学位論文要旨



No 121883
著者(漢字) 杉本,千佳
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,チカ
標題(和) ウェアラブルセンサシステム開発と行動認識・健康管理への応用
標題(洋)
報告番号 121883
報告番号 甲21883
学位授与日 2006.09.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第237号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 保坂,寛
 東京大学 教授 佐藤,知正
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 佐々木,健
 東京大学 助教授 福崎,千穂
内容要旨 要旨を表示する

 ユビキタス社会の到来や高齢化社会の急速な進行にあたり,日常生活における行動や心身の状態をあらわす生体情報は,健康状態管理,作業管理,情報提供サービス,マーケティングなどに役立つ情報として,計測ニーズが高まっている.ユビキタス・コンピューティング環境では,高度に発達したネットワークができ,人と人,人ともの,ものとものとがネットワークにつながる.人がセンサを身につけることにより,個々の状態を把握し,ネットワークを生かした個に対応したサービスの提供が可能になるため,ウェアラブルセンサシステムが必要とされるようになる.絶え間ない技術革新は情報機器の小型化・高性能化・省電力化を進め,様々な小型センサが開発されてきた.しかし,これまでのセンサは他のセンサとの連携は考慮されておらずそれぞれ独立に機能を提供し,各センサで取得されたデータは,そのシステム独自の手法により個別に蓄積・管理され,汎用的に利用できないものが主であった.また,多くのセンサはグローバルネットワークへの接続機能を提供せず,実用的な使用環境が限られていた.多種多様なウェアラブルセンサがひとつのシステムとして統合され,かつネットワークと連携可能になれば,時間や場所に限定されることなしに各センサの計測データを活用できる.以上を踏まえ,日常生活中の生体情報を簡便に長時間計測可能なウェアラブルセンサシステムを開発し,複数のセンサシステムを統合したアプリケーションシステムを構築した.

 まず,日常における足圧分布を計測対象とした.日常生活中の足圧は,歩行機能や下肢機能の評価,高齢者の転倒リスク予測,歩行リハビリテーションの効果評価の指標として有望であり,健康管理にも役立つデータである.しかし,これまでの足圧計測装置は大型や拘束型で簡易に計測可能なシステムはなく,日常的に利用できる計測技術が求められていた.そこで,足圧分布のウェアラブルセンシング手法を検討した.

 ウェアラブルセンサの要求項目として,装置の小型・軽量化,低消費電力化,リアルタイム処理,データ無線通信,汎用データ形式,ユーザーインタフェースの簡素化,システム統合の可能化,有用アプリケーションの提供が挙げられる.これらを満たすためにはセンサ数を限定することが必要となるため,歩行状態や行動の状態による足圧変化の特徴を検証した.各状態での足圧分布データの取得を行なうことにより,歩行時には立脚期における体重の移動が親指,母指球,踵に大きな圧力変化として表れること,正立位時には母指球,小指球,踵に大きな足圧が見られること,転倒時には踵を筆頭に足圧が大きく乱れ,特徴的な変動が表れることを確認し,足裏の数箇所の足圧測定から歩行状態及び転倒判断が可能であることを明らかにした.これをもとにセンサ設置箇所を選定し,ウェアラブルに足圧を計測するための靴内蔵型装置である足圧計測シューズプロトタイプを開発し,屋外で無拘束に歩行や走行の状態を計測することを可能にした.

 そこで,脚の動きにより足圧分布が変化し,足圧パターンに行動の特徴が現れることに着目し,基本的な行動を足圧分布から識別する手法を検討した.各行動状態における足圧の分析を基に,踵,母指球,小指球の足圧の大きさと変化の仕方から歩行,走行,立ち止まり,座り,しゃがみの行動識別を行ない,さらに歩行と走行についてそれぞれ3段階(速い,普通,遅い)の速度に識別する行動認識アルゴリズムを作成した.識別においては,片足の足圧分布から重心の偏りを加味した16種類の状態に分類し,各足の状態を組み合わせることにより行動として判断を行なう.このアルゴリズムにより高い精度で行動識別できることを示し,足圧による新たな行動認識手法を構築した.

