-94.

3) Takechi, M. and Kawamura, S. (2005). "Temporal and spatial changes in the expression pattern of multiple red and green subtype opsin genes during zebrafish development" The Journal of Experimental Biology, 208 (7):1337-1345.

4) Wei, X., Zou, J., Takechi, M., Kawamura, S., Li, L., "Nok plays an essential role in maintaining the integrity of the outer nuclear layer in the zebrafish Retina" Experimental Eye Research, in press (Avairable online, 10 Mar. 2006)

Fig.1 ゼブラフィッシュ網膜視細胞

Fig.2 ゼブラフィッシュ網膜における赤タイプ

(A),緑タイプ(B)視物質遺伝子の発現パターン. 成魚における各サブタイプの発現パターンを重ね合わせたものをC, Dに示す. 上が背側、左が前側を示す. (S) は短波長感受性サブタイプ, (L) は長波長感受性サブタイプを表す. 発表論文3より改変.

Fig.3 SWS2上流1.4 kbから-595〜 -282領域を欠失したコンストラクトの生体導入実験の結果. ◎, △, ×は上流1.4 kbを用いた時の発現を○とした場合の発現レベルを表す.

Fig.4 SWS2上流- 450〜- 427領域に欠失または点変異を導入したコンストラクトの生体導入実験の結果.

Fig.5 SWS2上流の発現制御領域のまとめ.

Fig.6 (A)SWS1上流領域をGFPレポーターにつないで作製したコンストラクト. (B) 上流5.5 kbを用いて樹立したSSC可視化トランスジェニックゼブラフィッシュの成魚網膜

発表論文2より改変.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり、第1章はゼブラフィッシュ赤タイプ及び緑タイプ視物質遺伝子の発現パターンの解明について、第2章はゼブラフィッシュ青タイプ視物質遺伝子の発現制御領域の同定について、第3章はゼブラフィッシュ紫外線タイプ視物質遺伝子の発現制御領域の同定について述べられている。

 色覚は動物の重要特徴であり、その進化過程の研究は動物の環境適応の仕組みを明らかにする上で究めて重要である。そのなかでも魚類の色覚は水中という多様性に富む光環境を反映して多様であることがこれまでに明らかにされてきており、動物の色覚進化研究の優れたモデルである。脊椎動物の視物質遺伝子は進化系統的に5タイプに分類される。これらは桿体に発現し薄明視を担う桿体タイプ(RH1)と、錐体に発現し色覚を担う赤タイプ(LWS)、緑タイプ(RH2)、青タイプ(SWS2)、紫外タイプ(SWS1)である。高等霊長類以外では魚類にのみ5タイプ内にさらにサブタイプの形成による視物質多様化が見られ、多様な水中光環境への適応と考えられるが、その実像と意義は不明なことが多かた。ゼブラフィッシュは赤タイプに2種類、緑タイプに4種類ものサブタイプを有する点で、サブタイプの発現パターンのsubfunctionalizationの優れたモデル系であり、一方単一コピーである青タイプ視物質遺伝子と紫外線タイプ視物質遺伝子はこれまで知見の不十分な錐体視物質遺伝子発現制御機構の研究に好適である。

 論文提出者はゼブラフィッシュの赤タイプ及び緑タイプの各サブタイプ視物質遺伝子が時間空間的に異なる発現パターンを示すことを示した。具体的には胚と成魚に対してこれら重複遺伝子の発現パターンをin situ hybridizationによって調べ、その結果、赤タイプ、緑タイプ共、より短波長感受型の遺伝子から順に発現が開始され、成魚では網膜の中央〜背側領域と周縁部+腹側領域で発現する遺伝子のセットが異なることを明らかにした。ゼブラフィッシュは重複した視物質遺伝子が網膜でそれぞれ異なる時間空間的発現パターンを示すことにより、成長時期あるいは視野によって異なる色覚を有するように進化したことを示した。

 青タイプ視物質遺伝子SWS2については、硬骨魚類における上流配列を比較し、ゼブラフィッシュとニジマスの間に上流領域の約200bpに配列保存性を見出し、この約200bpに実際に発現制御領域が存在するか確かめるため、ゼブラフィッシュにおける当該領域をGFPレポーターに繋いで受精卵に導入し、約1週間後の幼生におけるGFP蛍光の有無を調べた。その結果、この領域はSWS2の発現を誘導できることを確認し、さらにこの領域内にSWS2が他の種類の視細胞で発現しないために必要な領域や、網膜の双極細胞や脳の松果体での発現を抑制するシス調節エレメントを同定した。

 紫外線視物質遺伝子の制御領域においても細胞種特異的な発現に必要な領域とそこでの発現を増強する領域の2つが存在することを世界でいちはやく発見した。また、同領域を探索する過程で作出したトランスジェニックゼブラフィッシュはレポーター遺伝子である緑蛍光タンパク質(GFP)を紫外線視細胞にのみ特異的に産生することを示し、網膜発生研究の重要なツールとなることを示した。

 これらの成果はゼブラフィッシュをモデルとした視覚研究に強固で新たな基盤をもたらす重要な発見である。また、哺乳類以外での錐体視物質の制御領域の同定は世界で初であり、脊椎動物錐体視物質の転写制御機構解明にブレイクスルーをもたらしたといえる。

 なお、本論文第1章は河村正二との共同研究、第3章は浜岡崇憲、河村正二との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク