学位論文要旨



No 121881
著者(漢字) ディン タイ フン
著者(英字) DINH THAI HUNG
著者(カナ) ディン タイ フン
標題(和) 北部ベトナム紅河デルタ沿岸部の水田土壌のアルカリイオン集積と土壌の生産性についての研究
標題(洋) ALKALINE ION CONCENTRATIONS IN AGRICULTURAL SOIL AND SOIL PRODUCTIVITY IN THE COASTAL PADDY FIELD OF THE RED RIVER DELTA, NORTHERN VIETNAM
報告番号 121881
報告番号 甲21881
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第235号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 春山,成子
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 梶,幹男
 東京大学 教授 山路,永司
内容要旨 要旨を表示する

 北部ベトナムの紅河デルタの沿岸域にある"Saline soils"と"Acid sulfate soils"は農業に対し新しい自然資源である。本研究では、稲作農業重点地域である北ベトナム・紅河デルタの中でも問題土壌を抱えている沿岸域の水田を研究対象地域として選定し、デルタの稲作農業地域の表層土壌の浅層部である0-100cmについて、土壌中に含まれる主要なイオン濃度に着目し、土壌成分とイオン濃度の関係を分析し、"Washing method"などの伝統的な稲作栽培技法の影響についても展望する。また、現在のよく起っている水田から海老養殖池への土地利用変化を考察し、"Saline soils"と"Acid sulfate soils"の水田において持続可能な土地利用を目標する。

 第一に土壌状態、土地利用の目的と経済要求の情報を考察し、紅河デルタ全域、特に沿岸域の土地利用政策を明らかにする。紅河デルタの土地利用変化の要因として、政府による土地利用政策が第一に挙げられる。ベトナムにおいて、農業経済の中で稲作栽培は重要な役割を担っており、1960-1990年代には米政策が最重要課題となり、こと沿岸地域における土地利用は稲作が中心であった。自給を含め稲作生産性の向上を目指した農業技術の高度が図られるとともに、河川堤防・灌漑排水路の建設、灌漑システムの改良も断続的に行われてきた。しかし、ドイモイ以降、ことに1990年代以降では、政策変化もあり貿易重視の立場で輸出可能な農業生産物の耕作に重点がおかれるようになった。海岸地域の場合、海老養殖も開始している。水田が海老養殖池に変化している原因のひとつは灌漑用の淡水量が不足していることである。

 第二に、デルタの稲作農業地域の表層土壌の浅層部である0-100cmについて、土壌中に含まれる主要なイオン濃度に着目して土壌成分とイオン濃度の関係を分析し、"Saline soils"と"Acid sulfate soils"土壌と河成堆積物のアルカリイオン濃度が違うことについて検討した。紅河と支流の堆積物はNa+イオン濃度が高く、Van Uc川の堆積物はCa2+イオン濃度が低いことが明らかになった。そして、それぞれの水田土壌の土壌塩分とアルカリイオン濃度が違うことが明らかになった。"Saline soils"の水田土壌ではNa+イオン濃度が高く、"Acid sulfate soils"の水田土壌ではMg2+イオン濃度が高い結果となった。さらに、デルタの水田土壌のナトリウム吸着率(Sodium Adsorption Ratio - SAR)と電気伝導度(Electric Conductivity - EC)との関係、"Saline soils"と"Acid sulfate soils"におけるナトリウム吸着力の評価、沿岸地域の水田土壌のナトリウム吸着力分布について明らかにした。"Saline soils"の水田土壌はECが高く、SARも高いが、"Acid sulfate soils"の水田土壌はECが高く、SARが低い傾向が見られた。

 紅河デルタでは在地の技術を用いて、乾季には河川上流地域から灌漑用水を引き、淡水を水田に入れること、また、冬季に"Washing method" として表層土壌の耕転を行うことが行われてきた。"Washing method"は沿岸域の水田での米稲作活動にとって最も有効な作業であると言える。 "Washing method"が行われると、土壌塩分や毒性イオン濃度などが薄くなり、SARが0.2以上になると塩害が起こり、SARは土壌塩分の指標となると考えられる。乾季稲作においての表層土壌中の塩分濃度とアルカリイオン濃度の影響について判断した。

 "Saline soils"と"Acid sulfate soils"土壌と河成堆積物のMg/Ca率において、土壌中のCa2+ と Mg2+イオン濃度が検討した。Na+ イオン濃度の高い"Saline soils"水田の土壌にはCa2+イオン濃度が高く、"Acid sulfate soils"ではMg2+イオン濃度高いことが明らかになった。

 最後に、紅河デルタでは、乾季作である春米の単位あたり収穫量は土壌中の塩分濃度および上述したNa+イオン濃度の増加により米生産量が落ちている。また、高濃度のMg2+イオンを含有する"Acid sulfate soils"水田においては、米生産量が低下していないことがが、Ca2+イオン濃度が低くなると、毒性イオン(Al3+, Fe3+やMn2+など)の影響が強くなるため、田植え時期の表層土壌の準備と灌漑排水システムの改良が今後とも重要である。また、高濃度のCa2+イオン濃度を含有する水田では、乾季における春米生産は生産量が高いことがわかった。土壌生産量の代表として春米生産の変化を考察し、土壌塩分と毒性イオンの影響を受けている水田が取り上がられた。そして、海老養殖への土地利用変化が考えられた。それは"Acid sulfate soils"のBach Dang, Doan XaとHop Duc村(Hai PHong省)と"Saline soils"のVinh Quang村(Hai Phong省)とTay Nam Dien, Nam Dien, Hai PhucとGiao An村(Nam Dinh省)である。現在の水田から海老養殖池への土地利用変化において、これらの水田では持続可能な土地利用計画が実現できる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は北部ベトナム・紅河デルタ沿岸地域に普遍的に分布するSaline soilsとAcid sulfate soilsの土壌特性と稲作生産性の関係を議論している。論文全体は十章からなり、第一章 イントロダクション、第二章 紅河デルタ沿岸域の塩類化した水田土壌について、第三章 研究目的、第四章 研究手法、第五章 分析結果、第六章 紅河デルタ沿岸域の土地利用政策、第七章 紅河デルタの稲作農業地域の土壌特性、第八章 沿岸地域の水田土壌のアルカリイオンの集積過程、第九章 紅河デルタ沿岸部の土地利用変化と持続的土地開発について述べ、第十章で結論を導き出した。第一章はベトナム北部紅河デルタ沿岸地域の地形条件、紅河水系、問題土壌を取り巻く自然環境因子を整理し、既往研究から本研究の位置づけを述べた。

 第二章では、1980年以降に海岸浸食が拡大した紅河デルタ沿岸部での農業生産障害と、1) Saline soilsとAcid sulfate soilsの表層土壌中の土壌成分、表層土壌中のイオン特性、2) 当該地域における稲作農業と土壌成分・イオン濃度と土地利用評価、3) 在地技術が表層土壌中の塩分濃度に与えた影響を評価することが必要であることを示した。

 第三章と第四章では、研究地域の土壌特性分析を進めるために、環境要素データ、地盤標高、地形単位についての分析手法を提案し、表層土壌のEC、pH測定、採取土壌の粒度、イオン濃度の分析手法を説明した。また、水田土壌の土壌特性と農業生産性との関係性を分析するために、合作社、省レベルの農業開発事務局、灌漑区事務所に所蔵する農業生産資料の分析、代表的農家を選定して農業生産の聞き取り調査を併用したことを述べた。

 第五章では、水田土壌でも表層0-100cmを対象に土壌成分とイオン濃度を分析した。Saline soilsとAcid sulfate soilsのアルカリイオン濃度、水田土壌中の塩分濃度、SARの空間分布の違いを明らかにするとともに紅河系堆積物ではNa+イオン濃度が高く、Van Uc川系堆積物ではCa(2+)イオン濃度が低く、Saline soilsではNa+イオン濃度が高く、Acid sulfate soilsではMg(2+)イオン濃度が高いことを示し、Saline soilでの表層20cmはナトリウム吸着率(SAR)と電気伝導度(EC)は高いが、20-100cmではともに値が減少することを指摘した。Saline soils地域の水田土壌ではEC、SAR値ともに高いが、Acid sulfate soilsではEC値は高いがSARが低いことを示した。

 第六章では、1960年以降のベトナム中央政府の土地利用政策と紅河デルタ沿岸部の土地利用動向、土地利用政策変化によるデルタ沿岸域の変容を示した。最近20年間で、「塩田+イグサ栽培」から「養殖池-水田-養殖池」へと変化し、稲作重点地区に指定された1980-1990年に稲作に特化した歴史的経過を示した。この時期、生産性向上を目指し農業在地技術高度化が図られ、灌漑排水インフラ整備が進み、河川堤防・灌漑排水路の建設、灌漑システムが改良されたたが、ドイモイ以降では商品作物生産にシフトし海老養殖池が拡大していることを示した。

 第七章では、表層0-100cmを対象に土壌中のイオン濃度と土壌成分との関係を分析した。Saline soilsとAcid sulfate soilsでのアルカリイオン濃度、塩分濃度、SARの空間分布の違いを明らかにした。第八章では、河川上流から灌漑用水を高塩分濃度土壌の水田に引き入れるWashing methodと厳寒期の表層土壌20cmの耕転技術の普及が問題土壌地域の稲作生産向上への寄与率を評価した。沿岸部ではSAR値0.2が水田可能地域の閾値となることを明らかにした。Saline soils、Acid sulfate soilsと河成堆積物のMg/Ca率測定からNa+イオン濃度の高いSaline soilsでは高Ca(2+)イオン濃度で低Mg(2+)イオン濃度を示し、Acid sulfate soilsでは高Mg(2+)イオン濃度、低Ca(2+)イオン濃度を示し、その差異を明らかにした。

 第九章では、乾季作にあたる春米の単位当収穫量が、水田土壌中の塩分濃度とNa+イオン濃度の増加で減少すること、高Mg(2+)イオン濃度のAcid sulfate soilsでは米の生産性は低下していないことを明らかにした。しかし、低Ca(2+)イオン濃度地域ではAl(3+), Fe(3+)やMn(2+)の影響を受けて、生産性が低下していることを示した。高Ca(2+)イオン濃度土壌では春米生産量が高いことを示し、米の生産性の変化を過去40年間のデータから整理し、Bach Dang, Doan Xa、Hop Duc、Vinh Quang、Nam Dien、Hai PhucおよびGiao An村では稲作特化地域としての土地利用政策への見直しを提言した。また、田植時期のwashing methodと灌漑排水システム改良による稲作生産の持続性を評価できた。

 以上のように、本論文は表層土壌の分析および現場における聞き取り調査および資料解析によって、北ベトナム紅河デルタの問題土壌としての水田土壌の分析を行いSaline soilsとAcid sulfate soilsの土壌特性と稲作生産性をあきらかにした。この点においてオリジナリティーがあると評価できる。本論文では、環境因子を多方面から分析を行い、環境問題のひとつである塩類化土壌での持続的生産性を土壌中のイオン濃度、SARから評価を与えており、アジア沿岸地域に普遍的に分布する塩類土壌の持つ問題点を明らかにして、環境問題解決の方向性を示し、土地利用政策への適応策を示す先駆的研究として位置づけられる。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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