 行動認識は,パーソナルキャスティングプッシュ型情報の提供,行動履歴の作成,作業支援,生活支援など,生活・産業の様々な領域において必要とされている技術である.コンテキストアウェアには,行動,心身の状態,環境,位置,時間というファクターが重要であり,複数のセンサを組み合わせることによってこれらの情報を取得し,状況を識別することが可能になる.最適な行動認識手法は用途に応じて異なり,日常生活における行動の認識を目的とする場合は,日常的に身に着けているものに搭載できる最小限のウェアラブルセンサからの情報を統合して行動識別することが必要になる.そこで,脚の動きが伴わない行動を考慮し,腕の動きを計測して全体の行動状態を識別する腕時計型運動計測システムを開発した.また,複数のウェアラブルセンサを一つのシステムとして統合するためのプラットフォームを設計することで,用途に応じて必要なデバイスを統合し,容易にアプリケーションシステムを構築できるようにした.その一例として,足圧計測シューズ,腕時計型運動センサ,GPSを組み合わせて行動認識を行ない,コンテキストに応じた情報を自動的に眼鏡装着型ディスプレイに提供する,インターネットを利用したプッシュ型情報提供サービスシステムを構築し,システムの機能を実証した.

 これらのプロトタイプをもとに,日常生活での使用に適したウェアラブル計測システムの開発を行なった.足圧計測モジュールは20×29×12mm,13gと小型・軽量化され,低消費電力化により連続12時間以上の計測が可能となり,外装も屋外での使用に十分耐えうるものとなった.また,口元付近と口腔内の音圧を検出するマイクロフォンを供えた眼鏡装着型咀嚼・発話センサおよび超音波を発射しその受信波レベルを計測するピン型屋内外センサを開発したことにより,食事や会話,屋内・屋外の識別が可能となり,より多くの行動の認識を可能とした.これらのセンサを同時に用いて計測することにより,リアルタイムに行動状態を判断することができる.また,ウェアラブルシステムは健康管理の領域でニーズが高いことから,さらに運動効果を定量的に表すための健康管理デバイスの開発を行なうこととした.まず,運動効果を正確に算出するためのパラメータである酸素摂取量と心拍数の関係を,運動負荷をかけた状態での計測実験により検証し,双方の間には各個人毎に相関があり,そのばらつきは平均化により抑えられることを示した.これにより,消費エネルギー量を身体活動度に基づきウェアラブルに測定する手法を確立し,その手法に基づいて運動効果を算出できる腕時計型脈波計測システムを開発した.

 日常生活において装着できるウェアラブル計測システムを開発したことにより,専門施設外での生体情報の計測が可能になった.健康管理の分野においては,足圧計測を健康増進,生活習慣病予防,病後の経過観察,高齢者の健康状態管理,リハビリ患者の回復支援等に利用することが期待されている.そこで,足圧計測シューズを用いて各種歩行状態における足圧計測を行ない,以下のような状態を計測可能であることを明らかにした.

 (1)通常の平地歩行時には,踵で接地し親指で蹴り出している状態が,踵から爪先への足圧の移動として観測できる.

 (2)通常の階段下り時には,足先で接地し親指で蹴り出しを行なっている状態が,立脚期に爪先や母指球に荷重のピークが2回現れることとして観測できる.

 (3)通常の坂道上昇時には,接地時にまず踵で荷重を支え爪先で蹴り出しを行なっているのに対し,下降時には初めから爪先で荷重を支え蹴り出しも行なっている状態が,接地時に踵にかかる圧力が下降時は小さく,また爪先にかかる足圧が上昇時は初め増加が緩やかで次第に急になり(下に凸),下降時は初めに急増して次第に増加が緩やかになる(上に凸)加圧のされ方として観測できる.

 (4)老人特有のすり足歩行時には,爪先での蹴り出しがなく,荷重を足裏全体に分散して体重を支えている状態が,接地後圧の移動が少なく足裏の各箇所の足圧差が小さいこととして観測できる.

 (5)脚疾患者特有のびっこ歩行時には,疾患のある側の脚をかばい左右アンバランスになる状態が,疾患がない側の足に荷重が大きくかかり接地期の時間が長くなり,疾患がある側の圧力変化は乏しくなることとして観測できる.

 このように,通常の状態と異常が生じた場合の状態を足圧分布により把握できることから,歩行機能の評価や歩行フォームのアドバイスなどが可能であり,実用で役立つものであることを示した.また,屋内における身体機能計測と屋外での歩行計測をあわせて行ない,身体機能データと歩行データを比較することにより,屋外での日常的な計測が屋内での計測データを補うものとして健康管理に有用であることが分かり,健康科学や医療福祉の分野への応用が可能であることを示した.

