学位論文要旨



No 121880
著者(漢字) カン ヌルル フダ
著者(英字) Khan Md. Nurul Huda
著者(カナ) カン ヌルル フダ
標題(和) 海洋性緑膿菌の分離性状および系統に関する研究
標題(洋) Isolation, Characterization and Phylogeny of Marine Pseudomonas aeruginosa
報告番号 121880
報告番号 甲21880
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第234号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 助教授 小島,茂明
 東京大学 助教授 濱崎,恒二
 東京大学 助教授 浦川,秀敏
内容要旨 要旨を表示する

 緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)は1872年に初めて記載され、細菌学の中でも最も古い研究歴を持つ菌種の一つである。緑膿菌は我々の体にも常在し、疾病や手術などによって免疫力が低下している場合、日和見感染菌として重篤な症状や死を招く。また、陸および淡水域に広く分布し、多様な有機物の分解菌あるいは脱窒菌として知られるが、海洋からの報告は内湾などの沿岸域(Kimata et al. 2004)や河口域を除いてはなかった。しかし、1995年、田上らは海洋の溶存態フラクションに、緑膿菌の外膜中のポリンタンパクに相当するものが存在することを見出した(Tanoue et al. 1995)。この結果は、外洋域にも緑膿菌が存在することを示唆する。

 本研究の目的は、第一に、外洋での緑膿菌の存在を実証すること、第二に、淡水株、臨床株とその生理性状の違いを調べること、第三に外洋から得られた株の系統的位置関係を調べことである。

【材料および方法】

 東大海洋研究所、研究船、白鳳丸および淡青丸の航海において、相模湾、伊豆近海、黒潮海域にて海水を採取し、選択培地を用いて細菌を分離した。出現したコロニーを分離後、選択培地上での増殖、増殖の速さ、色、などから緑膿菌と判断される株を選択し、BD PhoenixTM system、16S rDNA塩基配列から同定を行った。さらにそれらの血清型、溶血性、各種基質利用能、抗生物質耐性パターン、などを調べ、淡水分離株、臨床株などと比較した。また、分離株のDNAを抽出後、SpeIを用いて切断し、パルスフィールドゲル電気泳動(PFGE)にかけてその切断パターンから遺伝子型を調べた。

 得られた外洋株、淡水株、臨床株の増殖、生残を蒸留水あるいは人工海水にて調べた。NaCl濃度、pH、温度を変え、その増殖を観察した。またVBNC(Viable but Nonculturable)状態、すなわち、生理活性が確認されるものの、培養できない状態を作り出す条件、さらにそれから培養可能状態に復帰する環境条件について検討した。

 外洋からの分離株、淡水分離株、臨床株、34株について7種類のHouse Keeping Geneの塩基配列を求め、MLST(Multilocus sequence typing)の手法を用いてその系統的位置の解明を試みた。さらにData base上のデータと比較して試験株の系統的位置づけについて検討した。

【結果と考察】

 複数の航海から合計約6,700株の分離株を得、性状試験によって絞込み、最終的に62株が緑膿菌と同定された。外洋分離株の血清型はその殆どがEになったのに対し、東京湾の株は、F, B、荒川からの分離株はB, F, G, K, Nなどに分かれた。PFGEの結果から、外洋からの分離株がある程度まとまった遺伝子型を持つことが明らかになった。以上の結果から、外洋に緑膿菌が存在するとの結論を得た。外洋からの緑膿菌の分離は初めての報告である。

 外洋株、淡水株、臨床株からそれぞれ一株ずつを選び、異なるナトリウム濃度を含む蒸留水あるいは人工海水でその増殖および生残を、観察、比較した。その結果、緑膿菌はその分離源にかかわらず海水程度の塩分下でよく増殖した。他の株と比較すると、海洋株は、ナトリウム濃度およびpHの上昇に伴ってより高い増殖速度と生残性を示した。これらの結果から、一般に緑膿菌はナトリウムの存在下でも増殖する性質を持つこと、海洋株はとりわけ海洋に特徴的な高塩分、弱アルカリ性の環境に適応した生理性状を持つことが明らかになった。一方、それぞれの株を高塩分、低温、低栄養の環境下に放置すると、VBNCの状態に陥ることが明らかになった。さらに、塩分、栄養条件を変化させることにより、VBNCから通常の培養可能状態に戻ることが明らかになった。これまで海洋における緑膿菌の存在が知られていなかったため、海洋環境に特徴的な要因がその増殖、生残にどのような影響を与えるかについての知見は殆どない。本研究はこの意味で緑膿菌に関する新しい情報と視点を提供することになる。本研究は、海洋環境を想定したVBNCの研究としては初めてのものである。また、緑膿菌のVBNC状態についての報告は極めて限られていおり、VBNC状態になりにくい菌と漠然と考えられてきた。本結果は、緑膿菌の海洋環境での生残戦略の一つとしてVBNCを考慮する意義を示している。

 34株について、7種の保存的な遺伝子の塩基配列を求め、MLST(Multilocus sequence typing)の手法に基づいて、個々の株の遺伝子タイプを明らかにするとともに、得られた情報を統合して解析することにより、海洋株の系統的位置づけを調べた。その結果、海洋株の殆どは既存のデータベース上にはない新たな遺伝子型を持つこと、海洋株はおおむね3つのクラスターを形成し、それらは他の起源の株とは異なることが明らかになった。また、そのうちの一つはアウトグル−プに近い位置にいることから、この一群が緑膿菌の起源に近いものと推定される。

 本研究は、海洋から初めて緑膿菌を分離し、その生理的特徴と系統上の位置づけについて考察したものである。今後の緑膿菌の研究に多大なインパクトを与えるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)は1872年に初めて記載され、細菌学の中でも最も古い研究歴を持つ細菌種の一つである。この細菌は我々の体にも常在し、疾病や手術などによって免疫力が低下している場合、日和見感染菌として重篤な症状や死を招く。また、陸および淡水域に広く分布し、多様な有機物の分解菌あるいは脱窒菌として知られるが、海洋からの報告は内湾などの沿岸域や河口域を除いてはなかった。しかし、1995年、海洋の溶存態有機物フラクションに、緑膿菌の外膜中のポリンタンパクに相当するものが存在するとの報告(Tanoue et al. 1995)から、外洋域にも緑膿菌が存在する可能性が出てきた。論文提出者はこの背景のもとに、外洋に緑膿菌が存在する、との仮定を設定し、一連の研究を行なった。

 本論文はGeneral Introduction、3つの章およびGeneral Discussionからなる。第1章では緑膿菌の外洋からの分離、同定およびその抗生物質耐性等の性状試験、さらにPulsed Field Gel Electrophoresis(PFGE)を用いた遺伝子型の解析を行なった。その結果、世界で初めて外洋からの緑膿菌の分離、同定に成功し、外洋株の抗生物質耐性が他の株と比較してもかなり高いことを明らかにした。さらに、PFGEにより、海洋分離株が他の株と比較して、独自の遺伝子型を持つことを示した。第2章では、これらの外洋株が高いナトリウム濃度およびアルカリ性のpH条件にどの程度適応能を持つかを実験的に検討した。その結果、緑膿菌は一般にこれらの条件に高い適応性を示すが、外洋株が最も優れていることを明らかにした。また、様々な温度、ナトリウム濃度、pH環境下に置いた細胞が、「生きているが培養できない生理状態(Viable but nonculturable :VBNC)」に陥ること、さらに条件に応じてこの状態からとの生理状態に戻ることを明らかにした。これらの結果、緑膿菌が外洋を含めた海洋にも生息しうる性状を有することが確認された。第3章では、外洋から分離された株の系統的位置づけを明らかにするため、MLST (Multilocus Sequence Typing)という方法を用い、7種のHouse keeping geneの塩基配列を求め、その結果をデータベース上の様々な株と比較した。また、これらの遺伝子をConcatenateして解析を行い、相互の系統関係を調べた。その結果、外洋分離株は少なくとも3つの異なるクラスターからなり、それぞれは陸、淡水、臨床由来株とは異なる独自の系統的位置を持つことが確認された。この結果は、従来の緑膿菌の種内の系統関係に根底的な見直しを迫るものである。

 論文提出者の研究の最大の意義は、以前全く報告がなかった外洋からの緑膿菌の分離に成功し、それらについて基礎的な知見を得たことである。従ってその研究は全て独創的であり、かつ従来の緑膿菌の概念の変更を迫り、今後の研究に多大なインパクトを与えると考えられる。また、提出者は、常識的には見込みの薄い危険な仮説を自ら博士課程の課題として設定し、結果的にその仮説が正しかったことを証明した。この結果が多くの研究者から驚きの声を持って迎えられていることから分かるように、提出者は卓抜な挑戦的探究心と丹念に努力を積み重ねる資質を持っていることを示している。

 8月3日に行なわれた公開審査会では、論文提出者の発表に続き、上記の点に関連して様々な質疑が交わされた。その後の審査委員による議論の結果、研究内容、質問に対する応答などは十分に評価されるが、論文には一部論理展開の弱さ、図表や表現のミス、体裁上の問題などが指摘された。いずれも小幅な変更であるが、最終稿はこれらの訂正を行なったものを提出することを決めた。

 なお、本論分第1章は、石井良和、木野則子、江嵜英剛、西野智彦、西村昌彦、木暮一啓らが共著者となり、投稿論文が受理されている。実際に研究船に乗って緑膿菌を外洋から分離し、同定したのは論文提出者であり、この分離なしには共同研究は成立しなかった。このため、論文提出者は本質的な部分に寄与をしていると認められる。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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