 以上のように,日常の生体情報が簡易に長時間計測可能となった効果は大きい.中でも,無拘束の足圧計測シューズを開発したことにより,従来計測が困難であった屋外での無意識下の足圧分布を容易に計測できるようになったため,生活の中での様々なシーンにおける足圧分布の取得が可能になり,長期にわたるデータを蓄積して変化を分析することが可能になった.また,足圧分布による行動認識手法は,脚の状態をよく反映したものであり,移動および停止の状態における各行動の違いも判別でき,加速度センサやジャイロセンサからでは識別できなかった状態の識別も可能にした.ウェアラブル計測システムの応用範囲は広がっており,今後は日常の生体情報および環境情報を,生活・産業の様々な領域でサービス提供に役立てることが期待される.

Fig.1 ウェアラブルセンサシステムでの計測目的とその応用

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,日常の生体情報の簡易な計測と,取得した情報の生活支援への活用を目的に,ウェアラブルセンサシステムの開発及び,その行動認識・健康管理への応用を行ったものである.従来取得されてこなかった日常での生体情報により,生活・産業の様々な領域において個に対応したサービスが可能であることを示し,ニーズに対応した簡易で無拘束な計測システムを構築している.

 本論文は5章からなっている.第1章では,序論として,来るべきユビキタス社会においてウェアラブルセンサが必要とされている背景とセンサシステム開発の意義を述べ,本論文の研究目的を示している.

 第2章では,生体情報センシングの対象として足圧分布を取り上げている.日常において歩行分析を行うことに対するニーズが高いことを具体的に示し,歩行分析や足圧計測の従来手法を考察して,ウェアラブルセンシング手法を検討し,基礎データの取得を行っている.歩行時や転倒時における足圧変化の特徴を検証し,足裏の数箇所の足圧測定から歩行状態及び転倒の判断が可能であることを明らかにし,必要計測機能を精査して,ウェアラブルで足圧を計測するための靴内蔵型装置(足圧計測シューズシステム)を開発している.

 第3章では,開発したウェアラブルセンサシステムを行動認識や健康管理に応用するシステムを構築している.足圧分布に基づき,基本行動となる歩行,走行,立ち止まり,座り,しゃがみの状態識別を行う行動認識アルゴリズムを作成し,新たな行動識別手法を構築している.このアルゴリズムを開発した足圧計測シューズに搭載し,腕の動きから行動を識別する腕時計型センサ,眼鏡装着型ディスプレイ,GPSと組み合わせることで,インターネットを利用したプッシュ型情報提供サービスが可能であることを示している.さらに,用途に応じて必要なウェアラブルセンサを統合し容易にシステム化できるようにするためのプラットフォームを設計し,ウェアラブル生体情報システムのプロトタイプとなるバイタルケアネットワークシステムを構築している.運動効果を定量的に表すための汎用的な健康管理デバイスが必要とされていることから,運動効果を正確に算出するためのパラメータである酸素摂取量と心拍数の各個人毎の相関関係を用いて,消費エネルギー量を身体活動度に基づきウェアラブルに測定できることを実証し,それを実現する新たな腕時計型センサを開発してシステムへの組み込みを行っている.

 第4章では,実用化に向け,日常生活での使用に適したウェアラブル計測システムの開発を行っている.プロトタイプをもとに,長時間連続計測可能で小型・軽量な計測モジュールを作製し,屋外での使用に十分耐える足圧計測シューズを完成している.また,食事や会話を認識するための咀嚼・発話センサや超音波により屋内・屋外を判断する屋内外センサを新たに開発し,より多くの行動の認識を可能として.開発したウェアラブル計測システムを実際に装着して計測することで,日常行動を把握できること,また健康科学や医療福祉分野に応用可能であることを示している.

 第5章では,本研究を統括し,開発したウェアラブル計測システムの今後の発展性を述べている.

 以上のように,生体情報を日常生活において簡易に,無拘束に,長時間計測できるシステムを構築している.とりわけ,足圧計測シューズシステムは,従来計測が困難であった屋外での日常生活における無意識下の足圧分布を取得でき,長期にわたるデータを蓄積して変化を分析することを可能とするものであり,健康管理に大きく寄与するものといえる.また,足圧分布からは,立位や座位といった停止時における動作状態を細かく識別することや,平地・坂道歩行,階段昇降の特徴を捉えられることがわかり,加速度センサやジャイロセンサからでは識別できなかった状態の識別を可能にしている.ウェアラブル計測システムの応用範囲は広がっており,開発した技術を用いて更なる発展が期待できるものである.

 なお,本論文第2,3章は,辻昌彦氏, ギヨームロペズ氏,ハルタマンアリエサント氏,保坂寛氏,佐々木健氏,山内規義氏,廣田輝直氏,板生清氏,龍田成示氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める.

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